第6話「あと一段降りておけばよかった」
その後。一度張った見栄を無かったことににするべく俺はトイレへと駆けこみ、五限目開始までソシャゲをして時間を潰した。
結局、騒ぎを聞きつけた担任が駆けつけ、とりあえず事態は収束となったらしい。
俺が教室に戻ると、散乱した
まるで嵐の後の静けさのような空気が、何でもない春の日の午後を大きく変えてしまったのだろう。午後からの授業は、その場にいた誰もが完全に「心ここにあらず」、といった表情を浮かべているように見えた。
迎えた放課。俺と
「
「ありゃぁ間違いないな。ヒロインが序盤で死ぬ展開はマジで衝撃で斬新だった。一巻のラストで主人公が蘇らせたが、なんとリズは記憶が無くてまるで別人格。剣を振るうことでしか自分を表現できない、組織の
川岸からはやや離れた芝生の上で、俺と海斗は制服のまま
興奮気味にガッツポーズを決める海斗の隣で、俺もまたしみじみと自分の印象に残っているシーンを語ってみた。
夕焼け色が照らされた河川敷は肌寒くも暖かくもあり、こうしていると春らしさというものが全身で感じとれる気がする。
そんな中、海斗はふと思い出したように、昨晩の俺からの返信について聞いてきた。
「そういえばさ、樹が魔剣花回廊を読ませたい相手って誰の事なんだ? もう貸したのか?」
——あぁ、そういえば。
俺もまた思い出したように、ひそかに温めていた計画を打ち明けた。
「その話か。いや? まだ貸してないな。っていうか今日はそういう状況じゃ無さそうだったから、明日にでも貸してみようかなとは思ってる」
まだ察せていないのか、海斗は
「……それで、誰なんだよ。樹、俺意外にそんな仲いいオタク仲間とかいたか?」
仲が良いかどうかと問われれば、それは俺自身も
「
「は?」
「鬼塚紅音」
「——が? どうしたって?」
「貸すんだよ。『魔剣花回廊』を。読ませるんだよ」
その名前を聞くなり、一瞬にして顔を引き
「……お前本気で言ってんのか? 焼かれても知らんぞ? というか焼かれるぞ?」
海斗も他のみんなと同じで、鬼塚の『鬼』の部分しか知らない。
だからまぁ、そういう反応をされるのは想定内というもので。
「あぁ本気だよ。その辺はまぁ、そうなりそうになったら説得するよ。多分大丈夫。俺に任せてくれ」
まるっきり根拠のない自信というわけではないのが本当のところだが、恐らく海斗からはそうとしか見えないのだろう。俺の計画というのはものすごく
「お、俺は知らんからな……。サイン本、手に入れるのも苦労したんだぞ? 樹に読んでほしくてあげたものだし、貸すなとは言わないが、苦労した俺の気持ちもくみ取ってくれるとものすごい助かる……」
実はそこらへんも考えて、俺はあえて今日鬼塚に貸さなかったというのもあるのだ。
数時間前に思いついたあることを実行するため、俺は海斗に提案する。
「っつーわけで海斗、今から本屋に行こうぜ。時間、あるだろ?」
俺の急すぎる提案ではあったが、海斗は半分呆れつつも同行してくれた。
駅前の大きな書店の二階。通いなれた文庫本コーナーの一角で、俺たちは平積みにされた新刊たちを眺めていた。
「樹、わざわざあの『
相変わらず顔を引き攣らせた海斗が隣で、気になった新刊を
「流石に俺もあのサイン本を貸すのは気が引けただけだし、万が一焼かれちまったら何より海斗に合わせる顔も言う言葉も見つからない。だからこの機会に鬼塚に貸す用でもう一冊買っとく」
今日貸せなかったのはある意味都合が良かったかもしれない。
そんな自分都合な解釈をしつつ、俺は見慣れたタイトルの一冊を見つけ、手に取った。
