余計な話 参

 ぼくの言葉を受けて少女は頬を膨らませた。

 意図的では無いにしろ見ることを諦めた表情を見られてラッキーだ……とはいえ、やっぱりそれを愛でる気にはなれない。


「お兄様、まだふざけておりますの?」


「どうして?」


「確かにそれが真実ならば口にするのもはばかられるでしょうね。愛情の差は血縁の差だという、身も蓋もないお話になりますから。ですがお兄様? それは決して有り得ません」


 ぼくはもう一度「どうして?」と問う。


「もし庭月野羽衣にわつきの はごろも庭月野美濃にわつきの みのに血縁関係がないのであれば、必然的に羽衣とかぐやにも血縁がないことになるからですわ」


「どうして」


「お兄様!」


「羽衣と美濃に血縁がないことと、羽衣とかぐやに血縁がないことは全く別の話だよ」


 険のある雰囲気は崩れない。頭を撫でてみるも、誤魔化されてはくれないようだ。無言で続きを催促してくる。


「まず現状判明している庭月野の人間を整理してみようか。ちゃんと覚えてる?」


「馬鹿にしないでくださいまし。羽衣。美濃。みやこ。かぐや……不足ありまして?」


「何か気づくことは?」


「珍しい名前ですわ」


「分からないってことね」


 気づく様子もないし、これ以上考える気もないらしい。

 勿体ぶる話でもなし、答えを開示する。


「これらの名前は『竹取物語』からとっている。名前は、善悪はともかくとして、この世に生を受けた人間が一番初めに受ける呪いだ。この業界に生きる人間は、大多数が意味ある名前を持っている。歴史の長い家なら尚更」


 鴟蛇が強烈な呪いを背負ったように。

 だから術師は安易に他者の名前を口にせず、あざなで呼び合うのが暗黙のルール。


 言葉は、呪いだからね。


「そして、美濃だけがこれに当てはまらない」


 ちらと顔色を伺うが、どうも納得している様子はない。完全に分からない訳では無いのか雰囲気は緩和しているが、微かに首を傾げている。


「もう少し分かりやすく言おうか。庭月野かぐやは羽衣によって記憶を失い、叔母であるみやこの元に身を寄せた。『竹取物語』において、なよたけのかぐや姫は羽衣によって人情を……記憶を失い、月の都に帰っていった。この互換性は偶然じゃない。『かぐや』の名に込められた呪いの結果だ」


 少女は少し考え込んだ後、二度ほど首肯した。納得したらしい。

 しかしほっとしたのも束の間、またじっと隠された目で僕を見上げる。基本的には聡い子だ、勢いで誤魔化されて問題点を見逃したりはしない。


「美濃に庭月野の血が流れていない可能性については納得致しました。ですが、かぐやと羽衣にそれがあるという理由にはなり得ません。今のお話で分かるのは、術師による名付けには意味があり、歴史ある術師の家はそれを成す慣習があるということ。血縁を証明するものではありません。言ってしまえば養子でも構わないのでしょう?」


 鋭い、その通り。

 賞賛を示すために頭を撫ぜるも、元々自尊心の高い彼女はそれを優雅に無視した。


「考えられるのはかぐやが美濃の実の娘ではなく、羽衣の娘だったという可能性ですが、今度は祖母だと偽っていた理由や、一時とはいえ、美濃が育てていたことの理由が分からなくなります」


「そう。だから間違いなくかぐやは美濃の娘だし、羽衣の孫なんだよ」


「……訳が分かりませんわ」


「じゃあヒント」


 実はかなり正解に近い(まあ、あくまでぼくの考えでしかないんだけど)ところまで踏み込んでいる。あとは視点を変えるだけ。


「かぐやの父親、誰だと思う?」


「そんなかぐやも覚えていないことが分かるわけ……いえ、お兄様がそう言うのですから、分かるのでしょうね」


 おや、随分な信頼だ。嘘つきとしては不本意だね。いや、本意なのかな。


「あ」


 程なくして彼女は声を上げた。

 やっぱり優秀な子だ。人の心を解することにおいて彼女のポテンシャルは非常に高い。


「いえ、そんな、まさか」


「合ってるよ」


 また思考の迷路に入り込みそうになっている彼女を引っ張りあげる。

 そもそも迷えるほどの選択肢なんか無いはずなんだ。かぐやの記憶の中にいる男性は改めて数えるまでもなく少ない。


 それでも尚否定したくなるのは、常人の常識では有り得ないと思えるから。



「かぐやの曽祖父……ですか?」


 頷く。

 美濃の娘であることも羽衣の孫であることも決して偽りではない。だからこれが、美濃と羽衣に血縁が無いこと、及びかぐやの記憶を信じることを前提とした際に、唯一残された可能性。


