第15話「双子」
廊下を行き交う生徒たちの話声が聞こえて来るのが、毎日
俺が机に突っ伏したまま、狸寝入りをしていると。
「——ほらよ
「……ん、
右手にコーラを、左手には俺が頼んでいたいちごミルクを携えた海斗が、いつの間にか目の前にいた。
最近はやけに見慣れていた小さなピンク色の缶が、頭のそばにコトンと置かれる。
ぼんやりとその缶を見つめると、缶にピントが合っているせいでそれ以外はかなりぼやけて見える。
なんかあるよな、こういう写真。
プシュッ! ゴクゴク、ゴクリ。
頭上で、海斗が豪快に喉を鳴らした。
「——ぷは! 今日もまた心ここにあらず、って感じだな」
「美味そうだな、それ」
体勢を変えないまま、俺は海斗を見上げながら言う。
「そういえば最近だよな、樹がいちごミルク飲み始めたの。お前そんな甘いの好きだったっけ?」
「そうだっけか」
「……そうだっけかって、はぁ」
そう言って小さくため息をついた後、海斗は俺の額を強く指で弾いた。
——バチンッ!
「いってぇ‼」
デコピン、というやつだ。海斗のデコピンはかなり痛い。
悶絶して涙目になる俺をまじまじと見つめた後、海斗は俺に
「あの噂、樹は信じてんのか?」
「興味もないな」
俺が即答すると、海斗はどこか安心したような笑みを浮かべながら言った。
「そっか、ならいい!」
あの噂というのは、三日前から広まり続けているあの噂だ。
——『
実際のところ、過去に鬼塚に何かがあったのは事実だろう。
鬼塚は異常なほどに校則を徹底したがる割に、ふとした瞬間には誰もが予想もしえないような純粋な笑顔を見せたりする。「
そういう一面を唯一知る俺だらこそ、この現状というのはどうにも
「……海斗は信じてるのか?」
俺はいちごミルクの缶にピントを合わせたまま、海斗に訊く。
「興味もないなぁ」
俺と同じぐらいの、即答だった。
俺という人間は本当に、人間関係に恵まれていると思う。それは海斗といるときはいつも思うことではあったが。
この瞬間は特に、心の底からそう思えた。
放課後、俺と海斗は一人の勇者に呼び出され、理科準備室にやってきた。
「えっと、その、なんでしょうか、用ってのは」
中に入ると、今日もまた一段と華やかな長身ギャルがそこに。
「あ、オタク組じゃん、やっほー。かげおくんと、ひむろくんだっけ?」
「
「
そしてどうやら、剣崎は人の名前を覚えるのが苦手らしい。
「あ、マジ? うちまた間違えた? いやーあんたら影薄いし存在感ゼロだからさ、すぐ忘れんだよね。マジごめん!」
……普通に酷い。
ざっくりと開いた胸元が真正面から容赦なく飛び込んでくるという要因が八割。俺と海斗は足元で目線を泳がせながらだんまりを決め込む。
しかしながらこの
「っつーことでさ、この間のことでちょっと聞いてもらいたい話があんだけど、いい?」
数秒の沈黙さえも発生させず、話はすぐに本題へと突入する。
「この間の話って……樹はわかるとして、俺も聞いていいわけ?」
先に反応したのは海斗だった。
いつも笑っているのか、それともこれが真顔なのか、微妙に口元を緩ませながら剣崎は答える。
「いいっしょ。ウチの中ではオタク組はセットでいい奴認定だから」
「あかお……じゃなくって、鬼塚さんはいいって?」
「許可ならとってるって、心配ごむよー」
バリバリ校則違反のギラギラネイルを眺めている剣崎。
納得したのか、海斗が何も言わなくなったところで、今度は俺が質問する。
「……思ったんだけど、なんで剣崎が全部知ってる風なんだ? それに許可とってるって言っても、お前ら今まで犬猿の仲だったじゃねーか」
「だーからさ、それを説明するって言ってんのよ。話聞けって」
「はい。すみませんでした」
「うむ、素直でよろしい。ははっ」
いつも笑ってるやつが真顔になると恐ろしく怖い。
怯え切った海斗は隣でガタガタ震えている。
ここで初めて少しの沈黙が流れた後、剣崎はくるりとスカートを翻し、窓の方を向きながら小さく呟いた。
「——『
♢
「そう、だったのか……」
それは聞いているだけでも辛くなるような、あまりにも残酷で過酷な十年間だった。
鬼塚は本当のお母さんを覚えておらず、もうすでにこの世にはいないこと。
次期に新しい母親と「優紀」という双子の妹ができたこと。
しかしその幸せが続いたのはつかの間だったということ。
自我を失った父親が家族に手を上げるようになったこと。
その過程で母親の命が、実の父親の手によって奪われる形となってしまったこと。
その反動で、一時的に剣崎が心を失ったこと。
そして鬼塚は、幼くして生きていく場所を失ったこと。
