今今思惟(無駄と惰性)
自分に自信なんてまったくないし、好きなように書いてるだけで、それがたのしいので、どう思ってくれても構わないのです。ただ、読まれたいだけで、偉そうなことを言える生き方してないので、好いていただけたらとても嬉しいね、ってぐらい。らくにおもって書いてる。
自分の好きなものだけしか興味無いし拡げる気もないので、詩とか小説とかそういった枠組みで見る気はねえんだわ。ワイちっさくしか見切れねえもん。
自分の中では確かに詩と小説の境はあるけど、回りから見ればどれもこれもなわけで、だからどうとってもいいのよって、思った。
「ちゃんとした」っていえる形の理想が高すぎて、いやいや、なにもないところで、なにひとつみえてこないくせに、適当に書いておいても、結局どちらにせよ意味はねえのかもしれねえなあ( ウソつけ )
だけどたのしいことと駄文は残るで✌ それでいいんだって今は納得してる
ぶっちゃけ、しょうせつも しも、ちゃんとってかたちから、僕は逃げたんだよ。すこしでも苦しいなら、頑張らなくていいの。ここはただ、すんなりと、らくでありたいのよ。
現実あと三年ほどで私がなすべき義務はそう勝手に羽ばたいて目的と果たされてしまいそうなので、そうしたら生きてる意味はないよな、って思っているけど、どうせ代わり映えのない毎日を送って、なだらかに終いが来ればいいねっていう、理想はある。
いずれも遅かれ早かれの話だけどね。
まあいろいろあって今のカタチに収まっているうちの事だけど、結局、相性のいい者同士って、結構妥協っていうか諦めっていうか、そういうが多いと思うんだ。
よく言えば許せる範囲っていうのかな? きっと本人にしかわからないけど、それが何故か緩まるのだろうな、何の因果かわからないけれど。
まあ人生なんてさ一瞬交わったその相性と偶然でここまできたわけで、総てにおいて もともと見える視点が違うので……まあもっといいあえればよかったのかもしれないが、なんかわかったような気がして、わからなくても許せるぐらいに、在ればいいんだわ。
私はそう思ってるけど、相手はどうなんだろうな。わからなくも。捨てられなければそれでいいや。
そういう変わりない毎日に、ちょっとしたおもしろさをこれに見出してるだけなんですわ。それだけでたくさんです、ええ、意外と溢れてます、零れてますね。たのしですね、ひっくるめて、いまが。
今があればいいんだわ、希望とかあってないようなもの。その時が来れば受け入れるし諦めるしかない。いつだってそういう気持ちでいます。いたいと思います
書いてるときが一番楽しいという感情でだけ括って、素直に置いて見れるのよ。
自分だけが楽しめればいいって風にしておかないと、期待されてる、やらなきゃいけない、ばかにされてるんじゃないか、そういう疑心暗鬼ってやつにとらわれてしまうから。それが実際本当のことでも、自分とは切り離したところの誰かの想いでしかない、って、いいきかせてる、
けど思うようにいかないな
どちらにせよ。その苦行の中にあっても、楽しい事に呑み込まれた瞬間がもう、沁み込んでいるから、それが日常になりたいんだけど、それはどんどん膨らんでしまうのね。
一回味わった、うまさってやつを、もっともっと欲してしまう。苦しいね。
でも書ききること、表に出すことはその瞬間の満足の終わりを意味していて、その一瞬のノリと感性だけを祝えればいいの。しょうどうと気持ちは確かにあったから、それだけ、
残ったものは、その時間の証でしかないかな。
結果にとらわれちゃいけない、自分はそんなたいそうなもの書いてないのだから。これはなんだろうってまだ模索してるから、見てみてなんて大っぴらに言えるものにはなってない。そんな暇つぶしだって、まだこれは思えます。
共有したいと思わないんだよ 勝手に楽しんでくれればありがたいねぐらいな。自分の好き勝手でしかないので、
読みたいとおもわせるような 魅力は無いからなあ。ひきつけるものもなさそうだが。ワイが好いていることだけで構成されてるんで、当然かなあ
だから、ちゃんと、だけはしないようにしたいね。とらわれたくない、まだ滑っていたい、着地したくない。それ、つかれるだけで、すぐ、あきてしまうから。たのしいことは、たのしいだけで誰の評価も求めない自分だけのカタチでまだ、粗悪なほうが簡単に投げ捨てられて、気持ちも大して重たくないでしょ。
すきなものとかけるものと理想は違うからこそ、いつまでもみえやしない掴めない理想に対し模索するし 好きな柄に対し嫉妬しなくて済む。創作してる人って大抵そうじゃないかな…
わたしは自分の出すミラクルを見たいだけなんだよ。失敗とか成功とかそういうのはまあ他者からの評価でしかないって思ってて、自分自身が一番のファンで在りたいので。偶然を楽しめればいいんだ、この世界はそれができるところだからさ。
日常は当たり前だから絶対後戻りはできないし逃げられないでしょ、後悔なんかしたところで過ぎ去るばかりだから、好いこと悪いことそれぐらいの変化で、
結局特別な気持ちではならない気がするわ。(イミフですね。(゜o゜;
だから現実は書けないんだよ、自分の書いたものに想いはたくさん詰まってるけど、それに日常は入ってこない、まったくない。日常を見たくないっていうか、感情に残ってないっていうか。それから切り離したところに文字書きとしての私を置きたいのかな、と思いますが。
これは、偏見……ということばをあえてつかうけど、
詩を書いてる人たちは創作しているわけじゃないんだと思う。それは心からのコトバなのだろうから。
創作には値しないのだと思う
少なくとも私は、詩とは創作とは別の想いによって、描かれてしまうものなのだと思ってはいるよ。
でもそれが創作か自分の思いかなんてことは周りには関係なくて どうでもいいことなんだ、見えない分からない「ことば」でしかない。
だから。それを望んでいない あなたはそれを正しく伝えることをしてないのだと。自分だけでいいものを言葉で表すってある意味、傲慢ですごくちゃち臭い埃みたいなぼんやりと吸って吐くぐらいの曖昧。
どうとらえるかは人それぞれの人生の経験で紐解かれるだけの話です。ただみんな同じ方向を向くことは確かで派生する場所やスタイルや思いやそういう生き方考え方ってやつね、それが共感ってやつを熟んでいくでしょうから。
僕は人生を楽しもうとか今を頑張って生きようとか、一つしかない人生を後悔無いようにとか、そういう未来に対して全く、希望はねえので。いきたらいきてる、いまここにいるだけで、どうにかするだけで、それをどうこう必死になったりは、ないかな……なすがままどんなことでも私が選択したことだから、(運が悪くてもね)、受け入れるしかないそう思っている。
まあだから結局暇つぶしなのかな、って納得しようとしています。
もしかしてひょっとして、じぶん才あるんじゃね?ってちょっとワクワクした時期もありましたけど、、疲れました。きっとまだその時じゃないんだよって、悔しいけど(笑)今だけを楽しく置きたいだけ、それだけの趣味(なのかな?)、何故かやめられません。
いまのところは、結構まじめに必死に遊んでいます、やめらんねえな、これ、自分で吐き出したイミフのものたちが、かわいくてしょうがないってところでしょうか。
今日も調子よく酒に自分に酔ってマース٩(。•ω•。*)وいぇい
2021年8月5日あたりの吐瀉
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