第3話「残り物とチャームポイント」

 四時限目終了のチャイムが鳴った。

 教室には大きく伸びをしたり、急ぎ足でどこかへ向かう生徒がちらほら。

 ポケットの中の鬼塚おにづか特製手作りクッキーは少し生温かくなっていて、今食べてしまおうか、それとも放課後帰宅してからにするべきか、俺が一人で考え込んでいると。

いつき、結局朝のアレは何だったんだ? その様子じゃ、なにか訳ありなんだろ?」

 財布を片手にたずさえ、海斗かいとが話しかけてきた。

「ん? あ、あぁ。別に大したことじゃないから、気にしないでくれ。それより今日も購買行くんだろ? 急ごうぜ。渚高校名物なぎさこうこうめいぶつ『ビッグカツサンド』が無くなっちまう」

 鬼塚とのやり取りは決して口外してはならないという制約があるため、俺は適当にやり過ごす。

「大したことじゃない用事で胸倉なんか掴むか? まぁ相手があの『紅鬼あかおに』だし、なんとも言えない気もするけどなぁ。まぁ樹が大丈夫ならいいんだけどな。てっきり昨日のサイン本が没収でもされたのかと思って冷や冷やしたわ」

「いやまさか。もしそうだったら今頃生徒指導室で正座しながら反省文の執筆活動に勤しんでたと思うぜ?」

「反省文で作家デビューとか、勘弁してくれよな。俺たちはひっそり生きてこうぜ」

 実際のところ、見つかってはいるんだけどな。

 心の中でそんなツッコミを入れながら、俺は海斗と教室を出て一階の購買部へと向かった。


 案の定、昼休みの購買部は今日も混んでいた。

「出遅れちまったな」、と海斗が隣でぼやいているのが聞こえてきて、なんだか申し訳ない気分になる。

 いつもなら俺と海斗は四時限目終了後、一目散に教室を飛び出してここへ来るのだ。

 カツパン争奪戦の人混みを少し後ろで眺めながら、海斗が俺に提案した。

「よし、たまには他のにすっか! 残り物には副があるって言うしな?」

「そうだな、たまごサンドぐらいなら毎回残ってるし、たまにはいいかもな。わりーな海斗」

 人混みの塊が徐々に小さくなり、ようやく商品が見えてきた。

 予想していた通り、たまごサンドが丁度二つ残っている。

「お、ドンピシャじゃん。これはこれでなんかラッキーな気がしね?」

「はは、確かにな。これにすっか。すみません、これ二つ下さい」

 同意し、俺が購買部の女の子に注文すると。

「すみません、これ下さい」

 同じく隣で、たまごサンドを指しながら注文する女子生徒が一人。

 ここにあるたまごサンドは二つ。そして買おうとしているのは俺と海斗と、隣の女子生徒。つまり一つ足りない。

 ここは譲ってやるべきだと、俺の中にいる善い方の俺が囁いたような気がした。

「あ、どうぞ。いいですよ……って、まじか……」

 声をかけた隣の女子生徒は、見覚えのある赤いロングヘアで。

「ほ、ほんとですか! ありがとうございま……って、なっ……!」

 余程たまごサンドが好きなのか、ぱあっと明るい表情を見せたのもつかの間。

 向こうも俺だと気づき、「しまった」と言わんばかりに動揺し始める。

「……樹、お前ってやつはいつからそんなラノベ主人公張りの不幸体質になったんだ」

 逆サイドで顔を引き攣らせた海斗が俺に耳打ちする。

 いやいや、こっちが聞きたい

 俺だって初めて知ったぞ。「鬼塚紅音おにづかあかね」がこんなに嬉しそうに購買部でたまごサンドを買うなんて。

 少し間が空いて、鬼塚が胸の前で腕を組み、いつもの風紀委員長モードを見せる。

「——コ、コホン、あ、あら奇遇ね影山かげやま君。べ、別にそこまで食べたいわけじゃないんだけど、あんたがどうしても譲りたいと言うのなら、受け取ってあげなきゃかわいそうね。じ、じゃあこれ、もらうから!」

