わたしがつかまらない 2021年1月20日

 詩っていう括りで、敬遠されたり読まれる機会を失ったりするのは残念だなっていつも思ってる。これはコトバでしかないのだから、詩とか物語とかそういうの関係なく、心に響いたり愛したり、コトバを簡単に目に触れる機会を増やすことができればいいのに、って考えたわけで……

 これは私の考えでしかないから、意味がないことなのだけれど納得できない自分がいる。


 まあ自分の書いてるもんがなにかわかんねえから、此処まで来てこうなった。

 結局断定できそうもなかった、する必要もなかった。自由に書いている、私のらくなままに、コトバをうんでいく、それだけだった。


 言葉を読むんじゃなくて思いを読むものなんだろ、詩人に至る詩という読み物は。

 だから同じ文面でもきっと詩とうたえばその掻き手の心を想像すると、それが大事なのだろうね。詩面に心を置くことが、本来の詩の書き方で在り読み方なのだろうから、そう見えなければ詩とは言えないんだなきっとそうだろう


 これはなんだかわかんねえけど吐き出したいっ。

 この想ったことは 話にはならない 靄がかるコトバでしかない。

 だからこれはわたしの心をうつしたもので、コトバに現わしてはじめて私と対面するのよ。

 そこから私がこういう意味であろうと並べ替え形を作る訳で、想像と云ってしまえば安いけど自動筆記でしかない。

 わかんないから吐瀉ってる、くるしいんだよ、それは詩と云ってもいいだろう?

 コトバにして私が見るようにして、はじめて置かれた文字の意味を考えている。

 自分を紐解いて自分をつくる、何が見えるかわからないけれど。


 結局認められたいだけだからね。だけどうまく受け取れない わからないんだよね、で、つっぱねて 察しろよって、真逆なこと喚いてんの、あほやん。純粋に喜んでた時期が懐かしい。周りからの評価では納得できないところまで来た。もっと欲しいだけなのかもしれない。際限ない承認欲求でしかないのかもしれない。

 だけど何か違う、自分自身が掴めないほど目まぐるしく変わっていくから、苦しいだけ、自分で自分を抱き留められないうちに飽きてしまうから、自分自身についていけない。必死に必死に、自らを探し続けている、ひとり遊びです、それだけです。きっとね。

 

 これが詩だっていえる強さ、みんな根本的に、つまずかないことが素晴らしい。

 僕は駄目だ、違いを 疑ったので、もう まやかしにしかあたらない


 それでも掴みたいんだ、その一瞬でもいいから満足に溺れたい、納得した形を現したいんだ。


 屹度ただおしゃべりなんですよ、根本的な

 多分きっと思い切り損をするぐらいに今今に正直でさ。

 思考が消え去るより早く書き留めなければ

 私が捕まらないんです、

 まわりなんぞ全く考える余裕はない

 私がわからないから、いつでも焦ってる

 逃げ出さないように、書き留めている小汚ねえこの次第だ


 なう(2021/01/21 01:05:31)

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