第17話 見世物勝負

 気持ちよい秋晴れの日だった。半助と彦六は身支度を整えると、気合を入れて、見世物勝負のある神社へと出かけた。今日の立会人をしてくれる、神社の宮司と氏子の代表が、半助たちを待っていた。寅吉たちもすぐに顔をを見せる。

 まだ早朝で境内に人影はない。

「もしも不正があれば、神の名においてすぐに負けを言い渡しましょう」

 宮司が厳かにそう述べ、場所や時間、勝敗の決め方、やってはいけないことなどがもう一度確認された。神社の広い敷地の中で先日場所取りがあった。鳥居のそばの参道に近い空地に寅吉の二つの小屋、湧水と池のある奥の空き地に菊次郎側の小屋が二つ建つ。わざと奥の人通りの少ない方を選んだのには、彦六の考えがあったらしい。

 また、勝負の終わる夕刻まで宮司や氏子代表が交代で、不正がないか見張っていてくれるが、最初の一回はお互いの仲間が敵の見世物を見に行き、敵に不正がないかどうか確認することもできる。最終的には一日の売り上げの多さで勝敗が決まるが、木戸銭などの金額を数えるのは宮司が責任を持って行い、発表するという。

「では、半助さん。お互いに不正をしないようにきれいな勝負で決着しましょう」

 寅吉とも思えぬ真面目な言葉が出る。

「はいはい、こちらは最初から心苦しいようなことは何一つもありません。よろしくお願いします」

 半助はそう笑って答えた。神社のあちこちには、出目太郎と蛇地獄の客寄せの刷り絵が貼られていた。やがて当日搬入の大きなものが大八車で持ち込まれ、出演者や手伝いが集まってくる。参道に縁日の小さな店も開き始め、人々の出足も悪くない。最後に走りまくる彦六。鳥居の横に相手の客寄せ刷り絵に負けない大きな看板を立てかける。もちろん宮司さんに確認してもらう。さらに参道の主なところに、小さな看板を取り付けた。場所が奥まって悪いので、この大小の看板が一つの生命線となるのだ。

 いよいよ見世物勝負の始まりだ。

「じゃあ、彦六、敵地の偵察は俺が行く。やつの汚い手口は知り尽くしているから、じっくりと見てくるさ。じゃあ、お前はこっちの仕上げを頼むぜ」

「はい」

 半助が、きりっと立ち上がって、敵陣へと歩き出した。

「ほう、蛇地獄は待合通路付きの入れ替え制か、しかも木戸銭後払いだ。これだと次の回の客を通路で待たせて、その間に舞台の仕掛けを戻し、用意ができたら舞台の部屋に客を通しすぐに次の回を始められる。しかも木戸銭が後だから、只見の客を気にすることもなくどんどん客の入れ替えができる。だが、やってる方は大変だ。カグラたち、疲れて倒れなけりゃいいが…」

 最初の回はまだ人も少なめだったが、待合通路に立つと、そのくらい通路の脇に小さな舞台があり、白蛇塚と刻まれた石でできた小さな祠があり、そこにろうそくがともっていた。

 すぐにあの目の不自由なお鈴が入ってきて、古い琵琶をつま弾きながら、白蛇のたたりの怪談を始める。

「客の入りが悪いときはここで長めに時間を取って、客の数を調節するんだな。もちろん待たされても退屈しないし、怪談も短いもの、長いものといくつか用意しておくわけだ。それにしても、お鈴のやつ、すっかり器用になったなあ」

 やがて怪談が終わると、戸口が開いてみんな本舞台へと進む。さっと幕が上がると舞台にはいかにも大道具の箪笥や仏壇が置いてあり、深く姉さんかぶりで手拭いを巻いたカグラが舞台の真ん中で裁縫をしている。すると舞台の端にお鈴と狼少女の娘が現れ、お鈴は横笛、娘は太鼓で不気味な曲を奏でる。観客は静まり返ってそれを見ている。やがて、舞台の隅からあの磯女だった娘がどうやら今度は蛇女として登場。戸口を不気味に叩き、裁縫をやめて戸口に立つカグラ、だがおどろおどろしい笛と太鼓の音が鳴ると、後ろを向いた女は見事な早変わり、さっと振り向かいざまに、顔から首筋、胸元、腕から指先まで、肌に白いうろこが浮かび上がり、大きく開けた口からは長い牙が光、胸元まで垂れ下がった細い長い舌を震わせたのだった。

「キャー!」

 逃げるカグラ、だが箪笥の引き出しが突然飛び出ると、中から数十匹のからくりの蛇が飛び出し、仏壇の前に逃げれば、仏壇が二つに割れて、人間の胴体ほどの太さの蛇が顔を突きだす。口を開ければ長い牙がずらりと並ぶ!

「でけえなあ、あれは本物の大きな鮫の歯を使ってるな。張り込んだもんだ」

 そして舞台の反対側に逃げればいつの間にか、反対側からあの蛇女が顔を出す。舞台の真ん中で動けなくなるカグラ。前かがみに倒れこみ苦しみ、もがく。そして笛と太鼓が盛り上がる中、蛇女が叫ぶ。

「白蛇のたたりを受けよ」

 後ろを向いて悲鳴を上げるカグラ、そして振り向くと、またも鮮やかな早変わり、髪の毛を振り乱し、首には蛇をまき、あの目から白蛇が飛び出た恐ろしい姿に変わっている。

 そこで太鼓が轟き、さっと幕が下りて終わりとなる。反対側の戸口が開き、参道に面したところに木戸銭を入れる大きな箱が置いてある。高い料金ではないが、お代はいくらと書いた札もあり、多くの人が決められた額を入れている。

「なんだよ、カグラ、やりすぎだよ、これじゃあ、大人気間違いなしだ」

 もちろん特に不正もなく、半助はそこで見張っていた氏子代表の人にそれを報告し次に進んだ。


「どうしたんだ…何かおかしいぞ…?」

 その頃彦六はガランとした見世物小屋の前で首をひねった。少し離れた参道の寅吉の小屋の方では、かなり人が出ているのに、だれ一人こっちへ来ないのだ。それとも時間が来れば人が来るものだろうか? だいたい、寅吉の側の偵察さえ来ないのだ。こっちの小屋についていた氏子の代表の人も、こんなことはないといぶかしがった。

