第十一章 「あの人たち」

「キリアが、あの人たちという言葉で表現することが好意的ではなかった。それから、ミレナ先生とのお別れのとき、何について話しているのかも気になっていたんだ……」

「変でしょう? あの人たちだなんて……でも、わたしには、それが普通なんです。あの人たちのことを『家族』と思えないんです」

 デュラハンの顔をちらと見る。これまでと変わらない真剣な表情でキリアと向き合っていた。

 彼女の視線に勇気をもらう。つぐみかけた口が開いた。

「先生は出会ったときから、わたしとあの人たちの関係をわかっていたみたいです。おそらく今みたいに、わたしの話し方でわかったんじゃないでしょうか」

「だから、お別れのときに、キリアにあのようなメッセージを送ったのか……」

「たぶん、そうですね」

 デュラハンがキリアに優しく語り掛ける。

「キリアのことを変だなんて思っていない。だから、おまえと『あの人たち』の関係がどんなものだったか、聴かせてくれないか?」

 ここまで対話を続けてきたデュラハンのことを信じて、決心した。

「……話します」

「ああ。どんなことでも、ちゃんと受け止めよう。辛ければ、あたしに預ければいい」

 デュラハンは姿勢を正し、改めてキリアに向き合う。

 安心感が増した。これなら話せそうだった。

 顔を上げて、キリアは語りはじめた。


「わたしの『家族』は、父親と母親、そして年の離れた兄が一人……わたしを含めて合計四人でした。

 両親ともに国の運営に直接的に関わるような有能な官僚だったようです。兄は両親と同じようになるべく、大学で猛勉強をしていました」

「あたしはイドラだから、よくわからないが……そのような家族は特別なのか?」

「家族構成に関して言えば、何も特別ではありません。ただ……他の『家族』と比較すると、少し……いえ、かなり裕福な環境でした。それは、使用人を雇うほどです。

 両親ともに家にいることが少なかったため、家の管理と兄とわたしの養育を任せていました」

「では、キリアはなぜその人たちのことを『家族』と思えなかったんだ?」

「それは……違和感です」

「違和感……何が違っていた?」

 キリアは目を伏せる。

「デュラハンは、ドラマやCMを観たり、漫画や本を読んだりしますか?」

 デュラハンは首をふる。

「そこまで詳しくない。だが、なんとなくわかる」

「そうですか。それらで見る『家族』は、深い絆で結ばれた温かくて尊いものだ、という表現が多いのです。でも、わたしの近くにいるあの人たちは違いました。そんなものではなかった……だから、『家族』と思えなかったのです」

 デュラハンは、言葉を挟まず、揺らがずにキリアの言葉に集中している。

 目の前が淡く光りだした。ふと書割を見ると、先ほどと同じように発光をはじめている。今度はあの人たちとの場面だろう。光の先にあるものを、こぶしをにぎりながら見つめた――


 *

「馬鹿もの!」

 お父さまの雷に似た怒鳴り声がリビングを揺らす。

 キリアはダイニングから兄が両親に怒られている様子を見ていた。

 お父さまは専用の安楽いすに座り、ひじをついて前をにらんでいる。視線の先には、兄さまがいた。二人掛けソファーの真ん中で縮こまっている。

 お母さまは、安楽いすの近くにあるスツールに腰かけ、頭を抱えていた。

「ごめんなさい……」

 兄がうつむき、手をひざにおいて力なく謝罪の言葉をつぶやく。

 キリアから見れば、兄は大学に入学した立派な大人だった。しかし、両親の前では、キリアと同じ年齢の子どものように見える。

「いつになったら自覚するんだっ! こんな有様では、私のようになれないぞ!」

 お父さまは片手に持った一枚の紙をにぎりつぶして丸め、兄さまに投げつけた。

 その紙は兄さまの成績表だ。兄さまはお父さまとやお母さまと同じ大学に通い、将来はお父さまと同じ仕事をするために勉学に励んでいる。しかし、なかなか結果が出ないようだった。お世辞にも良いとは言えない結果がお母さまに報告され、それがお父さまの耳に入り、今の状況に至ったようだ。

