やさしい戦争

結城恵

やさしい戦争

*****

 この世から争いはなくならない。

 人間すべてが同じものでない以上、必ずどこかで摩擦を生じる。

 生み出された摩擦熱は、無関係という言葉まで巻き込むかのようにほむらをあげて燃え盛る。


(そんなこと)


 炎は決して生み出さない。

 逆巻く緋色は限りを知らず。無慈悲に全てを優しく飲み込む。

 焼き尽くされるものは、空も、大地も。人と、そしてその心までも。


(わかってる。わかって、いるさ)


 この世から争いはなくならない。

 焼き尽くされた心は、残り滓の肉体を喰らい、狂わす。

 狂ったモノが廻す歯車は、一つとして噛み合わない。噛み合わない歯車は、狂ったように廻り続ける。


(それでも)


 救いなどない。


(それでもさ)


 そうだ。誰もが初めから知っている。

 

 この世は、創世の時から狂っているのだと。


(それでも俺は、この世から争いがなくなればいいと思った―――――――)


 *****


「次! ナンバー06、07!」

『はい!』

 ここは大陸北西にある軍事施設。通称カテゴリNW1。差し迫る隣国との対戦に備えるため、貴族の城に見せかけた軍事要塞でひそかに奇襲の機会を窺っていた。

「ありえねぇよな。まさか本気で城一つ奪っちまうとは」

 正確には、貴族の城に見せかけた、というよりは、軍事要塞として使われている貴族の城、である。万一の敵の潜入に備えて、その外見からは想像もつかないような兵器がその中に眠っている。

「奪う、とは表現が良くないな、アラン」

「じゃあ何て言えばいいんだ」

「ふむ、さしずめ『権威ある民間人の快い提供』といったところか」

 彼らはこの施設で訓練を受けていた。現在受けているメニューは、決められたコースを時間内に戻ってくる、というもので、もちろん遅れれば軍隊特有の教官の怒号と罰則が待ち構えている。

「物は言いよう、だなケージ」

「なぁに、伊達に君より10年長く生きていないよ」

 談笑を続けながら二人は走る。これは『任務中の加重時における走行訓練』という名目で重りをつけて走ることになっている。

「何のための戦争、なんだろうな」

 不意に、その談笑から外れて真顔でアランが問いかけた。

「ふっ、珍しいねアラン。君がそんなセンチな奴だとは知らなかったよ」

「笑うなよ、俺はこれでも根は真面目だ。悩みの1つや2つくらいある」

 緩く戻りかけた空気を、逆に凍りつかせるようにケージが答える。

「僕はね、戦争は、戦争をするためにやっていると思ってるんだ」

「はぁ? なんだそりゃ。どこの哲学書の一説だよ?」

 緩んだ顔のアランと対照的に、ケージの表情は凍結していた。

「いや、なんでもないよ。忘れてくれ。ガラにも無く変なことを口走ってしまった」

「そうか、なら忘れてやる」

「ははは、いいね。まったく、君は」

 再び談笑に戻って、彼らはコースを走り続ける。もう3分の1は走っただろうか、というころになると、徐々に口数が減ってくる。

 彼らの訓練は、日の出よりも早く始まり、日付が変わる前に終わる。この訓練は、本日最初のメニューだった。

 指定されたゴールに二人が辿り着くころには、もはや呼吸するのも困難だった。二人の肺が、酸素を求めて収縮を繰り返す。いつの間にか、空の色も濃紺色コバルトブルーから薄青色スカイブルーに変わっていた。ゴール地点の草むらに倒れた彼らは、ただその青空を眺めていた。

「……青くて、遠くて、高いな」

 アランが言う。

「ははっ、やっぱり君が言うと可笑おかしいよ」

「うるせぇ」とアランが返す。やはりケージは笑う。笑いあう二人の上を、一陣の風が通り抜けた。

 そしてふと、二人の顔に影がかかる。影の主は、

『…教…官』

「そろそろ起きてもら貰おうか。休んだ分、覚悟しておけ」

 二人の顔が、空の色に染まった。


 *****   

 

