第七章 「ノヴム・オルガヌム」

 聖杯の中から「見られている」ことを感じた。何度経験しても奇妙な感覚だった。

 キリアに向かって声をかける。

「ようやく目覚めたか」

「……ここは、どこですか?」

「イドラの大釜だよ」

 はるか上空から、膨大な量の液化イドラ・アドミレーションをたたえる黒く巨大な湖を見下ろす。まるで大地にぽっかりあいた大きな穴のようだ。

 バランスを崩したら、あの穴に墜落して二度と地上に戻れないかもしれない。そんな気持ちになってしまう。

 デュラハンは、前を向いて、パラノイアスキルの出力を上げた。足がしっかりと空中に固定されたことを確認する。

 北の方角に、最果ての都市レンヌ・ル・シャトーが見えてきた。このイドラの大釜の黒とは対照的な白と灰色の建造物で満たされていた。

(ああ、帰ってきたんだ……)

 ホームにたどり着いた安心感。そして、それを上回る緊張感を同時に抱える。

 キャメロットに対する二度目の敗北。この事実を報告しなければならない。マリアの叱責があるかもしれない。他の黒のアイドルに嘲笑されるのだろうか。嫌な想像しかできなかった。

 このまま帰らなければ……そんなことも考えてしまう。しかし、そんなことは絶対にできない。あそこにはマリアがいる。帰らなければ、見限られ捨てられてしまう。だから、帰還する。

「キャメロットには、負けたよ」

「えっ? でも……リンのアンコールバーストは防げたはず……」

「そう。リンの大槍を防ぐことはできたんだ。でも、そのあと、一年前と同じように聖杯に異常が発生して、それで戦闘が続けられなくなった。聖杯で何が起こったのか教えてくれないか?」

「……わたしも、はっきりと覚えていません。聖杯の中が橙色で満たされて……」

「本当なのかっ? あたしの邪魔をしたんじゃないのか?」

「そんなことっ! 絶対、しません……。わたし、本当に何が起こったのかわからないんです。だから、わざとではありません。あなたの邪魔なんて、したくてもできません……」

 キリアの言葉が次第にか細くなる。

 聖杯浸食をして、彼女の自由を奪ってしまった。普段は意識しない澱のような罪悪感が心に浮かび上がってくる。キリアを責めたい気持ちは、もう、なえていた。

「あたしは知りたいんだ。聖杯の……」

 デュラハンは、キリアと会話しながら、不思議な感情に浸っていた。

 聖杯の機能不全の原因が、キリアにあったとしても、彼女を排除したい、とは思えなかった。

 もちろん、聖杯浸食という行為は、イドラが自分の疑似聖杯を、相手の聖杯に預けることだ。もう元には戻れないという意味で、彼女は排除できない。

 それとは別のキリアと離れたくないという想いがあった。その想いが、いったい何なのか。上手く説明ができない。

 それでも、あえて言葉にするとしたら、彼女との会話が好きなのだ。聖杯浸食した相手を責めず、無視せず、ちゃんと話を聴いてくれる。いつの間にか、彼女がそうしてくれることを期待し、頼り始めていた。そして、彼女のことも、もっと知りたいとさえ思うようになった。

(自分は、少し、おかしいのかもしれない……)

「どうしたんですか? 黙り込んで……まだ気持ち悪さが残っていますか?」

「……ああ、すまない。聖杯の機能不全。その原因を知りたいんだ。

 あたし、実は聖杯浸食のことがよくわかっていなくて……。野生のイドラなら生まれてすぐに本能的に知っているようなのだが、マリアから産まれたあたしには、それがわからなかった。

 それに、イドラの大釜の守護として、ずっとひとりだったし、他の黒のアイドルと話すことなんてほとんどなかったから……」

「そう、だったのですね……」

 デュラハンは、キリアに余計な心配をされないよう、物思いにふけることをやめた。

 そして、宙を踏みしめて、北に見えるレンヌ・ル・シャトーへ歩を進める。

 このキリアへの想いを本人に伝えても良いのだろうか。キリアはどう思うのだろう。

 今、彼女は自分の心の近くにいるのに、遠くにいるように感じていた。


 デュラハンが帰還した数日後。

 都市の中心にある小高い山の頂上。そこにそびえ立つノヴム・オルガヌムの本拠点、アヴニール大聖堂。そこで、定期会合が開催されることになった。

 デュラハンが部屋の扉を開けると、まだ誰もいなかった。

 ここは、大聖堂に隣接した講堂の中にある一室だ。最上階である三階の中央に位置する通称「星零の間」。内部は、磨き上げられた灰白色の大理石で囲まれ、華美な装飾はなく、落ち着いた雰囲気を感じる。