「あなた大学でちゃんと勉強しているの? 遊びほうけているんじゃないでしょうね?」

 お母さまの言葉に、兄は大きく反応する。

「っ……! していますっ! 毎日必死ですっ……それでも駄目なんです。もう、限界です」

「甘えたことを言うなっ!」

 お父さまがさらに激する。キリアは驚き、思わず肩をすくめる。もう聞きたくないほどの恐怖を感じていた。

「勉学に限界などないっ! やり方が悪いのだ」お父さまは頭を抱えてため息をつく「来週から、お前の生活全般を管理するものを用意する。私の方針を伝えておく。もう、お前の自由はないぞ! 覚悟しておけ!」

「そんなっ! 待ってください。無理です! これ以上がんばれません!」

 兄さまは顔をはね上げて、両親を交互に見る。お父さまはもちろん、お母さまも反応しない。

 青ざめ歪んだ顔を貼り付けた兄さまは、抵抗をあきらめ、やがてソファから立ち上がる。

 うつむいたまま移動し、リビングの扉に手をかけたとき、ぐるりと顔を向けてキリアの方を見る。そして、怒りと悲しみをぐちゃぐちゃに混ぜたグロテスクな表情をキリアに向けた。

(ひっ……)口には出さなかった。

 兄さまは妹の自分を憎んでいる……。あんなふうににらまれるのは、いつものことだった。以前は直接的に言葉や暴力でいじめられていた。それが両親にばれたとき、兄は、キリアが受けた暴力以上の力で制裁された。

(わたしは両親に叱られたことがない。きっとこれが兄の憎しみの原因だ……)

「キリアの状況について報告しなさい」

 母の声がダイニングに届く。キリアのそばにいた使用人の女性が動き出す。「さあ、参りましょう」とキリアに声をかけ、リビングへ移動した。キリアも後に続いてリビングに入り、兄が座っていた場所に座る。それと同時にソファーの後ろに控えた使用人が報告をはじめる。

「キリアさまのご勉学の状況ですが、いたって順調でございます。

 学校では校内順位で三位以内をキープ。現在習得中の五つの習い事に関しては、五つの内三つがスケジュール通りに完了予定。二つについては予定よりも早くカリキュラムが終わります」

 使用人は用意していたレポートを両親に渡す。

「お母さま」キリアが使用人の言葉を補足する。「今度の習い事はすごく楽しかったです。もう少し続けたいのですけど……」

「駄目です」レポートに目を落としたまま、母が答える「もう次の予定が決まっています。勝手に変更はできません」

「そう、ですか……」

 母が続けて使用人に伝える。

「次の予定を早めましょう。……『表現力』のレッスン、ですね。先方のミレナ・アプローブ先生に予定変更をお伝えしてください」

「はい。そのように」

「おい」父が使用人を呼び、レポートを指さす「この科目はより発展的なことが学べるように手配しろ。あとは、こちらはもっと力を入れて学習させろ。ふさわしくない成績だ」

「はい。かしこまりました」

 父がさきほど指さしたのは得意な科目だった。

「あの……わたし、その教科で満点を取ったのですよ。とてもがんばって……」

「キリア、そんな報告は必要ない。この資料に示されているし、私の子どもならば当然のことだ。そうでなければならないんだ」

「は、はい……申し訳ありません」

 母が使用人に向かって言った。

「大きな方針変更は以上です。変更点を確定させて、今後も予定通りに進めてください」

 使用人がおじぎをする。「さあ、行きましょう」とキリアを促す。キリアはソファーから立ち上がり、同じように両親におじぎをする。そして使用人とともにリビングを退室した。


 キリアは自分の部屋に向かいながら、考えていた。毎週の「やり取り」を終えたあと、いつも感じる「これが普通なのか」という疑問についてだ。

 まるでモノを扱うように兄や自分と関係する両親。そんな両親に反発できずに卑屈に従いつづける兄。両親に忠実な使用人。

 これらは、あまりにも違っていた。

(学校の図書館でこっそり読んだ漫画。そこに描写されていた深い絆で結ばれ、なんでも言い合える温かい「家族」と……)