 カチャリ、カチャリと食器同士の擦れる音がする昼過ぎ。

「ふぅ、ったくひでぇ目にあったよ」

 ケージと並んで食事を取りながら、アランはそう口にした。

「ちょっとウトウトしちゃったのがまずかったね。今度から目覚ましでも持っていこうか?」

「馬鹿いうな、寝るの前提かよ。それこそ罰則ものじゃねぇか」

 言いながら口に運ぶ食事は、それほど豪華なものではない。むしろ質素といってもいい。とかく戦争というものは金を使う。そのため一兵士たちに食べさす食費があるのなら、拳銃のネジの一本でも買ったほうがましだ、という考えである。足りない質の代わりに、若い兵士たちは量で食欲を満たしている。

「……それにしてもアラン、それはいくらなんでも食べすぎというものだろう?」

 アランは、五枚目のパンと三杯目のライスをトレーに入れ、カウンターから戻ってきた。

「何言ってんだ、大切なエネルギー源なんだぞ。それに食べ残しはどうせ捨てられちまうんだからいいんだよ」

 量があるのは、鮮度が低いからで、食してもぎりぎり大丈夫なような食事でしかない。一歩間違えば間違いなく腹を壊してしまうだろう。

「だから、って君が一人で食べつくしてしまうこと無いんじゃないかな」

「『腹が減ってはいくさは出来ぬ』だ。文字通りな」

 そういいながら、席に戻ったアランはさながらミキサーのような勢いで食べ始めた。ちなみに元より小食なケージは、アランの朝食にも満たないような食事しかしていない。

「まったく、貴族の城でこんな無作法な食事をするなんて。ご先祖様に祟られても知らないからね、僕は」

 そういい残して、ケージは早々に食事を切り上げると、午後の訓練の集合場所に向かった。


 午後から始まる訓練は、午前中にもまして過酷なものとなっていた。

走る、這う、潜る。

飛ぶ、落ちる、転ぶ。

訓練の度に兵士たちの体は傷つき、泥にまみれて汚れていく。しかし、誰一人としてそれに不平を言うことなど無かった。もちろん、不平なぞ言おうものなら教官からの地獄の罰則と怒号が待ち受けているということも有るが、そうでなくとも彼らは不平など言わないだろう。

 彼らはいつも、朝に怯える。

 自分たちは所詮一般兵士。いつ上から戦争に行く、という命令が来るかと心底怯えながら生活している。『今日も一日戦争に駆り出される事など無かった、しかしいつ自分が、戦争に連れて行かれるか分からない』。一般兵士がただ生還することには意味はない。命を犠牲にしてでも、一人でも多くの敵を消滅させること、それが任務だ。だから、そんな恐怖など味わわなくともよい厳しい訓練に、誰しも少なからず心安らいでいるのだ。


 午後の訓練は、遅くまで続いた。日はとうに暮れ、月明かりならぬ星明りの元での訓練を余儀なくされた。本日最後のメニューは、射撃だった。


 ドゥンッ!


 腹と耳、両方に響く音を立てて、夜間での射撃訓練が行われている。


 ドゥンッ!


「次! ナンバー09!」

 

 ドゥンッ!


「次!」

 怒号と轟音の繰り返し。兵士たちは、十五メートルは離れているだろう的を狙って、銃把じゅうはを握り、引き金を絞る。

「いいよな、ケージは」

「何がだい」

「射撃は得意だろ、アンタ」

「……さては君、腹ペコだね?」

 轟音にかき消されぬよう、お互い耳元で交互に話し合う。この訓練は規定回数まとに当てたものから終了してよい、というものであり、ケージの成績はこの数多いる兵士の中でも群を抜いていた。そしてにアランは別の意味で群を抜いている。

「あーあ、夕飯が一番楽しみなのに……」

「君ねぇ、アラン。もうすぐ二十歳はたちになろうか、っていうのに、もう少し落ち着くことは出来ないのかい?」

 アランは一人で百面相している。顔も幼く、上背も無いが、それ以上に言動が彼を子供っぽく見せている主な要因だろう。

「次! ナンバー07!」

「僕の番だ。それじゃあね。せいぜいがんばって」

「畜生、ケージめ」

 呼ばれたケージは、所定の位置に立ち、離れた的に向かって正対せいたいする。

「……」

 ケージのみならず、全員がその姿を見て黙する。

「ふぅ」と一呼吸置いて、静かに銃を構える。狙うは的の中心。当たればどこでもいい、という精神では、いつまでたっても当たらない、というのが彼の持論である。

 目を閉じてから、開く。同時に、


ドゥンッ!

