第7話「決行」

 明けて翌朝。眠たげに教室に入ってくるなり、海斗かいとが心配そうに俺に聞いてくる。

「はよーすいつき。で、本当にやんのか?」

「おう海斗。そりゃぁやるに決まってるだろ。わざわざ買うまでしてんだから」

 それもそうかと、海斗は言いたげな様子で半ば諦めたような顔をする。

 次に「はぁ」、と一度ため息をついた後、少し離れた自分の席にバッグを置いた。

「お前の言い分がまるっきり理解できないわけでも無いし、何があったのか俺には見当もつかないけどさ、なんというか、樹のいいところでもあるよな。まぁ部外者の俺は黙って見守ってるとするよ」

 そう言って、今度は優しい笑みを見せる海斗。

「別にどうってことない話だけどな。ただ自分の好きな作品を他の人にも知ってもらいたいってだけだし、その相手がたまたま鬼塚おにづかってだけだ。俺は何も特別なことなんかしてないし、するつもりもねーよ」

 きっと今日なら渡す機会もあるはず。

 それと、クッキーの感想も伝えてやらなきゃならない。

 そんなことを考えていると、他の生徒たちもぞろぞろと教室に入ってくる。

 その中に紛れて、赤髪のロングヘアが一人、ぽつんと姿を現した。

 鬼塚が入ってくるなり、教室内が一瞬だけ静かになるのはいつものこと。

 少し前までは何とも思わなかった光景だが、こうしてみるとなんだが少しかわいそうな気がしなくもない。

 一度は静まり返った教室内。

 鬼塚が窓際の自分の席に座り、頬杖ほおづえをついてぼんやり窓の外を眺める様子を確認した後、再び談笑だんしょうの声が広がり始める。

 窓の向こうを眺める鬼塚の目つきは相変わらずキツイ眼差しで、ほんの一瞬、近寄るのを躊躇ためらわせる。

 だがしかしこの鬼塚、実は恐ろしいぐらいに表情が豊かな女の子で……。

「おはよう鬼塚、今ちょっといいか?」

 目の前まで歩み寄り、俺がそう声をかけると。

「ひぃ! な、なな、なによ急に! 驚かさないでよ! い、良いけどなんの用? しょうもない用事だったらぶっ殺すから!」

 ——口わりーな、こいつ。

 けどまぁ、今日は機嫌が良さそうだ。必死に動揺を隠そうとしているらしく、硬直状態のまま顔を赤くして俺を見上げている。

「ちょっと来いよ。鬼塚に渡したいものがあるんだ」

「んな! ちょっ! あ、あんたが来なさい! ほら! こっち!」

 ——ガシッ! グイッ!

「うぐっ!」

 俺は胸倉を掴まれ、いつもの理科準備室へと連行された。

 俺が鬼塚に話しかけたその瞬間から、教室の空気はまたしても凍り付いていたが、まぁそれは気にしないことにする。


「げほっ、げほっ——、あの、呼んだのは俺の方なんすけど……」

 毎度のこと喉がつぶされかけるのはごめんなので、どうにかしてこのやり方をやめさせたいのだが、とりあえず今は置いておくとして。

「で、私になんの用なの? って、てか! 教室で急に話しかけんじゃないわよ! ご、誤解されるじゃない!」

 今日もツンツン絶好調の鬼塚が、腰に両手を添えたお説教スタイルで俺に言う。

「あのやり取りで誰がどう誤解するんだよ。クラスメイトだから会話ぐらいするだろ」

 俺はただ呼んだだけだ。それなのにお前は顔を赤くしてわたわたしてるんだから、万が一何かを誤解されるとしたら100%鬼塚に原因があると思う。

「わ、私はクラスメイトだからって授業に関係ない会話とかはしないし! そもそも私が話しかけたら皆怯えるし!」

 そりゃそうだ。だって怖いもん、お前。机蹴るもん。

「そ、それにその……、と、とと、とも……ちと、思われ、ちゃうじゃない……」

 ごにょごにょもじもじ。うつむいたまま、鬼塚が何かを言った。

「何言ってるか聞こえねーよ。昨日のあの迫力はどうしたんだ」

「なっ! ば、バカ! 死ね! あれはあいつが悪いんだし! ってかいちいち掘り起こすな! うざい! キモイ!」

 やれ、口を開けば暴言。

 剣崎けんざきなんか、昨日本屋で偶然会ったと思ったら、わざわざ謝ってきたってのに。

「だ、だからその、えっと……か、影山かげやま君と、と、とと……」

「……と?」


「と、友達だと! 思われちゃうじゃない!」


「……」


 ——こいつ、失礼過ぎない?

 やはり女子は俺みたいなオタクと仲が良いと思われるのは心外で、俺みたいなオタクは生理的に受け付けないというやつなんだろうか。

 ——そうかそうか、鬼塚。つまり君はそういう……。

「いや! えっと、か、影山君と、と、とも、だちだと、思われるのが嫌ってことじゃなくて……その、逆っていうか」

「……え?」

 逆? というと?

