第2話「王道展開は終わらない」
翌日。俺はいつもより重い足取りで登校した。
理由は簡単で、昨晩は全く眠れなかったからだ。
まぁそれもそのはず、なんたって昨日はあの「
それに意外過ぎる弱点も見つけてしまった。まさか
とにかく情報量が多すぎて脳みそがパンク寸前だった。思い出しただけでクラクラする。
教室に入り自分の席に着くと、親友の
「おっす
「いやぁそれがさ、昨日は別件でちょっと眠れなくて、まだ全然読んでないんだよ。今日はゆっくり寝たいし、明日一気に読もうと思う。わりいな」
海斗がわざわざ手に入れてくれた、直筆サイン入りライトノベルをなんとか死守することはできたのだが、肝心の中身はまだ堪能できていなかった。
「なんだ、樹にしちゃあ珍しいな。いつもは新作のタイトルが出たら寝ずに読み込んで来るくせに。なにかあったか?」
「あぁ、ちょっと家族と揉めてさ……、はは……」
鬼の風紀委員長とひと悶着ありました、なんて言えるわけもなく、俺は適当にやり過ごす。
「ふーん。ま、そんな時こそ現実逃避が一番だ。二次元はいつだって俺たちオタクの味方だからな!」
「べ、別に大したことは無いけどな! わざわざサンキュー海斗。やっぱり持つべきものは友でありオタクだな」
なにはともあれ、もう鬼塚と接触する機会は無さそうだ。
海斗がくれた「
「で、樹。一個だけ確認してもいいか?」
「おう、なんだよ改まって」
教室の窓際の席を指しながら、海斗が小声で耳打ちしてくる。
「さっきから『紅鬼』のやつがずっとお前のこと睨んでるように見えるんだけど、お前なんかしたのか? ありゃどうみてもキレてるし気のせいでもないだろ」
「うげっ……‼」
見ると、ものすごい目つきで俺を睨みつけながら激しい貧乏ゆすりする
——どういうことだ? 言われた通りラノベは持ってきてないが……。
「お、おい、こっちに来たぞ……!」
席を立ち上がり、鬼塚はまっすぐにこちらへ歩いてくる。
そして案の定俺の目の前で立ち止まり、俺の胸倉を強引に掴み上げた。
「ぐぇ!」
「……
清々しい春の朝日が差し込んだ朝の教室の空気は一気に凍り付き、そこにいる全員の生徒の視線が俺の方へと向けられる。
「は、はい……」
なすすべなく、俺はそのまま隣の理科準備室へと連れていかれた。
——ドンッ!
「ひぃ!」
鬼塚の唐突な壁ドンを食らい、寿命が十年ぐらい縮まった気がした。
「……あんた、日村君と何話してたの」
ギロリと鋭い眼光で睨み上げ、鬼塚が聞いてくる。
「き、昨日の本の話だよ! あれは海斗からもらったもので、その、読んだら感想を聞かせてくれって……ひぃ‼」
——ドンッ! もう片方の手で、壁ドンの挟み撃ちを食らってしまった。
これで俺の寿命が二十年縮まったことになる。
「う、嘘ついたって無駄なんだから! 昨日のこと、わ、私のこと話したんでしょ! 風紀委員の癖に暗いところが怖くて泣いてたって、日村君にバラしたんでしょ!」
「いやそんなこと話してない! 本当に本の話しかしてないんだ! か、勘違いだ!」
マジの大マジで、俺は昨日の鬼塚との一件については何一つ話していない。むしろ忘れようとしていたぐらいだってのに。
「……ほ、本当?」
「本当だよ。なんなら海斗に直接聞いてみればいい……」
そんなことをしたら逆に怪しまれると思うがな。
壁に着いた両手を離し、そのままの距離でじっと俺の顔を覗き込む鬼塚。
「し、信じていいの……?」
「あぁ。神に誓って言ってないし、これからも言うつもりはない」
鬼塚は大きくため息をつき、ほっと胸を撫で下ろした。
どうやら納得してくれたらしい。
「そ、その、鬼塚、ちょっと近いんだけど……」
気が付くと、またすんなりと抱き寄せてしまえるほど、鬼塚との距離が近い。
まだ朝だからなのか、独特な甘い香りは昨日よりも強く感じる。
——昨日も何となく思ったが、鬼塚はかなりルックスが良い。
学校中のドM達が隠れて「紅鬼ファンクラブ」なるものを結成しているという噂を耳にしたことがあるが、ちょっとだけその理由がわかる気がした。
「ご、ごご、ごめんなさい! って、あんたも何鼻の下伸ばしてんのよ! キモイんだけど! さっさと離れなさい!」
「いやどう見ても俺が壁際に追い込まれてるんだけど……」
「う、うっさい! いちいち言わなくていい!」
そう言って自分から距離を取る鬼塚。
心なしかうっすらと頬を赤くした様子で、なにやらもぞもぞとブレザーのポケットを漁り始めた鬼塚。
「こ、ここ、これ!」
赤いリボンで縛られた、透明で小さな包みが差し出された。
「……ク、クッキーがどうかしたか?」
見ると、中にはクッキーらしきものが入っている。
——何が何だか、さっぱりわからない。
「ど、どうもこうもないわよ! こ、これは、そ、その、ええっと……」
もじもじしながら、鬼塚はあっという間に耳の先まで真っ赤になる。
「あ、あんたに、あげる……」
「……は?」
「ちょっ! 『は?』じゃないわよ! あ、あげるって言ってんの! 昨日のお礼!」
「……あげるって、俺にか?」
「そ、そうに決まってるじゃない! 他に誰がいるのよ! いかがわしい本ばっか読んでないで少しは頭を使ったらどうなの! この馬鹿! 変態!」
——どうして俺は今罵倒されてるんだろうか。
この疑問は生涯かけても消え無い気がする。
「い、いかがわしいって何だ! あれは普通のライトノベルだ! 文庫本だ!」
表紙に可愛い女の子のイラストが付いているからという理由でそういう偏見を持つのはやめてほしい。まぁ多少の性描写が無いこともないが……。
「さてどうだか! ってか、受け取りなさいよこれ! わ、わざわざ作ってあげたんだから!」
そう言って鬼塚は強引に俺の右手を引っ張り、手のひらに小さな包みを乗せた。
——ん? 今「わざわざ作った」、って言わなかったか?
「つ、作ったっていうのは、そそ、その、リボンのことよ! わざわざ結んであげたんだから、感謝して
リボンに感謝して解くって、どんなだ。意味わからん。
この反応を見る限り、どうやらこのクッキーは正真正銘、鬼塚の手作りらしい。
「あ、ありがとう……。美味しくいただくとするよ」
まさか人生初の女の子の手料理を、あの「紅鬼」から振舞われることになるだなんて。
——一体何が起きているのやら。
「い、言っとくけど、授業中食べたら反省文二千字だから! お昼休みか、家に帰ってからにしてよね!」
「わ、わかってます……」
流石は「紅鬼」。こういうところはしっかり風紀委員長モードだ。
「な、なら良いけど……。あ、あと、その、感想ぐらいは、聞かせてほしい……かも」
「お、おう……」
赤いロングヘアの毛先をくるくるといじりながら、鬼塚は目を泳がせる。
「わ、わかってると思うけど、ほかの人には内緒だから! 絶対絶対内緒なんだから! い、言ったらぶっ殺すから!」
最後にそう言い残して鬼塚は昨日のように、逃げるように教室へと帰っていった。
もらったクッキーが割れないように、俺はそっとポケットにしまい込んだ。
朝なのに薄暗い理科準備室には、ふんわりと甘い香りが漂っていた。
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