15
「こっちだね。行くよ」
行くよ、と言う割に待つ気は無いらしい。音も立てずに来た道を遡る鴟蛇さんを慌てて追いかける。
玄関に一番近い襖に手をかけると、すっとあの独特の音を立てるだけで、なんの抵抗もしなかった。
「かぐやはさ、この家に何かを感じたりしないの?」
襖ばかりで面積の狭い壁を叩いたり、部屋をぐるりと一周したりして何事か検分しながら、彼女は私に問いかけた。
そう言われましても……
部屋を見回す。意識を集中させ、五感を研ぎ澄まそうと試み、多分他人には備わっていないだろう第六感までも働かせようと努める。
しかしやっぱり私には何も分からない。ただ、彼女がそう言うからには何かがあるのだろう。素人の私には分からず、専門家たる彼女には分かる何かが。
「別に霊異に関係することじゃなく、物理的な事なんだけど」
「物理的?」
どの道、何も感ずるところは無いのですが。
「そんなに難しい事じゃないんだけどな」
次の部屋へと足を進めながら、彼女は言う。
「随分ここの襖、簡単に開くと思わない?」
「襖は開くものでしょう」
「10年もの歳月放置されていた、古い日本家屋の襖がこんなに簡単に開くものだと、本当にキミは思っているのかい?」
「あ」
そういえばそうだ。確かにそれは有り得ない。
振り返って襖を開閉してみる。やはり淀みなく、むしろ気持ち良いくらいにスライドする。
いや、それを言うならそれ以前に。
「この家、綺麗すぎませんか?」
「その通りだ」
僅かな汚れや埃すら見当たらない各部屋。欠けや傷もない茶器や花瓶。未だに瑞々しく咲く花……言われてみれば明らかな違和感。
一応未だに所有権は庭月野家にあり、管理は叔母に一任しているが、私の知る限り叔母も私も、それに類する縁者も今日までここを訪れたことは無い筈だ。
「これは……えぇっと」
頭をよぎった恐ろしい想像に息を呑む。
こんな時こそ記憶よ飛べと願ってはみたものの、コントロール出来るような物なら私はこんなに悩んでいない。
ドクドクと鳴る胸に手を当て、落ち着けと言い聞かす。
そう、ここには電気も水も通っていない。いくつか物は残っているが、生活の跡は感じられない。
だから、ここに未だに誰かが住んでいるなんて、ある訳ない。
「さっき式神を放った時に気が付いたんだけど」
しきりに壁を叩いていた鴟蛇さんが、ニヤリと笑う。そして手のひらにハムスターを出現させ、そっと壁に近付ける。瞬間ハムスターは猛烈な勢いで壁を削り始めた。
あの玄関の穴の犯人が今確定した。
「ってちょっと!? 何やってるんですか!」
こっちが呆然としている隙に!