「お、おう……。あ、すみません、やっぱ俺あっちのツナマヨおにぎりで」

 俺は渋々隅っこにぽつんと売れ残ったツナマヨおにぎりを指す。

 動揺したせいなのか、鬼塚が隣で百円玉と五十円玉を間違えておろおろしてる間に、一足早く俺たちは教室に戻った。


 ——ビリビリッ。

 椅子の背もたれを抱くようにして座りながら、海斗はたまごサンドの封を開けながら俺に言う。

「こうして見ると意外と美味そうだな。たまごサンド。樹、お前も一つ食うか? 育ち盛りの男子高校生がおにぎり一個じゃ足りないだろ」

「大丈夫だよ、俺はこれとクッ……」

 ——「クッキーがあるから」、危うく口を滑らせそうになる。

「ク……? どうした? なにか持って来てたのか?」

「あ、あぁ! いやいや! ク……靴! 靴でも食おうかなって! そういうジョークだ! はは、ははは!」

「お前、大丈夫か? 朝から変だぞ……。やっぱ紅鬼に何かされたんじゃ?」

「さ、されてない! 何もないから! ほんと、気にすんなって! さっきもたまたまだし!」

「ま、まぁならいいんだけどよ……。なんかあったら言えよな? 話ぐらいは聞くからよ」

「気にし過ぎだって海斗。ほら、早く食おうぜ。昼休み終わっちまうぞ!」

 なんとかやり過ごし、俺はツナマヨおにぎりを頬張り、海斗もたまごサンドの角をかじる。

 ——わざわざそんなに心配してくれるなんて、やっぱり海斗は良い奴だ。

 そんなことを考えながら食べる残り物のおにぎりが、何となくではあるが、いつものカツパンよりも美味しく感じる。

 思ったよりも早く食べ終わってしまい、今度はのどの渇きが気になった。

「海斗、俺飲み物買ってくるけど、お前も飲むか? 今日は俺がおごるよ」

「まじ? サンキュー樹! じゃぁ俺はミルクティーで。小さい缶の方で頼む!」

「了解」、と言い残し、自販機へ向かうため教室を出ると。

 ——ガシッ! ぐいっ!

「んなっ!」

 突如として、朝と同じように強引に胸倉を掴まれ、そのまま理科準備室へと引っ張り込まれた。


「げほっ……。な、なにすんだよ急に」

 ——鬼塚紅音、またお前か。

「ちょ、ちょっと用事があったのよ! わ、悪い⁉」

 うっすらと頬を赤くし、なにやら慌てた様子の鬼塚。

「いや、胸倉掴む以外にもっといろいろあるだろ……。普通に声かけるとかできねーのかよ……」

「だ、だだ、だって! 声かけたら皆逃げるじゃない!」

 そりゃ逃げるに決まってんだろ。

「鬼」って呼ばれてんだぞ、お前。

 ——でもまぁこういう一面を見てしまうと、何というか、普通に可愛いく見えたりするもので。

「な、なによ……じろじろ見んな! キモイ! 変態!」

「自分から呼んどいてその言い方は無いだろ……」

 スカートの裾を指先でいじくりながら、鬼塚はもう片方の手を後ろに隠したままもじもじしている。

「……何か隠してるのか?」

「うぐっ! べ、別に隠してるつもりはないけど……」

 じゃぁ早く出せばいいだろ。

「はぁ……。俺飲み物階に行くとこだったんだよ。海斗の分もあるから急いでんだけど」

 俺がかすと、鬼塚はぷるぷると震えながら俺の口元らへんを見つめている。

「く、口! 開けて! 開けなさい!」

「……?」

「は、早くしなさいよ! ほら! 開けて! 口!」

「……あ、あー」

 何が何だかさっぱりだが、言われた通り俺は口を開ける。

「——んぐぅっ‼」

 瞬間、ものすごい勢いで口内こうないに何かを押し詰められた。

 一瞬だけ見えたが、それは白い三角形の何か。

 ふんわりとした歯ごたえで、小麦の香りが程よく感じられる。もう一つ、口の中でペースト状の何かが感じられる。噛めば噛むほど広がる、この慣れ親しんだ風味は……卵っぽい。

