第五話 ディリスの本領、エリアの意地

 エリアは『安らぎの平原』とも呼ばれるジルギア平原で繰り広げられる神速の攻防に言葉も出ずにいた。

 

「ははははは!! まさか貴様が噂の《蒼眼ブルーアイ》か!!」


「そういうお前は……知らないな。三下魔族の名前まで把握してないんでね」


 あらゆる方向から振るわれる鉤爪の腕。ジグルは名乗った『裂爪』と。


 魔族の二つ名というのは強さの象徴だ。


 二つ名の法則はその者をその者たらしめる部分である。


 鉤爪はただ肉を切り裂くだけではない、空気を、魔力を、あらゆる物を切り裂く。


「そうか! ならばその名前を刻んで死んでいけ!!」


 ディリスの纏う特注のコートが薄く裂かれていく。耐刃、耐魔法、耐衝撃と、ディリス・エクルファイズへ致命傷を与えうる事象に対して強く作られた黒いコートだというのにだ。

 しかし、鉤爪はディリスの命にはまだ、届かない。


「お前の墓標に刻んでやるからそれは無理だな」


 それどころかディリスはジグルの攻撃を掻い潜り、人体にとっては急所となる部分を的確に斬りつけ返す。


 人間ならば既に二桁の回数は死んでいる攻撃だが、魔族にしてみればまだ普通のダメージである。


「ぐっ……!」


 一旦ジグルは大きく距離を離す。


 魔族たる己が人間相手に後退することの何たる屈辱か。


 だがその屈辱以上に、眼前に立つ《蒼眼ブルーアイ》に対しての理解が追いつかない。


(ふざけるなよ……! 俺は二つ名持ちだぞ? それが赤子扱いされているのか……!?)


 蒼い眼光は一瞬も外れることなくジグルを見据える。

 確実に、迅速に殺すための算段をしていることは考えなくても分かっていた。


 ジグルの脳裏に過ぎるは何と“撤退”の二文字。


 あり得ないあり得ないあり得ない!


「はぁ……はぁ……いつもの俺なら既に十回は殺せているんだぞ……!? 何故だ……!」


「そうなの? 私は三十回は殺してたつもりなんだが?」


「どこまでもイラつかせるな人間がァ!!」


 翼をはためかせ、高度を上げたジグル。咆哮と共に、鉤爪が輝き出した。

 何か来る、とディリスは天秤の剣を構え直す。


「そうら踊れ!!」


 ジグルが腕を振るう瞬間、ディリスは後方へ大きく跳躍。直後、地面に一筋の大きな亀裂が走る。


 魔力を伴った爪撃を飛ばしたのだとすぐに分かった。


 遠距離攻撃を使う敵、おまけに空を飛べると来た。


 となれば、それ相応の戦い方が彼女にはある。


「バラバラになれぇ!!」


 再び飛んでくる爪撃。今度は複数。

 避けるのは無理と踏んだディリスは迎撃をしようと立ち止まるが、そこにエリアが割り込んできた。


「ディー!」


 突き出した両手のひらから魔力障壁が出現したことで、ジグルの爪撃はディリスへ届くことはなかった。


 助かったことよりも――彼女はエリアを睨みつける。


「何故飛び出した? 今の防御魔法、薄かったらエリアは死んでいたよ」


 爪撃は生かすつもりのない絶対的な魔力量が含まれていた。


 蒼い眼光に射竦められそうになったが、エリアは即座に言い返した。


「友達が危なかったら守るのは当然でしょ!」


 その勢いのまま、彼女は続ける。


「ディーは一人でも確かに強いと思う。けど、今は私がいる! だから、二人で頑張らない?」


 ディリスは正直、エリアを舐めていた。


 今の“脅し”も割と本気で力を込めていた。それにも関わらず、臆さないどころか即座に言い返してくるこの精神力。


 それならば、とディリスは組み立てていたジグルの抹殺プランを一から構築することにした。


「……まずは上空にいるジグルを叩き落とす。そうしたら私がブチ殺す。任せたよ」


「うん、任された!!」


 再び鉤爪に魔力を込めながら、ジグルは高速機動を開始する。

 

「一人増えた所で貴様たちに勝ち目はないぞ!!」


 エリアはジグルの動きを目で追いつつ、前方に大きな魔法陣を展開する。


 それを見逃すジグルではない。


 魔力を注ぎ込むエリアに向け、魔力を込めた爪撃を再び飛ばす。


 それに対応するディリス。あらゆる方向から飛んでくる爪撃。その中からエリアに当たるものだけを的確に選び叩き落とす。


(流石コルステッドの娘だ。この魔力量なら当たればジグルも無表情ではいられない)