 特徴的なのは、天井と床だ。

 天井には、ドームのかたちをした巨大なステンドグラスが輝いている。黒と白のガラスを使って夜空とそこにまたたく星をモチーフにして作られており、荘厳さではなく、静謐さが際立っていた。

 ステンドグラスの周りは強化ガラスがはめ込まれている。空の様子が一目瞭然だった。今日の天気は快晴。西に傾きはじめた午後の日差しが部屋を明るく照らしている。

 床はもっと特徴的だった。部屋の中央部分に直径五メートルほどの浅い穴があけられ、液化イドラ・アドミレーションで満たされていた。床と間違えて踏み出してしまいそうなほど水面は凪いでいる。液化アドミレーションの池の周りには、合計十三脚のいすが等間隔に配置されていた。巨大な大理石から切り出されたのだろうか、床と一体になっており、自分の身長よりも高い背もたれと両側にひじ掛けがある。

 これら十三脚のいすに座るのが、ノヴム・オルガヌムに所属する、黒のアイドルやイドラの中で序列が上位にあるものたちだ。

 デュラハンは第七位。慣例により席順は、最初に座ったものに合わせて、序列順に右回りで座ることになっている。出入口近くのいすに座ることにした。

 ひじをつき、天井を見上げる。黒と白のステンドグラスは、液化アドミレーションの池とその周りにある十三脚のいすを覆うほど大きい。太陽の光が、白のガラスでできた星にかたどられて、その下にある液化イドラ・アドミレーションに降り注ぐ。イドラの大釜を守護していたときを思い出して気分が悪くなる。

 突然、扉が開いた。黒と灰色のモノトーンで作られた修道服を着た女性たちが部屋に入ってきた。全員から底知れないアドミレーションと実力を感じる。彼女たちはデュラハンをちらと見たあと、それぞれが自分のいすを探し、そこに腰かけた。

 修道服はノヴム・オルガヌムの制服だ。デュラハンも着ている。昔はルールに則った着こなしが必須であったらしい。しかし、今は個人ごとに自由にすることが許されていた。アクセサリーを付けたり、わざと着くずしたり、原形がほとんどなくなるほど改造したりして、自分の個性を主張している。デュラハンもワンピースのスカート部のサイドを裂いて、下にはいたカーゴパンツを見せている。ベールも取り去ってしまった。

 みな一様に黙り込んでうつむき、目をつむったり、アドミレーションの池を眺めたりしている。天井のステンドグラスによる影で、顔の表情ははっきりと見えなかった。

 私に向かって左側の六席のうち一つが空席だった。そこは第一位のものが座る場所。

 そのとき、再び扉が開く。そこから、修道服を慣例に沿ってきちんと身につけた大人の女性が入ってきた。他のメンバーを上回る威容を発揮する彼女が、ノヴム・オルガヌムの代表で、あたしの母親である、マリア・レイズだった。


 マリアの開会宣言のあと、定期会合が始まった。

 本日の議題は「白のアイドルの打倒について」だ。

 ノヴム・オルガヌムが目指すのは、「アイドルの復活」だ。

 イドラ化によって疎まれ、蔑まれたアイドルたちが自分の因縁を果たせるように協力することを事業のひとつとしている。

 また、もうひとつの「『アイドル』の復活」も大切な事業だった。それは、イドラの大釜に眠ると言われる、大いなる存在〈アイドル〉を復活させること。

 その目標達成のための行動が「白のアイドルの打倒」だった。

 白のアイドルを倒し、スカウトし、ノヴム・オルガヌムに連れてくる。これを続ければ、目標達成までの道のりと時間を短くできるためだ。

 序列が下位のものから順に活動報告を行う。彼女たちの活動のほとんどが順調に行われているようだった。報告内容は「達成・成功・実現」というポジティブな言葉で満たされていた。