ドゥンッ!

ドゥンッ!

ドゥンッ!

ドゥンッ!

ドゥンッ!


 六弾全てを、連続で的に放った。カランカラン、と空薬莢が、周囲に転がる。

 銃は確かに連射可能だが、連射の反動に耐えるには彼の細い躰からは想像も出来ないほどの力が必要だ。それを何事も無かったかのように、ケージはこなしてみせた。的には、全弾命中している。

「呆れるな。お前にはこの訓練をする必要もないか」

「いえ、やはり訓練あっての腕前です。感謝していますよ」

 ケージはそういって射撃演習所を抜けていった。同僚からの賛辞を背に受けながら。

「よし次! ナンバー06!」

「くそっ、ケージの後だから余計気が滅入るんだよな」

 そしてアランは、ケージのおよそ十倍の時間を掛けて、この訓練を終えた。


*****


「はぁ、まったくひでぇ目にあったぜ」

「君、お昼もその台詞吐かなかったかい?」

 ここは食堂。ようやく訓練を終えたアランと、悠々と水を飲んでいたケージが向かい合って座っていた。

「…とにかくそそっかしいんだよ、君は。当たらないのはその所為さ」

「アンタは落ち着きすぎてんだ。そんなんじゃ、すぐ爺さんになっちまうぜ」

「あら、人の夫に何てこと言うのかしらこの子」

 後ろから、柔らかそうな髪の、容姿の整った女性が声を掛けてきた。

「アミエル。どうしたんだい、こんなとこまで。夕食はもう済ませたんじゃないのか」

「いいえ。たまにはあなたと一緒にご飯だって食べたいでしょう。、あなたも食べてないんじゃなくて?」

「いや、君には敵わないね、どうも」

 ガタン、とアランが席を立とうとする。その手をアミエルが掴んで引き止めた。

「え、あ……どうして」

 その問いに、髪と同様に柔らかそうな唇で、アミエルは答える。

「だって、ケージは君を待ってたんですもの。それに、ご飯は大勢で食べるほうが美味しいに決まってるわ」

「ね?」と促して、アミエルはアランを座らせる。立ち去るわけにも行かず、戸惑いながらもアランは再び着席した。

「君もガラに無いことをするものだね」

 ケージの問いにも、アランはだま黙ったまま答えることは出来なかった。

「お兄ちゃん!」

 そこに突如―――食堂のドアをはね開けて―――少女が現れた。年の頃は十四、五歳といった所だろうか。

「うえ? マリアか」

 マリアと呼ばれた少女は、アランの前にずかずかと足音を立てて近づいてくる。

「もうっ! 探してたんだからね、この馬鹿アニキ! 今日こそ一緒にご飯食べるって言ったでしょ!」

「ええと……すまん、マリア。これにはそれとなく広いようで浅い理由があってだな……」

「知らないよそんなのっ! もう、おなかきすぎて死んじゃうかと思ったじゃない。…っと」

 探し疲れたのか、糸が切れるようにマリアは椅子に腰掛けた。

「おい、誰が座っていいって言ったよ」

「いいじゃない。悪かったら疲れさせたお兄ちゃんの責任よ」

「お前はーっ、こぉのわがまま娘がぁっ!」

 アランは怒って、椅子から立ち上がった。こぶしを握って、マリアを睨んでいる。

「きゃああぁん、ケダモノー、助けてケージさーん」

 マリアはケージの胸に寄りかかって、助けを求める。顔に張り付いた笑顔は、その言葉が演技であることを証明している。そもそも棒読みだったが。

「はっはっは。いや、よく似てるな、二人とも」

『似てません!』

 答えになっていないケージの声に、二人は同時に否定の声を上げた。

「まぁまぁ、せっかくだからみんなでご飯にしましょう。お疲れの殿方のために、私たちがサービスしてあげなくちゃあ。ね、マリアちゃん」

「そうですね、ダメダメなお兄ちゃんのために、可愛い妹がお給仕してあげるとしますか」

 そうして二人は、カウンターに遅めの夕食を取りに向かった。

「大人になっても、男ってのは女に勝てないものなんだな」

 アランはそうケージに呟いた。

「そうだな。多分一生勝てない気がするよ。……君も気をつけておくことだね」

 その答えにアランは頷きで返す。「はぁ…」と二人から同時にため息が漏れた。


 夕食は、いつもの百倍は騒がしかった。

「あなた、もう少し食べないと。小食では訓練に身が持ちませんよ」

「アミエル、してくれ。僕はもうこれ以上は無理だ」

 アミエルはケージに少しでも食べさせようと自分の分をわけ、ケージは反対にそれをアミエルに返していた。

「やめようアミエル。キリがない。僕はもうこれだけ食べるから。君もそれくらい食べてくれ」

「しょうのない人ね。少しはアランくんを見習ってください」

 そういって二人がたアランの方は、夫妻と打って変わって対照的だった。

「おい、マリア。それ俺が後で食べようと思ったやつ!」

「駄目よお兄ちゃん、大皿のものはみんなのものなんだから。とられたくなかったらさっさと胃袋にしまいこむことねっ!」

「あぁっ、それも取るなっ。マリアお前、女の癖してそんなに食ってどうすんだ、太るぞ」

 アラン・マリア兄妹は、大皿によそった料理を巡って、リアルタイムでフードファイトを繰り広げていた。どうやら、大食漢なのは遺伝らしい。マリアは、普通の男性よりも多く食べるようだし、アランにいたってはもはや底が知れない。