「ちょっと、気になるところがあるので見に行ってきます」

 彦六はそういって走り出した。早くも寅吉一味の陰謀が動き出していたのだ。


「松本出目太郎の小屋は完全入れ替え制で、高めに設定した木戸銭の前払いだな。やけに強気じゃねえか」

 もう小屋の前には大勢のお客が集まっている。

「目が出た、目が出た、目出てえな。金を拾った目出てえな、女房が美人だ目出てえな、富くじ当たった目出てえな、今年ゃ豊作目出てえな、目が出た、目が出た目出てえな」

 こっちは松本出目太郎の小屋だ。打って変わって、景気のいい口上が聞こえてくる。

 仲間の佐平が金をカンカン鳴らしながら、人を集めにかかっている。

「とかくこの世は大変だ、地震雷火事喧嘩、借金取りに貧乏神、あばよと別れてみたいなら、厄を落として開運だ。運の悪いはさようなら、良い運だけがこんにちは。目出度いことだけこっち来い。鬼は外だよ、福はうち、七福神だよ宝船!」

 そこまで言うと佐平は小屋を指さし口調を変える。

「さあてお立合い、今日はまさか驚いた。この小屋の中に来てくれた。日本一のおめでた男。目出度すぎて、目が出ちゃう、その男こそ松本出目太郎。あたしゃ、嘘は申しません。運を上げたいお人なら、絶対開運間違えなし、見ればあんたも驚いて、目が飛び出るよ、あら不思議、目が出た、目が出た、目出てえな。ほんとに目が出る飛び出るよ。見なきゃ損損、見りゃ開運、さあ、松本出目太郎でみな開運だあああ!」

 目が飛び出るなんてありえない、どうせなんかの仕掛けだろうと思いながら、でも開運はしたいと中に入ってみたくなるのだ。

 総入れ替え制の小屋に入って最初から驚く、紅白幕が舞台を取り巻き、とにかく派手で明るい。しかも舞台の前には賽銭箱まで置いてある。やがて拍子木をもった黒子が、ちょんちょんと拍子木を持って打ち鳴らす。もう一人の黒子が横に幕を引いていく。

 舞台の真ん中に、羽織はかまを付けた恰幅のいい男が正座している。でも顔は特に普通である。男は会場を見回すと、深く頭を下げる。

「ご来場、お・め・で・と・う・ございまあす」

 そういって顔を上げた途端、一瞬目玉がぐりっと前にせり出し、飛び出す。初めて見た観客は驚いて声も出ない。これは仕掛けではない。生身の迫力は違う。

 そこに派手な格好をした男が鐘を鳴らしながら入場してくる。

「あれは人気芸人の与三郎じゃねえか、また芸達者を呼んできたなあ」

 口達者で、手品までこなす与三郎は流れるように歌いだす。

「目が出た、目が出た、目出てえなあ。目が出て、目出てえ、開運だ! 今日はみなさんの開運を祈願して、三人の目出度い曲芸が来ておりまする。まずは一人目、笑福亭精進」

 すると皿をもった曲芸師が皿をお手玉のように投げながら入場!

「毎日精進、毎日精進、毎日精進、努力をすれば福は来る!」

 そう言いながら皿を投げ、最後には一枚も割らずに皿は手に戻る。与三郎が松本出目太郎に聞く。

「いかがでしょう?」

 すると出目太郎は少し驚いて、

「皿だけに今サラながらおどろきましたあ。おめでとうございます」

 そういって軽く歌舞伎役者のようにみえを切り、目玉をぐりっと一瞬飛び出させた。

 観客は拍手喝采。目が出るのも凄いが、このよく太った男が大げさな動作で行うのが、面白いのだ。

「次は二人目、七福亭善行さんです!」

 与三郎の進め方がうまい。流れるように次の曲芸の、げたで玉乗りが入場する。

「毎日善行、毎日善行、毎日善行、よいことすれば福が来る。」

 玉乗りは大成功。ひらりと玉から飛び降りる。

「いかがでしょう」

「玉とげた、これはたまげた、おどろいたああ、おめでとうございまあす!」

 今度は本格的な所作で、大げさに見栄をきる。そしてさっきより長く目が飛び出す!

「いよ日本一!」

 観客からも歓声が飛ぶ。

「いよいよ最後の一人です。」

 すると太鼓が鳴り、なんと松本出目太郎が立ち上がる。そこに黒子によって宝船の絵が描かれた升酒と大黒様が描かれた升の米が用意される。

 与三郎が、見計らって大きな声で観客席に訴える。

「これより、めでたい力によって、この酒と米を持ち上げてみせまする。うまく行きましたなら、みな様の運も上昇、開運間違いなし!」

 すると静かに太鼓が鳴りだす。いくら目が飛び出すと言っても、酒と米を持ち上げる? いったいどうやって? すると酒と米には、丈夫なひもがついていて、出目太郎はそれをつまみ上げる…。そしてやおら目玉を飛び出させるとその根元にひもをひっかける。

「うむ、行きます、目が出た、目が出た目出てえなあ」

 力をこめて顔を上げればなんと目玉の力で、酒と米が持ち上がって行く! 与三郎がさっと声をかける。

「持ち上がりました、持ち上がりましたあ!」

 出目太郎が、そのままで大きく見栄をきる。会場は拍手大喝采。太鼓の音に合わせて、与三郎の手品がちょうどいい瞬間に炸裂する。扇子をぱっと開けば紙ふぶきが舞い踊り、八方に七色の蜘蛛の糸が飛び交う。そして舞台の前の賽銭箱に小銭が乱れ飛ぶ!

「おめでとうございまああす! これで運が上がって、開運間違いなあし!」

 そこで拍子木が鳴って幕が引かれていく。

「いやあ玉と下駄とでたまげたなあ。面白かったよ」

「開運、開運、いや、見てよかった」

 客は喜んでみんな出て行く。

 小屋から出てきた半助の表情は険しかった。

「面白いはずだよ、与三郎は口は達者だし一人だって小屋ができる芸人だ。そこに、二人の曲芸師、奴らも一人一人優秀な高給取りだ。それに松本出目太郎だ。一人でも小屋ができる奴らを四人も使ってやがる。舞台も立派だし、俺と彦六のところの三、四倍の金をかけてやがる。やつらは手伝いだし、予算をいくら使うかは決まってないから、不正なきまり破りじゃないが、きったねえなあ、あんなに金かけて…。おれと彦六のところは芸人なんか一人も雇っちゃいねえぞ。しかしどこにあんな金があるんだかねえ」

 どうしたものかと半助が思案しながら歩いていると、そこに彦六が走ってきた。

「どうした、彦六、その様子は普通じゃねえなあ」

「おじさん、やられました」

「なに?」

「とにかく鳥居の方に来てください」

 二人は途中で、寅吉の小屋についていた氏子代表をとっ捕まえると鳥居に向かって走り出した。

鳥居の横には彦六の小屋の大看板があるのだが、その看板の前に寅吉の小屋の若い男が立って、小屋の呼び込みをやっていた。しかもその後ろにある大看板には、松本出目太郎と蛇地獄の客寄せ版画刷りがペタペタと何枚も貼ってあるではないか。しかも参道の小さな看板にも残らず貼ってある。これでは、だれも奥で別の小屋をやっているだなんてわからない!

