せかいにひとりぼっち

結城恵

せかいにひとりぼっち

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 この星は、ゆっくりと、だが確実に荒廃していく。


 原因はやはり人間の手によるもの。それはどこの世界でも同じで、たとえば温暖化。たとえば自然破壊。だが、この星の主な荒廃原因は通常想定されるソレとは一線を画していた。


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「っはぁ、はぁ、はっ、はっはあ、ぁ」

 あたしは息を荒げていた。眼前にある巨躯から、逃げているからでなく、戦っているからだ。

「っせ!こらっ、こんの、っこのぉぉっ!!」

 手に持った木の棒で渾身の力を込めて打つ!


 っざあぁ


 しかしソレは怯むことなく、あたしの大切なものを滅ぼさんと、あたしではないほう目指してのろのろと歩む。

「あぁこの、待ってって、待ちなさいって、言ってんでしょうがぁッ!」

 2回目の『待て』のあたりで再び私は武器を振りかぶる。<外皮>の一番薄そうなところに狙いを定めて、柄を絞り、そして振り下ろす!


 っざざざざざざぁガッ! 


 ここだ。あいつの外皮の薄いところを巧く叩いたあたしは、そいつの<核>にぶつかった。外皮が元通りになって、棒が抜けなくなったりする前に引き抜く。そして、さらに薄くなった部分へ向けて、何度目になるか分からない打撃を繰り出す。

「これで、とどめっ!」 


 べきっ、ばきぃんっっ


 木の棒と、あいつの核が同時に壊れる音がした。あいつは核を破壊されて、侵攻を止め、停止した。


 ざざざざざっざさ、ささらさらさら・・・


 あいつは外皮としていた大質量の<砂>の固定ができなくなって、さらさら零れてただの砂と化す。無数の枯れた草花と、2,3匹の蠍。中心にあいつの四角推を二つ重ねたような形の核が、オレンジ色にひび割れて輝いていた。こいつはほっとくと自己修復して再び砂を集めて活動しだすから、そうなる前に、用意していた硝子の瓶に閉じ込める。こうしてみると本当に小さい。掌くらいの大きさだ。場所が分かっているとはいえ、よく当たったものだと、自画自賛する。


 気が付くと、空はまさに満天。町の光から離れたこの場所ならではの美しい“星の海”が頭上に横たわっていた。この時間になるともう、あいつらも活動を停止することは知っている。どちらにしろ、早くあの子達の所に行かないと。

「ごめんねっ、遅くなっちゃったっ」

 駆けつけたあたしを、あの子達はざぁ、と風に揺れて迎えてくれる。あたしの大切なもの。あたしの――花達が。

「みんな、大丈夫かな?」

 大きな被害が診られないから、あたしがてこずってる間にもう一匹あいつ等が来たってことはなさそうだ。とりあえず一安心、と溜息を吐く。

 一つ一つ丹念に世話をする。こまめに雑草を取り、虫を避け、水を与え、肥料を与える。あたしにとって、この花壇はまさに子供達そのものなのだ。

「ぃよしっ。これでもぉ、おっけーだね。また明日、ばいばーい」

 だから、花に話しかけてるあたしは決して寂しいヤツなんかではなく、『お母さん』なのだ。そのへん理解してほしい。

 あたしの秘密の花園を去るときにはもう、いつの間にか月が見えていた。さっき見たときはなかったから、結構な時間が経ってるはずだ。

「あーあ、今からご飯作んなきゃなんないや。あいつ等のせいで、あたしの生活リズム滅茶苦茶だーっ」

 ん、と小さめの体を目一杯伸ばして、帰途に着く。一人暮らしの、小屋に近い私の家へと向かって。今夜のおかずは、ロールキャベツだ。


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 ちゅんちゅん、ちちちち。


 今日は小鳥に起こされるなんていうメルヘンな目覚めだった。血液を全身に送り込むように伸びをした後、朝の身支度を済ませる。

 顔を洗って、髪を梳かして、服を着替えて。

 今から向かう先は、砂漠のオアシスに建てられた大都市。砂に足をとられながら、今日の食い扶持を稼ぐために自動浮遊車(ホバークラフト)に乗り込む。

 砂漠には道路が無い。だから、相当なことが無い限りまず車両事故には遭わない。でも、それなりの車両でないと走行も儘ならない。その点あたしの[オリオン]はカンペキだ。あたしの拙い走行技術でも悠々と砂漠を渡っていける。

 今日は突き抜けるような晴天。向かい風に混じった砂漠の細かい砂が、あたしの頬と髪を流れていくことさえも、心地よく感じてしまう。曇天で突風が吹き荒れる日なんかは最悪だ。視界は悪いわバランスは崩れるわ顔に当たる砂が痛いわでもう大変。だから、どうしても用事が無い限りは天候の安定した日に町に出かけることにしている。


 正味1時間弱。砂と格闘していた時間を考えると、あたしの家からどれほど離れているか分かるだろう。目的の場所に着いて、所定の位置に[オリオン]を停車させる。

 そこは所謂“バー”である。外観は民家とそう大して違いは無いが、路上やドアの上に掛けた看板が慎ましくここが酒場であることを主張していた。

 このご時世、お酒を飲ませるだけで生活が営めるほど市民の心も懐もは豊かではない。だからこの店は、商品の卸売りや昼間は食堂代わりにしたりと、ヨロズなことを承っている。だからあたしもここで花を売って生計を立てている。世界が荒廃しつつある現在だからこそ、人々の心に潤いと郷愁を与える“華”の存在は大きな価値があるのだ。まぁ、一部の富豪のほぼ独占状態にあるのが現実なのだが。要するに、あたしは結構な稼ぎ頭であったりするのだ。

 酒場[ブランチ]を一瞥したのち、ベルのついたドアを開ける。カンカラランと音がしてドアが開く。

 内装はいかにも酒場、という感じだ。カウンター席といくつかのテーブルがその空間を占めていた。酒場らしくないところといえば、全体的に色調が明るいことか。色調が明るいというか、日当たりがいいというか、ただライトの光が強いだけ、もしくはそのすべてなのかもしれない。酒場のイメージの陰湿さがこの店には感じられない。

