第6話 先輩との演奏

 どうしてこうなった?

 ギターを構えながら、頭の中はそんな思いでいっぱいだ。


 いつもと同じ、軽音部部室。夏休みの部活は、今もまだ続いている。

 ただ一ついつもと違うのは、俺の隣でベースを構えているのが藤崎ではなく先輩だということだ。

 夏祭りから数日。また軽音部に顔を出すと言っていた先輩は、その言葉通りこうしてやってきて、なぜか俺と一緒に演奏することになっていた。


「相手が俺だってのは気にするな。いつも通りやってくれ」


 気にするよ。

 こんなことになった経緯が経緯だし、こっちは藤崎以外のやつと一緒に演奏なんて初めてだ。これで緊張するなって方が無茶だろう。


 一方、その藤崎はというと、俺と先輩を交互に眺めながら、羨ましそうな顔をしていた。


「いいなー、一緒の演奏。私もやりたい」

「仕方ねーだろ。ベースは一つしかないんだからよ」


 先輩が今手にしているのは、普段藤崎が使っているベースだった。一つの楽器を使い回している以上、先輩と藤崎が同時に演奏するのは無理だ。


 実はこのベース、元々は先輩のものだった。それを、藤崎が音楽を初める際にプレゼントしたのだと聞いている。


「この前来た時もそうだったけど、こうしていると、なんだか高校時代に戻ったような気がするな」


 そう、先輩は懐かしそうに言う。

 この場所で過ごし、音楽に打ち込んできた当時を振り返り、込み上げてくるものもあるのだろう。


 ただ俺としては、これから一緒に演奏するにあたって、不安な気持ちも出てきてしまうのだ。

 だがもちろん、だからといってやらないわけにもいかない。


「それじゃ、はじめるか」

「…………はい」

「二人とも、頑張って」


 藤崎の無邪気な応援の声が飛び、スピーカーからドラムの音が聞こえてくる。いよいよ演奏開始だ。

 曲は、ここ最近俺達が最も練習しているもの。そしてそれは同時に、かつて先輩達が弾いていた曲でもあった。そもそもこれを練習するようになったのも、先輩大好きな藤崎が、「私も弾いてみたい」と強く推したからだった。


 そんな、俺にとっても先輩にとっても弾き慣れているこの曲。けれど二人の出来には大きな差があった。


(あぁっ! くそ、失敗した!)


 俺のミスで、明らかに外れた音が響く。それだけじゃない。ここまでハッキリとわかる失敗はさすがにそこまで多くはないけれど、先輩と比べると、自分の演奏がいかに拙いものかがわかる。

 何しろこっちは、音楽をはじめてまだほんの数ヶ月。対して向こうは高校三年間、いやその後も大学でしっかりと続けていたそうだ。

 社会人になってからは、愛用のベースを藤崎に譲り音楽からは離れていたというが、それでも積み重ねてきたものが違う。そして多分、音楽に対する思いも、俺とは全く違うのだろう。


 藤崎の近くにいるために始めた、俺のギター。長年音楽に打ち込んでいた先輩は、それをどう思っているのだろう。

 いまだ、直接的な言葉は何もなく、こうして共に演奏するばかり。何か考えがあってやっているのだろうけど、それが何なのかちっともわからない。

 いや、正確には、そんなことを考える余裕すらなかった。

 ひたすらに、演奏するのに必死だったんだ。


 さっき伝えた通り、俺と先輩との差は歴然だ。演奏が続けば続くほど、余計にそれを実感していく。しかもだ──


 チラリと、正面に立つ藤崎を見る。俺達の演奏の違いは、当然藤崎だってわかっているだろう。好きなヤツの目の前で、恋敵との差を見せつけられるというのは、精神的にかなりきついものがある。もしや先輩、こうして俺にショックを与えるのが目的なのかとすら思えてくる。


(あっ、まただ!)


 再び、大きく音が外れる。雑念が入り、集中できなかったことによるミスだった。

 思わず先輩を見るけれど、何か言うわけでも演奏を止めるわけでもなく、これまでと同じようにひたすらに弾き続けている。もちろんそうなると、俺だってやめるわけにはいかなかった。