 羽衣の孫じゃないこと、美濃の娘じゃないこと、これらの可能性を採用すれば辻褄は合わないが、かぐやが美濃と曽祖父との間の子であると考えれば全ての辻褄が合う。


 羽衣の孫であることと羽衣と姉妹であることは、両立し得る。



「かぐやが虐待を受けていたことは事実。愛する人の死が美濃の壊れたトリガーなのも事実だろう。だがここに矛盾がある。物心着く前にかぐやの父親が死んでいたならば……それが理由で美濃は精神を病み、かぐやを害したのであれば、彼女に曽祖父や母との穏やかな記憶があるわけが無い。つまり、虐待は間違いなく、物心着いた後に始まっている」


 金銭的な援助をしていた人がいなくなったから、という可能性も無くないが、頼れる身内が一人だということも、それが祖父という父や母と比べれば遠い血縁であることも不自然だ。


「かぐやに父が居ないことも、曽祖父が頻繁に訪ねてきていたこともこれで説明がつく。物心着く前に父が亡くなっただなんて伝聞以外で分かるわけもなし、ぼくでなくとも騙すことは容易いさ。無闇に吹聴出来るような話ではないからね、嘘をつく気持ちも分かる」


 つまるところこれもまた、知らなくていい真実。


「加えて、かぐやの祖母は高齢だった。病気でもなんでもなく、天寿を全うして逝ったらしいからね。美濃が歳をとってからかぐやを産んだのでない以上、羽衣と美濃の間には年の差があった。つまり、由緒正しき庭月野家には長らく跡取りがいなかった」


 このありふれた不幸が全ての始まり。

 ほとんど吐息と変わらない儚さで、スイちゃんは声を上げた。自分の先程の発言を思い出したのだろう。


「焦っただろうね。焦って焦って、焦った挙句、羽衣は養子を取ることにした。それが美濃だ」


「ですが、美濃には妹が……」


 言いながら、それが意味の無い台詞だと気付いたのだろう、スイちゃんは言葉を切った。そう、妹じゃ駄目だ……いや、妹だから駄目だった。


 黙り込んだスイちゃんに気づかなかった振りをして続ける。


「だが間もなくして羽衣は身篭った。待望していた子供をようやく授かったんだ。意識せずとも自然と差別的になってしまっていただろう」


 綺麗事をいくら並べても、実子と養子じゃスタートラインが違う。過ごした時間なんて関係ない。勝負は初めから決していた。

 全ての家族がそうだとは言わない。だが、庭月野家はそうだった。


 正当な跡継ぎが生まれた? そうかい、それは結構な事だねおめでとう。

 その幸せの裏で不幸になった少女を除けば、めでたいよ。


「義妹に両親の愛情を独占され、周りに身寄りのいなかった少女につけ込むことは、そう難しい事じゃ無かっただろう。孤独に喘ぐ美濃を言葉巧みに惑わし、そうして生ませたのが、かぐやだ」


 やり方は褒められないが、美濃の孤独はこうして埋められた。

 美濃は確かに、義理の祖父を愛した。


「今でこそ結婚年齢は上がっているけど、昔はそうでも無かっただろう。40も過ぎれば子供がいなきゃ十分異常な年齢だ。庭月野の家柄も考えて、羽衣が養子を貰ったのは恐らくもっと前。かぐやの曽祖父も大した年齢じゃなかったはずだ。確かに珍しいけれど、頑張るのは男の方なんだから、身体の負担の大きい女性が高齢なのよりは有り得そうな話でしょ」


「既に跡継ぎはいましたのに、どうしてそんなことを?」


「保険だろう。羽衣の例がある以上、跡継ぎは多い方がいい」


 これが正しいかどうかはぼくの決めることではないし、そうして成立した関係に言及するつもりもない。かぐやの曽祖父が美濃を本当に愛していたかどうかも、今となっては分からない。


 でも例えば、かぐやを襲ったという霊異が彼女の曽祖父の成れの果てだったとすれば、少しはロマンティックかもね。

 利害による関係だったはずが、いつしか哀れな少女の姿に惹かれていき、本気で愛し、最終的に一族への復讐を画策する感動のストーリー……とか。


 かぐやの受けたショックを思えば、無くはなさそうな話だ。


「だから、羽衣がかぐやを護るために美濃を殺したのは、やっぱり血縁の差なんだよ。単なる愛情の差だけでなく、庭月野の正当な跡継ぎを残さなくてはならないという、義務感も込でね」

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