 俺が頭上にはてなマークを浮かべているかたわら。

 しゅん、と途端に申し訳なさそうな表情を浮かべ、肩を落とす鬼塚。

 正面で組んだ手の指先が、終始そわそわとせわしない。

「影山君は、普通の男子だし、私と違って友達もちゃんといるし……、だから私なんかと友達だと思われちゃったら、影山君まで嫌われちゃうかもしれないし……、影山君はこの前私を助けてくれたし、そ、その、たまごサンドも譲ってくれたし……」


 ——やっぱり、鬼塚は良い奴だ。普通の女の子だ。


 そう確信してなんだかすごく安心した俺は、ついに一冊の文庫本を鬼塚に差し出す。

「ほい、これ。鬼塚も読んでみてよ。この前持ってくるなって言ってたやつ」

魔剣花回廊まけんはなかいろう』。しかもわざわざこのために買い直した、言うなれば鬼塚用だ。

「……あんた、いい度胸してるのね。人がせっかく気を遣ってあげてるというのに、これはどういうこと? この間忠告したわよね? 『次は没収』って」

「あぁいいよ? 鬼塚に読んでほしくて持って来たんだし、俺はもう一冊あるからしばらく持ってても大丈夫」

「は、はぁ⁉ 学校に漫画持ってくるのは校則違反でしょ? しかもそれを私に読めですって? あんたどういう神経してるわけ? ……さてはあんた、めるつもりでしょ? これを私に持たせて、その噂を流して、風紀委員の私がみんなに責められればいいって思ってるんでしょ⁉」

 もはや作家になれるレベルの妄想スキルなのではないか、というぐらいの被害妄想。

 こいつ、人間不信過ぎないか?

「ちげーよアホ。お前の頭の中どうなってんだ。つーかまずそもそも漫画じゃない。文庫本だ。小説だ。ライトノベルだ」

「……? らいと、のべる?」

 ——やっぱり、知らなかったか。

 きょとんとした鬼塚はいぶかしげに本を受け取り、まじまじとその表紙を見つめる。

「まけんはな、かいろう?」

「……どういうイントネーションだ。『魔剣花回廊』だよ」

 被験者ひけんしゃ囚人しゅうじん、みたいな発音で言うな。

 鬼塚はぺらぺらとページをめくり始め、

「ほんとだ」

 納得したように、ぼそりと呟いた。

「ま、そういうわけで、読んでくれよ。けっこうおもしろいんだぜ? ちなみにそれを書いてるやつは俺らと同じ高校生で、もっと言えば鬼塚と同じ女の子だ。女子高生だ」

「ほ、ほんとに⁉」

 今度は目を丸くした鬼塚が、興味津々な様子で冒頭を読み始める。

「これはマジで近年まれにみる名作中の名作。すでに重版もかかっててどの書店でも売り上げ一位を独占中だ。続けばアニメ化もされるだろうし、面白さは約束する。だから家に帰って読んだ方がいいぞ? 今読み始めたら止まらなくなる。知らないぞ? 風紀委員長なのに授業中読書したくなっても」

「そ、そんなのダメに決まってるわ! 私がそんなことをしたら、この学校は無法地帯に……」

 おうやめとけ。特に鬼塚の場合、総スカン喰らって袋叩きだ。風紀委員の威厳もくそも無くなる。

 お前に恨みを持っている人間は絶対にこの機会を逃さないだろうしな。

「で、でもどうして私に? こういうのは友達の日村ひむら君といつも……」

 またしても鬼塚は申し訳なさそうに、自らの足元へと視線を泳がせる。

「別に海斗とじゃなくてもしていいだろ。鬼塚だって面白い本とか映画とか好きだろ? 休みの日は好きな服着るだろ? お腹すいたら好物のたまごサンド買うだろ?」

「そ、それはまぁ、そうだけど……」

 少しムッとした表情で、でもどこか照れたような声色の鬼塚。

 実験用の器具が納められた棚にもたれかかり、サラサラのロングヘアを手ですきながら、その毛先をいじり始める鬼塚。

 枝毛でも探しているんだろうか。無さそうだが。

「それと、俺は別に鬼塚と友達だと思われるのが嫌だなんて思わないぞ。変な被害妄想はやめろ。あんなに美味しいクッキーだって作れるんだから、もっと普通にしてればいいんだよ」

「た、たた、食べたの⁉」

「食うだろそりゃ。それともなんだ、捨てて干しかったのか?」

「なっ! サイッテーなんだけど! 女の子からもらった手作りのお菓子捨てるとか、下衆の極みもいいところなんですけど!」

 ギリッと八重歯をむき出しにして、鬼塚が威嚇いかくしてくる。

「いや食ったって。めちゃくちゃ美味かったよ。ほんと、また作ってくれ」

 俺が思ったままの感想を伝えると、今度はぷいっとそっぽを向く鬼塚。

「べ、べべ、別に! もともとあんたのためだけに作ったわけじゃないんだから! その、あ、余ってたからしょうがなく持ってきてあげただけなんだから! す、好きでもない男子にいちいち手作りするとか、そ、そういうの無いからぁ!」

 何世代か前のラノベで見かけるような超王道ツンデレ構文。

 いやはや、これは完璧。

「うむ、100点」

「は、はぁ? ってか何その顔、キッモ。意味わかんないんですけど!」

 すまん、こっちの話だ。しかも顔に出てたか。

 あと、言い過ぎ。

「とにかく、その本は飽きるまで読んでていいから。読み終わったら感想聞かせてくれよ。ほら、教室戻るぞ」

 そう言って俺がドアを開け、先に鬼塚が退出するようにうながす。

 大事そうに文庫本を抱く鬼塚。その表情は普段は絶対見せないような、和らげで穏やかなもので。

 俺がドアを閉めたのを確認した後、鬼塚は目を細めてにっこりと笑い、


「あ、ありがとね影山君。これすっごい楽しみ! えへへっ」


 そう言って、くるりと回れ右をした。

 ふわり——、軽やかに揺れた赤のロングヘア。

 気になったのは、やっぱりあの独特な甘い香りで。

 そして目に焼き付いて離れないのは、不意に見せられたあの笑顔で。

 続けて教室に戻った俺は、すぐさま海斗のもとへ行き、こう耳打ちする。

「どうしよう、鬼塚が可愛い」

 すると海斗は一瞬にして真顔になり、

「——病院行くか?」

 そう言い放った。


 結局この日は一日中海斗に心配される俺であった。

 

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