10
「一体どこに行っちゃったのかしら……」
鴟蛇さんに向けていた視線を正面に戻す。
手に巾着を提げたお婆さんが道路にうずくまっている。すわ体調でも悪いのかと焦りかけたが、普通に動き回っているし顔色も悪くなさそうでほっとした。
小走りに近寄って膝を折る。
「お手玉のお婆さん、どうかしたんですか?」
「あら、かぐやちゃん」
ぷくぷくの柔和な顔がこちらを向いた。何があったのかを聞く前に、手を引いて立ち上がらせる。折角の綺麗な着物だ、汚すのは勿体ない。
横に並んだ鴟蛇さんをちらりと見る。
年配の方が着る分にはやっぱり余り違和感ないですよね……いや、これ以上ないくらい鴟蛇さんも似合っているのだけども、異物感というか、異界感というか、非現実的な感じが否めない。
閑話休題。
「何か探しものですか?」
「ええ、そうなの。これくらいの手鏡なのだけど」
お婆さんは指で手のひらサイズの円を書いた。鏡としては少し小ぶりだろうか。
ダメ元で鴟蛇さんを見るが、彼女はふるりと首を振った。ですよね。
「うーん。あっちの方から歩いてきましたけど、それらしいものは見当たりませんでしたよ」
「そう? やっぱり家かしら……」
「普段から持ち歩いているものなのですか?」
尋ねてきた鴟蛇さんにお婆さんは目をむいた。余りにも綺麗な人だから驚いたのだろう、一瞬沈黙して、困ったようにこちらを見てくる。
「あー」
何と説明したものか。
馬鹿正直に「この方は霊異の専門家で今は私の依頼を受けて下さっている最中なんですよ」とは言いづらい。
「お友達です」
結局無難なところに着地した。
恐る恐る鴟蛇さんを伺うと、彼女もお婆さんと良く似た驚きの表情で私を見ていた。
すみません、私なんかが。内心で謝るが、聞こえはすまい。
返答までの微妙な間をお婆さんは気にしなかったようだ。ただ「あらまあ」と柔らかく笑う。
「あまり持ち歩いたりはしないのだけど……家中を探してもないものだから。困ったわ、時々あるのよ」
お婆さんは眉を下げて笑ったが、酷く寂しげに見えた。
そんな悲しそうな顔をされては、見過ごせない。
「あのう、鴟蛇さん」
上目で彼女を見る。視線を受けて、彼女は私とお婆さんを交互に見たあとに「仕方ないな」と苦笑した。
「手伝いますよ」
「そんな、悪いわ」
遠慮するお婆さんの手を両手で包む。
「大事なものなんでしょう?」
真っ直ぐにお婆さんのタレ目を見据える。ふるっ、と白い睫毛が揺れた。
「……母に、もらったものなの」
静かにお婆さんは言う。
ここまでご年配の方が言う母だ、言葉以上の意味がある。
無意識に手に力が篭もる。こんなにも年が離れているのに、なんだか共感を覚えてしまった。
「羽衣さんに似てきたわね」
「っ!」
頬を染めてお婆さんは言った。
走る頭痛に一瞬顔が歪む。数秒前に感じた暖かな気持ちが雲散霧消してモヤモヤとした気持ちが胸に満ちる。
本当に、なんなんだろう。
どうして祖母の話は私の心をこんなに乱すのだろう。
ほとんど覚えていないくせに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。
「そうですか」
無理矢理に笑顔を作る。多分、意外と上手だったと思う。
「おばあ様。とりあえず、お宅にお邪魔してもよろしいですか?」
「ええ、勿論構わないわ」
快諾して、お婆さんは上品に歩き出した。その背中を追いながら鴟蛇さんに耳打ちする。
「すみません、忙しいのに」
「キミの依頼だ、キミが良いなら良いさ。それに、失せ物探しは得意なんだ」
ウインクする鴟蛇さん。頼もしい。
「やっぱり家にあるんですかね」
「どうだろうね。随分古いもののようだし……まあ、大事にされてるみたいだから、多分家にあると思うよ」
「ですよね」
お婆さんの話を信じるなら外にもそう持ち出すことは無いようだし。
失礼な話、耄碌していたら信憑性も薄いのだが、小柄ながらしっかりとした立ち姿や上品な振る舞い、はきはきとした喋り方からしてその可能性は考えなくて良いだろう。
「ここよ」
程なくしてこじんまりとした二階建ての家に辿り着いた。祖母の家からもそう遠くないようで一安心。
案内されるままに居間に通されて、座布団に正座する。
テレビを見る習慣が無いのだろうか、棚とテーブルくらいしかない質素な部屋だ。それとも普段は他の部屋で過ごすのだろうか。
キッチンでお茶を淹れてくれている後ろ姿は、科学とは無縁なイメージを抱かせる。
「さて」
ただのんびりとした時間を楽しんでいると、本当に人形のように静かに座っていた鴟蛇さんがぽんと両手を合わせた。
そしてそのまま、ずいと私の目の前にそれを持ってくる。
「時間がある訳でもなし、さっさと済ませちゃおうか」
「はあ、そうですね……?」
早く済むなら勿論それに越したことはありませんが、一体この手はなんなので?