「二人とも、お疲れ」


 ようやく演奏を終えたところで藤崎が労いの言葉をかけてくるが、俺の中では達成感みたいなものは何もなく、ただ自分が下手だというのを痛感しただけだった。

 藤崎だって、それはわかっているだろうに。


「俺、失敗してただろ」

「あー、うん。でもあんな失敗なら、私だってあるから」


 フォローを入れる藤崎だが、だからといってそれなら大丈夫という話でもない。果たして先輩は、あれをどう思っているだろう。

 不安に思いながら先輩を見るが、苦笑はしたものの、特に何かを強く言うことはなかった。


「失敗することは誰にだってあるだろ。それをなくすための練習だ。これからしばらく、今みたいなのを続けてこうと思うけど、いいか?」

「はい、お願いします」


 俺だって、たった一回きりの演奏で終わるとは思っていない。再びベースを構える先輩に合わせて、俺もギターを持ち直す。


「疲れたらすぐに休憩するから、いつでも言ってくれ」


 最後にそう付け加えて、演奏が再開される。

 さっきと同じく、特別なことは何もしない。いつも藤崎と一緒にやっているのが、先輩相手に変わっただけだ。

 そう思いながら続けるが、緊張からか、技術の差からか、いつも以上に自分の演奏の粗が目立つような気がする。そして、いつも以上に疲れが出てくる。


「ハァ……ハァ…………」


 音楽ってのは、見た目以上に体力を使う。何曲も何曲も続けて弾いていたら、息だって上がってくる。

 さっき先輩が、疲れたら知らせるようにと言っていたのも、こうなるのをわかっていたからだろう。

 実際、こんな俺の様子を見て声をかけてくる。


「大丈夫か? 少し休んだ方がいいか?」


 だけど俺は、首を横に振って答えた。


「平気です。続けてください」


 本音を言うと、けっこう前から休みたいと思っていた。けれどそうしなかったのは、藤崎がいたからだ。


 練習を続けながら、正面で見守る藤崎を見る。

 さっき俺が失敗したのを見ても、フォローしてくれた彼女だが、それでもやっぱり失敗を見られるのも、先輩との差を見せつけられるのも堪える。その上、疲れたから休ませてくれなんてなんて、カッコ悪くて言えるわけねーだろ!


「────っ!」


 気合いを入れ直し、ギターを弾く手に改めて力を込める。

 元々、藤崎の近くにいるためっていう不純な動機で始めたギターで、それをずっと後ろめたく思っている。

 だけどそれはそれ。藤崎目当てで始めたからこそ、せめて藤崎の前では最後まで頑張っていたかった。









「こんなに長い時間休みなしで練習したのなんて、何年ぶりだ?」


 俺の隣で、ギターを置いた先輩が言う。あれからさらに何曲か続けた後、休もうかと言い出したのは先輩の方からだった。

 もちろん、疲れているのは俺だって同じだ。すぐさまそれに頷き、今は椅子に腰を下ろして休んでいる。


「きつかったか?」

「ええ。少し……」


 練習中は、平気、大丈夫と繰り返していたが、今は少しだけ本音で答える。先輩にはどうせ強がりで言ってたのはバレているだろうし、何より今は、見栄をはるべき相手である藤崎がいない。

 休憩に入った俺達を見て、飲み物を買ってくると言って部室から出ていっていた。

 だから、こんな話だってできる。


「それで、軽音部の先輩から見て、俺はどうなんですか? その……あんな理由で始めたこと、どう思ってるんですか?」


 元々先輩、それについて何か言うために、今日ここに来たんだ。どうせ避けては通れない話題なら、自分から話を切り出そうと思った。


「ああ、それか。不真面目にやってるわけじゃないんだし、別にいいんじゃないか?」

「軽っ! いいのかよそんなんで!」


 あまりにもアッサリと出てきた答えに、相手が先輩ということも忘れて声を上げる。何も叱責されたかったわけじゃないが、緊張していただけに肩透かしをくらった気分だ。


「最初から、そこまで深刻には考えていなかったからな。そりゃ真面目にやってないなら小言も言うけど、毎日熱心に練習しているって藍から聞いてたし、実際さっき一緒に演奏した時も、ちゃんとやってたじゃないか」

「いや、でも……俺は元々音楽に興味があったわけじゃないし、今だってそうだし……」

 ここで俺が食い下がるのもなんだか変な話だが、そう簡単には割りきれないのだから仕方ない。

 だけど先輩も、そこで終わりはしなかった。


「そんなの、俺だって同じだ。たまたま同じクラスのやつにベース担当がいないからって強引に誘われたから始めただけだぞ。これも、不純な動機か?」

「へっ……」


 サラリと言われた、先輩が音楽を始めた理由。それは、高校三年間、さらに卒業してからも続けていたのを思うと、意外なほどアッサリしたものだった。


「そんな理由で続けていけたんですか?」

「ああ。やってみたら、けっこう面白かったからな。楽しいって思えたら、続ける理由としては十分だったよ」


 当時のことを思い出したのか、先輩はどこか懐かしそうだった。

 それから、再び俺に向かって言う。


「三島はどうなんた? 変に考えを拗らせてるせいで、興味や楽しさがあることに、自分で気づいてないだけなんじゃないのか?」

「えっ?」


 先輩は、決して強い口調でなければ、こうだと決めつけるわけでもない。ただ静かに、俺の本心を見透かすかのように聞いてくる。


「音楽や、毎日の練習は、三島にとってただ苦しいだけなのか?」

「それは……」


 どうだろう。すぐには、何も答えられなかった。そんなこと、考えたこともなかったから。

 だけど言葉につまりながら、それでも俺は、確かに自分の中にあるはずの答えを探した。

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