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 電車に乗って数十分。それなりに都会の駅構内は、通勤通学時間を避けてもまあまあ混雑していた。今の時間は大抵大学にいるものだから知らなかった。駅周辺は充実しているから、どんな目的であれ人が集まるのだろう。考えてみれば当たり前の話。

 生まれた街に活気があるのは悪い気分ではない。しかし、今はその賑わいが恨めしかった。


「今からでも着替えません?」


「やだ」


 電車という文明の利器に触れてようやく、「着物」というアイテムの非日常さを思い出した。

 あの立派な日本屋敷ならいざ知らず、現代に染まりきった駅で鴟蛇さんの佇まいは異物以外の何物でもない。加えて彼女は、桜の花も恥じらって閉じてしまいそうな美少女である。


 人の視線というレーザーが遠慮なく突き刺さる。The普通の私を見るような物好きこそいないものの、隣にいればそれなりに精神はすり減る。


「人の視線って痛いんですねえ……」


 比喩じゃなく。


「良いじゃないか。視線じゃ人は死なないんだから。アイルランド神話のバロールじゃあるまいし」


 からからと笑う彼女を睨みつけるがどこ吹く風だ。

 視線には慣れていそうな彼女のこと、羨望も怨恨も嫉妬も慣れているのだろう。

 溜息を吐く。結局耐えるしかないのだ。

 

「ごめんね? これ仕事着だからさ。着てなくちゃ」


「ですか」


 なんて融通の効かない。


「あ。今、融通効かないなこの人、とか思ったでしょ」


「妖術ですか!?」


「サトリじゃなくともそれくらいは分かるさ。もう」


 唇を尖らせる鴟蛇さん。全く、私も一度、何をしても許されるくらいの容姿になってみたいものだ。


「しょうがないじゃないか、僕が仕事中だって分からないと邪魔をする人間が出てくるんだ」


「邪魔?」


「そう。例えば今ここに僕以外の術師が現れて、キミのバッグを指さし、『それ、霊異じゃない。私が退治してあげるわ』と言ってこうする。ばん!」


 指で鉄砲を作って撃つ真似をする彼女。一々かわいいなこの人、なんて思うが、思うだけにしてとりあえず頷いておく。

 それにしても嫌に具体的だが、思い当たる誰かでもいるんだろうか。


「人形はそれで呆気なく壊され、僕は目的を失い、キミは人形に悩まされることも無くなる。じゃあここで問題だ。キミは誰に依頼料を渡すべきだろう?」


「……えーっと?」


 そういえば依頼料のことなんてとんと忘れていた。鴟蛇さんも何も言わないものだからうっかり。


 さておき。


「依頼を受けたのは鴟蛇さんなんですから、鴟蛇さんが受け取るべきなのでは?」


「そう。それが道理だ。ただ、心情として払いたくはないだろう。だって解決したのは僕じゃない。僕にとっては運悪く、キミにとっては運良く、事件は、言ってしまえばんだ。自分とは与り知らぬ所で成された事にお金を払う人間はいないだろう?」


「まあ、それは確かに?」


 納得し難い話ではあるが、理解はできる。


「で、揉める。こちらも慈善事業じゃないからね、対価が無ければやっていけないよ。何も霞を食べて生きているわけじゃないんだ」


 両手のひらを天に向けて「やれやれ」と首を振る彼女は、どこかあの日のクモさんに似ている。随分と心酔しているようだし、意識している部分もあるのだろうか。


「ははあ。だから『今ここに八月一日ほそみち 鴟蛇しじゃがいて、仕事をしている』と示す必要があるということですか」


「そう。他に干渉しない……この業界の暗黙のルールだよ。勿論絶対に防げる訳じゃないし、努力義務みたいなものだけどね。それでもこっちがちゃんとしていれば、抗議だって出来るでしょ」