「マスター、おはようございますっ」

「やぁ、ヴィオラちゃん。今日も元気だねぇ」

 あたしは暇そうに本を読んでいた男性、この店のマスターと明るく挨拶を交わす。後ろで束ねた黒い長髪、黒眼、褐色。明るい店内に、黒いマスターが一人浮いている。それもこのバーの売りであるといえばそうなのだが。

「はい、マスター。久々に持ってきたよ」

 あたしは手に提げた3つの鉢をカウンターに置く。もちろん、あとで掃除するのはあたしだ。

「お、3日ぶりだなぁ。最近ちょっと風が強かったからかい?」

「ぁはい。あたしの懐もちょっと余裕があったので、勝手にお休みにさせてもらいました」

「そりゃぁいい。休める時に休んどかないと、いつか体がぼろぼろになっちゃうからね」

 そういうとマスターは店の奥のほうに鉢を持っていった。これからまた、別の業者に花を売りにいくのだろう。いつも思うんだけど、この店長が花を売ってるとこって、想像出来ない。

「すいません。あたしが休みの間、何かトラブルはありましたか?」

 鉢についていた砂で汚れたカウンターを掃除しながら、奥から戻ってきたマスターに聞く。

「ん?特に無いよ。緊急の注文も何もなかったし、だからボクもこんな風に暇そうに見えるんだよ」

「あはははっ、ってマスター、あたしは別に暇そうだなんて思って…」

「あやっぱりそう思ってたんだ、傷つくなぁ、ボク」

「マスター、勘弁して下さいよぅ」

「くくくっ、ゴメンゴメン。ヴィオラちゃんをからかうのが楽しくって、つい」

 あたしはそんな楽しまれるような顔をしていたのだろうか。不幸にもあたりに鏡は見当たらない。ある意味幸運ではあるが。

 

 コッ、コッ、コッ。


「おじさん、おはよ…、ってオイ」

 硬質の足音と一緒に降りてきた亜麻色の髪をしたヤツがあたしを睥睨する。

「あーによー」

「あぁぁぁぁんでっ!ってめぇがっ!っこっこにっ!ぃ居るんだっつのっ!!」

 だん、だん、だん、だだん!と勢い良く足音を響かせて朝っぱらからキメてくれやがった。喧しい。マスターとのほのぼの時間が台無しだ。別にどーでもいいけど。

「おつかれ」

「おつかれじゃねぇよっ!」

「あたしは仕事」

「そうかなるほど、っじゃなっくってっ!……っ………っっ!」

 こいつはわめき散らしたいだけなので正論を言うと行き詰ってくれる。分かりやすいヤツだ。続きの言葉が出なくて、顔をゆがめる。なんとなく、さっきのあたしの姿にダブった。

「あたしからありがたーい忠告をしてあげるわ」

「…っ…っんあぁ?」

 なんだこいつ、まだ唸ってたのか。いいねぇ、純真だねぇ。あぁ、駄目駄目。おばさんしてるぞ、あたし。

「けほん、あーなんだ。まずその頬についた涎の跡」

「んぐ」

「寝癖」

「ぐあ」

「パジャマ」

「うあ」

「っていうかボタン掛け違えてるし」

「んぐぅあぁぁぁぁぁぁっ!」

 訳の分からない奇声を発しながら、再び店の奥へ駆け込んでいく。5分とかからずに戻ってきた。

「そうよ。お客サマの前では、そういうはしたないカッコはしないようにね」

「んなぁにお、偉そうに…」

「ん?何か言ったかしら?」

 あたしは聞こえていないふりをする。

「畜生…惨敗だ」

「くくっく、朝から仲がいいねぇ、お二人」

 それまで蚊帳の外だったマスターが不意に話しに入ってきた。ある意味ベストなタイミングで、かつベストな台詞をもって。

「なっ、おじさんっ、なに言ってんだよっ!」

「ほらそこー、あからさまに狼狽しないの。マスターを楽しませるだけじゃなーい」

「あっぐ」

「くくく、流石にもう、ヴィオラちゃんにはこの手は通じないかー」

 マスターが苦笑を浮かべる。あたしだって、学習能力はある。やられっぱなしは嫌なのだ。

「当たり前ですよ。一体何回目だと思ってるんですか、このネタ」

「まったく、そのうちボクが楽しくなくなっちゃうんじゃないかと心配だよ。その点、フランシスは安心だね」

「ちょ、おじさん、それどーゆー意味ですかー」

「さあてね」とマスターが呟いた。ような気がした。


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 カランラン、ラララン、と店のドアが開く音がした。この朝と昼の中間という中途半端な時間に来る客は珍しい。

『いらっしゃいませーっ!』

 フランシスとマスターが一緒に言った。あたしも一応“こっち側”なので一瞬遅れて輪唱のように「いらっしゃいませ」と言った。

「あぁ、どうも今日は」

 おっとりという言葉がとても似合いそうな、しわがれた老人の声が返ってきた。声からはどうも性別が判断できないが、服装を見る限り男性のようだ。優しい表情ではあるが、どこか壮年期独特の影がある。ちなみに現在時刻は『おはよう』より『こんにちは』寄りだ。

「ボクの記憶が正しければ、初顔のようですね。どなたからか、紹介状をお持ちで?」

「ぁ、いえ。どうも申し訳ありません」

「いえ。構いませんよ。ところで、今日はどういったご用件で?」

「はい、それが…」といって彼(ということにする)はカサカサと茶色に焼けた紙を取り出した。マスターに渡した時に、インクで文字が書かれていると分かった。内容まで理解する暇はなかったけど。

 マスターはその紙をしげしげと見ながら「ふん」とひとつ息をついたりしていた。サマになってるなぁ。

「なぁおじいさん、それなんて書いてあんの?」

「こら、フランシス。お仕事の邪魔しなーい!」

 さっきの忠告はもう右から左か?まったく、お前の脳ミソはひよこ並みか。あたしとあんま年変わんないんだから、もうちょい慎みとかもってほしいと思うのはあたしのエゴなのだろうか。