「わたしはちゃんと運動して消化してるからいいの! 見なさい、このナイスバデー!」

 どうだ、といわんばかりにマリアは胸を張ってみせる。動きのない見栄っ張りな胸が、虚しく強調されていた。   

「あのな、そういう台詞はアミエルさんみたいな人じゃなきゃ言っちゃ駄目なんだぞ」

「あら、アランくん。私のこと、そんな目で見てたのね」

「は?」とこれはアラン。突如場外から降りかかったアミエルの台詞に瞬間、思考が停止する。

「君は人の妻に色目を使っていた、というわけだ」

「いやーん、お兄ちゃんってば、エッチー」

 アランは自分の台詞を理解して、狼狽ろうばいする。

「ううああ、いいや、や。ちが、……う」

 しどろもどろになって、顔を真っ赤にしながらも、必死でアランは否定の言葉を繰り返している。

「きゃっほーぅ、いただきぃ!」

 その隙を突いて、マリアはまた大皿から食料を取っていく。

「ああーっ! 馬鹿マリア! それお前ので最後じゃんかーっ!」

 というアランの声にも迷わず、マリアはその最後の食材を口に運び、嚥下えんげする。  

「畜生マリア……お前俺をめやがったなっ!」

「へっへーんだ。こんな小娘にしてやられるお兄ちゃんが悪いんだよーだっ」

 マリアは舌を出してアランを挑発している。「何だってぇ?」と反撃に出かけたアランを牽制するようにケージが口を出す。

「それでも君がそういう目でアミエルを見ていた事実は変わらないがね」

「しくしくしくしく……」

 その全員からの攻撃に、アランの脳の処理が追いつかず、とうとう爆発した。 

「うぅ……お前らぁーッ! いったい俺にどうしろって言うんだーッ!」

 アランのその叫びを残して、この日の夜はさらに暗く、深くけていった。  


「いやあ、アランくん。本日はとても楽しませてもらったよ。その君の献身に皆、大変感謝していることだろうさ」

「……」

「あら、あなた。ねてるわよ、この子」  

「ちょっといじめ過ぎちゃったのかな。よしよし」

 とマリアはアランの頭をなでてやる。二人の身長差は、あまり無い。

「それにしても、少し話し込んでしまいましたね」

 窓の外を見ると、星が煌々と輝き、あたりに光の気配が無いことを教えてくれる。

「そうだね。夜更かしは美容の天敵と言うし、女性の皆様にはあらゆる意味で危険な時間だね」

 ちらりと、ケージはマリアのほうを見遣る。その意思を汲み取って、

「そ、そうだわ、あたしの玉の肌にシミとか出来たらたーいへんっ! ほらっ、お兄ちゃん。もう寝るよ」

 マリアはぐい、といじけていたアランの服のそで袖を引っ張って自室に行こうとする。

「う、あ。おいマリア……」

「ほら、いいからシャキッと歩いた歩いた」

 そういいながら、兄妹は自室へと帰っていった。

「ところで」

 と、兄妹が見えなくなったところで、不意にアミエルが口を開いた。

「なんだい」

「あの子たちを追い払った、って言うことは、今からは『オトナの時間』かしら?」

 とくに何の感情も乗せずに、アミエルがケージに顔を向ける。その質問にケージは、目を閉じる、という肯定とも否定とも取れる動作を返して言った。

「いいや。残念だけれど、今日は僕らももう休もう」

「あら、それはホントウに残念ね」

「たまには僕だって、肌のことが気になることくらいある、っていうことさ」

 そうして夫妻も、自室へと消えていった。


 それまで賑やかだった食卓は、綺麗に片付けられて、周りの寂しい食卓に溶け込んでしまった。

  

 *****


 ウォォォォォォォォォン!


