a doll.

結城恵

a doll.

-0- <――月――日・―>


 わたしは、人形。

 心のない、ニンゲンのカタチ。

 ニンゲンに創られたわたしはニンゲンのためにだけ存在している。

 そんなわたしの言葉に、意味や価値なんか何もないんだけれど――――――――――。


-1- <09月21日・夕>


「ただいまー」

 いつしか聞きなれた声が届く。

 ここは彼女の部屋。狭いけど、雑多な感じが割りとお気に入りの、わたしと、彼女の部屋だ。

―おかえり

 わたしは彼女の声に答えた。

―今日はどうだった?

 鞄を肩から下ろしながら、振り向いた彼女は楽しそうに言う。

「今日はね、学校で、麻生さんと美由紀ちゃんが――――――」

 取り留めのない、いつもの彼女との会話。

 彼女が帰ってきて、着替えるより早くわたしとの会話を始める。彼女のいつもの日課となっている。


 ―――幾つなんだろう。


 もう何年も、何十年も一緒にいるような気がするのに、それすらもわからない。年齢も、家族構成も、わたしとの関係も一切全て。

 分かっているのは、たったひとつ。

「――――――でね、それをごはんにね、ザバーって、かけちゃったんだよ。ね、おかしいでしょ?」

 ふふふ、と口元に手を当てて可愛げに彼女は言う。

―ミキの声って、可愛い

 彼女の話が途切れたと見えて、わたしは唐突に話題を逸らした。

「え?な・・・なにいってるんだよう。べつに、・・・可愛くなんか―――」

―いいや、可愛い。このわたしが言うんだよ。まちがってると思う?