 半助が氏子代表の前で、若い男をどやしつけると、若い男は深く頭を下げた。

「これはこれはすまないことをしました。これが看板だなんて気が付かなかったんです。すぐ取り外します」

 あまりに素直なので、氏子代表も不正とせず、注意だけして帰って行った。若い男は客寄せ刷り絵をはがすと、にやりと笑ってそそくさと帰って行った。ただ、看板には汚い紙の跡が残り、きれいにするのが大変だった。

「やけに素直でしたねえ」

「全部予定通りの行動さ。それでなくとも俺たちの小屋は奥で目立たない。客の出足が遅れがちになる。来てもらえば面白いことが分かってもらえるからと思っていたが、時間は今日の夕暮れまでだ。時間が限られている。これから客を呼んでも、もう一公演、二公演分の木戸銭の差をつけられちまったわけだ」

 寅吉は、こちらの何倍もの予算をかけてしかも最初から満員だ。それにこっちは最初から客を呼ばなければならない。もう、大きく差が開いてしまったようだった。どうやって挽回するか…。

 二人で考えたが、呼び込みぐらいしか思いつかなかった。

 それから少しして、彦六は人のいない自分の小屋の前で呼び込みに行った半助を待っていた。すると人の大勢いる参道のほうで早速動きがあった。まず、人の波がこちらに向かって動き出し、さすがおじさんだと思っていたら、なぜか半助おじさんがこっちに走ってきた。

「おまえいつの間に仕込んでおいたんだ」

 すると人の波の先頭で誰かが手を振っている。

「あれ? あれは八五郎さんに熊さんだ。そうか、仕事を抜け出して見に行くよと言っていたけれど、本当に来てくれたんだ。おかみさんやちびっこたちもいるぞ」

 だが、未だ謎は解けていなかった。長屋のみんなの後ろにも、何かすごい人だかりができているのだ。

「あれ、ユリさん、サクラさんもいるぞ」

 二大美人だ。いや、それだけではなかった。小春師匠の隣には、もう一人の美人アヤメさんまでいるではないか?! 偶然だが、三大美人がそろい踏みだ。こんなことは前代未聞だ。

 すらっと立ち姿が美しく、派手な着物を小粋に着こなす社交的なサクラさん、清楚で知的、瞳がくりっと大きなユリさん、凝った珍しい小物や髪形の奥に謎のほほえみのアヤメさん、三人三様の大輪の花が競うように咲き誇っていた。しかも三大美人の後ろにはさらにすごいおまけがついていた。明るいサクラさんが大声で叫んだ。

「彦六さん、ユリさんと見に来たわよ。用心棒にお相撲さんを頼んだら、みんな来たいっていうからみんな連れてきちゃった」

 すぐ後ろには小山のような七国山、隣には重厚な大嵐山、脇には真ん丸な人気力士大砲丸、さらにその後ろには高尾錦をはじめとする玄海部屋の人気力士たちが連なっていた。美人に人気力士たち、しかもその集団が、参道の小屋を素通りして、奥の小屋へと押し寄せてくるのだ。彦六は長屋のみんなと嬉しそうに挨拶を交わした。すると小春師匠の隣にいたアヤメさんがちょっと気になることを言っていた。

「彦六さん、どんな風に出来上がったか、見に来ました」

 すると彦六もちょっと気になることで返した。

「アヤメさん、ご指導のおかげで自信作ができました、ぜひ見ていってください」

 ユリは焦った。ちょっと待って! この人は突然現れてどういうことなの? すると小春師匠がさっと寄ってきて、このアヤメはうちの教室の教え子だと教えてくれた。三味線だけでなく、書や日本画も素晴らしい才能の持ち主なのだという。

 そして大勢のお客は、そのまま一つ目の「川の主」へとなだれ込んでいったのだった。だがその後ろから寅吉の三人の手下たちも紛れ込んでいた。

「卑怯だよな。せっかく客寄せ版画刷りで、看板隠したのに。奇麗どころや力士を使うなんてさ。これで逆転間違いなしだ」

「でも、こんな人数、一度じゃ入りきらないぜ。あれ、どんどん入っていく。どういうことだ?」

「どんどん大人数で入っていけるはずだよ。綱はりの通り抜けだぜ」

 そう、彦六の「川の主」は、綱で中に入れないようにしているだけの簡単な通路をただ通り抜けていくだけのものだった。

「しかもさあ、綱はりの通り抜けの上に、囲いだぜ。しょぼいよなあ」

 囲いというのは支柱とヨシズなどを使って周りを囲んだだけの、やはり簡単なものだ。

「本当だ。囲いが三つあるだけだ。奥の「浦島太郎」だって、天井なしの囲いでできた通り抜けだ。もう、これを見ただけでこっちの勝ちは決まったようなもんだ。ハハハ」

 だが手下たちもうすうすは感じていた。自分たちの小屋は金をかけすぎだと。勝ってしまえばあとはどうにでもなると、寅吉が大金を注ぎ込んでしまったのだ。天保の大飢饉などでしばらく景気が悪く、寅吉のところだって、危険な見世物を隠れてやって稼いではきたが、そんなに大儲けなどしているはずもない。万が一負けてしまえば大変なことになるのは目に見えている。まあ、負けるはずはないのだが。

「じゃあ、お手並み拝見といきますか」

 三人の手下たちは一つ目の小屋、「川の主」へと進んでいったのだった。

 近づいてみて初めて分かった。ここは神社の奥の湧水の池から流れてくる湧水の水路を生かして、水路沿いに三つの囲いが作ってあるのだ。しかも二つの囲いには、竹筒を使って上から水が流れ込む仕掛けが作ってある。