 それは、目覚まし時計のように唐突に夢から現実へと引き戻した。

「お兄ちゃん!」

「どうしたっ! なにがあった!?」

 突如鳴り響く、緊急避難要請のサイレン。体にはどこからか発せられる振動が伝わってくる。

 騒音に無理やり叩き起こされた隣室の住人達が、次々にドアを開けて廊下へ飛び出す。


 ざわつく廊下、鳴り止まないサイレン。朝はまだ来ない。


 それでも皆、緊急避難のサイレンに従って部屋から逃げる支度を始めていた。

「アランくん、アランくんっ!」

 人の波を掻き分けながら、ばたばたと廊下を走ってくるアミエルの姿が見えた。表情は、暗さのため近づかなければ視認することは不可能だ。

「アミエルさん、どうしたんです、何があったんですか、これはっ?」

 ようやくアラン達の下に辿り着いたアミエルは、アランのその質問にぶんぶんと首を振って答えた。随分焦っているようで、彼女らしくない行動を見せている。

「……ごめんなさい、私にも分からないの」

「……すみません」と、これはアラン。

「そんなことよりっ!」

 ばっ、と項垂うなだれていた頭を勢いよく上げて、アミエルが続ける。

「そんなことより、あの人が、ケージがどこにもいないのっ!」

「え、ケージが?」

「そうよ、あの人確かに私の隣で寝息を立てていたのに。 起きて隣を見たら誰もいなかったの!」  

 アミエルは、丸い瞳に涙を浮かべながら、アランに言い続ける。

「待ってください、先に避難したんじゃないんですか?」

「そんなはず無いわ。だってまだ、あの人のバッグが部屋に残ってたものっ」

「そんな……。だったら、いったい何処に」

 言って、アランはまたしても自分の失態に気づく。今度の被害者は自分でなく、アミエルだが。

「ここには、来てないのね……」

 アミエルの顔から興奮が引いていき、代わりに黒い、絶望の表情が浮かんでくる。まるで肌が廊下の暗闇を透かしたかのように。

「………マリア」

「お兄ちゃん?」

「アミエルさん、頼んだからな!」

 だっ、と。アランは廊下に飛び出す。

「ちょっと、何処に行くのよっ」

 マリアは飛び出したアランの背中に投げつけるように声を掛ける。

「ケージ探してくるっ! お前は先に避難してろっ!」

 言うが早いか、アランは闇の中へと消えていった。

「ケージ……」

「アミエルさん、わたしたちは先に避難してましょう。ケージさんはきっとお兄ちゃんが見つけて連れて来てくれますよ」

 マリアは、アミエルを励ましながら城の外を目指して歩きはじめた。廊下の窓には、ただ黒いだけの空しか映っていなかった。


 *****


 音を殺して、走る。

 アランは少しの音も聞き逃すまいと、聴覚に神経を集中させていた。

 この『城』という、ある種迷宮じみた空間内で人探しを行う、とすれば、自然と思考力が必要とされてくる。

(あそこにケージはいない)

 人ごみの中に彼はいない。サイレンの鳴る中、人の流れに逆らって無意味に徘徊するという人間はまずいないからである。そこでアランはケージとアミエルの部屋へと向かった。しかし、

「いない……か」

 部屋には誰もいなかった。アミエルの言った通り、ケージのバッグは残ったままだ。まだ部屋に戻ってきていないのだろう。

「トイレにしちゃ、長すぎるよな」

 そしてアランは再び駆け出した。