「なるほどです」



 確かに「桜色の着物を纏った黒髪の美少女」は目立つだろう。実際に姿を見たことがあれば忘れることの出来ない容姿だし、見たことがなくとも話に聞いていれば気付くことだってできる。


 あの人達も忘れられないんだろうなあ、なんて思いながら鴟蛇さんに見蕩れている通行人を横目で見やる。


「まあ、それを知っている上で無視する子も中にはいるんだけどね……」


 独り言のように呟く彼女の視線を何気なく追う。大きな鴉が電線に止まっていた。

 その視線を受けて鴉は、気のせいだろうか、何か明確な目的でも持っているみたいに、力強く飛び立っていった。



「それで鴟蛇さん。依頼料のお話ですが」


 出来れば流してしまいたい話題だったが、そういう訳にもいかない。相場なんて知らないが、余りにも高いようなら値下げ交渉をするか分割払いの交渉をするかしなければ。


 鴟蛇さんなら受け入れてくれる……はず。


「ああ。いや、いらないよ」


「へ?」


 だらだらと内心で冷や汗をかきながらパチパチと頭の中でそろばんを弾いていると、有り得ない言葉が聞こえてきた。


 今、無料ただと聞こえたのですが?


「クモさんの紹介だからね。お金なんて取れないよ」


「クモさん!!」


 思わず手を組んで天を仰いでしまった。すごい。すごいぞクモさんの威光。胡散臭いとか言って本当にすみませんでした。


「……ん? ちょっと待ってくださいよ」


「なに? 申し訳ないと思うならキミが預かってるクモさんのコートをくれればいいよ」


「いや、借り物ですからあげませんけど……」


 ファン過ぎるでしょう。

 閑話休題。



「依頼料が無料なら着物じゃなくても良かったのでは?」



 数秒の沈黙。

 上品に微笑みながらすぐ隣を歩いていた鴟蛇さんは、急に足を早めて片手を空に突き上げた。


「そんなことより霊異だ! さあ行くぞかぐや!」


「やっぱりただの趣味じゃないですかー!」


 すり減った私の精神を返せ。


 さっさと行ってしまう鴟蛇さんを小走りで追いかける。しゃなりとした歩き方なのに異様に早い。まるで宙を滑っているかのようだ。

 少しスピードを上げよう、そう思った時、鴟蛇さんがくるりと踵を返した。


「鴟蛇さん?」


「……こっちで合ってる?」


「えぇ……?」


 いや、まあ。

 実は薄々気付いてました。私の家の場所なんて知ってるわけないって。


 余りにも自信満々に歩くものだから、霊異の専門家特有の不思議パワーで住所も筒抜けなのかと思ったが、まあそんな訳はなかった。

 霊能力がそんなに万能だとしたら、世界は術師が支配しているに違いないのだ。


「こっちですよ」


 案内させるためとはいえ、すっと三歩後ろをついてくる姿は大和撫子そのものだ。前を歩く人間がレンちゃんならさぞや絵になった事だろうが、残念ながらここにいるのはちんちくりんの庭月野かぐやである。


 うーん。現実って悲しいです。


「かぐや?」


「気にしないでください。ちょっと世の中の不平等さに思いを馳せているだけですから」


「なぜ急にそんな悲観的に?」


 いやあ。牛乳を飲んでも大きくならない背丈とかその他諸々のせいですかね。


「ところで私の家になんか行ってどうするんです? 別になんの面白みもないアパートですよ」


「なに? キミ、木造の平屋だと言っていたじゃないか」


 ええ? 言ってませんよそんなこと。


「って、ああ。祖母の家のことですか。私、今そこには住んでないんですよ」


「ふん? そうなのかい」


「はい。お母さんが死んじゃったあと、私、母方の叔母に引き取られたんですよ。今のアパートは高校を卒業してから住んでるところです。叔母が大家をしてるところで、それなりに古いですけど良いところですよ。丁度二年目ですかね」


