第16話「どこまでも不器用」

 週が明けて、月曜日がやってきた。俺は普段通りやや早めに登校し、はやる気持ちで教室のドアを開けた。

「……まだ来てないか」

 今週から学校に来るらしい鬼塚おにづかの姿はまだそこには無く、微妙に不安な気持ちになる。

 とりあえず、今は剣崎けんざきのことを信じてみるしかない。

「きっと大丈夫」、そう自分に言い聞かせ、俺は自分の席に着く。

 カバンの中から教科書類を取り出し机の中にしまい込んでいると、クラスメイト達の話声が聞こえて来る。

『ってか聞いた? あの話。びっくりだよねほんと!』

『あーうん! 鬼塚さんの話でしょ?』

 案の定会話の最後についてきた名前に、俺は落胆する。

 やっぱり、もうどうしようもないことなんだろうか。

 耳を覆いたくなる衝動にも駆られたが、俺は嫌々ながらにもう少しだけと耳を傾けてみた。

『いくら嫌いだからってあんな嘘の噂流すなんてサイテーだよね、あの人たち』

『そうそう、たまたま同じ苗字の犯人がいたからって、ありゃないよねー』

 ——おっと?

『ってか鬼塚さんて確かに厳しいけど、別に悪い人じゃ無くない? この間だって一人でお花に水あげてたし、なんかニコニコしてたよ?』

『あーわかるかも! あたしも去年カレシと水族館行ったときさ、一人で水族館いる鬼塚さん見かけたもん。サメのところずっと見てたよ?』

『マジ? 一人水族館? ぷっ、ははっ! なんか想像したら可愛いね! てか鬼塚さんってふつーに美人だよね! 顔ちっちゃいし! 髪の毛もサラサラだし?』

 ——お、おやおや? これは……。

 察するに、恐らく剣崎が本当の本当に上手いことやってくれたらしい。

 鬼塚が一人水族館をするぐらいにサメ好きなのかどうかは審議の余地があるが、それはまぁ置いておくとして。

「ふぅ……」

 なんだか一気に力が抜けた。そんな感じがして、俺は大きく安堵あんどした。

 ほどなくして、教室にはぞろぞろと生徒たちが入ってくる。

 誰もが眠そうな目をこすりながら、まず最初にあの話題について話し始める。

 しかし、それからも予想していたような会話が聞こえてくることは無かった。

『あいつらやりすぎだよねー』

『ほんとほんと、いじめじゃんあんなの』

 どうやら、「全てギャルたちの行き過ぎた報復で噂については全てデタラメ」、という形で話がまとまっているみたいだ。

 この数日間でどうやってこんなにクラスメイト達の脳内を塗り替えたのか疑問ではあるが、ここはひとまず剣崎に感謝感激雨あられ。

 と、そこへ、噂をすれば。

 ——ガラガラッ……。

 静かに教室のドアが開き現れたのは、久しぶりに見る赤いロングヘアだ。

 予想していた通り、クラス中が静まり返り、その視線が一気に鬼塚へと注がれる。

「……」

 俯きながら、そそくさと自分の席に着く鬼塚。

 その様子を見て、周りの生徒たちも再び談笑を交わし合う。

 何かしら声をかける奴らがいるのかもとも思ったが、特段現状が好転すると言ったことも無いみたいだ。

 例の件が誤解だということが分かっても、相手はあの風紀委員長「紅鬼あかおに」。

 いままでできていた壁は皮肉にも健在というわけで、しかしながらこれで一応は元通りというやつで。

 少しして、また教室のドアが開いた。

 現れたのは、親友の海斗かいとだった。

「おっすいつき。どうやら剣崎さんが上手いことやってくれたみたいだな」

「おはよう海斗。なんか、そうみたいだな。何をしたのかは知らんけど。あいつすげーな」

 顔を合わせるなり、俺と海斗は安堵し合ってチラリと鬼塚の方に視線を送る。すると、

「っ! ——ふんっ」

 目が合って、鬼塚がぷいっと顔を逸らす。

 そんないつも通りの、そしていつぶりかの鬼塚に、俺と海斗はゆっくりと歩み寄り、声をかけた。

「よ、久しぶりだな。『おねーちゃん』」

「……ははっ。おはよっす、鬼塚さん」

「か、影山かげやま君、日村ひむら、君……お、おはよう。って、そ、その呼び方やめなさいっ!」

 ギリッと八重歯やえばを見せ、頬を赤くしながら俺の胸倉に掴みかかってくる鬼塚。

 どうやら今日も機嫌がいいらしい。

 その後、これでもかと制服を着崩し堂々と遅刻をしてきた双子の妹に、前より幾分かやんわりとした表情で牙を剥く鬼塚の姿を、誰もが呆れた様子で見守るのだった。

 