 キリアは使用人に続いて部屋の中に入る。これからまた四時間の勉強が始まる。

 そろそろあの「やり取り」にも慣れてきていた。何を言われるか、どう扱われるかが手に取るようにわかるし、何かを言ったところで何の反応もないことを知っている。

 だから、「あの人たち」に期待しなくなった。だから、話したくなくなった。だから、話せなくなってしまった……。


 キリアの部屋が閉じられるのを見た。

 書割の光が絵の方に戻っていく。前に見た「先生とのお別れ」と比較すると、あまりにも冷たくドライな書割の世界だった。


 *

 光が引いたあと、デュラハンが唐突に告げた。

「今のが、キリアの違和感……。あの場で経験して、あたしも違うと思った。嫌だと思った。少なくともこれではない、と……」

「『自分の家族』と『それ以外』を意識したら、家族という存在自体に胡散くささを感じるようになりました。どうせ違うんでしょって言いたくなるんです。物語の家族はもちろん、友達の家族に対しても……」

「違和感をもう一度経験して、キリアは今どう思っているんだ?」

 悲しい、腹立たしい、そんな気持ちもある。しかし、デュラハンに対して思いのほか淡々と語っていることを自覚している。いったい自分は何を思っているのだろうか。

 こんな感情は初めてだった。どうやって心に納めればいいのだろう。

 何も応えられずにいると、デュラハンが改めて問いかけてくれた。

「もう少し話してみないか? そうすれば、自然に整理できるかもしれない」

「そう、ですね」

「話せなくなったと言っていたが、どうしてそんなことになったんだ?」

「あれから、あの人たちに『違和感』がばれないようにすることに必死になりました。そして、それを隠そうとすればするほど、大きくなっていきました

 表情、態度、言葉。すべてに気を張って、あの人たちと接する。もしも、この違和感が両親にばれたらと思うと怖かったです。兄に向けられた怒りの矛先がわたしに向かってくるかもしれないと怯えるようになりました」

「家にいるあいだ、ずっと気を張っているなんて、大丈夫だったのか?」

「そういう力配分は上手くできました。あの人たちと会話をせずに、最低限のあいさつやうなずき、応答だけで済ませるようにしました」

 キリアは、自嘲の笑いをもらして、デュラハンに告白する。

「でも、そうしているうちに、あの人たちに対して、話すことができなくなりました。自分から何かを話すこと、長く会話をすることも嫌になって……」

 デュラハンが悲痛な表情をしていた。何でもないこととして話していたが、これはそれほど悲しいことだったのかもしれない。

 あのときは話したくない気持ちや話せなくなったことがばれないように、自分をよそおうことに必死だった。張り付けた微笑。「いいえ」と言わないこと。怖くないふりをすること。

 今思うと窮屈だった。しかし、そうしないと生きていけない。本当にそう思っていた。緊張を解けば、隙をねらわれて、からだと心を傷つけられるとも思っていた。

「他にもキリアにとっての『心の壁』のようなものはあったのか?」

「しいて言えば、課された習い事や勉強に集中したことでしょうか。あの人たちと話す時間は必然的に少なくなりますから……。言いつけどおりにして、良い結果を出せば、問題なしとみなされ、叱責される理由はありません。絶好の居場所だったと思います」

「そういえば、習い事はミレナ先生だけではなかったんだな」

「ええ。学校の勉強、マナー、料理、音楽。いろんなことをしました。わたしは器用だったみたいで、やればやるほどいろんなことができるようになりました。これは良かったことですね」

「……悪かったこともあったのか?」

 デュラハンが当然のことのように訊いてきた。キリアは気持ちが落ち込むのを感じた。

「それは……習い事や勉強で良い結果を出したときに苦しい思いをすることです。がんばって良い成績を得たとき、家の中の息苦しさを忘れるほどうれしかった。でも……すぐにうれしさよりもつらさの方が強くなってしまうんです」

「つらくなった……なぜ、そうなる?」

「ほめてもらいたくなるんです」

 そう言って、キリアは目を伏せた。デュラハンを見ずに話を進める。

「すべては両親の言いつけで行っていました。だったら、指示どおりにちゃんとやったことや良い成績を収めたことをほめてもらうのは当然だ、と思っていたのですが……ほめられたことは一度もありませんでした。それに、成績が悪くて怒られたこともありません。

 兄は、どんなにがんばっても結果が伴わないため、必ず叱責されていました。どれだけ訴えても、努力が足りないと否定され続けました。ほめられるところを見たことがありません。