「・・・そんなことないけど」

―わたしの声なんて、蛙の鳴き声といい勝負なんだから

「くすっ」

 くくく、あははははっ。

―笑ったな?わたし気にしてるのに・・・・

 胡散臭くわたしは落ち込むフリをする。もちろん彼女にそうと分かるように。

「っくはは、っだって、どうしてそこで蛙・・・っくく、あははっ」

 言い終わらないうちに、彼女はまた笑い出してしまった。


 わたしはミキのことが好きだ。この際同性だとか、そもそも人形とニンゲンだとか、恋愛だとか、そんなことじゃなくて。

 もっと、高い位の――――――。

 いいや。なんかよく分かんなくなってきちゃった。

 要するに、さっきの分かってることっていうのは。

 彼女の声が可愛いことでもなく、彼女をわたしが好きだということでもなく。


 彼女の名前はミキだということなのだ。


-2- <09月22日・朝~夕>


 ミキはいつも学校に行っている。大体朝の7時くらいから夕方の5時くらいまで家には帰って来ない。

 学校が休みの日はずっと家にいて、わたしと遊んでいる。

 本を読んで聞かせたり、ままごとをしたり、一緒にテレビやお風呂にも入ったり。

 わたしは彼女と一緒にいるときは幸せだった。

 逆に、ミキが学校に行ってしまうとすごく寂しい。この狭い部屋にたった一人(一体?)でいるのは正直、辛い。

 考えてみるといい。ニンゲンのいない部屋の状態を。

 周りの音は聞こえるのに、自分だけがまるで世界から隔離されていて、とおいせかいを隔離された場所から眺めているような、そんな気分に、わたしは陥る。

 ニンゲンも学校とか仕事とかで大変だろうけれど、人形も案外大変なのだ。


 ミキの部屋―――要するにわたしの部屋なんだけど―――には誰も入ってきたことがない。


 わたしのキオクはミキの部屋から始まる。

 今でも覚えている。彼女がわたしに名前をつけてくれたこと。きっとそのおかげで、わたしはこの世に誕生することができたんだ。

 ―――うーんと、えーっと。どうしよう。なんて名前にしようか――――――――

 ・・・・。

 ―――そう。そうだ!この名前がいいわ!あなたの名前は――――――――

 ・・・・・。

 ・・・・・。

 わたしのキオクは、残念なことに不鮮明だった。最近は名前を呼ぶ回数が大幅に減ってしまったから、わたしの名前はもう既に、ミキにも、わたしにさえも忘れられていた。

 ・・・・かわいそうな名前さん。ちゃんとした名前をつけてもらったはずなのに、いまのわたしの名前は"ねぇ"さんと、"あのね"さんになってしまった。

 話がそれてしまったけど、つまりわたしはミキの家族の声も顔も何一つ知らない。ミキの家族もわたしのことを知らない。そうミキから聞いた。


 そう。わたしは、拾われっ子だったのだ。


 雨に濡れていたわたしを拾って、汚れていた服も洗濯して綺麗にしてくれて、わたしの小さい身体の汚れもお風呂に入れて綺麗にしてくれたそうだ。

 わたしはミキに感謝している。

 どうして捨てられていたか知らないけれど、きっとそのままだったら、ゴミ収集車にさらわれていただろう。わたしはゴミにはなりたくない。

 ミキはやさしい。だってゴミみたいに汚れたわたしを拾ってくれたんだから。

 でも、そんなやさしいミキなのに、どうして友達を部屋につれてこないのだろう。

 いつも楽しそうに学校の話をするのだから、まさか仲のいい友達がいないということはないだろうから、きっと、いくら綺麗にしてもみすぼらしいわたしを見せたくないんだろう。

 わたしはミキが心配だ。

 わたしとばっかり遊んで、学校の友達と遊ばずに、ともすれば家族との関係も疎かにして。

 いつもわたしは思う。


 ――――――わたしはミキと一緒にいるわけにはいかない。


 わたしの足が動いたら、わたしに文字がかけたなら。

『もうミキはわたしがいなくても大丈夫だよ。いつもどこかで見守ってるから、心配しないで。』と残してこの部屋を出て行く事だってできるのに―――――

 幸か不幸か、わたしは文字を知らないし、人形だから足も動かすことができない。

 でも、だからここから出られないし、奇しくもわたしはそれを喜んでいる。


「たっだいまーっ!」

 ミキだ。

 ミキが帰ってきた!

―ミキっ!

「ただいま。寂しかった?」

―うん。けど、もう寂しくないよ。ミキが帰ってきたから。

「ふぅ、雨に降られてちょっと濡れちゃったから、一緒にお風呂に行こうか?」

―うん、そうしたほうがいい。ミキったら、濡れ鼠になってるよ。

「くすっ。なにそれ?」

―あれ?言わないかなぁ。びしょ濡れになったことを濡れ鼠って。

「知らないなぁ・・・。あっ!早くお風呂入らなきゃ風引いちゃう!」

 ミキはタオルを片手に、わたしを風呂場に連れて行った。


 ミキは自分の身体を洗うと、わたしの身体を洗って、それから二人で湯船につかった。

 ミキの少し調子っぱずれな綺麗な鼻歌(というとなにかへんな感じがする)を子守唄に、わたしはこの至福の時をまどろみの中で味わう。


 湿った空気に、霞んだ視界。

 暖色のつるつるしたタイルと、淡い光をたたえるライト。

 シャンプーの匂い、それと同じ匂いのするミキの短めな髪。

 石鹸の匂いと、同じ匂いのわたしとミキのからだ。


 わたしがこの部屋を出られない最大の理由は、ミキの存在そのものなのかもしれない。


-3- <09月22日・夜>


「もう寝るから、電気消すね」

―うん。おやすみ、ミキ

「おやすみ」

 ご丁寧にミキは、私の身体を自分の隣にやって、一緒の布団をかぶせてくれた。

 ほどなく、ミキはすぅすぅと寝息を立はじめた。

 この家はわりに早寝をする家庭で、一番の夜更かしさんのミキでさえ、日付変更線をまたぐのは滅多にない。まわりにはまだ明々と蛍光灯のついた窓が多く、非常識なわたしでもこの家が早寝なんだとわかった。

 自然、早く寝れば朝早く起きるのは道理で、冬の日なんかはまだ外が暗いうちに起きることもしばしばだ。

 わたしは紅い紅い窓の外のヒカリを眺めながら、眠りに就いた。・・・・・人形なのにね。

 人形のわたしにも、多少の感覚はある。

 まず感情。喜びや怒りや悲しみ、いわゆる喜怒哀楽。ただしそれを表現する表情は微笑みで固定されているが。

 五感は味覚以外は有しているから、ミキとのコミニュケーションはほとんど問題はない。ただし痛覚が存在しないようで、ミキに『痛い話』をされても共感することができない。だからミキはそのテの話をすることはない。