 デュラハンの番になった。憂鬱が頂点に達する。一年前の会合と同じく、キャメロットに敗北したことを告げなければならない。恥ずかしさと情けなさで胸が張り裂けそうだった。

「デュラハン。報告を」

「はい……」

 だれも見ないように、そして誰にも見られないように、うつむいたまま立ち上がる。

 もうどうにもならない。なんとかしてこの時間を早く終わらせようと話しはじめた。

「あ、あたしは……キャメロットと戦いました。懸命に戦いましたが、そのっ、あの……」

 小さな声でぼそぼそと話した。こんな言葉では誰にも聞こえないはずだ。

 そして、これ以上の言葉が出てこなかった。

 言ってしまうと、どうなるのか。想像がつかなかった。

(懲罰? 序列の降格? 最悪の場合、捨てられる……それだけは嫌だ!)

 ふと顔を上げると、マリアがまっすぐにデュラハンを見つめていた。言葉を待っている。そう思い、何とか言葉を発しようとするが、どうしてもできない。

 周りの出席者がざわつきはじめた。

「なにしてるの~ さっさと報告しなよ。あとがつかえてるの、わ・か・る?」

 左隣に座る第六位のオイフェが軽薄な声でデュラハンを急かす。彼女はデュラハンと同じ「名づけられた子ども」のひとりだ。デュラハンにとっては、姉に当たる。

 瞳に涙がにじむ。どうしても言葉が継げない。

 他の出席者の反応はさまざまだった。あきれるもの、あざけるもの、無視するもの。怒るもの。世界のどこにも自分の味方はいないのではないか、そんなことを思ってしまう。

 突然、左前に座る第三位の黒のアイドル、ヴィヴィアン・サーペンドが立ち上がり、

「彼女は、『ザ・インダクション』に乱入し、対戦後のキャメロットを襲撃しました。しかし、聖杯にアクシデントが発生し、勝敗がつかずに帰還しています」

 デュラハンが言うべき言葉、そして言いたくなかった言葉を発していた。

 蒼白な肌で、光の加減で青く見える黒髪をシニヨン風にまとめた彼女は、すずやかなフチなし眼鏡を怒りに染めるような吊り上げた瞳で、デュラハンをにらむ。腕をからだの前で組み、右手の人差し指を立てて、一つひとつ順を追ってデュラハンの失敗を並び立てる。

「彼女は、一年ほど前に、キャメロットと戦っています。そのときは、新メンバーを決めるオーディションでした。ちなみに、このオーディションで我々のスカウト対象となっているリン・トライストが合格し、キャメロットの一員になっています」

「たしか……ルナがこちらに来たのがそのときでしたね」

 右隣に座る第八位のエーヌ・サクリフィスがしとやかに口をはさむ。

 ルナとは、第十二位のルナルクス・アルグレイスのことだ。彼女は、キャメロットが所属する「アヴァロン・プロダクション」の出身だった。そのルナが顔をしかめながら答える。

「ええ、そうですよ。……っていうか、早く担当を変えてください。リンを倒して、黒くするのはアタシです」

「ルナ」ヴィヴィアンがルナをたしなめる。「あなたには任務が残っています。それが終わってからです」

 ルナがアッシュグレーの髪をかき上げ、不機嫌そうにそっぽを向いた。

 今度は第五位のスカアハが尋ねた。彼女もデュラハンにとっては姉に当たり、マリアから産まれた人型イドラだ。

「ヴィヴィアン。話の続きを聞かせてくれ」

「はい」ヴィヴィアンがうなずく「デュラハンは、マリアを守るためにキャメロットと戦いました。しかし、手数に劣り、リンのアンコールバーストの発動を止められませんでした。

 マリアの障壁にリンの大槍が突き刺さったあと、彼女はそれをつかみ、その手ですべてを吸収したそうです。マリアは無事でしたが、彼女はその後、聖杯の異常を抱えることになります」

 デュラハンは、これまでの恥ずかしさや情けなさだけではなく、不条理さを感じていた。

 彼女をにらみ返す。ヴィヴィアンは、その視線に気づき、反論した。

「貴様が言いづらそうにしていたから、代わりに報告したまでだ。今、私が報告したことは間違いのない事実だろう。さっさと貴様の番を終わらせてくれ。みっともない姿を見せるな」