 上手く隠したつもりだったが、顔に出ていたのだろう、鴟蛇さんは申し訳なさそうに眉をひそめた。

 10年近くの歳月が経って尚、お母さんの死を平気な顔で語れるほど私は強くないようだ。


「じゃあ勝手に入ると不味いかな?」


「いえ、大丈夫だと思いますよ。権利はまだウチにあるはずです」


「そうか」


 短く答えて彼女は黙ってしまった。別に彼女は何も悪くないのに。

 何か言いたかったが、気にするなと言ってもそう簡単にその通りには出来ないのが人間というもの。人の心は随意筋じゃないのだ。


 そのまま会話もなく歩いて数分、正面から歩いてきたお爺さんが私を見てパッと顔を輝かせた。


「おや、もしかしてかぐやちゃんか?」


「はい?」


 確かに私は庭月野さん家のかぐやですけども?


「えっと?」


 思わずお爺さんの顔をまじまじと見てしまう。

 どうにも見覚えがない。向こうがこちらの名前を知っている以上面識があることは間違いないのだが。

 記憶を掘り返そうとすると頭痛がした。、と内心で溜息を吐いて考えるのをやめる。


「すみません、どこかでお会いしたでしょうか?」


「ああ、いや。君は小さかったからね、覚えてなくとも無理はない。むかーし羽衣はごろもさんと一緒におはじきで遊んだんだよ」


 その言葉に頭痛が増す。記憶を掘り返そうとする脳を無理矢理に押さえつけて、痛みを隠して笑みを作った。


「そうでしたか」


 それから二、三言交わしてお爺さんと別れた。その背中が小さくなってから鴟蛇さんが口を開く。


「羽衣というのは」


「私の祖母です」


 遮るように出た言葉は自分で思うより強かった。


「祖母とは折り合いが悪かったと聞いていたんだけど?」


「はい、それは確かです」


 私は間違いなく祖母を避けていた。苦手だったからだ。多分、厳しかったから。あと、お母さんと喧嘩するから。


「でも、先程のお爺さんの話では、キミは祖母と遊んでいたようじゃないか」


「さあ、どういうことなんでしょうね。最初から苦手ではなかったということでしょうか」


「さあ、ってキミ」


「覚えてないんですよ」


 あの屋敷で言ったことを、もう一度言う。

 嘘でもなんでもなく、本当に覚えていないのだ。

 祖母と遊んだことだけでなく、祖母と関わりのある記憶はほとんど。

 私の中で重要な記憶では無いということだろう。思い入れが無いのだから忘れても仕方あるまい。



「別に不思議なことでもないでしょう? 幼い頃のことなんて、覚えてる人の方が珍しいです」


「そうは言っても少しくらいは覚えてるものだろう」


「そういう人もいるってことですよ。良いじゃないですか、別に困ってませんし」


「またあんな風に声をかけられるかもしれないじゃないか」


「確かに一度や二度じゃありませんけど」


 今の「おはじきのお爺さん」の他にも「囲碁将棋のお爺さん」や「花札のお婆さん」、「けんだまのおじさん」などなど。私の記憶のない知り合いというのは多岐にわたる。



「……もしかして、全員覚えてないのかい?」



 心配そうに言う彼女に首を傾げる。



「何か不味いですか?」


「不味いも何も、全く知らない人間が声をかけてくるなんて、恐ろしいじゃないか」


 眉をひそめて彼女は言うが、どうしても納得できなかった。何が彼女にそう言わせるのだろう。


 だって。


「記憶がなくても親切にしてくれるんですから、怖がる理由なんてないでしょう?」


 初めこそ私だって怪しんだものだが、話を聞く限りでは私の幼少期や祖母のことを知っているのは確かだし、何より私を騙したところで何が手に入る訳でもないのだ。


「怖いよ」


「怖くないですよ。実際に何も起きていませんし」


「怖いよ、キミ」


 それこそ訳が分からない。

 抗議の声を上げようとした時、前方から知った声が聞こえた。

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