for wife [side man]
@woodenface
第1話
日が落ちて工房の徒弟たちも皆家路についてしまった頃、とある工房ではいまだに火を落とさず鎚の音が鳴り響き続けていた。
(チッ、こんなんじゃあダメだ。もっとうまく鍛たねえと)
音の主は現在この工房を任されているアードルフ。
彼はここ最近、朝早くから夜遅くまでこの工房で鎚を振るい続けていた。
事の発端は去年の暮れに妻の妊娠が分かったことだ。
アードルフの妻ナターリエは彼の所属する工房の親方の一人娘で、彼が幼い頃に工房へ徒弟に入ったころからの幼馴染でもある。
彼女はアードルフよりも二つ年上で、初めて身の回りにできた年下である彼にとても気さくに接してくれた。
そして成長するにつれて彼はナターリエに淡い想いを抱くようになったが、彼自身それが叶うとは思ってはいなかった。
アードルフは生まれた時から父のいない家庭で母の手一つで育てられ、その母も彼が工房に住み込みの徒弟として入るのと同時期に流行り病で亡くなっている。
それ以来、工房の親方でありナターリエの父親であるギュンターが彼の後見人となって面倒を見てくれたが、親という後ろ盾のない彼に妻の忘れ形見である一人娘を嫁にくれるとは思えなかった。
アードルフは鬱屈する思いをぶつけるように仕事に励んでメキメキと頭角を現していき、工房の徒弟の中でも一目置かれるほどになった頃、ギュンターから娘との縁談を打診された。
職人の最高の栄誉である技術爵という一代限りの爵位を持つギュンターは、その地位の関係上断ることのできない仕事で街を長期にわたって離れなければならなくなったのだ。
そこで彼は徒弟の中でも頭一つ抜けたアードルフに娘を預け、自分がいない間の工房の取りまとめを頼もうとした。
もちろんアードルフはこれを快諾し、こうして二人は夫婦となった。
親方がいない間の工房を任されたアードルフは新婚生活を謳歌していたが、妻の妊娠が判明すると打って変わって仕事に励んだ。
彼の心には苦労しながら幼い自分を育ててくれた母親と、父親代わりとなってくれたギュンターの姿が焼き付いていたのだ。
彼にとって父親の責務とは妻と子のために稼ぐことであり、安定した家庭を作ることであった。
そこに折り良く公布されたのは、新たに子爵へと陞爵(しょうしゃく)した新興子爵家の御用達職人の公募だ。
これに採用されれば鍛冶師としての将来は約束されたといってもいい。
公募に参加することは誰にでもできるが、採用されるのはごく一握り。
妻にも、もうすぐ生まれる子供のためにもこの機会を掴もうと、アードルフは誰よりも早く、そして誰よりも遅くまで工房で仕事に励んでいるというわけだ。
出産を間近に控えて産婆兼家事手伝いの女中を雇っているとはいえ、妻を家に残して工房にこもるのは気が引ける思いもあった。
しかし年上の妻はこれを快活に笑い飛ばし、半ば叩き出すように彼を送り出してくれた。
彼女の気持ちに応えるためにも、何としても結果を出さねばならない。
公募での題材は『黒鋼の武具』。
黒鋼は耐久力に秀でた金属だが、その分重さに難があり、普通の武具と同じように作ってしまうとまともに扱う事すらできない。
つまり、武具として使うことができ、金属の特性である耐久力を維持したまま軽量化を図らねばならないということだ。
御用達職人にふさわしい腕を持つかどうかの試練とはいえ、3つの要素のうちの2つを両立させるだけでもかなりの技量が必要である。
期日も迫る中、アードルフが必死に制作に従事していると、施錠したはずの玄関が勢いよく開け放たれ、一人の男が工房へと入ってきた。
「お、親方!?」
入ってきたのは街を離れていた親方のギュンターだ。
帰ってくるという話は聞いていなかったため戸惑うアードルフだったが、急いで鍛冶道具を置いてギュンターの所へ向かう。
『むこうで何かあったんですか?』そう問いかけようと口を開こうとしたアードルフをギュンターは――――――
――――――力いっぱいぶん殴った。
「うげぇっ?!」
突然親方の剛腕をまともに喰らったアードルフは椅子や机を巻き込み後ろへと吹っ飛んだ。
なぜ自分がいきなり殴り飛ばされたのか、痛みと当惑で混乱する彼の胸ぐらをギュンターが掴んで引きずり起こす。
「お前、ここで何やっとる?」
「……え?」
アードルフはギュンターの問いかけが理解できなかった。
しかし、ぐるぐると混乱する思考を脇にどけ、その質問に答えていく。
御用達職人の公募に参加するつもりであること、納得のできる出来のものが作れず試作に励んでいたこと、普段の工房の仕事には影響を出さずに行っていること……
一通り話し終えた後、ギュンターは大きな、とても深い溜息を吐いてアードルフの胸ぐらを掴んでいた手を離した。
どうみても望む返答ではなかったようだが、しかしだからといって何と言えばいいのか分からずにいる彼に、ギュンターは険しい眼をして言った。