「あぁ、坊や。構わないよ」

『すみません』とマスターとあたしは謝った。


 書いていた内容はこうだ。


『ごきげんよう。本日は貴店に折り入って頼みがあり、手紙をよこしました。実は今、わたくしの家の温室が荒れ放題なんですの。せっかく温室があるのだから美しく飾りたいと思いまして。本来ならばわたくしからそちらへ赴くのが筋でしょうが、わたくしはどうも車というものが大の苦手で、同時に足を患っておりますのでそれができないのです。無礼とは承知しつつも、わたくしの代理といたしまして家の執事のほうに手紙を持たせてそちらへ向かわせることにいたしましたの。もしそちらのほうで斡旋していただけるならば、私といたしましては、無量の想いです。思いのたけは、無粋と知りつつも報酬に代えさせていただきます。わたくしはこの店を高く評価しておりますので、温室を素敵にコーディネイトしていただけることを、心の底より楽しみにしております。かしこ』


 ――とまぁ、お嬢様口調で語ってくれたわけなんだけど。

 このおじいさん(?)がこの手紙を書いたわけではなさそうで、おそらくこの人がその『執事』なんだろう。言われてみないと気付かないや。もっとこう、セバスチャンなイメージだったんだけれど。

 でまぁ、この手紙はそのお嬢様からの[ブランチ]への依頼な訳で、マスターやフランシスは温室のコーディネイトなんてハイカラなことはできないだろうから、もう自然と答えは出ていた。

「――その表情は、どうとればいいんだい、ヴィオラちゃん?」

「不安と、焦燥と、―――諦観をごちゃ混ぜにしたヤツです」

「成る程。今度レシピに書いておくよ」

「はぁ」

 いい味出してる、と言いたいのだろうか。最近学習してきたといっても、流石に10年以上の年齢差は大きい。一生かかったってマスターには勝てやしない気がしてきた。

「きききっ」

 おかしな笑い声でフランシスが嘲笑する。レシピに載るような表情をしてた手前、何も言い返せない。「ううぅう」と唸るだけだ。前言撤回。やっぱりあたしはコイツと同レベルなんだろうか。

「―――あのぅ、それで返事は…」

 一人取り残されていた執事さんが言う。あたしに拒否権など皆無で、既に答えは決まっていたが。

「はい。勿論引き受けますよ。それが[ブランチ]の仕事ですので」

 あたしの方をぽん、とたたきながら言わんでください。いいですよ。いいですけど。なんか釈然としないよぅ。

「っ、有り難うございますっ!いや、助かりました。本当に」

 執事さんは大仰にマスターの手を握ってぶんぶん振り回しながらお礼を言っていた。「いえいえ」と困った顔でマスターは答えていた。

「きききっ」

 猿かお前は、と喉まで出掛かってやめる。お客様の手前、はしたない事はしない、しない。少しでも自分のレベルアップに励まなきゃ。

「期日は何時まででしょう」

「早ければ早いほうがいいですが、ここ一週間以内にやってほしいとのことです」

 マスターの目が妖しく光った。あたしは見た。光ったから。こう、ペカーって。

「良う候。それでは期日内に必ず依頼をこなしてみせましょう」

「頼りにしています。それでは、わたしはこれで」

「はい、御機嫌よう。また困ったことが在ればいつでもいらしてくれるよう言付けておいてください」

「はい、きっと」

 マスター、商売上手。だからこんなヨロズ屋紛いのことやってても生きてけるんだ。なんだかオトナの黒い部分を見た感じー。

「さて、ヴィオラちゃん」

「はいっ、もうっ、やるからには気合入れて楽しませていただきますっっ!」

 もう、自棄のやんぱちだっ!楽しめっ、あたしっ!

「それでっ、何時出発ですかっ!」

「お昼」

「は」

 あたしは耳を疑った。おひる…あひる…まひる………お昼だろうな。

「ちょっと、マスターいくらなんでもそりゃ無いんじゃ…」

「ん。まぁ、ここからそう遠く離れてないし、ヴィオラちゃんのお昼ごはんはボクの驕りってことで手を打ってくれよ」

「おっひるごはーんっ」

 折れたね。マスターの料理はあたしの人生の中で最高のものだ。これを逃す手は無い。やってやろうじゃんか、コーディネイト。

「ばっかでー」というフランシスの声も、もはや今のあたしには届かなかった。


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 ここぞとばかりにマスターの極上手料理を食べつくしたあたしは、満腹となったお腹を抱えて依頼先の豪邸(仮)に赴くことになった。

「あぁ、キっツ。やっぱ食べ過ぎちゃったかしら…」

 胃袋が振り子のように揺れる感覚を味わいながら女の子らしくない言葉を吐く。いいじゃん、誰も見て無いし。

 ばっさばっさと砂塵を巻き上げながら、[オリオン]を走らせる。天気は変わらず快晴。快晴の砂漠は凶器同然の灼熱を肌にもたらしてくれる。だからいくら熱くても長袖の服はここでは必需品だ。夜は寒いし。

 蒸し焼きにされそうな体を無理やりにでも動かして車から降り、件の家に到着した。

 想像していたのとはまるで違う。もっともっと豪華絢爛なのを思い描いてたのに、以外にも簡素な、でもそれでいて丁寧な造りの洋館がそこに建っていた。数秒ほど館を眺めた後、あたしはノッカーを叩いて家主を呼び出した。

