ツンデレ風紀委員長がメインヒロインでもいいじゃないっ!

亜咲

第1話「想定外のヒロイン」

 新学期が始まってすぐの、とある日の放課後。

 俺、影山樹かげやまいつきは再び学校へと自転車を走らせている。それも、立ちこぎ全開で。

 物語のプロローグで自転車を全力でこぐというのは割とベタだと思う。

 でもそれは朝登校する前で、それも遅刻ギリギリで、とかそういうシーンだ。

 しかし今は放課後。そう、一度は帰路に着いたわけで。

「——ぬあぁぁクッソ! またかよ! 急いでんのに!」

 百メートルぐらい先に校門が見えたところで、本日二度目の足止めを食らった。

 さっきは青信号でスイスイ通過した交差点は、今は狙ったように立て続けに赤色になる。

 一度、腕時計を確認する。——時刻が午後四時三〇分になったのを確認して、俺の心拍数がまた少し早くなる。

 そう、始まってしまったのだ——、「紅鬼あかおに」の見回りが!

そしてその「紅鬼」に決して見つかってはいけない、あるものを俺は教室に忘れてしまったというわけだ。

 最後の信号が青に変わり、ペダルにかけた足に全体重を乗せ、一気に直進する。

 校門に侵入してすぐ、キキィー! なんて摩擦音が鳴りそうな勢いで直角カーブを決め、そのまま駐輪場へと入り、自転車を停める。鍵なんてかけてる余裕は今はない。

 上履きには履き替えず、俺は靴下のまま階段を駆け上がり、二階の二年A組の教室を目指す。

 階段は一段、いや二段、三段飛ばしだ。これで明日は筋肉痛間違いなし。

 あっという間に二階に到達し、太ももを震わせながら全速力で二年A組へと突入した。

 ガラガラッ——、よかった。「紅鬼」はまだ来ていない。

 誰もいない放課後の教室は思ったよりがらんとしていて、なんだか新鮮な気持ちになる。

 自分の机の引き出しから一冊の文庫本を回収することに成功し、俺は安堵の吐息を漏らした。

 回収した文庫本は一冊のライトノベル。今朝、親友の海斗かいとから受け取ってすぐ、机の中にしまい込んだまま忘れてしまっていたのだ。

 もちろん、これはただのラノベじゃない。現役女子高生作家「花蓮かれん」の記念すべきデビュー作、「魔剣花回廊まけんはなかいろう」の第一巻。それも直筆サイン入り。

 海斗は俺にとって唯一無二の親友で、腐れ縁のオタク仲間だ。

 こうやってお互いの推し作品を布教し合っては、その魅力を毎日学校で語り合ったりなんかしている。この激レアのサイン本も、海斗が俺のためにとオタクネットワークを駆使してわざわざ手に入れてくれた代物中の代物。もはや俺にとって家宝に等しい存在だ。

 だから、決して「紅鬼」に見つかってはいけない。

 見つかったら最後、「学業には不必要、不適切であるから」というだけの理由で没収され、千字以上の反省文を正座で書かされ、本は焼却炉行きだ。そうでなくても、無事返却される確率はほぼゼロに等しい。

 ライトノベルという一種の文庫本ですらそうなる。漫画なんか持ってこようものなら、きっと反省文は二千字まで跳ね上がりそうだ。

 まさに鬼の所業である。

 そして、そんな鬼畜極まりない所業を平然とやってのけるのが「紅鬼」——、 二年A組風紀委員長、「鬼塚紅音おにづかあかね」である。

 絶対的正義感を持ち、校則を破る生徒は許さない。例え相手がどんな不良であろうと、年上であろうと容赦はしない。「もうしません」と言うまで、あらゆる手段で徹底的に叩きのめし、制裁を加える。

 今朝も教室でメイクをしていたギャル軍団を見かけるや否や、正面から歩み寄って仁王立ちし、何かを諭していた。激しい睨みあいの末結局ギャルの方が引く形となってはいたが、まさに一触即発という雰囲気だった。凍り付いた教室内の空気がようやく入れ替わったと感じたのは、最後のHRホームルームが終わった時だった。

 なんて思い出している場合じゃない。

 紅鬼が見回りでここに来る前に、撤収しなくては。

 ガラッ——、少しだけドアを開けて、廊下を覗き込んでみる。

 よし、誰もいない。

「魔剣花回廊」を胸に抱きながら、俺は放課後の廊下を駆ける。

 階段のすぐ近く、理科準備室を通過しようとした時だった。

 ドンドン! ドンドン!

