第11話「良い奴ら」

「け、剣崎けんざき、さん……?」


 どうやら鬼塚おにづか本人も、何が起こったのかわかっていないようで、怪訝けげんそうに剣崎を見つめている。

 鬼塚だけじゃない。その場にいる誰もが困惑の表情を浮かべている。

 そんな周囲の視線など特に気にする様子もなく、剣崎は淡々と黒板の文字を消そうとしている。

 そしてそんな剣崎を見て、俺の体はようやく動いてくれた。

「俺も手伝うよ」

 俺はもう一つ、落ちている黒板消しを拾い、剣崎の横でひたすら黒板の文字を消す。

 案の定、上からなぞったぐらいではその筆跡は浮かんだままで。

「……っ」

 一秒でも早く、少しでも奇麗に、この残酷な言葉たちを消し去ってやらねばと、俺はがむしゃらに腕を振った。

「も、もういいよ、影山かげやま君」

 顔を伏せながら、鬼塚が何かを言った。

「よくねぇよ。——気にすんな」

 食い入るように、俺は反論する。

 さっきの「ごめんね」、と引き攣った笑顔が脳裏に焼きついて離れない。

 謝るのは俺の方だ。

 真っ先に動いてやれなくて、ごめんな。

 口には出せず、俺はただた手を動かした。


 でも、どうしてあの剣崎がわざわざ鬼塚を助けたんだろう。

 そんなことが気がかりで、俺はふと隣にいた剣崎に視線を移す。

 すると剣崎は、俺にしかわからない程度の小さな微笑を浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。

「オタク君さ、意外といい奴じゃん。ウケんだけど」

「……別に。剣崎こそ」

「うち? でしょ? もしかして惚れた?」

「惚れてない」

「ちょ、即答すんなし」

 そんなやり取りをしていると、後ろで聞きなれた声が。

「お、鬼塚さん、ちょっといいかな」

「……ひ、日村ひむら、君?」

「床、モップかけるからさ。ちょっと足元失礼!」

「そ、そんな! こ、これは私が……!」

 ——キュッ、キュッ……。

 見れば、海斗かいとがわざわざモップを持ってきて鬼塚の足元周辺を掃除していた。

 そんな俺の視線に気づいたのか、海斗はにっこりと笑い、俺に向かって親指を立てた。

 答えるように、俺もグッドサインを送る。

 やっぱり、海斗は良い奴だ。

 黒板もあらかた奇麗になった頃、剣崎が鬼塚のもとへと歩み寄り、その手を掴んだ。

「ちょ、け、剣崎さん⁉ な、なに⁉」

 困惑する鬼塚。

 構わず、剣崎はそのまま強引に教室の外へと連れ出し、


「オタク君、ちょっと紅音借りるんで。せんせーきたらうちら風邪で休みって言っといてくんない? とりま、ヨロ~」


 そう言い残して、鬼塚の手を引いて出て行った。


 一体何をするつもりなのか、気にはなったが、恐らく心配するようなことは何も起きないことだけは何となくわかった。


「……あ、紅音?」


 経った今、剣崎は確かにそう言った。

 ——なんで鬼塚を呼び捨てにしたんだ?

 そんな疑問を抱いたのは当然俺だけのはずがなく、その場にいた生徒たちは目をぱちくりさせていた。


 その後、いつも通りHRが始まり、眠たい授業が流れていった。

『朝のやつ、ヤバかったよね』

紅鬼あかおにってまじで人殺しの娘なのかな』

 授業が終わるたびにそんな与太話が耳に飛び込んできた。


 ——だったら、なんだ。

 ——だから、どうした。


 鬼塚が戻ってきたら俺はまたあいつと、今度は海斗も一緒に、ラノベの話をするんだ。

 そういえば、あの日以来あいつのクッキーを食べていない。

 そろそろ焼いてきてもらおう。

 そんで「めちゃくちゃ美味いな」って、今度は本人の目の前で思いっきり褒めちぎってやろうと思う。

 そしたら鬼塚は、またいつもみたいに照れるだろうか。

 いつもみたいに、笑うだろうか。


 喧騒を避けるように机に顔を突っ伏したまま、一日中、俺はひたすらそんなこと考えた。


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