 こんこんこん。

「こんにちはーっ。[ブランチ]から依頼を受けてまいりましたーっ、ヴィオラ・ブラッサムですけどーっ」

 カチャリと控えめな音を立てて扉がこちら側に開かれる。

「はいいらっしゃい。…あらあら、ずいぶん可愛い依頼人さんなのですわね」

 中から出てきたのは、これまた想像を外れて車椅子に乗った初老の女性だった。

「ぇ、ぁ、はい。どうも」

 可愛いという単語に反応して思わず赤面する。恥ずかしいわけではなく、嬉しいからで、久しぶりに“女のコ”を実感できた。

 でもでも、今は仕事中。頭を切り替え、仕事モードに……。よし。もう大丈夫だ。

「あの、今日は依頼を受けてこちらに来たのですが…」

「あら、今朝遣いを出したばかりなのに。流石、噂通りですのね」

「ありがとうございます。それでは早速今から依頼に取り掛かろうと思うので、承諾と確認の意味で、こちらの用紙にサイン、捺印をお願いします」

「はいはい。ちょっとまってね。あぁ、ハンコどこにあったかしら…?」

 彼女がハンコを取りに館の奥に行くと、3分ほどして戻ってきた。

「はいどうも、お待たせいたしましたわ」とそういって捺印とサイン(“トスカ・エルトリア”と書いていた)を済ませた。どうでもいいけど、この人めちゃくちゃ字が綺麗だ。読みやすくて、かつ美しい。あぁ、憧れちゃうなぁ。

「それでは早速取り掛かるので、失礼ですが温室まで案内してくださるでしょうか?」

「はぁい、お安い御用でしてよ」

 彼女は言って、車椅子をこいで先導してくれた。執事を呼べばいいだろうに、そうするあたりがこの人の良さなんだろう。嫌味の無い微笑みを湛えていて、あたしにはとても好感が持てた。なんていうか、理想のおばさん像だ。


 3分ほど歩いて、温室に辿り着いた。そこは―――――

「――何て言うか、記述通りというか、無法地帯というか……」

「御免なさいね、わたくしも、彼もこういう作業が苦手だから、ほったらかしなんですの」

 そこはさながら人づてに訊くジャングルのような状態だった。整合性は皆無で、もはや雑草なのか観葉なのかすら区別は難しいだろう。

「いえ、いいんです。これでこそ、やりがいがあるってもんですっ!」

 本心から極めて明るく言い放って、あたしはガッツポーズを作った。

「うふふ、頼もしいのね」

「はいっ、まっかせてくださいっ!」

「うふふ、じゃあわたくしはお邪魔だから退散してるわね」

「きっと、ご期待に沿えるようにしてみせますねっ」

「はい、それじゃあ。終わったら一緒にティータイムと行きましょうね」

 思いもかけない嬉しい言葉につられて、あたしは嬉々として温室に入っていった。なんだかあたしって、色気より食い気だなぁ。


 ―――そして日がかなり西へ傾いてしまったころ、あたしの手腕による温室コーディネイトは終わりを告げた。雑草はほぼ全て取り除き、観葉植物を手入れしてやるだけで、相当綺麗になった。プレゼントとして幾つかのの花を植えるのがポイントだ。

 そしてトスカさんとの楽しいティータイム。

「嬉しいわぁ、荒れ放題だったあの温室がこんなに素敵な場所になるなんて」

「いやいやいや、そんなことないですよー」

 とこんな調子で、終始あたしの顔は緩みっぱなしだった。

 そのあとは報酬の授与(ちょっとアレな金額だった)、マスターに依頼終了の報告、あたしへのお給料(不定期)の受け取りをすませて、毎日の日課であるあたしの子達のお世話をした後、あたしは帰途に着いた。


 疲れていたあたしは寝る準備を済ませた後、ベッドに倒れこむとまさに泥のように、ふかーい眠りに就いた。

 乾燥した空気に良く映える星空を映した窓が、眠りに堕ちる直前の目蓋に妙に残った―――


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 ちゅんちゅん、ちち…ばさばさばさ。 


 …こんこん。こんこんこんこんこんっ。


 なんだか聞きなれない小鳥の声だなぁと思ってあたしは目をこすりながら起き上がった。まだ音がするから、そこにいるのだろう。窓のほうから聞こえるので、ごく自然にそちらの方に目をやった。

 

 そこには、見覚えの無い子供が立っていた。


「!」

 瞬間、息を呑む。その子供がいつの間にか壁を通り抜けてあたしの目の前に立っていた。視線が合う。あ、ちょっとこのコ可愛いかも。どんぐりのようにくりくりした目が印象的だ。って、そうじゃないだろ。

「あの…」

「!」

 こんどは相手のリアクション。あたしのそれよりも数段激しく、ずささっと数歩後ずさった後、壁にぶつかってへたり込んだ。話すならば、チャンスは今だ!

「っく、うぅん…」

 そのコは頭を抑えながら呻いている。

「あの、キミは―――いったい何なの?」

 涙を一杯に湛えた目で、あたしを見つめてくる。うわ、なんか子犬みたい。くらくら。

「…ぁ…ん」

「?」

「おかあさんっ!」

 突然叫んだかと思うと、そのコはあたしのナイムネに飛び込んできた。てちょい待て。いまの空気の振動は、あたしがこのコの母親であるようなことを伝えてきたけど?

「おかあさんっ、おかあさぁん……ぅ、っぐ、うぅぅんっ」

 このコはさっきからこの調子だ。とりあえず、落ち着くまでは、待ったほうが良さそうだ。


 ちなみにあたしは、子供がいるような年ではないし、それ以前に彼氏もいない。だからこのコの言ってることは理解できなかった。


 ――落ち着いたこのコは、あたしに分かるようにコトの顛末を話してくれた。

 どうやらこのコは男のコで(エスメラルダという名前らしい)、なんと(とてもそうは見えないが)あたしの育てていた花の妖精なんだそうだ。

 成る程だったら確かにあたしはこのコの母親で間違いは無い。それにしても、

「オカシナことになったものね」

「うん」とにこやかにエスメラルダくんが頷く。

 …分かってない。まったく、今からいったいどうしよう。ホントに。

 

 このコはエスミィとあたしが勝手に愛称をつけて呼ぶことにした。幸い喜んでくれたので、良かったと思う。

 この子の世話は花の世話をしてあげれば済むもので、花に肥料を上げたりするとお腹一杯になったりするんだとか。正直分かりやすい基準ができたので、花の世話だけ見ればあたしはかなり助かっていた。エスミィは妖精だからか現れたり消えたりして、邪魔な時にはちゃんと出てこないので、生活は今までとあまり変わることは無さそうだった。