 中に誰かいるのだろうか、かなり強めに扉を叩く音がして……

「そ、そこに誰かいるんですか⁉ あの、えっと、いたら返事を……」

 聞こえてきたのは、慌てふためく女の子の声だった。

「どうしました? 開かないんですか?」

 足を止めてしまったからにはと、俺は応答してみる。

「よ、よかったぁ……! そ、外から鍵をかけられてしまって……」

「内側から解錠できないんすか?」

「で、できないから言ってるのよ! ここは外側からしか施錠できないようになってるみたいなの! ってかできてたらわざわざ声なんかかけないわよ!」

「は、はぁ」

 急にあたりが強い。あと、どっかで聞いたことのある声だ。

「わ、悪いんだけど職員室から鍵を借りてきてもらえるかしら。そ、その、できれば急いで……ほしい……べ、べべべ、別に暗いところが怖いとか、そんなんじゃないから!」

「……よくわからんけど、わかったよ。ちょっと待っててくれ」

「よかったぁ……ありがとう。な、なるべく早く頼むわよ!」

 ——予定変更。

 俺は階段を降り、玄関には向かわず一階の職員室に向かった。

 こんなときに紅鬼に遭遇でもしたらどんな言い訳をすればいいのやら。

 でもまぁ、あの状況で見て見ぬふりをするのは少し可愛そうだ。どこの誰かは見当もつかないが、相手はこの学校の女子生徒。これはラノベで言うところの、王道ラブコメ的な展開に似ている気がする。男でありオタクである以上、期待せずにはいられないシチュエーションだ。

 扉の向こうには一体どんな美女が待っているのやら。

 しかも、少しツンデレ気質と見た。

 ツンデレというのは今も昔も愛され続けるキャラクター性の一つ。全オタクにとって、あらゆる物語にとって必要不可欠な存在。現代ではどの作品でも常に一歩引きがちな印象だが、何世代前かのメインヒロインはだいたいツンデレ属性と相場が決まっていたほどだ。

 職員室から鍵を借り、俺はすっかりワクワクしながら再び階段を駆け上がる。

 理科準備室の前に着き、一度深呼吸を挟み、声をかけた。

「お待たせ。今開けるよ」

「ひゃあ! き、急に声かけるんじゃないわよ! びっくりするじゃない!」

「お、おう、悪い」

 ——うむ、ここまで超王道展開。ということは、この扉の先にいるのは間違いなくツンデレ美少女。つまり、俺の王道青春ラブコメはここから始まるというわけだ。

 鍵を差し込み、右に捻る。

 ガチャリ、と音がしてゆっくりと扉が開かれ、ついに運命の美少女とご対面。

「……‼」

 燃えるような赤色のロングヘアが、ふわりと靡く。

 身長は一六〇前後ぐらいの、細身のスレンダーボディ。

 スカートの丈は校則通り、きっちり膝丈だ。

 小さく端正な顔立ちはまさに美少女。それもメインヒロイン級の。

 大きな琥珀こはく色の瞳は釣り目がちでキリっとしていて、ツンデレのツンの部分に相応しい。

 ——そう語ったりするんだろう。これがラブコメの王道シチュエーションならば。

 でも残念ながら、これは現実。当然ながらそう甘いものじゃない。

 恐れていた事態は、ついに起きてしまった。

「げっ!」

 どうしてあんたがここにいるんだ……。

「な、なによその反応! ——じゃなくって、そ、その、えっと、開けてくれて、あ、ありがとう……」

 二年A組風紀委員長「鬼塚紅音」。

 グッバイ王道ラブコメ。ドンマイ俺。

「な、なんで鬼塚がこんなところに……って、ちょ、鬼塚⁉」

 質問しようとしたその瞬間、鬼塚はその場にぺたりと座り込んでしまった。

 まるで腰でも抜かしたみたいに。

「このまま出られないかと、思ったぁ……。うぅ、よかったぁ……」

 まるで魂まるごと入れ替わってしまったかのように、聞いたこともない弱弱しい口調で鬼塚が言う。

「……」

 ——もしかして多重人格なのか?