 たしかに、事実だ。しかし、大切なものを踏みにじられたような気がする。許せなかった。

「おまえ、もしかして聖杯浸食に失敗したんじゃないか?」

 唐突に、マリアの隣に座る、第二位のモルガン・ヴォルフが声をかける。

 褐色の肌に、茶色がかった黒髪はウェーブをかけたショートボブ。大きな瞳と大きな口が特徴的な彼女の顔は、面白いもの見たような笑顔だった。

「聖杯浸食の、失敗……?」

 モルガンがにやりと口元をゆがめる。

「おまえの聖杯の不安定さが、以前出会った聖杯浸食に失敗したやつに似ているんだよ。浸食したとき、相手の聖杯を割ったか? 融合したか? つながったか? 手段はなんでもいいが、アイドルの聖杯とイドラの疑似聖杯をひとつにしないとそうなるらしいんだよ」

 どきりとした。そんなことしていない。というより、そんなことできなかった。聖杯をひとつにしたら、キリアと……会話できなくなってしまう。

 モルガンが再び問う。

「浸食した相手は、キリアだったな? そいつが、まだ聖杯の中にいるんじゃねぇか?」

「……いる」

「なら、その不安定さは仕方ねぇな。以前出会ったやつも悩んでいたな『浸食した相手が消えてくれない』って。あいつどこに行っちまったのかな……」

「どうすれば、いいんだ?」

「あぁ? 知らねぇよ、そんなこと。普通に聖杯浸食したら、聖杯がひとつになるんだろ?

 レヴィア、何か知ってるか?」

 左側の第四位の席に座っているのがレヴィアだ。彼女はこの中で唯一の神話型イドラだ。今の姿は、ヒトのかたちをした化身だった。彼女の本来のすがたは見たことがない。

 灰色のからだを修道服で包み、自分の身長以上の長い髪をからだに巻き付けている。黄色の瞳を光らせながら、言った。

「シラナイ」

「そうか……」モルガンが応え、そして他のメンバーに大声で問う。「みんなは聖杯の中に、アイドルか、イドラ、つまりもうひとりの誰かがいるか?」

 沈黙。部屋の中が静まりかえる。

(誰も……いない。聖杯浸食に失敗したのは、あたしだけ?)

「チトセ、コハク、ミツル。おまえたちは聖杯浸食されて、イドラが主となったタイプだったよな? どうだ、何か知ってるか?」

 第九位から第十一位のチトセ・タチバナ、コハク・イイ、ミツル・ウツセは、ヤマト・プロダクションのユニット「那由多四十七士」の生き残りだ。チトセが代表して答える。

「浸食先の聖杯と融合済みだ」

「じゃあ、新入りのディーナは? アイドルが主となった聖杯浸食だったはずだが……」

「……」第十三位のディーナ・ヴァインベルクは仮面に包まれたまま、微動だにしなかった。

 ヴィヴィアンが代わりに答えた

「彼女は聖杯浸食後すぐのため、安定していません」

(あたしだけだ……)

「デュラハン、ここの中じゃ、おまえだけらしい」モルガンが肩をすくめてみせる。

 失敗。聖杯浸食の失敗。あたしの失敗。デュラハンは茫然とする。比喩でも何でもなく、本当に目の前が真っ暗になった。あたしの道が途絶えた。全身の力が抜け、いすに崩れ落ちる。

(なんであたしだけ……。知らなかった。誰も教えてくれなかったじゃない! 生まれてすぐ、イドラの大釜に向かわされた。だから……)

「静粛に」

 そのとき、畏れを感じるおごそかな声が星零の間に響き渡る。マリアだ。彼女がデュラハンに直接語り掛ける。

「デュラハン、顔を上げなさい」

 うつむいていた顔を上げる。マリアが助けてくれることを期待して。しかし、マリアの表情を見て、それがかなわないことを悟る。あきれたような、聞き分けのない面倒な子を相手にするような表情だった。