「ねぇママっ、これ読んでっ、これっ!」

「はいはい、いまいきますよーっ」

 いつの間にか打ち解けたのは、エスミィがあたしの育てた『子供』だったからだろうか。


 本を一冊読み終わると、そろそろあたしが[ブランチ]に行く時間になった。

「エスミィーっ、ちょっとママそろそろお仕事に行きたいんだけどー?」

「あ、あのねママ」

「ん、なーに?」

 別段急いでいたわけでも無いので、あたしはできるだけ聞いてあげることにした。

「、あの、ね。ぼくも…いっしょに…行っちゃ、駄目?」

「え?[ブランチ]に、一緒に?」

 正直一瞬逡巡したけど、マスターもフランシスもあたしとエスミィのことを理解してくれるはず。根拠は無いけど、直感で思ったことはきっと正答だと思う。『思い立ったが吉日』ってヤツ?隠しておくことに意味なんて無いし、大体そんなことしたらあたしが要らない心労を負ってしまう。

「……やっぱり、だめだよ、ね。うん」

「いいよ」

「え?」

 エスミィの表情が緩む。

「だから、エスミィ。一緒に[ブランチ]に行きましょ?」

 あたしはまだ戸惑いと喜びの織り交ざった顔のエスミィにニカッと男っぽく笑って答えた。

「うんっ!」

 エスミィは弾ける様に顔を喜び一杯で満たした。なんか、ぴょん、って飛び上がってしまいそうな笑顔だ。ふふっ、こういトコ可愛い。


 そういうわけであたしはエスミィと一緒に[オリオン]に乗り込んで、ブランチへと向かった。

 初めて乗った車にエスミィはおっかなびっくり大興奮で、車が小さな砂丘から飛び降りるたびに「わぁぁぁっぁっぁ、あ」とか、「うわぁぁっっはっははあはは」とか言っていた。

 

「ふー、着いたー、着いたーっと」

「あははっ、はー面白かったー」

 なんて、談笑しながらいそいそと[ブランチ]へと赴く。途中エスミィが「ねぇねぇママあれ何?」「ママー、みてみてー、あれすごーい綺麗だよ」と物珍しそうに街中を物色していて、いつもよりも少し到着が遅れた。お花の世話は楽になったけど、逆にエスミィの世話に手を焼きそうだ。本当にあたしの子供が生まれた時の予行練習ということにしておいて、自分を納得させてみる。なんか、空しいなぁ。そろそろ本格的に彼氏作ろうか。

「おっはよーございまーす」

「おはよう。って、今日はオマケつきなんだね、ヴィオラちゃん」

「あ、えと、このコ…」

 どうしよう、なんていえばいいんだろう。本当のことをいきなり言って信じてもらえるだろうか。

「話せば長くなるんですが…」

「いいよ、話してごらん。信じるか信じないかは、ボクの決めることだ」

「はい、あの…」


 あたしは今日の朝に起こったことを簡単に話した。


「へぇ、花の精[エスメラルダ]、ね」

「マスター、何か知ってるんですか」

「いや、名前だけ、ね。ここでマスターをしてるボクが名前だけしかしらないってことは、このコに関する情報は無に等しいね」

「そうですか…」

「ごめんね、ヴィオラちゃん。でもま、キミの子供ってことはある意味間違いないし、これからよろしくってことで。エスメラルダ?」

「あ、うん。よろしくね。ますたー」

 なんだかマスターを名前と勘違いしてるんじゃないだろうか、このコ。でもそういえばあたしもマスターの本名って知らないや。

「ただいまーっ、買出し行ってきたよー」

 とフランシスが帰ってきた。そして、エスミィを見て、

「おい、おチビ。お前、どっから来たんだ?」

「ぼくおチビって名前じゃない」

 おいおい、なんかいきなし火花散ってるぞ。フランシス、張り合うなよ。相手は子供だろう。あそうか、こいつも中身は同い年か。聞き分けがいいだけエスミィに軍配。

「はいはい、二人とも落ち着いたー。あたしが状況説明したげるからねぇー、フ・ラ・ン・ちゃん」

「ぐっ、てっめーっ!」

 もがっ、とマスターがフランシスの口を手で押さえたときの音。正確にはフランシスの声。どちらにせよ、ナイスアシスト、マスターっ!

 

 フランシスが落ち着くと、あたしは今朝起こったことを説明した。

 これで二回目。さっきより簡潔に、だけどより分かりやすく、説明できたハズ。


「はぁん、コイツが、お前の子供ってかー」

「ママをお前って言うなっ。それに、ぼくはコイツじゃなーいっ!」

 第2ラウンド、開始。って、お前等、進歩しろよ少しは。あたしの話は念仏で、お前等は馬か。

「はいはい、喧嘩はそこまでにしてくれよ。いまからお昼のお客さんが来るんだから」

 マスターの一声でようやく小康した二人はお互い「ふんっ」とそっぽを向いてしまった。

「全く・・・。そうそう、ヴィオラちゃんとフランシスは今日は何も依頼がなさそうだから、カウンターの方を手伝ってもらうよ」 

 そういってあたしは調理、フランシスは皿洗い、マスターは両方のサポート含めて全般を担当することになった。エスミィは機嫌が悪いのか邪魔をしないようにしてるのか、いつの間にか消えてしまっている。普通の子供と違って迷子の心配をしないでいいな、とか思った。