 そんな説すら浮かんでくるぐらい異様な光景に、俺が唖然としていると。

「な、なによ! し、しょうがないじゃない! 『放課後理科準備室に来て』ってメモが机の上に置かれてたから言われた通り来てみたら、誰かに閉じ込められちゃったんだもの! 誰の悪戯かは知らないけど、わ、私小さい頃から暗いところがダメで、だから、その……う、うぅ……」

「こ、怖かったのか……」

 ——コクリと頷き、鬼塚はゆっくりと俺の方を見上げる。

 いつもの鋭い眼光はどこへやら。

 その釣り目がちな大きな瞳には、じんわりと涙が滲んでいるのがわかる。

「と、とりあえず出よう! ほら、もう大丈夫だから! 今日はもう帰ろう!」

 急かすように言うと、鬼塚がぼそりと何かを呟く。

「……ない」

「は、はい?」

「た、立て……ない……」

「え、えっと」

「ひ、引っ張って! ……ほしい、です」

 耳の先まで真っ赤にしながらそう言うと、鬼塚はそっと俺の方へと手を伸ばした。

 余程怖かったのか、その手はまだわずかに震えている。

「い、いいのか?」

 念のため、確認を取る。

 セクハラ容疑をかけられようものなら最期、俺自身が焼却炉へとぶち込まれかねない。

「い、いいわよっ。ってか頼んでるのはこっちじゃない」

 骨の髄まで消し炭にされることは無いと確信を得たうえで、俺は震える鬼塚の手を掴み、合図を出して引き上げる。

「ほら、よいしょっ……って、ちょっ!」

「ん、ひゃっ……!」

 俺が力を入れすぎたのか、それとも鬼塚が完全に腰を抜かしていたせいなのか。

 鬼塚はすっぽりと俺の腕の中に納まり、俺が抱き寄せたような形になってしまう。

 小さな頭が、こつん俺の胸によりかかる。

 これが女の子の匂いと言うやつなのか、嗅いだことのないような独特な甘い香りに鼻の奥がくすぐられる。

 固まったまま、先に口を開いたのは鬼塚の方だった。

「こ、ここ、これは別に! その、腰が抜けちゃって、き、急に立ったから力が入らなくてとか、そ、そういうんじゃないから!」

「お、おお俺の方こそ強く引っ張りすぎちゃって! ご、ごめん! ほんとごめん!」

 会話になってるような、なってないような、そんな感じだ。

 少し間が空いて、鬼塚がそっと俺の胸を押して体を離した。

「今日のこと、誰かに話したらぶっ殺すから」

 ギロリと俺を睨み上げ、さっきとは全然違う冷静な口調で鬼塚は言う。

「わ、わかってる! わかってるから! 絶対に話さない! うん! 俺は何も見てない! 誰にも会ってない! はは! ははは!」

 ——これはマジでヤバいやつだ。本能がそう言ってる。

 ——やはりこいつは「紅鬼」だ。

「わ、私今日は帰るから……そ、その、ありがと……影山君」

「お、俺の名前知ってたんだ……」

 かなり意外だった。

 俺は教室の隅っこでひっそり生きているただのオタクで、クラスの中では常に空気と化している自信がある。

「同じクラスなんだからそりゃあわかるわよ。影山君も早く帰りなさいよね。部活動に所属している生徒以外は基本的に一六時三十分までに帰宅するように。それじゃぁ」

 すっかりいつもの風紀委員長モードで俺を諭し、鬼塚は足早に階段を下りていく。

 数段降りたところで足を止め、鬼塚がこちらを振り返った

「あと、その本。次持ってきたら没収だから。……き、今日は仕方なく見逃してあげる!」

 そう言い捨て、鬼塚は逃げるように駆け下りていった。


「ラノベも普通の文庫本なんだけどな……」

 

 春の西日が差し込んだ廊下に、俺の独り言は虚しく木霊した。

 

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