 わたしは人形の癖に、なまじ心があるものだから一丁前に夢だって見る。

 今日の夢は、わたしがニンゲンになるという夢だった。

 わたしの短い手足は伸びて、ガラスの眼は涙に濡れてわたしのまぶたに収まり、胸にできた熱い塊―――心臓―――がこんこんと血液を体中にめぐらせ始めた。

 そこに、ミキはいた。


 青い空とお花畑。地平線とわたしとミキ。


 そのあまりにも綺麗すぎる景色の中に、たった二人だった。


 あおいそら、おはなばたけ、ちへいせん。


 わたしとミキはこんなにも綺麗なとこにいるのに、普段と変わらない他愛もない会話を繰り返していた。


 そら、そら、そら。


 わたしの身体はミキよりも少し大きくなって、はじめてミキが小さいと思った。それでかえって、いとおしいと思った。


 はな、はな、はな。


 いとおしいと思って、抱きしめた。腕を動かすのは初めてだけど、不思議と動かし方はわかった。このまま、このまま、と思った。ずっとずっと。

 あぁ、今みたいにずっと、二人で一緒にいられたらいいのに――――――――――。

 

 みわたすかぎりの、ちへいせん。


 ―――――――――びゅう、と一陣の風が吹いた。


 あたりにあるのは、青いカンバスに白の横線を入れただけのような空。緑のカンバスに黄色を少々のお花畑。そして、わたしを責めたてるような威圧感のある地平線だけだった。

 さっきまで綺麗だったはずの景色は、まったく変わっていないはずなのに唐突に薄っぺらで安っぽい、穴の開いてしまいそうな書き割りの景色に変わってしまった。


 ミキはもう、いなかった。


 この世界をわたしは望んでいたんだろうか。これで良いとでも思ってたのだろうか。

 ミキのいない世界は、こんなにも薄っぺらで、安っぽくて、穴の開いてしまいそうなくらい危ういのに。

 ミキのためを考えるんなら、わたしは消えてしまうのが妥当なんだろう。けれど、わたしはミキから離れることはできない。

 わたしはミキと別れるなんていやだ。わたしとセカイという二つの関数を結びつける唯一の接点を消去されて、わたしは孤立して存在し続けられる自信なんかない。


 "わたしは消えるべきだとわかっている。だけれどわたしは消えたくはない。"


 この二律背反を解消できないまま、わたしは夜の闇よりなお暗い、意識の海の底へと堕ちていった。


-4- <09月23日・朝> 


 翌朝わたしは、普段よりも大きい車の音で目を覚ました。

 

 ――車の、音?


 今目の前にあるのは、意識が沈む前まで見ていたミキの顔でも、ミキの部屋でもなく、見たこともない・・・ような光景だった。

 おそらくミキの家ではないであろう家がまわりに数軒建っており、わたしと家をはさんで、横一直線に道路が走っていた。

 わたしの状況といえば、大きな段ボール箱に入れられて――まさに子猫や子犬のように――捨てられて、いたんだろう。

 わたしは思ったほど落ち込まなかった。大好きな人に捨てられたのに、おかしいけれど怒りや悲しみは湧いてはこなかった。きっと、ある程度予想がついていたんだろうと思う。

 

 ミキはもう、わたしに飽きたんだ、と。


 わたしに現れたのは、怒りでも悲しみでもなく、虚無感だった。わたしの心の大半を占めていたものがなくなって、まるで三日月のようにわたしの心は欠けていた。

 

 ふと、わたしは段ボール箱に入っていた紙切れに気がついた。何かしら書いているようで、文面はこっちのほうを向いていた。

 幸いなことに、昨日今日と雨は降らなかったようで、少し遠いけどなんとか読むことができた。

 

 ――読む?