 最後の望みも絶えたデュラハンは、頭を下げ「申し訳ありません……」と謝る。

 マリアは暗い水底のように冷たい笑顔を見せ「許します」と告げた。吸い込まれるような漆黒の瞳を見つめながら、デュラハンはマリアの次の言葉を待った。

「デュラハンは、私たちノヴム・オルガヌムの『目的』を果たすために必要な人材。あなたが無事で本当に良かったです」

 まだ愛されていることを確認、できたのだろうか。心の底からは納得できていない気がする。

 マリアはさらに続けた。

「デュラハン、あなたはこれから聖杯をひとつにする方法を探しなさい」

「それは……どうしたら良いのですか? マリアは何か知っているのでしょうか?」

「私にもわかりません。ですが、少し調べてみましょう。何かわかれば、あなたに伝えます」

「はい……」

「それを見つけられなかった場合は、あなたに与えたキャメロットの討伐任務は中止し、代わりの担当者をルナにします。あなたの聖杯のことを考えての判断です。わかってください」

「…………はい」

 マリアがうなずき、星零の間にいる全員をぐるりと見て、言った。

「以上で、デュラハンの報告は終わりにします。次の報告を」

(こんなことになるなんて……)

 そう思わずにはいられなかった。

 聖杯をひとつにすること。

 目の前にあらわれた新たな課題に、めまいがするような不安を覚えていた。


 会合が終了した。十三人は星零の間で解散する。

 デュラハンは、ひとり遅れて部屋を出たあと、講堂のエントランスにある大理石の階段で物思いにふけっていた。西の空に太陽が沈もうとしている。西日がまぶしかったが、太陽に近づくにつれ緑、黄、赤と変わっていく空の美しさから目が離せない。

 講堂にはもう誰もいないようだった。そして、こんな時間にここに来る人もいない。

 とても、静かだった。

 ――デュラハン、ここの中じゃ、おまえだけらしい

 モルガンの言葉を思い出す。

 キャメロットに勝てないのは、キリアが聖杯の中に残っているから。

 そして、キリアがまだ存在するのは、デュラハンが聖杯浸食に失敗したから。

 しかし、聖杯の中のキリアとの対話はデュラハンが望んだこと。

 ぐるぐると回転する悩みは、次第に濃くなっていく。

 風が吹き抜けた。周囲にある木立からは葉擦れの音が聞こえた。正面の噴水から泉に流れ落ちる水音も聞こえる。揺れる葉や水面が西日を反射し、黄金のようにきらきらと輝く。

「きれい、だ……」

 言葉が漏れる。イドラの大釜で見た夕日も同じくらいきれいだった。でも、今、ここで見ている夕日の方が心にしみる。涙が込み上げてきた。もやもやしたものが少し洗い流されていく気がする。思わずうつむき顔を隠す。だれも見てないとはいえ恥ずかしい。

「宿舎に戻らないのですか?」

 突然、キリアに話しかけられた。

「帰るよ。でも、もう少しこのままがいい」

「……今の会合、聴いていました」

「そう……」自嘲の笑いがこぼれる。「みっともなかっただろう?」

 反応に困っているのだろうか。少し間があいたあと、キリアが言った。

「デュラハンの苦しみの原因は、わたしにもありますよね? 何もできずにごめんなさい」

「えっ?」

「いっしょに、いられたら良かった。反論したかった。怒りたかった。泣きたかった」

 キリアがそう考えていたとは思いもよらなかった。驚きとともにデュラハンは顔を上げる。

 目の前に誰かがいた。ゆっくりとからだを起こし、その姿を確認する。

 そこには、プラチナブロンドの髪がとても美しい女性が立っていた。その髪も差し込む西日を反射して、きらきらと輝いている。整った顔立ちと広い肩幅、しっかりした体幹、長い脚。

 その女性は、二年前、出会った当時のキリアだった。

 彼女はデュラハンの顔を覗きこみ、優しく声をかける。

「少し歩きませんか?」

 なぜか、鼻がつんとして、再び涙が込み上げてきた。悲しいのではなく、嬉しかった。

 次の瞬間、キリアの姿は消えていた。心の中から彼女の声が聞こえてくる。

「さあ、行きましょう。きっと気分が楽になります」

 デュラハンは、涙を払い、もう一度うなずく。立ち上がる力が戻ってきた。

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