初心

 いいねっていう結果に左右されて 自分で好きであったはずの 唯一の心を現した言葉なんて、結局結果が怖くってどこかに消えてしまうんだ。

 なんて、誰でも躓く壁であるけど……

 自分が一番読みたい 吐き出したい言葉を忠実に 、今納得して出せるようになるまで、ここまで来るのにどれだけかかっただろう。3年か。まあ随分変わったか、


 いいねが来れば嬉しく 反応もなければ苦しく、そりゃあ当たり前の感情だろう、だけどどちらにしたって自分の好きに書いたことには変わりがない。インプレッション見るとすれ違った数は変わらなくて、まあそれが減ってれば単純にその瞬間に人がいなかったんだなとわり切れる。

 結局なにを思ってもその瞬間に触れるか、ただ好みの問題だろうって思えるはずだ。


 私が好きでやることは変わりがない、でも今でも躓くし悩む。根本自分の好きを表してるってこと忘れねえようにしねえと、まったく初心を忘れてはいけないね。


 それはコンテストとかでもそう、所詮選者さんに響かなければ何の意味もないのかもしれないけど、もっと認められたければそれは周りに併せ準じていくことで、それが自分を磨くことでもあるから、それで自分の自信につながったり変わっていくことを、恐れずに楽しめるのならばそれが、一番当たり前のひととしての在り方で、普通の感性ではそれを成長と呼ぶのだろうけど。


 私はいまこれで満足しているからそれで、十分で。たしかに悔しい思いはある、でもだからといって場に沿って変える気はない。それで入っても期待されても、私の中から作られたものであっても、私を見る目がそれでかたまるのは嫌だな。と悟った。


 最近はまた自分の中でいろんな書き方が増えてきて新たな感じで楽しめているので、飽きないですね。この世界は、とても楽しいです。


 シコンでもココアでも思うけどいろんな作り手の感性が見えて、たのしいですね。沢山の人が集まると賑やかでいい。ただ仲良くツイをしている、そのひとがらとしてのいろんな言葉が、まして、詩に影響を与えているだろうなあ、とは思うけれども、それは好きではないのだけれど、まあひとはひと自分は自分のスタンスでたのしめればいい、つぶればいいって、簡単に思えるようになったので、らくでありたい、とそれだけを思っている日々です。


 どうしたって見えてしまう結果に左右されることなく、自分の好きを思い、好いてくれる方を大事にしつつも、話しかけることはないですし既読のようにいいねすることもないですが、

 いいねが来たから気付いてくれるとか、おべっかのようにいいねを返すとかそういうのが嫌いなので、本当にいいものに出会ったときはやったーって思います。

 出逢いはぐうぜんでありたいと思っている。だから本当にとてもありがたいことだとつくづく思うこの頃です。


他の誰でもない自分自身に言い聞かせてる。

すぐグズグズに迷うので

これらは自分への縛りに過ぎないのです。

ただたのしくだけおもいたいのです

今はそれだけでいっぱいいっぱい

満たされて 言葉 溢れている


なう(2020/10/11 20:06:16)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る