 兄の様子を見ていて、同じようになるのが怖かったのですが……。成績が不振だったときは、特に怒られずに、使用人の監督のもと、その習い事や勉強の復習が課されて、良い成績を収めるまで勉強漬けという程度で済んでいました」

「両親からの反応がまったくなかった……」

「そうです。ほめられも怒られもしない代わりに、次の課題だけは欠かさずに伝えられました。予定通りに完了することを当たり前と決めつけられ、どんな感想も捨て置かれ、淡々とやることだけが積みあがっていく……。

 この状況に納得できない理不尽さと、もしかしたらあの人たちに、わたしの違和感がばれており、その罰なのかもしれないという恐怖を感じていました」

「そんな状況、どうにかなってしまいそうだ……」

「ほめてもらうことはあきらめました」キリアが苦笑まじりに吐き出す。「習い事や勉強でよい結果を残しても『ただ目の前を通り過ぎるもの』くらいにしか思わないことにしました。ただ、あの人たちから逃げるための味気ないイベントです……」

「まるで……あの人たちがキリアのことを何の感情もなく、きれいに磨いているようだ」

 デュラハンの言葉が、いくつかの思い出を引っ張り上げた。

「それ……正しいかもしれません」

「正しい、とは?」

「長くなりそうですが……なるべく順を追って話します」

「ああ、問題ない。じっくり聴かせてもらう」

 キリアは大きく深呼吸をしたあと、話しはじめる。

「ミレナ先生とのお別れのあと、あの人たちには内緒で、アイドルにどうやったらなれるのかを調べていました。デュラハンが襲撃した『ザ・インダクション』のようなフェスにも、あの人たちの目をかいくぐって観に行きました。

 そんなある日、わたしはジュリアさんにアイドルとしてスカウトされたのです」

「それが、ジュリアとの出会い……」

「ええ、そうです」キリアの右手が、鎧の胸当ての亀裂にふれる。「とても、うれしかったです……。でも、あの人たちから『アイドルになること』の許しをどうやってもらえばいいのか、わからなくて不安でした」

「ジュリアは、おまえとあの人たちの関係を知っていたのか?」

「はい。すべて話していました。彼女は『私に任せてくれ』と言い、あの人たちと、わたしの今後について話し合う場のセッティングをはじめました。わたしも話し合いに参加することになりました」

 デュラハンが心配そうに尋ねた。

「あの人たちと話せない状態だったのに、問題なかったのか?」

「はい……問題はありませんでした。なぜなら、あの人たちに対して、すべての話をしたのはジュリアさんだったからです。彼女は、スカウトの経緯や、わたしの思い、アイドルになったあとの生活について、すべてを説明しました。わたしは、うなずいたり、はいと答えたりしただけで……。すごく情けなかったことを覚えています」

 キリアは、右手で鎧の亀裂をぎゅっとにぎりしめた。

「あの人たちは、なんと答えたんだ?」

「アイドルになることを許す、と。それに、許可だけでなく、すごいぞと称賛されました。ほめられたんです。あの人たちにほめられたのは、それが最初で最後でした。でも……」

 突然、書割が強く発光する。描かれたのは壮年の男女。キリアの両親だった。

 安楽いすに座った父の絵が動き、言葉を発した。

「それなら……今進めている縁談は中止にしよう。ジュリアさんのような有名な方に預ければ、うちのものを必ず実力と名声を兼ね備えた世界的なアイドルにしてくださるだろう。

 縁談はそのあと……今よりも価値が上がったそのときに、今よりも地位の高い、もっとふさわしい相手に……」

 父が声を立てずに笑みを浮かべている。うすら寒いものを感じた。きっと当時もそう思っていただろう。書割に映る両親以外の声が聞こえてきた。自分の声だ。

「縁談って……」

 父の隣のスツールに座る、満面の笑みをたたえた母が浮ついた感じで応えた。

「あら、話していませんでしたか? あなたは中学校の卒業と同時に懇意にしていただいている上院議員先生のもとに嫁ぐことになっていたのですが……。これならもっと良いご縁が結べそうですね!」

 書割が突如ブラックアウトした。静寂が再び訪れる。

(見たくない。聞きたくない。そう思った途端に消えた……)