それでも鬼塚は、母親の残した言葉を信じ続けた。血の繋がりはなくとも、双子の妹を思い続けた。
その結果、歪んで行き過ぎた正義感が鬼塚を支配したこと。
鬼塚もまたそれに従い、自らの正義を貫き、孤独で居続けようとしたこと。
「まぁそんな感じでさ、うちはこーみえて関係ないどころか、思いっきり当事者なわけよ」
そう言う剣崎の表情と声色は、恐ろしいぐらいに冷静だった。
信じたくなかった、とは言いたくないし言うつもりもない。
事実であっても、でたらめであっても、俺はいつからかありのままの鬼塚を受け入れているし、もう数少ない友人の一人でもある。
そしてそれはこれからも、変わることのない話なわけで。
「ぷ、っは、ははっ!」
気づけば、俺はそんな風に笑っていた。
「い、樹⁉」
そんな俺を、隣で黙り込んでいた海斗が目をまん丸にして凝視する。
「だってよ海斗、聞いたか? あの剣崎が、さっきから鬼塚のこと『おねーちゃん』だってよ。しかも無口でしゃべるの苦手だったとか、誰が想像できんだよっ。ははっ!」
「ぷっ、ははっ。言われてみれば、確かにな。この前なんか机蹴り飛ばすぐらいの大喧嘩してたのに、昔は毎日お風呂入ってたとか、どういう展開だよってな、はは、はははっ!」
つられて、海斗もくすくすと笑い始める。
——海斗、やっぱりお前は良い奴だよ。
「……あ、あんたらさぁ、そんな笑うなし。ふ、ふつーにはずいんだけど」
見れば、あの剣崎も少し頬を赤くしてキョロキョロと視線を泳がせている。
「ははっ! 悪い悪い。でもさ、鬼塚は剣崎のねーちゃんなんだから、ふつーに仲良くしてればよかっただろ。なのにわざわざ悪目立ちするようなことばっかりして、鬼塚も目が離せないからって結局高校まで付いてきてるし、お前らほんと、どんだけ不器用なんだよ、ははっ!」
何が「血は繋がってないけど」、だ。
「なっ! べつにうちはそんなんじゃ! スカートだって短い方可愛いっつーか、授業とか寝ててもわかるつーか……。そ、そもそも校則とかだるくね? ふつーに、それだけだし」
こいつらが似てないのなんか、見た目だけじゃねーか。
「お前ら、ほんっとそっくりだな! ははっ!」
「……っ!」
——
一瞬、剣崎が顔を上げて大きく目を見開いて固まった。
「はははっ! って、け、剣崎?」
そうして
「う、うちさ、用事思い出したから、先帰るわ。またね、オタク組」
——バタンッ!
勢いよくドアが閉まり、剣崎は急ぎ足で廊下を駆けて行った。
「……もしかして俺ら、剣崎さんを怒らせたのでは」
隣で血相を変えながら海斗が呟く。
「ま、まじ? 流石に笑い過ぎたか……?」
言われて、ギャルたちの標的が次は俺たちになるのではと、世にも恐ろしい未来が脳裏をよぎった。
「まあでも、鬼塚は来週には来るみたいだったし、家では普通みたいだったから安心したよ」
剣崎の話によれば、鬼塚はとりあえず今週は休むことにしているとのこと。
そしてその間に、剣崎が例の噂をどうにかするらしい。
「ははっ、そうだな。でも、剣崎さん一人でどうにかなるもんなのか?」
「そこは確かに心配だよな。俺としては協力したいのは山々なんだが、いかんせんその策が思いつかない」
「だよなぁ。俺らなんてただのオタクだしなぁ。剣崎さんも端から当てにしてなさそうだったしな……」
事の真相について、わざわざ俺たちだけに話してくれたことに関してだけ言えば、俺らは信用されているのかもしれないが。
かといって、この件を片付けられるかどうかというのは全く別の話だったりするわけで。
「ま、ここは一度剣崎に任せてみるとしよう。大丈夫、剣崎はあの勇者剣崎だ。昨日まで一緒にいた取り巻きに蹴りとグーパンチ喰らわせる女だぞ? 少しは期待できるかもな」
「ははっ、樹らしい考えだな。じゃあとりあえず、俺たちは鬼塚さんの帰還を待つとするか。せっかくだから俺も話してみたいしな、ラノベの感想とか」
「あー海斗、あいつはああ見えてオタク気質でな、すでに結構読み込んでると見た。だいぶ長ったらしく語るかもしれないし、今度ファミレスとか誘うか!」
「あ、まじ? そりゃぁ楽しみだわ! ははっ! 鬼の風紀委員長がファミレスでラノベを語るって、どういうとんでも展開だよ!」
そんな未来を語りながら俺たちが帰路に就く頃には、見慣れた校舎はすっかりと茜色のグラデーションに彩られていた。
♢ Monolog YUKI ♢
「お前ら、ほんっとそっくりだな! ははっ!」
「……っ!」
急に笑い始めたかと思いきや、今度は何をそんなふざけたことを。
影なんとか君、だっけか。クラスのオタク君の名前とか、いちいち覚えられない。
——そっくり? うちとおねーちゃんが?