「さあ御立合い、ここはお代は見てのお帰り。三つある出し物は、どこから見ても何回見ても自由だよ。疲れた人は台に布が載せてあるお休みどころもあるよ。くわしい説明が聞きたい人はついといで! まずはこの大きな囲いの中から説明だ!」

 水路の上に作られた一番大きな囲いの周りには、三方に低い台や、後ろの方には大きな箱も並べてある。

「さあ、この囲いの中にかわいい生き物がいるよ。お子さんたちは、背の高さによって台に乗って中を見ておくれ」

 すると長屋のやんちゃたちが走って、大きな台に飛び乗った。鉄五郎、大八、アヤは見たことのない生き物を見て、目を丸くした。

「かっわいい。彦六さん、この生き物はなんなの?」

 すると彦六は自慢げに言った。

「カワウソだよ、カワウソ」

 それはその当時はさほど珍しくない、日本カワウソであった。でももちろん江戸の市中の人たちはほとんどが見たことはなかった。サクラが叫んだ

「かわいい、鳴き声も愛らしいわ」

 人々がどんどん囲いの周りに押しかけてきた。力士は背が高いので、台に乗らずに覗き込んだ。そこで彦六が合図すると、水路の上流型にいた九兵衛が立ち上がった。

「やったな、こんなにお客を連れてきて。よっしゃここは派手にやるか」

 そういうと九兵衛はカワウソが逃げないように水路の上流と下流の先は金網で囲ってあるのだが、その囲いの中に、小魚をたくさん流し込んだのだった。泳ぐ小魚、するとよく慣れたカワウソは、キュー、キューと泣きながら水路に飛び込み、上手に泳いではアッという間に小魚を捕まえて食べたのだった

「わあ、お手々を使ってきちんと食べてるよ」

 さすが菊次郎親方ゆかりの見世物だ、いつの間にか拍手喝采、大人気だ。しかも暗い小屋や小さなオリの中に入れられたのを見るのではない、湧水の水路を囲っただけの広い空間の中を、走ったり、みずに潜って泳いだり、餌を食べるところが見られるのだ。その柔らかな毛皮も、愛らしい声も、活発に動き回る姿も大評判だった。

「さあさあ、カワウソの次は、川の箱庭だよ。。中には数百匹の川の魚が泳いでいる。いくつ見つけられるかな?」

 錦鯉用の深さ一尺ほどの大きな水槽が台に載せられ囲まれていた。神社の奥から竹筒で運んできた湧水が緩やかに流れ込んでいた。流れはぐるっと水槽を周り、また隅から水路に流れ込んでいく。流れの速いところ、緩いところ、淀んでいるところが自然に生まれ、それぞれに小石があったり、砂がたまったり、水草が生えたり、流木が沈んでいたりする。自然の川の中を再現した川の箱庭、きちんと岸もあり、盆栽のような木が植えられ、小さな家や橋、おもちゃの水車が回っている。長屋のやんちゃたちが台に乗って覗き込む、するとちょうど子どもの目の高さに水面が来て、手に取るように川底が見える。そしてその中を小魚の群れが、透明な川エビが、ハゼの仲間やドジョウなどがあるいは水草の林の中に、あるいは石の上に、あるいは砂に潜り、生き生きと動いているのだ。

「お母ちゃん、あの緑や赤が入ったきれいなお魚はなあに」

「大八、それはねえ、オイカワっていうのよ」

「へえ、お母ちゃんは何でも知ってるんだね」

 おカヨさんは大八にばれないように笑った。水の流れ込むその横に金魚玉がいくつか並べてあり、そこに一種類ずつ魚が入れてあり、名札がついているのだ。

「おかげさまで私の夢が実現しました。どうですか? ユリさん」

 振り返ったユリは満面の笑顔で答えた。

「水槽が台に乗っていて、すぐ目のそばに水が流れてる。とっても見やすいし、夢があって楽しいわ。子どもも夢中だけど、大人も昔を思い出して、みんなで話をしながら楽しそうに見てるわ。大成功ね、彦六さん」

 そしてついに一番奥の囲いだ。ここは大きなご神木の下で日陰になっている。川の箱庭と同じように台にのった大きな木の水槽があるのだが、周りにはコケの付いた石やシダが配置され、どこか幽玄な空気が漂っている。そして大きく川の主と書かれた木の札があり、お決まりのさい銭箱も置いてある。最初に覗き込んだ男がたまげて大きな声を出した。

「な、なんだこりゃ!」

 それこそは、あの物産会からゆずりうけ、九兵衛が湧水で大事に育てた、あのオオサンショウウオであった。九兵衛の世話がいいのか、一回り大きくなり、四尺(約120cm)近くに育っている。誰も見たことのないぬめぬめした巨体、しかもこの水槽も台に乗っているのですごく近い。誰もが圧倒される迫力だったが、やんちゃ三人組が覗き込んでこう言った。

「でも動かないねえ、生きてるのかな?」

 それを聞いた彦六はにやっと笑うと、水路に入れておいたびくの中から、用意していた魚を放った。ちょっと大きめの魚だったが、すいすい泳いでオオサンショウウオの頭の前をスーッと横切った瞬間だった。魚よりなお早く大きな口が動き、あっという間に魚を一飲みにした。

「は、早い。見逃すところだった」

「凄い! 鋭い歯がぎっしり生えてたぜ」

 ぶよぶよした肉の塊のような生き物が見せた一瞬の早業は観客を圧倒した。

「このオオサンショウウオはほのかに山椒の匂いがすることからこの名があり、半分に裂かれてもすぐには死なない生命力からハンザキとも呼ばれ、非常に長生きする長寿の生き物としても知られています」

 彦六の言葉に、その前におかれたさい銭箱にどんどんお金が入りだした。やはり菊次郎親方が目を付けた生き物だけに圧倒的な迫力だ。どうせ大きな鯉でも入っているだろうとたかをくくっていた寅吉の手下たちも表情が険しくなってきた。オオサンショウウオを、しかも身近に覗き込めるこの囲いは大評判、黒山の人だかりが絶えなかった。

 さあ、三つの水路に沿った囲いを見終われば「川の主」は終わりだ。でも、木戸銭を払って出口を出ない限り、何回でも見ることができるのがこの出し物だ。長屋のやんちゃ三人組は、もう一度カワウソが見たい、川の箱庭をゆっくり眺めたいとまた走って行った。長屋のおかみさんたちは、青空の下、例のお休みどころに座ってそんな子どもたちを待っていた。なんかのびのびして見世物に来たとも思えない感じだった。