 人ごみから離れたところを探していると、普段通らない場所に出た。

(ミイラ取りがミイラに成りかねないな)

 そう思いながらも探索を続ける。すると、遠くの方からかすかに銃声が聞こえた。

「銃声? まさかっ!」

 もう一発聞こえた。消音機サイレンサーを付けている様だが間違いない。アランの足音にも確信が混ざる。誰かがその暗闇の奥に居る、と。

 

 そして、その惨状を目にした。


「……!」

 そこに、アランの感情を表せる言葉など無かった。そこには(アカイ)三つのタンパク質と(シタイ)水の塊が転がっていた。床には、弾痕。そして―――――

「アラン……? どうして君がここに」


 探し人、ケージ・ヒスベルクはそこに存在していた。


「決まってる。アンタを探しにきた」

「そうか。でもすまない。僕にはまだ、やるべきことが残っているから」

 そうとだけ言って、ケージは更なる闇の奥へとその姿を溶かしていく。

「待てっ!」

 それを追って、アランもまた駆け出した。頭からは、まだあの塊のことが離れない。



 追走劇は続く。

 ケージはアランを撒こうとしているようで、階段を上ったり降りたり、角を右や左に曲がって、もはやアランだけの力では城の出口に辿り着けそうも無いところまできていた。

(ケージめ、いっつもマラソンじゃ真っ先にヘバる癖に……!)

 そう心の中で呟いて、アランはケージを必死で追いかける。


 ガシャン、ガシャン!


 二回。おそらくはドアを開ける音と閉める音がアランの耳に届いた。距離からして、ケージがその部屋に鍵を掛けるまでには、そこに駆けつけられそうである。

「っ、はっ、は。うおおおおおぉぉぉぉっ!」

 そのドアの前に着くとほぼ同時にドアを開ける。鍵を閉めているはずのケージはドアのそばにはお居らず、真っ暗な部屋の、一番奥に直立していた。


「おめでとう。君が、


「……」 

 アランは無言で、ドアの傍にある照明のスイッチを入れた。


 パチン。


 小気味いい音とともに、部屋が光に押し潰されていく。急な光量の変化に目が耐えられず、二人とも瞼を落とす。

 数十秒。一分はかからなかった。光に慣れつつある目で、アランはこの部屋とケージの姿を見た。

「……」

 驚きと、絶望。アランは驚嘆の声を上げる事も叶わず、落胆のため息さえ濃密な空気に押し留められてしまう。

 この部屋は、軍に買収されたこの城の中で、最も大幅な改築が行われていた所である。ここだけまるで、一千年は時間が進んでしまったような、およそ『城』という外観からは想像もつかない空間と化していた。明り取り用の窓は天井に近い位置にあり、壁はほぼ全方位モニターや操作機系統で埋め尽くされている。そしてアランの位置から反対側、部屋の一番奥。モニターから出る、青白い光を背に受けて立つケージの体は………返り血で赤く染まっていた。

「……ケージ、アンタ」

「見損なった、とでも? 生憎あいにく。僕はこちらが本業だ。もっとも、軍を追放された身だけれどね」

 ケージの表情は、昼間のそれと変わらない。何の感慨も見せずに、ただ人間の顔の形を成しているだけだ。

「……」

 アランは何も言い返さない。

「―――――君に、面白い物を見せてあげよう」

 そういうとケージは、背後にあったモニターの一つを、がこん、とスイッチのように押し込んだ。

 

 ドゴォォォォォォォォォォンッッッ!!