『ごめんなさい。あなたには酷なようかもしれませんが、もう私は飽きてしまったので元の位置に返しておこうと思います。

 それと、何も言わずに捨てられるのはあんまりだろうとおもったので、今までのいきさつを少々書き残しておきます。


 あなたはもともと、今いる所に今のように捨てられていました。いわゆる"捨て子"ってやつです。ある程度大きかったので最初こそ迷いはしたものの、置き去りにするのが忍びなくて、やっぱりもって帰ってしまいました。』


 なんだ、やっぱり飽きてしまったのか。わたしが捨て子であることは知っていたが、ミキのそんな心理描写までは読み取ることはできなかった。

 まったく、それじゃまさに捨て猫のようなものじゃないか。

 

『私はまず、あなたが多少の反抗意識を持っていることが煩わしく、それを削除するための方法として薬物投与を始めました。

 薬物の調合は、インターネットや書籍などを通じて独学で勉強したものですが、理想的な効果があったようで、2,3日で記憶と反抗心を削除できました。そして一ヶ月程度で意識のすり替えに成功しました。

 すり替えの内容としては、ご存知のようにあなたは人間でなく人形だと思い込ませるというものです。こうすることにより、歩行などによる移動を同時に不可能にしました。

 私の話し相手になってもらうために、意思疎通ができる程度には感情と意思と感覚を残しておいて、すり替え以降の記憶は可能なようにしました。

 あなたはわからないでしょうけれど、あなたの意識をわたしは任意にカットできます。食事や排泄などはほぼあなたの意識外で行っていました。

 私があなたに飽きた理由は、おそらくこのあたりが原因なのだと思います。

 私はあなたの意識を自在にコントロールすることができます。薬物による催眠効果で、記憶の引き出し、削除、すり替えなどです。

 問題なのは記憶の引き出しで、ここ一週間あなたは表面上ではいつもの状態を保っていましたが、心のうちで私や自分に対する疑問が浮かび上がってきていました。

 私は何も考えずに楽しく暮らしていければいいだけだったので、これはかなり大きな問題となりました。

 これ以上の薬物投与はあなたを殺してしまいかねないのでその選択肢は消去されます。よって残った選択肢として、あなたを元の位置へ還すというものをとりました。


 以上のようないきさつで今あなたはそこにいます。服や格好も一年前そのままにしておきました。もしも捨てた人が拾いにきてもきっとわかると思います。

 さて、白々しいですが別れの挨拶として、

 

 だれかいい人に拾われてください。それでは。

 

 ミキ』



 読み終わると、わたしの体が溶けるように動き出した。


 ――わたしの短い手足は伸びて、ガラスの眼は涙に濡れてわたしのまぶたに収まり、胸にできた熱い塊―――心臓―――がこんこんと血液を体中にめぐらせ始めた。

 

 奇しくも、夢は現実となった、というわけだ。ただし、正夢ではないが。

 どうせなら夢のように手足もすらりと伸びてほしかったのに。


 薬物に犯されていたのは精神面だけで、わたしの体は動きこそ緩やかなものの、正常に動くことができた。

 わたしはミキの手紙をしまうと、段ボール箱からでて、見知らぬ土地を歩き出した。

 ゆっくり、ゆっくり、のろのろと。

 意味のない行為だとはわかっている。まともな格好をしている以上、警察に頼ることもできず、捨てられている以上、わたしを探してる人などいないとわかっているけれど。

 わたしは、距離にして30メートルあたりで道路に倒れこんでしまった。

 一年も動かしていなければ、動いたことが奇跡のようなもので、歩き続けること自体無謀だったのだ。

 それでもわたしは歩いた。壁に手をつけて体を支え、這いずるようにしながらも歩き続けた。

 

 ――ああ、そうか。わたしはただ、散歩がしたいだけなんだ。

  

 自分の中で結論が出ると、とたんに歩く気力がなくなって、曲がり角でわたしは前に倒れた。 

 

 今までで一番近くで車の音が聞こえる。 

 

 今まで聞いたことのないくらい大きなクラクションが耳をつんざく。

 

 ―うるさいなぁ

 

 世界がぐしゃりという音を立てて、回転する。

 