 彦六は「川の主」をでて次の小屋、浦島太郎の前にやってきた。するとあの染井村の金蔵さんが中から顔をを出した。あの福蔵さんの菊で知り合いになった植木職人で、物産会や長屋の花見でも世話になった人だ。

「どうですか? 小太郎さんが、風がなくて例の仕掛けが動かないってぼやいていたけど、どうなったかと思って…」

 すると金蔵さんは和やかに答えた。

「いやあそれがね、あの小太郎さんが走り回って、祭りで使う大団扇を借りてきてくれてね。さっき試してもらったんですけれど、なかなかうまくいきましたよ」

「え、小太郎さんが? そりゃあよかった。じゃあ、これから大勢で押しかけますよ」

「はい、用意はできてます。お任せください」

 さて、「川の主」を抜けて、次の出し物、浦島太郎の前に人がだんだん集まってきた。

「さあ、お立合い。生きている生き人形、浦島太郎だよ。何が生きているって? それは見てのお楽しみだ。生きているから生き人形、本邦初公開、いや日本初公開だ。お題は見てのおかえりだけど、中の店で買い物した人はただで出れるよ。さあ、浦島太郎のお披露目だ」

 やはり天井のない囲いで作った通り抜けの通路の中に、どんどん人が入っていく。

「さあさあ、ご来場の方はこっちを向いた! 季節の菊に、大輪の菊、変わり菊に菊細工だよ。ほらご覧あれ、菊だよ、菊だよ」

 黒子の一人が通路の左側に立って声をかけている。

「わあ、きれい。こんなの初めて見たわ!」

 サクラさんが思わず大きな声を出した。通路の左の奥に台があり、よく手入れされたさまざまな菊の鉢がずらりと並んでいる。今はなるほど菊の季節だ。見上げれば囲いの上には見事な秋空が広がっている。

「でも、なぜ? 浦島太郎なのに、菊なの?」

「うわあ、見事な菊だわ。見たことない」

 サクラが不思議に思うのも無理はなかった。だが進んでいくとその答えがわかってきた。

「はい、お立合い。浦島太郎だよ。亀の甲羅も太郎の体も全部生きている菊で作られた菊人形だ。よく見ておくれ、これこそ生きている生き人形、菊人形だよ」

 菊人形、それはちょうどこの時期に発明され、幕末から明治以降にかけて一世を風靡した催しであった。その第一号が、彦六と金蔵の手によって、今目の前に登場したのである。菊細工で作った大きな亀の上に浦島太郎が乗っている。太郎も体は菊で、立派な布と木でできた頭がついている。そして腰みのや釣竿までついて、これから竜宮城に行くばかりである。すると、なぜかアヤメが進み出て彦六に行った。

「彦六さん、素晴らしい出来ですわ。職人の技と彦六さんの知恵がうまく一つになりましたね」

「ありがとうございます。アヤメさんのご指導のおかげです」

 ユリはそれを見ていて気が気でなかった。いったい二人の間に何があったのだろう?

「あの、アヤメさんておっしゃいましたよね、彦六さんとはどういう…」

「さあ、どうでしょう。ほら先に進みますよ」

 ユリはうまくアヤメにはぐらかされてしまった。そして菊細工の見事さに驚いて一歩進むと、そこに、見事な竜宮城が広がっていた。三方を低い柵に囲まれた奥には木で作られた竜宮城があるのだが、白い石垣には白い花、朱塗りの建物には赤い花の鉢がきれいに並べられて彩りを作り、床には、桃色、黄色、赤の花の鉢が色ごとに並べられてさながらサンゴ礁のようだった。そして七色の菊を細工した見事な菊人形の乙姫、顔に魚の絵の付いた女官の菊人形があでやかに並んでいた。そしてこの小屋は天井がないのだが、上には竹の棒が縦横に張り巡らされ、そこからひもでつるした数十個の小さな金魚玉がゆれていた。

「す、すごい、本当にたくさんのお魚が空中を泳いでるみたい」

 ユリがため息をついた。金魚玉の中では生きた金魚が長い尾を揺らめかせて泳いでいた。さらに大きな金魚玉が床のサンゴ礁の間にいくつも配置され、その中では大きな金魚や小さな群れが泳いでいた。そして金魚玉のほかにも天井からは数十個の青いビードロの風鈴がぶら下がっていて、その下には緑色の海藻のような紙が釣り下がっていた。

「さあて、波を起こしましょう」

 奥に現れた小太郎は今日は目の覚めるような青い衣装、そしてその手にした大団扇を、ゆっくりと動かし、大きな風を起こす。すると数えきれない風鈴が一斉に涼しげに音を奏で、下につりさげられた海藻がゆらゆらと揺れるのである。そしてその風鈴と金魚玉の向こうに、さっきあった亀にまたがった浦島太郎が見えるのだ。それは生きた花と生きた魚の舞いに彩られた華麗な見世物であった。職人の見事なわざと斬新なひらめきによって作られた浦島太郎を、みんなため息をつきながら眺めていた。


 ここでも周りには腰掛が多く用意されていて、座って眺める人も少なくなかった。多くの人は場所を変え、視点を変え、あちこちから眺めて歩いていた。すると、ユリがさっと彦六のそばに来て、聞いたのだった。

「あの、彦六さん、アヤメさんは、この浦島太郎とどう関わっているんですか?」

「実は、題名が浦島太郎に決まって、最初はいい調子で人形を作っていたんです。ところが…」

 彦六の苦労話が始まった。ユリの出してくれた浦島太郎はとても作りやすい題名であったのだ。なぜかというと、金蔵のところにはもともと縁起物の鶴亀と、いろいろな菊で作った弁天様の菊細工があったからだ。亀や弁天様を改造して、浦島の亀や乙姫、女官に改造するのは、比較的簡単だったのだ。だが、これらはすべて菊で作ってあるので、顔の表情や役どころはわかりにくい。すべてを菊で作るべきか、頭や小道具は、木や布で作ったほうがいいのか彦六は最後のところで悩んでいたのだという。それで、花のことならアヤメさんに聞こうと思い立ち、小春師匠のところに来ていたアヤメさんに早速相談したのだという。

