~3~ l ove

3月5日。その日がなんの日なのか僕は知っている。僕はその次の日からの話を知っている。彼女に何が起きたのかを。僕のせいだ。日記が書かれていなかったのは日記の存在ごと忘れたからだろう。

3月5日。

彼女のお母さんが亡くなった日。

彼女が記憶を失った日。

そして、僕と彼女の関係が終わった日。


千桜が僕のせいで親と喧嘩して、喧嘩したまま、お母さんが亡くなった。

僕は彼女の幸せの足枷にしかならない。言われなくても分かってますよ……。だから、日記を僕は隠したんだ。


机の引き出しに日記を入れて鍵を閉めておいた。


母さんは今日も夜勤だ。専業主婦だった母さんは父さんが死んでからずっと働きっぱなしだ。僕はお腹が全く空かないが弟たちのために何か作らなければいけない。

少し離れたところに安い大型スーパーがある。そこにとりあえず買い出しに出かけた。

今日学校の担任に渡しといてくれと頼まれた千桜の保護者会の紙やら宿題やらを持って。


嫌なことは、後回し。昔からの悪い癖だ。僕はただのヘタレだ。結局、加賀美家なんかじゃ見ないような安物のスーパーの豆腐だらけのビニール袋を持って寄ることになった。

インターホンを鳴らす。出たのは僕が小さい時から良く知っている家政婦の鶴見さんだった。この時間彼女以外誰もいないことを僕は知っていた。玄関で渡す物を渡してすぐに帰る予定だった。季節外れの雪が降り出したからか、それともビニール袋の貧相な中身を見てか、鶴見さんは少し上がってけ、と僕を半ば強引に家の中に入れた。もし、千桜のお母さんかお父さんが帰ってきたら鶴見さんだってきっとめちゃくちゃ怒られるだろうに。でも、お互い二人が帰ってこないことぐらい知っていた。

暖かいティーカップで冷え切った指先を温めた。そんな姿はきっと相変わらず情けない。鶴見さんは洗い物があるから飲み終わったらそのまま帰り際に千桜の部屋に届けに来たプリント類を置いてあげておいてくれ、と僕に言った。もう家政婦失格ですよ?そう思いながらも僕は静かに頷いた。昔から鶴見さんは僕を可愛がってくれていた。僕ん家は両親どっちも実家ぎ田舎だからおばあちゃんのような存在の鶴見さんのことが好きだった。

罪悪感とは少し違う何か嫌な感情と共に千桜の部屋に入った。

小窓の外のゼラニウムは相変わらず綺麗だった。鶴見さんが世話をしているのだろう。荷物を机の上に置いた後、徐に椅子に腰を掛けた。背もたれに体を預ける。相変わらず気持ちい椅子だった。にしても綺麗だ。元々の千桜の性格もあるんだろう。

綺麗に揃えて立てられた、教科書や本。

その中に1つだけ背表紙と内側が反対に立てられているノートがあった。

小さくて薄いから、逆に入っていても違和感を生む程ではなかった。几帳面な千桜だ。きっとわざとだろう。

なんとなくだ。

なんとなく気がかりで手に取ってしまった。


それは、記憶を失ってから彼女がつけた日記だった。

人の日記を読むなんて最低だ。でも自分の名前が目に入ると流石に気になった。


そっと、ページをめくってみる。

自分が歩んできた人生の記憶を忘れたんだ。彼女が何を思っているかわからない。それに彼女の目に映るものも変わったんだ。

リセットされた記憶。

もう一度、僕が記憶に刻まれちゃいけない。幼馴染という肩書以外で。


もう、君は僕に恋をしちゃダメだ。

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