慌てて止めるも、普段霊異を相手取るハムスターにとって古民家の壁に穴を開けるなど造作もないことらしかった。言葉通りの意味で、あっという間に風穴を開けたハムスターはどこか誇らしげな顔でご主人様の内側に還っていった。
「あーあー……なんてことを……」
しかし破壊はそれだけに収まらなかった。
諦観でいっぱいの私を意にも介さず、鴟蛇さんはそのたおやかな指をささくれた壁の穴に引っ掛け、べりぃ! と豪快に壁を剥がしたのだ。
「なんと!?」
驚きすぎて今までしたことも無い驚き方をしてしまった。
しかし真に驚愕すべきはその先だった。
ハムスターと鴟蛇さんによって破壊された壁の穴の先、埃と暗闇で満たされているべきその場に、本来想定されないスペースがある。
自然にできるわけが無い、明らかに人の手が加えられたそれ。部屋と言うには狭すぎるが、棚として扱うには十分すぎるそれ……隠し部屋ならぬ隠し収納と呼ぶべきそこには、意味ありげに漆塗りの茶碗が鎮座していた。
これが何なのか尋ねる前に、鴟蛇さんはずんずんと次の部屋へと向けて歩き出す。心なしか先程よりもその足取りは力強く、そして速い。
「それで、何に気が付いたかって話なんだけど」
目まぐるしい展開に着いていくのがやっとだった。頭の中では解決しきれていない疑問がいくつも停滞していて、鴟蛇さんの言葉も上手く入ってこない。
「この家、五角形なんだ。それも多分、正五角形」
彼女はもう手当たり次第に壁を叩くことは無かった。妙に直線的に歩いたかと思えば、突き当たった壁を数度叩くだけでハムスターをけしかける。
「だから、部屋を確認していて疑問に思ったんだ。どうして普通の形をしているんだろう。何故通常の部屋と変わらず、どの部屋も四角形なんだろう、とね」
秒を跨がず穴を開けたハムスターに続いて、彼女は遠慮なしに壁を剥がす。そこにはまた隠された収納があり、純白の
「白」と小さく呟いて、彼女は踵を返す。
訳もわからずその背を追いながら、彼女の言葉を反芻する。
家が五角形? それが一体なんだというのだ。確かに珍しい形状だとも思うし、それをまったく感じさせない家の造りも不思議だが、有り得ないとまでは言えないだろう。
しかし、壁の内の謎のスペースが、それら全てが無意味ではないと言っている。
「あっ」
置いていかれないように必死になり過ぎていたか、何か固いものを踏んで転んでしまった。見れば先程の茶碗と同じく漆塗りの陶片だ。足の裏は痛むが、大事になりそうな傷はない。
ほっとした時、気が付く。この家の異常な暗さに今更気付く。そしてその理由に思い至る。
程よくお腹の空いたこの時間、太陽が頂点に居座る真昼間、それにも関わらず、この家は足元に何かがあると気が付けない程に薄暗い。
思考に沈んでいた意識が上手く現実を認識していなかったことも理由だろうが、それを差し引いても人が暮らすには危なっかしい。
そうだ。この家には……この日本家屋には障子がない。光を取り入れるための備えがない。小窓程度なら幾らかあるが、大きなものは玄関くらいだ。
先程の鴟蛇さんの言葉を思い出す。
中に入れてるんだ
正五角形の家の中に、通常の間取りの家が収まっていると、そういうことなのか。だから、外から見ると大きく見えたのか。
障子や窓がほとんど無いのは、意味をなさないから? 大部分が外壁に阻まれて外に接しておらず、光を取り入れることが出来ないから? 或いはそれに気が付かせない為なのか。
では、その意味とは?
無意味では有り得ないというのなら。
このデメリットしか無さそうな不可解な形の意味とは? 壁の中に隠された、あの物達の意味とは?
考えることは痛いこと。痛いことは悪いことで、悪いことはしてはいけないことだ。
そう決めたのがいつだったかなんて、時に容易く流されて忘却の彼方へと消えてしまったけれど、そう決めたのは確かに私だったのに、今私は、考えずにはいられない。
どれだけ痛かろうと。どれだけ苦しかろうと。考えても私には答えが出せないことなんて、とっくに分かっていたとしても、脳が勝手に思考する。
痛いのが頭だったのかそれとも別の何かだったのか、もう忘れてしまったけれど、忘れたままにはしたくないと、初めて思った。忘れたくないと、思えたのだ。
「黄」
三つ目は黄色いお手玉だった。
鴟蛇さんは壁を壊すことに全く躊躇せず、私ももう何も言う事はなかった。ただ口を噤んで事の成り行きを……謎のベールが壁と一緒に剥がされていくのを。この家に隠された何らかの意味が明かされていくのを実感するだけ。
四度目に至っては、私も一緒になって壁を剥がした。鎮座する青い蹴鞠を確認するや否や彼女はまた歩き出したが、もうそれを追うのに焦りも戸惑いもない。
私達は最初に訪れた居間に戻ってきた。これで終わりなのかと思ったが、鴟蛇さんは足を止めず、奥の襖を開け放った。
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