 ——これは、たまごサンドか。

 もぐもぐ、ゴクリ。

「お、お腹空いてたら授業に集中できないから! 授業中にあんたのお腹の音とか鳴ったら、ふ、風紀が乱れるから!」

 もっとこう、普通に渡せないのか、こいつ。

「風紀が乱れるって、俺の腹の音、どんなだよ……」

 えげつない爆音も出ないし、奇怪きっかいな効果音が鳴るわけでもないだろ。

 顔を赤くして俯いたまま、鬼塚はもう一つのサンドイッチを小さく齧る。

 購買部での鬼塚の様子がふと頭をよぎり、俺は質問する。

「鬼塚ってさ、もしかしてたまごサンド好きなのか?」

 ——ビクリ。鬼塚の両肩が一瞬力む。

「そ、そうだけど。何よ、悪い?……はむっ」

「べ、べべ、別にそんなの好きじゃないんだからね!」とか言うんだろうと予想していたが、意外にも素直な返答が来た。

「いや、さっき購買部で嬉しそうだったから、そうなのかなって思っただけだよ。なんつーか、珍しいよな」

「あ、あんたには関係ないじゃない! ってか何? あんたもしかしてたまごサンドの美味しさを理解してないってわけ? 大丈夫? 人生半分ぐらい損してるわよ?」

 どうやらこいつは筋金入りのたまごサンド派らしい。

これでまた一つ、鬼塚情報が増えた。——特に使い道は無いが。

「鬼塚の人生の半分はたまごサンドなのか? 生憎、俺はカツサンドにしか興味が無いもんでな。つーか鬼塚こそ、たまには購買ダッシュでも決めて渚高校名物ビッグカツサンドを買ってみるといい。前から言ってやりたいと思ってたが、勉強以外で学校生活を楽しむのも学生の醍醐味だいごみってやつだぞ? それこそ人生の半分……とは言わないが、学校生活の八割は損してる気がする」

「はぁ? あんたバカじゃないの? 大体ねぇ、廊下は走っちゃいけないって校則があるの! どうしてそんなことも守れないわけ? 脳みそサル以下なの? 最低限、校則ぐらい守った上で学校生活を楽しむのなら風紀委員長の私だっていちいちあれこれ言わないわよ。それに損なんかしてませんから! 私は今充分楽しんでますから! ——はむっ」

「ルールを守った上で楽しめ」、か。……流石は紅鬼、正論過ぎてぐうの音も出ない。

「へ、へぇ。そうか、鬼塚は学校楽しいのか。あんまそういう風には見えないけどな」

 言い返すことが無くなったため、ふと思ったことを声に出した。

「なっ! なによそれ! どういう意味か説明してもらおうじゃない!」

 俺の見てる限り、鬼塚は常に風紀委員長として立ち振る舞っているわけで、少しキレてるかマジギレしてるかのどちらかだ。校則を破るとまではいかない、グレーの領域の行いですら決して見逃すことは無い。注意に従わない人間は胸倉を掴み上げ、容赦なく生徒指導室に連行する。恐ろしいことにそれが日常茶飯事だ。

 故に、そんな人間と関わり合いたいと思うやつは当然ながらいるわけもなく……。

 鬼塚はいつだって独りだ。おまけに『紅鬼』なんて異名まで付けられている。

 鬼塚に対して「うざい」、「めんどくさい」、そんな噂を聞かない日は無い。

 どうしてそこまで「校則」を徹底して守らせたいのか、そういう疑問を抱いたことは幾度となくあるし、そんな生徒は俺意外にも、五万といるはず。

 でもまぁ、そんなことは大して興味が無くて。

「説明って、そのまんまの意味だ。ってか俺急いでるから。じゃあな」

 そう言って、踵を返す。

 早く飲み物を買って、海斗に渡さないと。俺自身も増して喉が渇いた。

「……ちょっ! に、逃げんなぁ!」

 追撃しようとしてくる鬼塚。

 俺は構わずドアノブに手を掛け、ふと思い出し振り返り……。

「——たまごサンド、俺もふつーに好きだし。美味かったぞ。ありがとな」

 本日二度目のサプライズに礼を言った。

「……そ、そう。なら、よかった……ふふっ」

 クスリ——。最後に小さく、とても小さく笑った鬼塚。

 一瞬だけチラリと見えた八重歯がどこか魅力的な気がしなくもなくて。


 鬼塚紅音のチャームポイントは——「八重歯やえば」。


 また一つ、今度はいつか使えそうな鬼塚情報が俺の中で更新され、俺はダッシュで自動販売機へと向かうのであった。

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