 仕事の最中、フランシスがこっちを見ていた。あたしがフランシスのほうを向くと、自然と目が合う。

「…何」

「…そっちこそ。仕事中だろ」

「少しは…エスミィと仲良くして」

 あたしがそう言うと「あぁ?」と分かりやすいくらい嫌な顔をされた。

「あのね。アレでも一応あたしの子供なのよ。あたしはあのコを育てたことを誇りに思ってる。…あんたとあのコが喧嘩してるのを見るのはキツイのよ?」

「それくらい、俺だってわぁってるよ。けどさぁ…」

「なによ、煮え切らないわね」

「っさい」

「いらっしゃいませー」

 マスターの声に遅れてあたしたちも『いらっしゃいませーっ』と言う。

「ほら、喋ってないで、手ぇ動かそぜ」

「アンタに言われたくなーい」

「はん」とフランシスが言った。その顔はやっぱり煮え切らない表情だった。あたしはあんまり見たこと無い、もしかしたら初めてかもしれない表情だった。


 その日は緊急や臨時の依頼も無く(本来は前もってアポイントメントを取らなければならない)、何事も無くあたしたちの仕事の時間が終わった。老成しててもあたしたちは子供だから、夜の稼業はマスターの一手に任される。昼間よりも客が少ないといえ、一人でやってるマスターの手際ってすごいなぁと思う。経験の驚異だ。

 涼しい顔で頑張るマスターと眠そうな顔で歯を磨くフランシスに別れを告げ、酒場の本領を発揮し始めた[ブランチ]を後にする。仕事が終わったあたりからエスミィは現れていた。あたしはエスミィと手を繋いで車に向かい、そのまま帰途に着いた。助手席でエスミィが寝息を立てていた。


 寝ていたエスミィを起こさないように抱えて(信じられないくらい軽い)、あたしは家の玄関をくぐる。予備の布団を敷いてそこに横にする。隣に強いたあたしの布団であたしも横になる。エスミィの静かな寝顔を見ながら、いつの間にかあたしも眠りに堕ちていた。



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 ―――その日の深夜、早速というかなんというか。とにかく異変が起きた―――


 オオオォォォオオオオォオォオンッ!


 “ヤツ等”、砂の魔人、砂の亡霊、通称[ディザード]。ヤツ等の行動限界時間帯にもかかわらずその咆哮があたしの目を強制的に覚まさせた。

「なっ、そんなっ、なんでっ、どうしてっ!?」 

 混乱しながらもあたしは本能的に花園に走っていった。


 そこでヤツ等は、まるであたしを待っていたかのように一斉にこちらを振り返った。数は、片手でぎりぎり数えられる数。その光景に、あたしはこれ以上無いくらいに戦慄した。

―貴様が、贄となりし娘だな

 暗く澱んだような声で、ディザードの一体が言う。あたしはディザードが喋るなんて話は訊いたことが無い。

―当然だ。会話をする必要というものが無いのだからな

 別の一体が返答する。あたしはモノローグを口に出してはいない。


 ―――つまりコイツ等はあたしの心が読めるのだ。

「会話をする必要が無いアンタたちが、あたしに何の用だってのよ」

―贄の娘、貴様は小生等の明確なる『敵』だ。

「なんなのよさっきから。贄だの敵だのって。ちょっと女のコに対して失礼なんじゃない?」

 馬鹿なことでも言って無いと、間が持たない。空気に、気圧されてしまう。

―貴様は、貴様の“花を作る”能力は、小生等にとって有害である。小生等は魂のいわば“柩”。人間の魂が昇華するまでの間の保護が役割なのだ。

「それが園芸とどう関係あるっていうのよ」

―訊け。貴様の作る花には、良いか、『貴様でなくてはならない』のだ。魂をこの星に縛りつける効果がある。ゆえに貴様の作る花は小生等の魂の解放という任務を妨害するものであり、貴様は小生等の敵なのだ


 そんな―――嘘だ。


 良いことだと。あたしの花は皆に潤いを与えてやることができた。花からあたしは潤いを与えられた。ついでに食い扶持も稼がせてもらった。損をした人間はこの中にはいないはずなのに、今さら魂がどうのだなんて。

―小生等は打開策として、“束縛”を断つ方法を考案した

 それが、

―聡明だな、小娘。そう、故に貴様は敵であり同時に贄であるのだ

 あたしが死ぬことで、魂を星に縛る力は消えうせる、簡単に言えばそういうことなのだろう。

―わかったな、娘。貴様には選択権がある。しかし結果的選択肢は一つしかないのだよ。『死ぬ』か『殺される』か。小生等としては、慈悲として苦しまぬよう死ねるものを用意しておいたが?

 そういうと、一言も喋らなかった一体のディザードが手を差し伸べてきた。砂の手から少量の砂と、短いナイフがざす、という音を立てて足元に突き刺さった。

―其れは一種の宝具。使用者の意図に沿って感覚を増減できるというものだ。それによって『恐怖』と『痛み』を減じれば死すことなど容易い。切れ味は保障しよう。理解と覚悟ができた時点で、死ね

 コイツ等はいつもは野生の動物みたいなもので、人間だろうがなんだろうが見境無く襲って飲み込んでしまう危険なものなので、世界が荒廃していく原因はコイツ等にあるといっていい。ちなみに、元は過去の戦争の遺産なんだそうだ。あたしが襲われなかったのは、コイツ等の最優先事項が“あたしの花”だったからだろう。腑に落ちないのはなぜ今日に限ってこんなにも人間的に冷静なのかだ。

―エスメラルダだ。ヤツは“花の精”。そのヤツが実体化(マテリアライズ)したときに、小生等の理性も活性化したのだ。ただし、満月の夜限定という条件はあるがな。この結果はエスメラルダと貴様の能力の相乗効果によるものだろう。

 コイツ等を放っておいたら、確実に人間は被害を被るだろう。下手を打てば全滅の可能性だってある。皆の命を救うのは、あたしの命、たった一つ。

「―――お願いがあるわ」

―命乞いで無ければ訊いてやろう

「あたしが死んだら、あたしの『子供たち』をトスカさんの家の温室に移してあげて」

―それしきであれば、聞き入れよう

「ママっ!」

 何時起きたのか、エスミィがあたしの姿を見つけて走り寄ってきた。

「ママっ?なにしてるのっ、だめだよっ、死んじゃうなんて、そんなっ、ひぐっ、うっ、ぐっ」

「エスミィ、ママはね、皆を危機から救うための“聖母”になるの。だから泣かなくたって、っ…いいのよ」

 あたしは必死で涙をこらえていた。なんだかんだ言っても、死にたくない。せっかく育てたお花とお話ができるようになったばかりの日だけど、あたしがやるしかないんだ。

―早急に、決断しろ。死ね

―貴様が死ぬのが世界のためだ、保障する。死ね

―人間全ての魂も体もお前の命たった一つで救えるのだ、分かるだろう?計算するまでも無い。死ね

―死ね、全ての人類のために

―死ね、この世界の“滅びの聖母”となるために


 死ね死ね死ね死ね死ねしねしねしねしねしねシネシネシネシネシネシネシネシネ


―死ねェェェェェェェェッ!