 ケージがモニターを押すと同時に、物凄い轟音と振動がアランに、否、この城全体に襲い掛かってきた。

「っく、何をっ!?」

「ミサイルを発射するのさ。しかもこの城の最終兵器だ」

 ケージの言葉に反して、轟音と振動は収まらない。ミサイルを発射したにしては、余りに長すぎる。

「最終…兵器?」

 アランが問う。

「そう。まさしく最終兵器さ。この城自身を飛行機のようにして、ミサイルに見立てて飛ばしてしまうんだからね。これなら出力さえあれば外観はいくらでも擬装できるし、それに離れていても敵地を攻撃できる。破壊力は、城内の兵器ともども爆破させてしまう訳だから――――――」

「うるさい。もういい」

 アランが、ケージの言葉を拒絶した。項垂れており、ケージから表情は覗けない。続けてアランが言う。

「アンタは何だ、隣国のスパイだったのか。二年前からずっと、皆を騙してたのか」

「そうだよ」

「どうするんだよこんなことして、教官や、同期の仲間や……アミエルさんが死んでもいいのかよ」

「……そうなるね」

「アミエルさんと、結婚してたってのは本当かよ」

「……」

 一度黙して、ケージは再び口を開く。

「愛し、愛されていたのは確かだ。だが、任務のためには仕方の無い犠牲だ」

 そこで、アランの思考は途切れた。

「―――――――ッ!」

 ケージに突進し、硬く握った拳で、思い切り殴りつける。そのままケージは床に倒れた。ケージの頭が叩きつけられた、後ろにあったモニターや機器が砕ける。

「……どうして、それを使わなかったんだ」

「どうして…だろうね。僕にも分からない」

 火花が飛び、爆発が起きる。また別の機械に飛び火して、小規模の火花が少しずつ全体を破壊し始める。

「……すごいね君は、なんて馬鹿力だ」

「行くぞ。ここから脱出するんだ」

 アランはそう言うが、ケージは動こうとはしなかった。

「もう、飛び立ってしまったんだ。助からない」

「いいからっ!」

 ほら、と差し出す手すら、ケージは掴もうとはしない。

「少し……お話をしよう」

「……」

 アランは黙って差し伸べた手を引いた。ケージはそれを肯定の意とみて語りだす。

「僕がね、軍を捨てられた理由は、仲間を見殺しにしなかったからさ。くだらない政治的理由で僕が助けに行くのを軍が拒んだんだ。その命令に背いて僕はその仲間を助けた。そうしたらやれ『裏切り者』だの『面汚し』など言われるわけさ。……僕もあの頃は若かった、ということだ。笑ってしまうだろう」

「……」

 アランは黙ってケージの話に耳を傾けている。

「君が朝、僕に言ったよね。『何のための戦争、なんだろうな』って。軍を追放されたとき、僕も同じことを考えたんだ。それでね、最終的な結論として、『人間という生き物の目的そのものが競争なんだ』って思ったんだ。全て物事は競争によって生まれ、進歩する。同事業で別々の会社を考えてみるといい。醜く争いながらも、どんどんその技術は進歩していく。僕ら個人にしたってそうだ。『負けたくない』と思うことから競争は始まっているし、それなくしては進歩なんて見込めない。だから、より優位に立ちたい国の最高権力者は、他者の国を潰そうと戦争をするんだ、って。結局人間は戦争が必要であり、その戦争という手段自体がもう目的になってしまっているんだよ」