 放課後、今日は海斗も交えて三人で花壇の水やりに精を出す俺たちだったが。

「日村君、あなた考察が甘すぎるわね。『魔剣花回廊まけんはなかいろう』はリズが記憶を失うことであの作品のテーマが見えてくるのよ。主人公が記憶を失ったリズに対してリズのこれまでの人生を馬鹿正直に打ち明けるシーンは二巻の段階で書かれることは無いと見たわ」

「いやいや! それじゃぁ物語は進まないし、第一リズが記憶を取り戻さないとあの魔剣を振れる人間はいないじゃん! だから主人公は葛藤の末に、リズに本当のことを打ち明けるんだよ。そこからお互いがまた絆を紡いでいくんだろ!」

 すっかり意気投合した海斗と鬼塚が「魔剣花回廊」についてあれやこれやと語り合っている。

 いや、語り合うというよりかは論争に近いだろうか。

 なんにせよ、二人がこうして打ち解けてくれてよかった。

「——はぁ」

 如雨露じょうろを片手に、俺は今日何度目かの安堵の吐息を漏らす。

「そ、それより、その、ゆ、優紀ゆうきからは全部聞いたんでしょ? 私のこと……」

 不意に、鬼塚がいてくる。

「ん? え? 誰から何を聞いたって?」

 もじもじする鬼塚を見て、いつものことながらからかってやりたくなる。

「ゆ、優紀から! 聞いたんでしょ! 聞こえてるくせに! こ、殺すわよあんたら!」

「お、俺も⁉」

 海斗が驚愕の表情を浮かべる。

「一緒にいるんだから同罪よ。なに、文句あんの?」

「り、理不尽……」

「海斗、『紅音あかねおねーちゃん』はこういうやつだから、慣れような」

「い、樹お前……」

「あ、あんたねぇ‼」

 冗談冗談、と荒れ狂う鬼塚をなだめると、鬼塚が話を戻した。

 恐らく、こいつはまたいらぬ心配をしているのだろう。

「別にどうでもいいよ。鬼塚はなんも悪くないだろ? クラスの連中も気にしてないみたいだったし、俺と海斗だってそうだ。お前はふつーにいつも通りガミガミ言ってればいいんだよ。変に大人しくされちまうとこっちが調子狂うっつーの」