疑問のままに視線を向けると、彼女は「んふふ」と悪戯っぽく笑った。
「な、なんですか。怖いのは嫌ですよ」
「怖くないよ。可愛いよ」
「いや、可愛いってなんですか。あなたの手が可愛いのは知ってますよ、白くて綺麗ですね」
頑張って話をそらそうとしたのだが賛辞の言葉など聞き飽きているだろう彼女は、平気で私の下手なそれを無視した。
「開けてごらん」
散々嫌がったのだが、断固としてその手を私から離そうとしないので、渋々言う通りにした。
って、わあ。肌すべすべ。まさか本当に自分の可愛さを私に知らしめようとした訳ではあるまいな。
しかし違った。開いた彼女の手のひらの上には、黒い毛玉のようなものが乗っかっていたのだ。
「……ハムスター?」
つぶらな瞳の小動物が辺りをキョロキョロと見回しながら鼻をひくひくとさせていた。見たこともないくらい真っ黒だが、このフォルムはハムスターに違いない。
「か、可愛い」
「だろう?」
欲望に負けて指先で頭を撫でてやると、気持ちよさそうにされるがままだ。
しかし一体この子は今までどこにいたのだろう。まさか彼女がずっと隠し持っていたとは思えないが。
「式神だよ」
「しきがみ?」
彼女がまた手を合わせて、開いた。そこにはまた黒い毛玉が乗っている。
「ええ!?」
今度は拳を握った。三匹目が出てくる。どころか、最早瞬きの間に増えている。まるで手品だ、いやあるいは魔法か。
気づけばハムスターは優に20匹を越す数になった。黒い毛玉の集団が私を取り囲んでつぶらな瞳を向けてくる。
「う、うわあ。うわあ!」
すごい。ここはもふもふ天国だ。やったあ。
「『式』とは使役することを言う」
著しく知能の低下した私を無視して鴟蛇さんは言う。
「つまり霊能力の使役する神……というか、霊異かな。これを『式神』と呼ぶんだ」
「と、いうことはこの子達全員」
「キミの嫌いな魑魅魍魎の類だね」
ええ、そんな。こんなに可愛いのに。綺麗に整列なんかしちゃったりして……普通のハムスターは整列なんかしませんか。あれ? 本当に霊異じゃないですか。
「怖がらないの?」
「いや、散々可愛いって言っておいて、今更『ひい』とか『きゃあ』とか言えませんよ」
試しに手に乗せてみる。見た目はもちろん、感触も普通のハムスターと変わらない。
なんだ、こんなに可愛い子もいるじゃないですか。
「因みにその子たちは退魔の際にも非常に役に立ってね。相手が大型の時には皮膚を食い破って内側から」
「ひいい!?」
思わずぶん投げた。飛んでいったハムスターは壁にぶつかる前に煙のように消滅した。
鴟蛇さん大笑い。私半泣き。
そして鴟蛇さんは平然と減った分を補充していた。
「もう嫌です! 本当に嫌! 霊異なんて大嫌い! 鴟蛇さんのバカ!」
「ごめんって。もう二度としないよ」
「……本当ですか?」
「クモさんに誓って」
「嘘じゃないですか!」
嘘をつかないと息が出来ないとまで称した人間に誓うな。
ぎゃあぎゃあ喚いてはみるものの、これ以上の謝罪は見込めそうにもなかった。何しろ鴟蛇さんはこれ以上なく楽しそうだ。
このっ、悪魔か。いや、可愛いから小悪魔か。
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