「それが……何だって言うんだ」 

「軍を追放されて二年。軍が僕の在軍時代の成績を買って、ある任務を遂行できたら、特例で復軍を許す、っていう誘いが来たんだ。僕はそれに乗った。争うことをやめた、進歩することを拒否した人間ではいたくなかった。競い、争い、殺した先に人間の進化はあるはずだと確信していたんだ」

「その任務っていうのは、つまり」

「そう。この新しく出来たカテゴリNW1を潰すこと。施設を潰すだけで、犠牲者は出す必要は無かったんだけど、仕方の無いことだ」

「なぁ」

「うん、ああそうか。今度は君が喋る番だね」

 おどけるように、ケージが言う。それに何の言葉も返さずに、アランは続ける。

「確かに、あんたの話を聞いてると、競争するのはいいことだとは思う。それに、人間がその競争によって進歩してきたことも事実なんだろうさ」

 まだ、部屋の破壊は続いていた。アランの力、というより振動に耐えかねたかのように、ガラスやモニターが割れていく。

「だからって、誰にも人を傷つけていい権利なんか無い。だから……」

 再び、アランはケージに手を差し伸べて見せる。しかしその手を、またしても拒絶された。こんどは強く、手で叩き落されて。さすがに今度はアランも反論する。

「何するっ……」

「途中からっ! …気づいては、分かりかけては、いたさ。それくらい。でも、もう取り返すことなんて出来ないんだ。死んだ人間を生き返らせることも、過去に戻ってやり直すことなんて出来ないんだ! だからつまり、僕は『罰』を、受けなければならない」

「『罰』?」

 アランが聞き返す。

「ここに残るんだ、僕は。僕が殺めた人に、僕が犯した罪に囲まれての死を選ぶ。だから、行かない」

 先ほどまでスパイだった男は、今はまるで駄々をこねる子供のように頑なにその場を動こうとしない。そんな男に、アランは不敵にも微笑を投げかけた。

「アンタ、ここまできて、まるで分かって無いんだな」

「何だって?」

「はははっ、いいか、まず自分で罪だの罰だの言ってるんならな、おれがお前の罰を勝手に裁いてやる。義務とか権利とか関係無しにな。それに、」

 そういって、アランは動こうとしないケージを無理やり抱きかかえてこの部屋を走って飛び出す。

「な、君、一体何をする……?」

 ケージの問いには答えずに、アランは先ほどの台詞の続きを言う。

「それにな、俺はアンタに、死んで欲しくね無ぇんだよっ!」

 廊下まで来ていたアランは、言うと同時に自分ごと窓ガラスを突き破って城の外へと飛び出す。幸いガラスの破片が体に刺さる、ということは免れたようだ。ぱりいぃいん、という音を残して飛び出した外は、地面から遠く離れた空だった。

「アラン! 君は莫迦ばかか? このままだったら僕もろとも君まで死んでしまうぞっ!」

「多分、大丈夫だっ!」

 そういって、アランは背中に背負っていたバッグから出ている紐を思いっきり引っ張った。ばっ、とパラシュートが開いて、急に落下速度が緩やかになる。

「これは……」

「アンタの忘れもんだ。あのサイレンが鳴ったときはコレをもって非難するように指示されてたからな。アンタが聞いてなかったとは思えないけど……」

「定期連絡、というオチ、か。丁度いろいろ言い訳を造って姿をくらましてた頃だろう。というか、どうして君は教えてくれなかったんだい?」

「今の今まで忘れてた、ってことさ」

「君というやつは……」

 ケージは、ため息をつ吐く。あの部屋での、硬い表情は消え去ってしまっていた。

「―――――いつの間にか、夜が明けていたんだね」

 空は、もう薄青色スカイブルーだった。

「なぁケージ」

「なんだい。ここまできて僕を落とすなんてことはしないでくれよ」

「しねぇよ」

 笑って、アランは続ける。

「俺さぁ、戦争なんか、競争なんかしなくったって、人間は空を飛べてたと思うんだ」

「……そのココロは」


「だってほら見ろよ。世界はこんなにあおいんだぜ?」

  


―――――is a blue (true) end.

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やさしい戦争 結城恵 @yuki_megumi

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