「にしても急にどうしちゃったんだよ樹。まさかお前も『紅鬼』の隠れファンの一員だったってのか?」
「誰がドMだ、変な冗談はよせ。そんなわけあるか。ただまぁ、最近いろいろあってたまに話すぐらいの仲だったりするからさ。あいつも一応人間だし、いつもの鬼モードが本性ってわけでもないと思ったんだよ。面白い本の一つや二つにでも出会えば、わざわざ取り上げて焼き捨てるなんて酷い真似はしなくなるんじゃねーかなと思って」
あくまで俺個人の推測だが。
鬼塚はきっと、根っこまで『鬼』じゃない。
近くで見ると意外と可愛いし、いい匂いするし、照れるとめちゃくちゃ焦るし笑うし、お菓子作りはべらぼうに上手い。やり方があまりにも不器用すぎるのは問題だが、気遣いの精神だってちゃんとある。それにああ見えてたまごサンドなんていう素朴な食べ物が好物らしい。
そう考えると鬼塚だって、風紀委員長である前に普通の『女の子』であるわけで。
たった二日間の間に起った些細な日常の一コマに過ぎないと言われればそれまでなのだが、あの鬼塚紅音が、偶然でも唯一俺だけに見せた一コマであるというのも確かだ。
だから俺にはどうしても、鬼塚がただの面倒くさい風紀委員長には見えないのだ。
もっと言えば、それはただの先入観に過ぎなくて、鬼塚自身も何らかの事情があって故意にああいう振る舞いをしているような、そんな気がしてならないのだ。
その理由が何なのか、そもそもそんな理由が存在するのかもまだ定かではないが。
「鬼塚紅音は、きっと悪い奴じゃない」
「それだけは言える」と、俺は昨日のクッキーの味を思い出しながら、最後にそう付け加え、隣で未だに顔を引き攣らせる海斗に笑いかけた。
文庫本コーナーを出て会計を済ませた俺たちは、出口へ向かうべく階段を下りていると。
「ん? なぁ樹、あれって……」
隣を歩いていた海斗が足を止め、店の入口の方向を指す。
視線をやると、そこにいたのは今日はやけに見慣れてしまった金髪の白ギャルだった。
「
『
「ファッション誌とかじゃね? ああいうタイプのやつはそういう本めっちゃ持ってそうだし。本屋はここが一番デカいからまぁいてもおかしくはないだろ」
言いながら、特に気にする様子もない海斗。しかし。
「ファッション誌って一階の入り口すぐ近くだろ? 剣崎のやつ、見向きもしないでまっすぐこっちに来てるけど……」
入口すぐ近くのファッション誌のコーナーには見向きもせず、剣崎は大きくあくびをしながら気だるげにこちらへ向かって歩いてくる。
いつもつるんでるカースト最上位組の姿はそこにはなく、どうやら一人で来たらしい。
やがて階段の目の前まで近づき、制止したままの俺たちに気が付いたようで。
「……あっれ、同じクラスのオタク君じゃん。名前なんだっけ、影何とかクンと、日何とかクン」
「
「
まさか話しかけられるとは思ってなかったので、俺たちは安定のオタクモードを発揮する。
「へぇ。てかあんたらいっつも一緒にいるよね。男同士でイチャイチャし過ぎっしょ。あ、今日はごめんねー? 正直ウチはそんなに悪くない気がすんだけどさ、一応謝っとくよ。ごめごめー! そんじゃ!」
流れるように喋り倒し、剣崎はスタスタと二階の文庫本コーナーへと上がっていく。
そんな剣崎を徐々に見上げるようにして眺める俺たちが考えることは同じで。
——ゴクリ。
隣で、海斗が生唾を飲む音が聞こえ……。
「樹、見えたか?」
「……惜しかった」
落胆し、帰り道は一年ぶりに「オタクに優しいギャル」について語り合った。
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