 キリアは、鎧のすき間からのぞくぼろぼろの服を撫でながら、力なく笑う。

「今観たとおり、わたしはすぐに結婚することになっていたみたいです。相手は、さる高貴な家の次期当主。今どき聞かない政略結婚でした。

 わたしは、相手の家への贈り物。良い状態で受け取ってもらうために、有無を言わさず磨かれていた……。贈り物をほめたり、怒ったりする人はいません。

 先ほど、デュラハンは『磨く』と言ったときに正しいと言ったのは、このことです」

「そう、だったのか……」

 デュラハンはからだごと前に倒し、うなだれる。

 キリアは、ふと気づいた。なんとなくだが、彼女の身振りは、わたしの心の表れだと思った。

(ああ……やっぱりわたしに、家族はいないんだ)

 キリアもデュラハンと同じようにうなだれる。

(あの人たちの目が向いていたのは、「上」。組織的な出世、そして社会的な出世。そのためなら子どもだって利用する。……もしかしたら利用していると思っていないかもしれない。それが当然だと思って、自分たちが正しいことを疑っていないのかも)

 キリアがアイドルとなることを許可したのも、ほめたのも、自分たちにとって利益があるからで、けっして祝福したわけではない。あのときもそれがわかっていた。そして、今改めてそれがわかり、絶望していた。

 行方不明になって、あの人たちの計画はどうなっただろう。ふとそんなことが頭をよぎったが、キリアにとってはもうどうでもよいことだった。

 キリアもデュラハンも言葉を失っていた。

 二人のあいだに、再び沈黙が訪れる。今度は少し長かった。


 キリアが口を開く。ここまでの話で気づいたことがあった。

「『マリアへの憧れ』、『ジュリアとの確執』、『ミレナ先生との出会い』、『あの人たちとの過去』……いろんなことを話してきました。

 それで……なんとなくですが、『あの人たちとの過去』が、二年前の『ジュリアとの確執』につながっているような気がしました。ほめられたいという不満な気持ち。それが昔と変わらず、わたしに強く影響しているようです。もう、なくしたいのに……どうすればいいのでしょう」

 デュラハンがうなずき、応える。

「それがキリアの問題なんだな。それについてもう少し話してみないか」

「ええ。そうしましょう」

「あたしが気づいたのは、『ミレナ先生との出会い』を話しているキリアと『あの人たちの過去』を話しているキリアでは様子が違ったということだ。一方では楽しそうに、一方では淡々とつまらなさそうに……。

 キリアは、ミレナ先生といっしょにいたときに、あの人たちのことを考えていたか? あの人たちの影響があったと感じていたか?」

「……なかった、と思います」

 デュラハンがさらに問う。

「なぜミレナ先生といっしょだと、あの人たちの影響がなかったんだ? ミレナ先生との時間には何か特別なことがあったのか?」

 先生といっしょだったときは……あの人たちの前のような、何をやっても変わらない無力感やつまらなさを感じなかった。

 でも、先生と別れてから、だんだんとその影響が戻ってきた。

 憧れだったアイドルになったあと、今度はジュリアさんに対して、あの人たちと同じような失望を感じた。それを何とかしたくて、イドラの大釜への偵察任務に志願し、デュラハンに負けてしまって、今ここにいる。

(わたしは同じことを繰り返している。先生と過ごした時間だけが例外……違いは……)

 心に浮かんだ考えを口にした。

「あの人たちとは話せなかった。しかし、ミレナ先生とはたくさん会話をした」

 デュラハンが、続けて尋ねる。

「あの人たちとミレナ先生。何が違ったんだ?」

「わたしの話を……先生はちゃんと聴いてくれました。だから、話せたんです。でも、あの人たちはまったく聴いてくれませんでした。だから、話せなかった。ただ、それだけ……」

 キリアは、今の自分の言葉を聞いて、手がかりをつかんだ。

 先生は、ふれてくれた。抱きしめてくれた。だから、話すことができた。

 あの人たちは、遠かった。遠ざけていた。だから、話したくなかった。

「あの人たちは、わたしであることを認めず、きっと……所有物として思いどおりに扱っていました。それに逆らうことができなかった。わたしは、わたしであることを放棄していました」