「っあ、あぐぅ、あぁぁぁんっ!」

 エスミィの声はもはや言葉では無くなっていたが、あたしを必死で止めようということは分かった。でも。

「ごめんね、やっぱりママ死ぬよ」

 あたしがやるしかない。

 あたしが死ねば、世界は救える。

 あたしが死ねば、皆が救える。

 あたしがやるしかない。

 あたしにしかできない

 ほら、やっぱあたしってすげぇんじゃん。

 やっぱり。


 あたししかいない。あたしだけ。


 ――――せかいに、あたしはひとりぼっちぼっちだったんだね――――


 ざく、ずっ。


 刃を手首深く刺して、抜いた。痛みも恐怖も何も無かった。あたしの血は驚くほどゆっくりと、だけど確かに砂に吸い込まれていった。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 エスミィが叫ぶ。泣き叫ぶ。狂ったように。

「あぁっ、あっ、ぐっ、あっ、あっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ディザードたちに狂いながら襲いかかる。アイツ等は何も言わずにただただ佇んでいる。


 あたしの血は驚くほどゆっくりと、だけど確かに砂に吸い込まれていく。


 そこに、けたたましい音とともに、危うい運転で一台の車がやってきた。

「おいっ、この馬鹿野朗っ、なにやってんだっっ!」

 車には、フランシスが、たった一人で乗っていた。マスターには内緒なんだろうか、と少し場違いなことを考えてしまう。

 足をもつらせながらも。何とか車を降りて、あたしの元へよたよたと、だが本気のダッシュで駆けてくる。

「おいぃっ、なんなんだっ、なんなんだよこれはっ!」

「あたしが死ねばね、世界が救われるんだって。凄いだろ、あたし…世界を救ったんだ…ぞ」

 息が、切れる。そんなに血は出した気がしないのに、どうしてなんでだろう。

「ばかっ、やろうっ!」

 ぼろぼろと涙をこぼして、顔をくしゃくしゃにしてフランシスが搾り出すように言った。あたしは女の子だから野朗なんかじゃないぞ。

「ああっ、うっ、ぐっ、ひぐぅんっ」

 フランシスと同じくらいの顔でエスミィがあたしの元へ駆け寄ってきた。ディザードに襲いかかるのは、もうやめたようだ。

「うっぐ、どうして、どうして、よりによって、お前が、お前じゃなきゃいけなかったんだよっ!」

 フランシスは続ける。

「お前が、向こうから、嫌な予感がして、めちゃくちゃ。だから、内緒で、どうして、そんな傷っ…」

 言ってることが支離滅裂なのに、思いは伝わってくる。

 あたしの前で、二人が泣いている。あたしのために、泣いている。

 どうして?

 あたしは世界を救ったんだよ?もっと褒めて褒めて。

 どうして怒ってるの?

 世界は救われたんだよ?もっと喜んでよ。もっと。もっと。

「二人…とも?……っどうして、…泣いてるの?」

 フラフラの意識の中、あたしは二人に聞いた。このときは、本気でそんなことが分からなかった。そんなあたしに、

「お前が、お前がこんななってるからに、っぐ、ぁ、決まってんだろうがぁっ!」


 痺れた。空気の振動があたしを揺らした。分かってしまった。


 あたしは世界でたった一人の英雄になるはずだった。でも、二人はそれを赦してはくれない。くれそうにない。

 世界なんて関係ない、皆の声も聞こえない。世界も、皆も、今この二人の前では価値は無いのだと。



 ――――あたしは、せかいにひとりぼっちなんかじゃ、なかったのか――――



 しまった。失敗。どうしてこの二人のことに気付かなかったんだろう。

 親も、身内も、花いじりを必死になってやってるあたしを気味悪がった。両親はディザードに襲われて死んだし、そのあとのあたしを引き受けてくれる身内はいなかった。その時点で、あたしは世界に絶望していたのかもしれない。

 でも、フランシスはあたしと対等に付き合ってくれた。マスターのところで仕事もさせてもらった。エスミィはあたしを母親と呼んでくれた。


 エスミィの静止を聞くべきだった。あたしは、死ぬことを選択してはいけなかったのだ。もうひとつの、『生き残る』という選択をどうしてできなかったんだろう。


 ……しまったな、目蓋が重い。いやだ。死にたくない。どうして。あたしが馬鹿だった。皆の気持ちに気付かずに、皆があたしを避けてるんじゃなくて、避けてるのはあたしのほうだったんだ。どうして、折角、せっかく、“わかった”のに…。


 パサ、と膝をつく。それでも体は支えられずに、あたしの体はあたしの意思に関係なくうつぶせに倒れた。

「おい?おい、ふざけんな、おれはまだ、お前に言いたいことが、山ほどあんだぞ…?」

「ママっ、…ねぇ、ママっ?だめ、行かないで、駄目っ、駄目ぇぇぇぇぇ!」

 あたしの目蓋は降り切っていた。二人の声が遠くから聞こえる。ちょっと、二人とも。そんな遠くに行かないでよ…。声が、聞こえない、じゃない。


 暗い。寒い。怖い。嫌だ。


 そして、あたしの鼓動は、止まった。


『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

 二人が、同時に叫んでいた。

「おいっ、おいっ、俺の命ならいくらでもやるからっ、お願いだからだれかっ、ヴィオラを、ヴィオを助けてっ、俺の大切な人を、連れてくなぁぁぁっ!」

「ママをっ、ぼくのっ、たくさんお世話してくれた、優しいママをっ、ぼくのママをっ、返してぇぇぇっ!」

 狼狽しきった二人の声が風の海に響く。そして、その声は消えることなく、螺旋を描いて、交わり、輝きとなった。

 二人は、何が起こったか理解できていない。ただ唖然としていた。


―あなたたちの真実の声、確かに聞き届けた。届いたその思い、私の力を振るうに相応しい


 光の中に、女性が浮かんでいた。神々しいその姿は、背中に3対の真白い羽を生やしていた。

―私は“愛”を司る精霊。愛するものを失わんとするあなたたちの悲痛な声を聞き、ここに馳せ参じた。あなた達と彼女との間にある絆、世俗や肉欲に穢れた偽りの愛ではなく、想い慈しみ、無上にただその人を思う真実の愛のカタチ―――。あなた達の“愛”は“本物”だ。まだまだ幼く、小さな愛だが、それは何より確かなもの。真に世界を救うために失ってはいけないもの。だから―――