「はははっ! って、け、剣崎?」
言われた瞬間、熱い何かがこみ上げてくる感覚に襲われた。
なんだろう、目と鼻の辺りがジーンとする。なにこれ、ウケんだけど。つか、もう帰ろ。
「う、うちさ、用事思い出したから、先帰るわ。またね、オタク組」
そう言い残して、うちは理科何とか室を急いで出たわけで。
「……ははっ、あっぶねー」
今日は鬱陶しいい風紀委員長がいないから、廊下も遠慮なく走ってしまおう。まぁ、居ても走るんだけどね。
早く帰らないと、化粧が崩れる。
すっぴんとかマジ見せたくねーし。
つかハンカチとか、持ち歩いとけばよかった。
「うっ……うぅ」
堪えていたはずなのに、涙はとめどなく溢れ、流れ落ちてくる。
まるで川が決壊して、氾濫したみたいに。
やがて前が何も見えなくなって、その足を止めた。
「似てるわけ……ないのに。そんなわけ、ないのに」
それは多分、うちがずっと憧れていた台詞だったからだと思う。
身長もうちの方が高いし、二重だけどツリ目じゃないし、髪の色も太さも違うし、声だって全然違う。そもそも母親が違う、似てるわけがない。そんなこと、あるはずがない。ほんの数年一緒にいただけで、双子になんかなれるはずがない。ない。あり得ない。そんなことはわかってる。わかってた。
——だから、寂しかった。
お姉ちゃんができて、うちは嬉しかった。同い年なのに何でもできて、可愛くて、奇麗で、強くて、かっこよくて、いつもうちの髪を撫でてくれて。
大好きだった。ずっと一緒にいたかった。
なのに幼い頃は何も言葉にできなくて、気付いたら離れ離れになっていて、当たり前の人生を送れたのは、うちだけで。
こんな自分を許してもらえるなんて、思えるはずがなかった。
本当はあの子と双子なんだって皆にも教えたかった。
でも、絶対に信じてもらえないと思った。
何より、おねーちゃんが、紅音が嫌な思いをすると思った。
学校帰りに寄り道するときも、休みの日に原宿に行くときも、どうしてここにおねーちゃんがいないんだろうって、何百回と考えた。
もう双子だったあの頃には戻れないとしても、うちの存在までは忘れてほしくなかった。
おねーちゃんが風紀委員をやるなら、うちはヤンキーにでもなってやればいい。
そんなにルールが大事なら、守らせてみればいい。
どんなに注意されても、怒られても、うちは絶対に校則なんか守ってやらない。
だってそんなことをしたら、おねーちゃんがうちを見てくれなくなる。忘れられてしまう。
そうして時が経って、いつの日か、何もかもなかったことになってしまう。
そんな未来を受け入れられなかった。
そんな現実が待ち受けているとして、それを直視できる自信なんかどこにもなかった。
だから……
「うっ、うぅ、よか、ったぁ……よかったあ」
うちとおねーちゃんは、そっくりらしい。
見た目が似てないのは当たり前だから、きっと中身の話だ。
うちとおねーちゃんは、ちゃんと双子なんだ。
血は繋がってなくても、ちゃんと双子だったんだ。
よかった。本当に良かった。
——やっぱりうちは、鬼塚紅音の妹なんだ。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう。
人生初かも? いや、生まれたときはもちろん泣いてたから、そん時と同じぐらいか、そん時以上か、どっちだろ。どっちでもいか。
にしてもあのオタク組、意外といい奴らじゃん。
影何とか君。あいつ、やるねぇ。
どーりで、あのおねーちゃんが惚れるわけだ。
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