「そういうことだったの。そうか、彼女、お花は専門だものね」

 ユリが納得したとき、今度は本人がやってきた、噂をすれば影である。

「彦六さん、よく頑張りましたね。竜宮城は本当にお見事です」

 アヤメは晴れやかに微笑んでいた。彦六は続けた。

「そうしたらアヤメさんがこう言ったんです。花は花だけで生けるものに非ず。私はいつもお部屋を見て、花器を決めてから生けるのですと…。その言葉を聞いて、すとんと落ちたんです。別にすべて花だけで作らなくともよい。花が生きるように、頭や小物を使えばいいと。それで一人残っていたからくり職人に頼んで人形のかしらや小道具を急いで作ってもらったんです。うまくいきました。人形と花が生かしあっている。そういう意味だったんですよね、アヤメさん」

 するとアヤメは微笑んでいった。

「さあ、どうでしょう? とにかく素晴らしいものを見せていただきました。ありがとうございます」

 そしてアヤメはまた歩いて行った。不思議な人だった。

「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、ここで買うと、木戸銭もタダだよ」

 出口のほうには二軒の店が出ていた。一つは金蔵の店、持ち帰るのにちょうどいい、小さくて軽い花の鉢がたくさん並んでいる。奥には大きな菊や菊飾りも売られている。その向かいには本郷の金魚屋が大きな店を出している。女、子どもが手につりさげられるようなかわいい金魚の入った金魚玉がずらりと並んで涼しげだ。やはり奥には大きいものや値段の高い珍しいものも置いている。この二つの店で一定量以上売れるとあとは小屋の儲けになるという。大きいものや高いものが売れると、小屋の儲けも大きい。

「…ここで買い物すると木戸銭はただなの? じゃあ、子どもに金魚玉買っていくかな」

 小さな花の鉢も、金魚玉も飛ぶように売れていった。サクラは力士軍団に手伝ってもらって、大きな菊の鉢を買っていた。ユリが金魚玉を買おうとすると、偶然同じ金魚玉に手を伸ばしたのはアヤメだった。

「うふふ、こっちは譲ってあげるわ」

「え?」

 アヤメは隣の金魚玉を手に取ると微笑んだ。みんな満足そうに小屋を出ていくのを見て、彦六は晴れやかな顔を見せたのだった。そして、出口のところで、感激したと喜んでくれた長屋のみんなを手をふって送り出した。相撲軍団の七国山と大嵐山がやってきてその大きな手で握手をしてくれた。

「やあ、オオサンショウウオには圧倒され申した」

「菊人形は見事でごわす。京都にもないでごわす」

 そしてあでやかな着物を翻し、サクラさんが出てきた。

「見に来てよかった。彦六さん、あんた凄いね、おみそれしました」

 ユリさんも黙っていない。

「まさか浦島太郎が、こんな見事な出し物になるなんて思いませんでした。本当に見に来てよかったです」

 すると後ろからスッと人影が近づいてきた。

「またお教室に来てくださいね。とても楽しかったです」

 突然割り込んできたアヤメの手にも小さな金魚玉が揺れていた。

 外に出ると、あちこちを見回ってきた半助が立っていた。

「おじさん、どうですか、うまくいったんでしょうか?」

 すると、半助はにこやかに答えた。

「ははは、最初は奴らの悪巧みに不覚を取ったが、彦六のおかげで逆転してかなりのおつりが戻ってきた感じだ。こっちは通り抜けだから、これだけお客が押し寄せても何とかなったしな。でも長いような短いような一日勝負だ。ここで手を緩めないで、頑張ることだ。ほんの些細なことでどこか歯車が狂っちまうものだからな」

「はい。それで、私は見てないんですが、向こうの出し物はどうなんですか?」

「すごくいい出来だ。寅吉の小屋は、いかんせん、大人向け、男向けのえぐいものが多いのだが、今回はいろんな客が入るように工夫している。カグラのやっている蛇地獄は、怪談あり、笛や太鼓あり、歌舞伎の舞台並みのからくりや早変わりまで入れて、きちんとした舞台になっている。さすがだよ。松本出目太郎のところは人気芸人の与三郎を呼んで、しかも高給取りの曲芸師を二人も使っていい出来だ。けっして侮れない。手ごわい相手だ」

「そうですか。負けられませんね」

「でも寅吉のやつ、どう見ても金のかけすぎだ。蛇地獄のからくりもそうだし、小屋や舞台も本格的だ。しかも与三郎に曲芸師、松本出目太郎の公演を何回もやったらいったいいくらかかるのか? こっちは綱張って囲いを作っただけ、湧き水は使い放題、菊や金魚玉は一日だけの借り上げで、向こうにも儲けが入るようにして安くしてもらっているからな。でもだからこそ奴らも勝ちに来る。心を引き締めて頑張るんだな」

「はい」

 勝負はまだ蓋を開けたばかりだった。


 寅吉の小屋ではその頃、偵察に行ってきた手下どもから、寅吉が報告を受けていた。

「…なるほど、菊人形か。やつらも馬鹿じゃねえ、今までにない題目を持ってきたわけだ。そのオオサンショウウオやカワウソは多分、菊次郎親方が仕込んでおいたものだな。そうじゃなければ二か月ぐらいで用意できるもんじゃねえ。でも助かったのは客があまり重ならないことだな。動物や花ならば、ガキや年寄りが喜びそうだ。で、どうだ、勝てそうか?」

 するとあの闇討ちをかけた安吉が言った。

「奴らの木戸銭やそのほかの売り上げなどの儲けをざっと計算してみたんですが、やはり、奇麗どころや力士たちのおかげで、今大幅に負けています。でもこちらのほうが公演ごとの儲けが多いのでだんだん追いついていくと思います」

「追いつくだけじゃダメなんだ、勝てるかどうか聞いてるんだ」

 すると慎重な才三が言った。

「だいたい五分五分でしょうね。勝ちに行くならこちらの公演の回数を少しでも増やさないと難しいかもしれません」

 今度は調子のいい小助がよけいなことをしゃべり始める。

「寅吉さん、向こうは金魚玉や小さな鉢を売って稼いでるんですけど、あれは不正にはならねえんですかい」

「木戸銭代わりに、小屋の中で売っているとすると、決まり破りにはならねえな。それがどうかしたのか?」

「いやあ、けっこう高いのも売れてて、うまいやり方だって思って…」

「馬鹿野郎、敵を誉めてるんじゃねえ。ううむ、公演の回数を増やすと松本出目太郎はまた金もかかるしなあ。でももう一公演でも増えるように交渉するか。だが、蛇地獄ならばもう少し増やせるかもな。おい、だれか定吉を呼んで来い」