 女性は目を閉じて、すっと両腕を広げた。


 ――――“愛の奇跡”をここに―――――


 そこから、女性から光が溢れた。柔らかく、慈愛に満ちた、それでいて力強い、優しい光。

 そこにあるすべて、ディザードも、フランシスも、エスミィもあたしも。たぶんこのあたり一帯がその光に包まれた。そして一拍おいて、再び暗闇が訪れた。

 そしてあのディザードからぽう、と橙色の光の球体が抜け出していった。どんどん、どんどんと。目に見える範囲から続々とその光が舞い上がり、暗くなった夜空を再び明るく飾りつけた。

  

 風が吹いて、砂が舞い上がる。橙の光に照らされて、朱の混じった砂がさらさらと宙に舞う。

「ヴィオ…ヴィォっ?」

「マ…マ…っ?」

 二人がほとんど同時に、ゆっくりとこちらを向く。まるで時間がゲル化したように感じた。ゆっくり、どろどろと。


 フランシスがうつ伏せになったあたしの身体を抱え起こしてくれる。

 エスミィが色々な感情の混ざり合った顔であたしの顔を覗いている。

「おいヴィオ、おいっ、おいっ?」

 フランシスがあたしの身体を揺する。

「ママ、ママっ、ママっっ!」

 あたしを起こそうと必死になってエスミィが呼ぶ。

 どんな目覚まし時計よりも強力な力で、二人があたしを起こそうとする。


 身体が熱い。フランシスに抱かれているからか、エスミィに呼ばれているからか、それともそれは―――体の裡から湧き上がってくるものなのか。


 全身に、止まっていた血液が再び流れ出す。動脈を、静脈をものすごいスピードで。

 体はもう寒くない。二人の声もはっきり聞こえる。きっと体も自由に動かせるはず。


 まるで、重力から解き放たれたみたいに、あたしの目蓋は軽くなっていた。自然に目蓋が上がる。

 暗い景色に慣れていたあたしの目に、優しく、眩しく、涙で滲んだ橙の光が入ってくる。 


「綺…麗」

 完全に目を開いたあたしはその光景に驚いて、ぼろぼろ涙をこぼすと同時に、酷く場違いに、だけど素直な意見を言ってしまった。

「ヴィオっ!」と「ママつ!」が同時に聞こえて、同時に二人が飛び込んできた。

「きゃぁあっ」

「よかったっ、うそじゃないよな?ヴィオだよなっ?やっほーっ!」

「ママっ、ママっ、ママぁっ!」

「ちょっと、二人ともっ、おちついてよっ」

 心配掛けやがってこのみたいなことをフランシスが言う。エスミィはひたすらよかったよかったと繰り返していた。


―この一帯は全て私の力で浄化した。ディザードに匿われていた魂も昇華した。あなたが花を育てることで生じる“因果”も消えた。安心しなさい。もう、だいじょうぶだ

 あたしにそういって、彼女はオレンジの光に彩られた虚空に霞んでいく。

―私はいつでも見守っている。あなた達にはぜひ、真実の愛を完成させてほしい――――

 そしてあたしたちを救ってくれた精霊は、跡形もなく消え去った。


  ―――いつの間にか、あたしの傷は影も形もなくなくなっていた。


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 ちゅんちゅん、ちちちち。

 

 その日も、快晴だった。あたしはいつものように[ブランチ]にむけて[オリオン]を走らせる。

 助手席にはエスミィの姿。


 カンカララとドアを開けて、[ブランチ]に入る。

『っおっはようございまーすーっ!』

「やぁやぁ、おはよ。朝から元気だねぇ、ヴィオラちゃん、エスミィくん」

「よぅ、あんまりうるさいからおきちまったぜ」

 嫌味を言いながら店の奥からフランシスが出てくる。

「違うんだよ、ヴィオラちゃん。キミの姿が早く見たくて、急いで降りてきたんだよね、フランシス?」

「ばっ、違っ、おじさんってば、なーに言っちゃんてんのさーっ!」

 進歩しないなぁ。

「ほーら、フランシス。さっさと身支度整えてきなさい」

「くくくっ、おしどりなんとやらかな、キミ達は。ちょっと時期尚早なんじゃないのかい?」

 こんどは二人とも反応しなかった。

「こらーっ、フランーっ!ぼくのママをとるなーっ!」

 だけどエスミィが反応した。既にマスターの新しいおもちゃと化している。

「あっはっはっはっは。まぁ、この小さなボディーガードがいる限りフランシスも容易に手は出せないだろうねぇ」

 楽しそうだなぁ、マスター。輝いてるよ。

「そうそう、今日はこの間のトスカさんからお茶会の招待状を貰っていてね。『皆でいらしてくださいな』だそうだよ」

「えっ、マジっ?俺も行くー」

「ぼくもー、ぼーくーもーっ!」

「はい、2名サマごあんなーい。で、ヴィオラちゃんはどうするの?」


 私は笑って「是非、行かせてもらいますっ!」と元気良く言った。


 %%%%%%%%%%


 あたしはせかいにひとりぼっちじゃなかったけれど、なかなかふたりきりになれないのがざんねんといえばざんねんだった。


 [fin]

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せかいにひとりぼっち 結城恵 @yuki_megumi

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