 一瞬止む攻撃。

 魔力量は十分。


「エリア!!」


 チャンスはおそらく一度だけ。

 必中の決意で、エリアは高速で動くジグルへと魔法を解き放つ。


「捕まえた! 『魔力の散弾スキャター・ショット』!!」


 響く音は一つ。放たれる魔力弾は無数。


 前方を埋め尽くすように広がった小さな魔力弾は、まるでそこにあらかじめ置かれたように空中を動き回るジグルを捉えた。


「何だとォ!?」


 まともに散弾を浴びたジグルはバランスを崩し、地面へと吸い寄せられる。


 一つ一つが小さいので、致命傷にはならなかったがその攻撃の密度で翼に傷を負ってしまった。


 落ちるジグルはこうなれば、とこの辺りを巻き込む攻撃魔法を行使するべく、魔力を高めていく。


 これが発動すれば、形勢逆転は間違いない。



「じ ゃ あ 死 の う ね」



 だが、蒼く輝く眼はそのジグルの行動を許さない。

 高く跳躍したディリスは落ちゆくジグルの首筋へ天秤の剣を振り抜く。


 その刹那――!



「ディー駄目!!」



 ◆ ◆ ◆



「……何故だ」


「知るか」


 血まみれで座り込むジグルを見下ろし、既に元の茶色の瞳に戻っていたディリスはそう吐き捨てた。


 ディリスは自分で自分の行動が理解できなかった。


「……何故殺さなかった? 何故俺の首を飛ばさなかった?」


「それも知るか。エリアに聞け」


「私は、命を奪われるのも嫌だけど、奪うのも嫌なだけだよディー」


 甘い、と断じればそこで終了のはずなのに。ディリスはどうしてか、その言葉を切って捨てることは出来なかった。


「ジグルさん、ですよね? 貴方も死んだら悲しむ者がいるはずです。だから、もう止めてください」


 ジグルはディリスを少し見て、エリアを見て、血だらけの自分を見る。


 勝敗は考えるまでもない。これが魔族の世界なら、いいやこの二人以外ならばきっと今頃自分は――。


「ちっ……聞いていた話とだいぶ違う、何なんだよお前はよ……」


「私の事を誰から聞いた? よっぽど情報通か、それとも私の関係者か」


「……分からん。黒尽くめで声も変えてたから男か女かも見当もつかねえが、そいつは確かに言ったよ」


 一拍置き、ジグルははっきりとこう言った。


「――貴方の同胞を殺し回っているのは、この世で最も殺人が似合う子、だと」


「ッッッ!?」


 気づけば、ディリスはジグルの胸ぐらを掴んでいた。その眼は再び蒼い色へと変わっていた。


「そいつは今どこにいる!?」


「悪い、知らねえ」


「とぼけるな! あいつは――プロジアはどこに行った!?」


「ディー」


 エリアはディリスの腕を掴み、じっと見つめる。“落ち着け”、と聞かなくても理解できた。


 解放されたジグルはゆっくりと立ち上がり、二人に背を向ける。


「俺を助けてくれたお嬢ちゃん、名前は?」


「エリア・ベンバーです」


「そうか、エリア・ベンバーと言うのか。その名前、覚えさせてもらった」


 よろよろと歩くジグルは最後に一度だけ、振り向いた。


「ディリス・エクルファイズ、エリア・ベンバー。一応忠告をしておこう。俺をけしかけたそのプロジアとやら、相当ヤバいぞ。正直に言って、魔族の俺がビビったくらいだ」


「……知ってる」


「……そうか。じゃあお前らの気が変わらない内に、俺は逃げさせてもらうよ。精々死んでくれるなよ? 見逃された一回分だけは死なないように祈っておいてやる」


「ジグルさん!」


「あ?」


「お元気で! またどこかで会えたら良いですね!」


 その一言で、ジグルは完全に毒を抜かれたような気になってしまって。


「……俺は二度と会いたくないね」


 これ以上話していたら自分はもう魔族を名乗れないと判断したジグルは、闇の魔力で創り上げた扉の向こうへと歩みを進めていった。


「行っちゃったね」


「そうだね。ところでエリア」


「ん?」


「冒険者って常にこういう奴らと戦えるの? なら歯応えあって良いかも」


「ない! 絶対にない! 今回はレア中のレア中のレアケースだよ!」


 初めての依頼、突然の魔族戦。

 この時のディリスはまだ知らなかった。


 己を取り巻く状況は加速度的に変化し続けていることに。

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