 呼ばれてやってきた蛇地獄の座長の定吉に寅吉は言った。

「…ってわけだ。いまのままでは五分五分、勝負に勝つには、こっちは公演回数を増やすしかない。おれはこれから松本出目太郎の交渉に行く。お前はできる範囲でいい、蛇地獄の回数を増やせ。頼んだぞ」

「はは、おまかせください。簡単ですよ」

 さて、寅吉たちの巻き返しも始まって来た。勝負の行方は分からなくなってきた。

「ほう、見世物というと、何か暗くて狭くてごちゃごちゃした感じかと思ったんだが、こりゃ、違う。広くてのんびりできて、なにか楽しいわい。こりゃあ、菊の浦島太郎のほうも期待できるな」

「川の主」のお休み処に腰かけて秋空を見上げているのは長屋の大家の福蔵さんであった。午前中また商談で見に来られなかったが、菊好きの大家さんにはぜひ見てもらいたいとみんなが言うので、午後から一足遅れで出てきたのだ。午前中の噂を聞いて、親子連れや、菊好きのお年寄りなどが午後からどっと押し寄せたらしい。やっと空いている腰掛を見つけて一休みだ。するとすぐそばの席に仲の良さそうな老夫婦がやってきて話し始めた。すると、彦六はすごいだの、いい出来だの言っている。これはもしやと、福蔵が老夫婦に話しかけた。

「これはもしや、うちの長屋の彦六とお知り合いですか?」

「え、もしやあなた様は彦六の大家さんですか?」

 話しかけてみて驚いた。その夫婦は菊次郎親方夫婦だったのだ。

「まだお医者様からは正式に許可が下りていないんですけど。どうしても来るって聞かなくてねえ」

 奥さんは困ったような、久しぶりに気迫をみせた夫を喜ぶような、そんな感じだった。話の花が咲く。

「へえ、じゃあ、福蔵さんのおかげで彦六と金蔵さんがつながったわけだ。今回の浦島太郎の生みの親ってわけですね」

「いやいや、彦六は最初に会った時から違ってました。人の興味を持たないことでもなんでも興味を持ってまっすぐに進んでいくんです。私と会っていなくとも、それなりの結果は出していたでしょうね」

「ご謙遜を。じゃあ、そろそろ菊の見物に行きますか。どうです、一緒に」

「はい、喜んでお供します。はは、親方と一緒じゃみんなに自慢できるかな」

 親方はあちこち点検し、うなづきながら歩き出した。入り口や出口で、突然の親方にみんな驚いて丁重に挨拶を返していた。

「おお、見事な菊が並んでいる。見たことのないのもたくさんあるねえ」

 通路の菊を見て福蔵が感心していると、黒子がそっと話しかけてきた。

「え? ここの菊は展示が終わったらどれでも買える? 近くなら配送までやってくれるのかい? 金蔵もうまい商売をやってるねえ」

 見るといくつかの菊の鉢にはもう名札がついている。すでに売れたみたいだ。

「そういう仕掛けですか。こりゃ半助さんの知恵だな。ハハハ…」

 菊次郎は笑って奥へと進んでいった。

「おお、これはすごい、菊と金魚玉をこんな風に使うとは! 本当に魚が舞い踊る中に、生きている乙姫が立っている…!」

 福蔵さんが驚く。菊次郎親方は別の切り口で驚いていた。

「こりゃあ、金をかけないで手間をかけたな。お、彦六さん、見事な出来だねえ。この金魚玉はどうやって吊り下げたんだい?」

 彦六は、その時、風で絡まった風鈴のひもをほどく作業をしていた。

「あ、親方だ。福蔵さんも来てくれたんですね。うれしいなあ。あ、この金魚を吊り下げたやり方ですか? この金魚玉を結んでいる竹は四方を柱に支えられてるだけで、高さを変えられるんです。最初背の届く高さに竹を下げてもらって、そこで全部金魚玉や風鈴を私たち三人で取り付けて、それからみんなで上にあげたんですよ。それが終わってから、金蔵さんと鉢や菊人形を並べたんです」

 親方は大きくうなずいて、労をねぎらった。

「…今、いろいろ見て回ってきたが、おおきな問題は何もなかった。うまくできているよ。お前さんの知恵は見事だ。こんな出し物は初めてだ。ところで半助はどこに行ってる?」

「今、ちょうど九兵衛さんの手伝いに出たところです。通り抜けは楽なところもあるけれど、いつも見ていないといたずらされたり、ひどいときは持って行かれることもあるって言ってました」

「ああ、「川の主」がちょっと手薄だとは私も気にはなっていた。彦六さん、最後まで気を抜かないで頑張れよ、まあ、たとえ勝っても負けても今回の出し物は誇りに思うよ。本当だ」

 その時の親方の言葉には何か覚悟したものが感じられた。

「じゃあ、私は木戸銭代わりに、ちょっといい菊の鉢を買って行こうかのう」

 福蔵さんは笑顔で歩き出した。親方も元気に帰って行った。そして時は一刻一刻と近づいてきた。


 残り時間が少なくなってきた頃、寅吉たちは勝利を確信して見回りをしていた。にぎわう参道の裏を通り、狛犬の真後ろを抜けていく。

「…というわけで、金はかかりますが、松本出目太郎は一回公演を増やすことに成功しました。そしてあとは蛇地獄がうまく回っていてくれれば勝利間違いなしです」

 公演ごとに金のかかる松本出目太郎の出演者を説得するのはかなり骨の折れる仕事だった。特に気位の高い与三郎を説得するのが長引き、金を余分に出すことでやっとけりがついた。結局は売上金の勝負なので、裏でいくら金がかかっても、勝負には関係はないのだ。

「蛇地獄も小屋の規模は小さいが、お客はよく入ってるようでしたよ」

 小助の言葉に蛇地獄の方に見に行くと、小屋から少し離れた客寄せ版画刷りの前で、座長の定吉が真剣な顔で呼び込みをやっていた。

「おや、決められたこと以外は何もしないと評判の定吉が呼び込みをやってるぜ。へえ、いつも金勘定しかやらないやつが呼び込みだとはね。まあ中のことは全部カグラがやってるからまかせて安心か。公演の回数も増えたようだし、こりゃ、もうこちらの勝ちだ」