「ナターリエは臨月じゃと聞いた。傍にいてやらなくてよいのか?」
「恥ずかしながら、追い出されました。彼女も理解してくれています」
アードルフの答えにギュンターはもう一度溜息を吐く。
「強がりに決まっておるじゃろうが!」
「え!?」
ギュンターは驚いている彼を呆れ果てた、といった表情で見ながら言う。
「ナターリエが妻としてお前の重荷になるような弱音を簡単に言えると思うか?」
「……」
呆然とし、絶句する彼をギュンターは遠い目をしながら見つめて語る。
「お前を見ると若い頃の儂を思い出す。儂が技術爵になってこれから楽をさせてやろうと思っていたが、ナターリエの母親は産後の肥立ちが悪くてな……一度は持ち直したが長くは続かなかった」
初めて聞くギュンターの体験談、父親としての大きな背中を常に見せていた彼が、話している今は幾分小さく見えた。
「工房に入った頃から面倒を見ていた儂を手本にするのは分かる。しかし、儂の悪い所は似るな。未来も大事だが今を忘れるんじゃない、地に足がついていないと後悔を残すぞ」
うつむき唇を噛み締めたアードルフは、震える声で「家に帰ります」と言った。
頷いたギュンターは「しばらくは工房の事は儂に任せておけ」と返し、彼を静かに送り出した。
▼▲▼
「なんだいアードルフ? 今日はいつもより早いじゃないか」
家に帰るとナターリエは暖炉のあたりながら安楽椅子に座って編み物をしていた。
おそらく産まれる子供の産着を編んでいるのだろう、彼女の下に歩いて行くとアードルフは深く、深く頭を下げた。
「すまない、君に甘えて辛い思いをさせていた」
突然頭を下げられたナターリエだったが、一つ息を吐くと編む手を止めて口を開いた。
「……親父が言ったんだね。いきなり帰って来たと思ったら余計なことを」
「余計なんかじゃない、俺が気付かなかったのが悪いんだ」
アードルフの苦み走った否定の言葉に、彼女はゆっくりと首を横に振る。
「アンタは間違っちゃいない、御用達職人になりゃこれからが楽になるのは間違いないんだから」
彼女は笑みを浮かべていたが、アードルフはその表情の端に自嘲の色があるのを見逃さなかった。
彼はナターリエの手に自分の手を重ね、彼女の瞳をまっすぐ見つめて言う。
「先の事は先の事だ。仕事なんて選ばなければ鍋の修理や包丁の鍛ち直しでも食いつなげる。それよりも、辛い思いをしている今の君を支えたい」
ナターリエの表情は変わらなかった。
しかし、彼女の瞳からはポロリ、と涙の雫がこぼれていく。
一度流れてしまった涙は堰(せき)を切ったように止まらず、みるみる彼女の表情を歪めていった。
「……いいのかい?」
「ああ」
「迷惑をかけるよ?」
「迷惑だなんて思わないさ」
「じゃあ、甘える」
「ああ、甘えろ」
ボロボロと涙を流す妻に自分の胸を貸し、アードルフはこれが夫としての自分の役割で責務、いや特権だと感じた。
幼い頃は姉のように感じていた妻は鼻を啜(すす)りながら、彼に今まで口にしなかった願いを伝えた。
「……子供の名前、一緒に考えてくれるかい?」
普通、子供の名前は最初の贈り物として母親が考えるものだ。
だが、それが彼女の望みならば、足りない頭をひねるのも苦ではない。
「ああ、いい名前を考えよう……一緒にな」
入って来た時と何ら変わらないはずなのに、部屋を暖める暖炉の火が、どうしようもなく暖かく感じられた。
▼▲▼
出産の当日、アードルフは己の無力さを噛み締めていた。
陣痛とともに産婆兼家事手伝いのリヒャルダが滞りなく準備を進めてくれたが、彼はオロオロとするばかりで痛みに耐える妻の手を握っていることしかできなかった。
激しい痛みに脂汗をかきながら出産に臨む妻の姿に、アードルフは母になろうとする女の覚悟の重さと己の小ささを思い知る。
所詮、自分が御用達職人になろうとしたのは妻と子供のためとは言っても、彼女らと釣り合う者になりたいという己の焦りの裏返しだ。
たとえなれていたとしても、必死に痛みに耐えながら子を産まんとする妻の手を握る以外今の自分にできる気がしない。
無事に出産が終わったというのに、精根尽き果てた疲れの見える姿で男の子を抱く妻の姿を見ながら、アードルフは無力感に苛まれていた。
「なーにしょげてんだい?」
子に乳をやりながら悪戯気に笑うナターリエは、気落ち気味のアードルフに声をかけた。
「アンタにはこれから2人分稼いでもらわなきゃ困るんだ。落ち込んでる暇なんてないよ!」
疲労が目に見えているのに自分を元気づけようとする妻に、敵わない、と感じるが、アードルフにも男としての意地がある。
たとえ遅れをとっていたとしても、これから追いかけて、そして歩いて行こう。
この愛しい妻の隣を……
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