 くるくるくるくる。ぐしゃん。


 再び音がして、世界は止まった。


 赤、紅、あか、アカ――――

 

 わたしの目には赤いフィルタをかけた世界が、横倒しに広がっていた。 

 

 ―なんだ、結局わたしは、心が空っぽのヒトガタでしかなかったんだ―――――


-5- <11月11日・昼~夕>


 ―――万物は流転する―――

 だれか昔のえらーいひとが考え出した世界の本質のひとつ。

 わたしの場合、それは成立する。

 なぜなら、今のわたしは本物の人形だからである。ショーウインドにみんなと並べられて、ニンゲンが歩く外の町並みを変わらない姿勢と表情で見つめている。

 

 輪廻転生ということばがある。万物流転の内側に存在する現象だが、まあいわゆる生き物はみんな生まれ変わるっていうものだ。

 よく、『あなたの前世は猫です』みたいなことをいってるような人はいるが、『あなたは来世、犬になるでしょう』という人は珍しいように思う。

 でも実は、決められた輪廻転生のルートをたどるのではなく、"来世"というものは現世によって決まるのではないか、と思う。それもアトランダムではなく、現世の自分に近しいものに。

 きっと神様がむかし、"物"と"心"を間違ってしまって、その整理をするためのシステムなんだ――わたしはそんなふうに思ってる。

 前世のわたしが心が空っぽだったから、今のわたしは人形になっている。

 だからわたしの理論でいくと、寒いのが苦手な人の来世は猫になるのかもしれない。

 輪廻は輪っかというイメージがあるのだが、だとするとニンゲンはその輪の始点で、前世の記憶は輪の始点でリセットされるようなシステムになっていて、ニンゲン以外の物体はすべて前世の記憶を持つようになっている―――――

 だからわたしは前世のことを記憶していて、現世が人形になっているんだと自己完結させている。


 わたしたち人形、ニンゲン以外の物体はニンゲンとは異なる次元に生活している。

 実は人形もニンゲンのようにおしゃべりや散歩を楽しんだりする。だがニンゲンにその姿を視認されることはほぼない。たまに、心霊写真やUMAやUFOとして取り上げられることがあるが。

 すべての物体はそれぞれ別々の次元を持っており、それぞれがそれぞれに干渉しあって世界は存在しているのだという。

 だから種の絶滅は世界が存在する上で、かなりのダメージになるのだ。また、異なる物体同士が深く干渉しすぎるのもよくないらしい。

 

 意識を街の景色に戻すと、驚いたことに見慣れた顔が近づいてきた。

 

 ――ミキだ

 

 ミキは友達と一緒にきゃあきゃあ言いながら人形を見ている。


 この店の主人は本当に人形が好きらしく、すべて手作りなうえに、おせっかいにも名前までつけてくれている。

 だからわたしとほかのこの店の人形は、すべて姉妹だといえる。

 ちなみにわたしの名前は『ゆき』だ。亜麻色のふわふわの髪にガラスの碧眼の洋人形に『ゆき』とひらがなでつけるあたり、ここの主人のネーミングセンスが伺える。

 ガラスに映る顔や服の造形は、ネーミングセンスと違って(自分で言うのもなんだけど)かなりかわいい。実はこの店は人形好きの隠れ名店だったりする。


 不意にミキが、友達の輪から外れてわたしのほうに近づいてきた。

 ミキは(あたりまえなんだけど)わたしが前世のわたしだったなんて気づかない。

 おもむろにミキはわたしを手にとって言った。

「かわいい・・・」

 ――正直、わたしはうれしかったんだと思う。わたしがミキをかわいいと言うことはあっても、ミキがわたしをかわいいと言ってくれたことは無かったから。

 なんというか、今の気持ちはまるで、10年越しの片思いがかなったような感じだった。

「ミキー、もういくよー?」

「あ、まってー。それじゃあね、『ゆきちゃん』!」

 彼女が手を振ってこちらに微笑みかける。

 その笑顔で有頂天になったわたしは、戒律を破ってちょっとした悪戯で返してしまった。 


 無表情のままの顔を微笑みの形に歪めて――――――――



―さようなら、ミキ



<お終い>

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