 キリアは目を見開き、両手をにぎり締める。すると、全身に力が入り背筋が伸びた。

 顔をデュラハンの方にまっすぐ向けて、目を見開いた。

「ミレナ先生は……そんなわたしを、見て、ふれて、聴いて、わたしを、わたしだと認めてくれたのです。だから、わたしは、わたしであることを安心して表現できていたのです」

 からだの奥から力が湧いてくる。生きている温かさを感じる。

 ふいに「答え」がやってきた。今の自分のすべてにつながっていると確信できること。湧き上がる熱い思いのまま、自然に言葉が出ていた。

「ああ、そうか! そうだったんだ」

 ――必要なのは、「わたしが、わたしであること」だ。

 そのとき、キリアの胸から光があふれ出す。朝焼けのような紅黄色のアドミレーションだった。光はキリアの全身を包み込み、座っていたキリアをふわりと宙に浮かせる。

 大きな亀裂の入った鎧が、じわじわと溶け消える。鎧の下に着ていたぼろぼろだった服も風化するように、いっしょに消えていく。

 キリアが一糸もまとわぬ姿になる。全身を包む光がキリアのからだにまとわりつき凝縮すると、ロングスカートの真っ白なワンピースとなった。ふわりふわりと自在にゆれ動き、軽くて動きやすい。

 キリアは、ゆっくりといすに着地した。

 デュラハンに視線を移す。彼女は呆然としていた。

「何が……起こったんだ?」

「何が起こったのか、わたしにもわかりません。ですが、自分のことがわかりました」

「自分の、こと……」

「わたしは、ジュリアさんに、ミレナ先生と同じようにわたしであることを認めてもらいたかったんです。でも、彼女のことが信じられなくなり、認めてもらうことに飢えるようになって、あの人たちに対して思っていた失望や絶望を、ジュリアさんにも感じるようになりました。

 そして、その気持ちに囚われたまま、任務に臨み、失敗して、聖杯浸食されてしまいました。未だに自信のない状態が続いています……」

 デュラハンは、顔をしかめて、いぶかしむようにキリアを見ていた。

 キリアは続きを答えた。

「今までのわたしは、アイドルになる前はあの人たちに、アイドルになってからはジュリアさんに、認めてもらいたい一心でがんばっていました。

 でも、それは、他人ばかり気にして、他人の顔色で自分のことを決めていたということです」

 胸に手を当てる。傷つき凍えた自分の心を癒し温める。

「誰かに見ていて欲しかったんです。そうでないとどうやって生きていけばいいか不安でした。誰かの言うように生きれば、認めてもらえて、見てもらえる……。

 でも、本当に認めてもらえるかどうかはわかりません。他人がどう思うかなんて、自分ではけっしてわからないのに、勝手に期待して、勝手に失望していました」

 その手をぎゅっとにぎる。

「もう、そんな自分に疲れました。たとえミレナ先生がいなくても、わたしだけで、わたしであることを感じられるようになりたい。わたしであることを、誰かに預けたくない!」

 キリアは一度、深呼吸をする。自分が今、大きなの変化のただ中にいることを感じていた。高揚感で少しからだが震えていた。こころは、絡み合っていたものが一気にほぐれ、すっきりとしている。

「だから……、わたしは、この今の気持ちのまま、いろんなことをやり直したいと思いました」

「今の気持ちのまま……やり直す?」

「ええ。もっと自分を大切にしたい。自分の好きなものを、他人に対して堂々と好きだと言えるようになりたい。他人の評価を一つの意見だと思えるようになりたい」

 キリアは、目の前に座るデュラハンを見つめ、素直な気持ちを示した。

「いっしょに話すことができて、本当によかった」

 しかし、デュラハンは、まだもやもやしたままらしい。しかめた顔のまま、どこかキリアを恐れているように感じる。ほんの数秒の間を空けて「ああ」と応えたデュラハンは、挑むようにじっとキリア見つめて話しはじめた。

「この対話は、あたしがキリアのことを知るために行っているよな?」

「はい」

「キリアの過去のことは理解できた。でも、今のキリアが理解できなくなった」

「今の、わたし……」

「大丈夫だ。それは後でいっしょに考えよう。それよりも次は、これからのこと……未来について話そう」

 デュラハンが焦りや理解のできなさで、いらいらしているのがよくわかった。

 キリアは戸惑いつつも、自分であるための勇気をふりしぼって、デュラハンと向き合いつづけることを決意した。

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