「おーい、定吉、どうだいそっちは? 少しは余計に儲かってんのか?」

 安吉が声をかけると、定吉は迷惑そうに答えた。

「こっちは公演回数を増やして真剣に頑張っているんすから、邪魔しないでくれますか」

「おー、こええ、こええ。定吉さんは真剣だとさ。頑張れよ」

 その時も出口から客がぞろぞろと出てきた。きちんと回数を増やしているようだった。その様子を見て、寅吉は勝利を確信し、ほくそえんで戻っていった。


 そしていよいよ時間が来た。宮司の合図とともに氏子代表たちが木戸銭やさい銭の入った箱を持って本殿に集まりだした。勝負の小屋は一日限りだ。大人数で小屋の解体が始まった。彦六のほうの小屋は綱をはずし、囲いを外せば、あとは展示物を引き上げるだけだ。金蔵さんも、本郷の金魚屋さんも、たくさん売れたと喜んでいた。

 彦六と半助が本殿に訪れると、もう寅吉たちが自信たっぷりに先に来ていた。蛇地獄の座長の定吉も来ていたが、疲れたのか、顔色が悪かった。

「ではこれより、見世物勝負の結果を発表します」

 宮司の言葉に、氏子の代表が進み出て、不正がなかったかどうか報告した。例の看板の妨害は、速やかに謝ったので、注意だけで済んだ。

「ではこれから売り上げの発表を持って、勝負の結果とします」

 だが、その時、誰かが、物陰から近づいてきた。

「待ってくれ、その勝負待ってくれ!」

 近づいてきたのはまさかの菊次郎親方だった。

「おや、これはこれは菊次郎親方ではありませんか。お久しぶりです。何かこの勝負に問題でもおありですか?」

 宮司の言葉に親方は、懐から大きな紙の封筒を出しながら言った。

「この勝負、負けたほうが勝ったほうに従うというきまりだが、今のままではそれは無理なのだ」

 いったいどういうことなのだろう。みんなお互い見詰め合ってざわざわした。

「これは私が先代から受け継いだ寺社奉行所の許可証だ。つまり見世物小屋が寺社の敷地で執り行ってよいと書かれたお墨付きというわけだ。もしどちらにもその覚悟があるのなら、この勝負の勝者にこれを渡そうと思う。どうだ、みんな」

 すると勝利を確信している寅吉は自信たっぷりに進み出た。

「こちとらは、願ったりかなったりだ。その申し出受けるぜ。半助、お前はどうなんだい?」

 すると半助は一度菊次郎親方を見て、それから寅吉を見て答えた。

「わかった。そうしよう。この勝負にお墨付きもつけよう」

「だが、これを勝者に渡すからには、あとでいちゃもんつけられたりしたら台無しになる。双方に一筆入れてもらうぞ」

 そして宮司の発表に決して文句をつけたり、蒸し返したりしないと双方が一筆を入れたのだった。すると宮司がまたしゃべりだした。

「では、今度こそ、それぞれの売り上げの合計を発表して、勝負の結果といたします。よろしいですね」

 みんながうなずいた。まず半助・彦六の方の氏子代表が計算結果を紙に書いて発表した。

「思ったより、多いな。いいぞ」

 半助がにこやかになった。やはり、高い菊や珍しい金魚がよく売れて、思わぬ収入があったのだ。でも寅吉は笑っていた。それはギリギリ想定内の金額だったのだ。こっちの勝ちは動かない、これで一気にお墨付きまで自分のものだ。そしてついに寅吉の担当の氏子代表が発表となった。

「…?!」

 その金額を聞いて寅吉の顔色が変わった。わずか、ほんのわずか、相手より金額が少ないのだ。

「な、なんだって? いったいどういうわけだ」

 すると寅吉の大きな声を聴いて、半助がじろっと睨んだ。

「結果にいちゃもんはつけない、蒸し返さないだったよな」

「違うんだ、計算が合わねえんだ、こりゃどういうことだ」

 すると蛇地獄についていた氏子代表が進み出た。

「お、恐れながら申し上げます。実は、蛇地獄に限っては、最後の五回分ほどの木戸銭が入っておりません。理由はこちらからはなんとも申し上げられません。そちらで座長から聞いてください」

「てめえ、座長、定吉、いったいどうしたってんだい。なんで最後に木戸銭が入っていないんだい?」

 蒼ざめた顔の定吉の襟首を安吉がぐいっとつかんだ。定吉は蚊の鳴くような声で答えた。

「松本出目太郎がずっと満員だったので、こっちの蛇地獄の売り上げが少し少なくなっても、何とか勝つと思っていたのに。ちっきしょう、ギリギリ負けちまった」

「だから最後の木戸銭はどこに消えたんだよ、どうなったんだよ、定吉さんよ」

「今は、今はそのわけは…言えません」

「ふざけるなよ」

 だが安吉を止めたのは以外にも寅吉だった。

「…もういいよ、安吉。わけは帰ってからゆっくり聞かせてもらう。引き上げだ」

 そして規定により、今日の売上げの中から、一定の金額が神社側に献上され、すべては決着がついたのだった。

 寅吉は意外なほどあっさりと引き上げていった。そして何かぶつぶつ言っていた。

「くそ、やっぱり親方は役者が一段上だ。一筆書かされたおかげでいちゃもんも言えない、ひっくり返すこともできやしねえ」

 寅吉一家が引き上げたあと、彦六が言った。

「やりましたねえ、私たちは勝ったんですね!」

「そうだとも。みんなで力を合わせ、正々堂々と戦ってちゃんと勝ったんだ。ああ、長かったが、これでやっとうまい酒も飲めるってもんだ。ははは」

 そして半助は親方にあのお墨付きを返すと、こう言った。

「親方の思い切った駆け引きで、寅吉は何もできずに帰って行った。ひやひやしましたが、とりあえずお墨付きはお返しします」

「別に返さなくとも良いのだぞ」

「いいえ、新しい出し物を考えたのは彦六です。オオサンショウウオやカワウソを用意して九兵衛に託したのは親方じゃないですか。人形を作ったのは金蔵さんだし、俺は何にもしちゃいない。恥ずかしい限りです」

「だがなあ、半助。おまえの下でみんな信頼して陽気に楽しく働いていた。寅吉も才覚のある男じゃが、あの力任せのやり方では、必ずしわ寄せがどこかに行く。きちんとそれが結果に出た。人を使うとはそういうことじゃないのか」

「もったいないお言葉ありがとうございます。力をもっとつけてそのうち本当にお墨付きを受け取りにまいります」

 長い戦いがここで一つ終わった。みんなは少しずつ湧いてくる勝利の実感に酔いながら、たそがれの街を歩いて行った。

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