「影山君……ありがと……」

 なんだか、前より少し素直になったような気がする。

 これも剣崎のおかげなんだろうか。

「礼ならお前の妹に言うんだな。俺たちは何もしてない」

「そ、それは言ったわよ、ちゃんと……」

「一緒にお風呂入りながら?」

「……んあーもう! あいつどこまで喋ってんのよぉ! ばか優紀!」

 頭をくしゃくしゃと掻き乱し、その場で膝を抱える鬼塚。その表情にはどことなく柔らかさがある。

「なんにせよ、一件落着だな、鬼塚」

「うんっ……ふふっ」

 鬼塚はしゃがんだまま、頬を赤くしてくすりと微笑んでみせる。

 それを見た海斗が、目をまん丸にして俺に耳打ちしてくる。

「お、お、鬼塚さんが笑った……!」

「そりゃ笑うだろ。鬼塚だって人の子だぞ」

 まぁ、海斗がそういうのも無理はない。例の事件がある前の日までは周りの連中と一緒で鬼塚を「紅鬼」と称していたし、その存在を恐れていたわけなのだから。

「な、なによ……。ジロジロ見んなっ!」

 まじまじと見つめる俺たちに鬼塚が威嚇してくる。

「そうやって笑ってれば普通に可愛いんだからさ、風紀委員辞めろとは言わねーけど、あんまつんけんしすぎないほうが良いぞ」

「前から思ってたが」、と最後に言い加え、俺が再び花壇の水やりを続行すると。

「……っ……!」

 隣で、鬼塚が耳の先まで顔を真っ赤にして硬直している。

「どうした? 水かけてやろうか?」

 今日はそんなに暑いだろうか。俺は今日ぐらいの気温が丁度いいんだが。

「し、死ね! か、かけたらぶっ殺すわよ! 帰る!」

 まだ少し水の入った如雨露を置き去りにしたまま、鬼塚は逃げるように中庭から去っていった。

 ふと自分の言動を思い返し、俺は海斗に訊いてみる。

「もしかしてさ、これは『可愛い』が効いたパターンか?」

 顎に手を添え、「ふむふむ」と考え込んだ後、海斗がぼそっと呟いた。

「多分な。ってか鬼塚さん、絵に描いたようなツンデレだな。ビビったよ」

「悪くないだろ?」

「うむ、悪くないな!」


 海斗が一足先に帰路に就き、俺が荷物を取りに教室に戻ると。

「……あれ? お前まだいたのか」

「…っ!」

 ついさっき、風紀委員でありながら職務放棄を決め、とっくに帰ったと思っていた鬼塚がそこに。

 初夏の夕日が差し込んだ、誰もいなくなった教室の窓際にもたれかかる鬼塚。

 夕焼けを背にぽつんとたたずむ姿はびっくりするぐらい絵になっていて、赤のロングヘアは燃えるようにキラキラと反射している。

 凛とした瞳が少し泳いだ後、まっすぐに俺の姿を捉え、思わず息をのむ。

 すると、後ろに手を組んだ鬼塚は無言のままゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 そしてぼうっと立ち尽くしたままの俺に、鬼塚は手のひらサイズの黒い小さな塊を差し出してくる。

「…スマホ? 買ったのか?」

 見ると、それは鬼塚が持っていないはずのスマートフォンだった。

 俺が訊くと、さっきよりもさらに顔を赤くした鬼塚がまっすぐに俺を見上げ……。

「……れ、連絡先! こ、ここ、交換!」

 震える声で、そう言い放ち、

「……し、して、下さい」

 最後に小さく、本当に小さく付け加えた。

 唇をかみしめ、ぷるぷると震えている鬼塚。その瞳は少し潤いを帯びているようにも見える。恥ずかしさのあまり泣きそう、といったところだろうか。

 たまに見せられる「女の子の顔」というやつで、俺の中ではすっかり慣れたつもりではいたわけだが。

「……さ、さんきゅ」

 ——これは、反則だ。

 ポケットからスマホを出し、俺が自分のアカウントを表示させて待っていると。

「えっと、あ、あれ? ここ? ちがう! あれ、え、なにこれ、うぇええ……」

 どうやら鬼塚はまだスマホに慣れていないらしい。

 画面には複数のタブが表示され、一人であたふたし始める。

「ったく、ほら、貸してみろ」

「んあっ! ちょっと!」

 見兼ねた俺は鬼塚のスマホを取り上げメッセージアプリを起動し、友達追加の画面を表示させる。

 開いていたタブを閉じる過程でウェブの検索画面が出てきたまではよかったが、「気になる男子の連絡先を聞く方法五選‼」、なるサイトが何個か出てきたのは見なかったことにする。

 鬼塚のアカウントのQRコードを表示させると、鬼塚が「待って!」と言い出した。

「なんだよ。今読み込むところだぞ」

「あの、えっと、振るやつできる? スマホをこう、二人で揺らして、追加するやつ……」

「あぁ、できるけど……」

「ほ、ほんとに⁉」

「……あれがいいのか?」

 ウンウン、二回小さく首を縦に振る鬼塚。なんだこの可愛い生き物は。

 鬼塚のお望み通り、友達追加画面のフリフリ機能を表示させ、俺が両手にスマホを持って振ろうとすると……

「ぐえぇ!」

「な、なんであんた一人でやんのよ! そっちは返して!」

 思い切り胸倉を掴まれた。どうやらそういうことではなかったらしい。

 気を取り直して、ついに鬼塚と連絡先を交換することに。

「じゃぁ、やるぞ?」

「う、うん」

「「……せーのっ」」

 ふりふり——、ピロリンッ♪


 音がして、俺の端末に鬼塚のアカウントが登録される。

 無事向こうの端末にも俺のアカウントが登録されたらしく、嬉しそうに目を細める鬼塚。

 こうも嬉しそうにされると、なんだかな……。

「じ、じゃぁ私、もう帰るから! 影山君も早く帰りなさいよね! あんまり遅くまでいたら反省文だからっ!」

 そう言って、また逃げるように教室を去っていった鬼塚。

 一瞬廊下を走ろうとしたのを見逃さなかったので、明日にでもいじってやろうと思う。

 程無くしてメッセージアプリの通知音が鳴り、おもむろにスマホを取り出してみると。

「——ぷっ、ははっ!」

 表示された名前と内容を見て、思わず笑みがこぼれた。


 ——『鬼塚紅音がスタンプを送信しました:(おやすみ)』

 ——『鬼塚紅音がメッセージを送信しました:(間違あえった)』


「いや、めっちゃ打ち間違えてるし」




 ——『鬼塚紅音がスタンプを送信しました:(またね)』








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