第三章 「決闘」
「さあ! ライブ、スタートだっ」
裂ぱくの気合とともに、デュラハンが突撃する。そして、大剣が振り下ろされた。剣の重さを感じさせない鋭い斬撃。盾で受け止めたが、押し込まれる。
キリアは、素早く体勢を整え、長剣を構え、突き出した。しかし、デュラハンが輝化した左手の盾で防がれる。
流れるように途切れることなく、一進一退の攻防が続く。
キリアに余裕はなかった。全力で彼女を倒そうとしているが、まったく手応えがない。ここまで柔軟な思考ができる人型イドラなど信じられなかった。姿、言葉、思考。どれをとっても規格外だ。彼女は、本当にイドラなのだろうか。
キリアは、自分の特殊能力「コンクエストスキル」を発動した。
――コンクエストスキルとは、輝化することでもたらされる輝化武具、輝化防具につづく、三つ目の恩恵、輝化スキルのことだ。
輝化とは、アドミレーションを励起し、物質化することである。
物質化したあとのアドミレーションは「アスタリウム」と呼ばれる鉱物に変わる。輝化武具と輝化防具は、このアスタリウムを成形したものだ。
武具と防具にならなかった、輝化の光は、空中で微細なアスタリウムの粒子に変わる。輝化したアイドルの周囲できらきらと輝き、滞空しているのがそれだ。この粒子に秘められたエネルギーを解放して、アイドル固有の特殊能力を発現することができる。
キリアの能力は「リフレクト」。相手のアドミレーション攻撃を吸収し、聖杯の中に溜め、任意のタイミングで放出する力だ――
デュラハンと斬り結びながら、彼女のイドラ・アドミレーションを少しずつ吸収していく。
十数合目のつば迫り合いで、充分な量を吸収し終えた。
キリアが放出のタイミングを見極めていたそのとき、デュラハンが不敵な笑みを見せる。
そして、鍔迫り合いを突然に止めて、キリアから距離を取った。
突然のことに気が抜けたキリアは、めまいを感じる。デュラハンにばれないように、気を張ってしっかりと大地を踏みしめた。
リフレクトの副作用だ。聖杯にイドラ・アドミレーションを溜めるのは、イドラ化に等しい行為のため、長時間の使用は危険が伴う。
「おまえ、やはり強いな」デュラハンが話しかけてきた。「まだ、おまえの名前を聞いていない。ぜひ教えてくれ」
(イドラから名前を求められるなんて……。わたしは今、ISCIの任務でここにいる。自分の素性を知られる訳にはいかない。でも、互角の勝負をする相手として、敬意を表したい)
「キリアだ」
デュラハンは満足したように、にやりと笑い「よろしく」と応えた。
「キリア。この任務、あたしのせいで台無しになったみたいだな。それから……、この任務は絶対に成功させなければならないのか? ジュリアか……。すごく強い思いだ」
キリアの心臓が跳ねる。彼女に心を読まれている。
「なぜ、わかるの……」
彼女は得意げに説明をはじめた。
「さっきまでの剣戟で、あたしのアドミレーションを吸収していただろ? おまえのコンクエストスキル、なのか?」
(ばれていた……)キリアは息を呑む。
「自分のアドミレーションが減っていくかすかな感覚で気づいたよ。それで、試してみたんだ。
キリアの聖杯の中にある、あたしのアドミレーションを経由して、おまえの聖杯に『聖杯連結』ができないか、とね。そしたら大当たりだった。心の表層がわかる程度にはつなげることができたよ」
――アイドルは他者の聖杯に、アドミレーションの受け渡しや意思の疎通が可能となる「聖杯連結路」をつなぐことができる。
これを使えば、他者にアドミレーションによる良い影響や悪い影響を与えることができる。また、意思疎通を行うとき、聖杯の奥深くまでつなぐことができれば、他者の深層心理まで知ることができてしまう――
(ここまで聖杯やアドミレーションのことを知り尽くしているなんて……)
「ジュリアは……おまえの上司で、おまえの恩人で、おまえが唯一慕う大人」
「やめてっ!」
キリアが叫ぶ。しかし、デュラハンは構わずに心を読みつづけた。
「最近、ジュリアがまったく関わってくれなくなった。それが、がまんできず、ジュリアに直接話に行ったら、自分の思いが幼稚だと切り捨てられてしまった……か」
そこまで話したあと、デュラハンの表情がまるでスイッチで切り替えたように明るくなる。
「そうか。だから、この任務を成功させたいのか。すべては、ジュリアに自分を認めてもらうため……そういうことか」
自分でもふれられずにいた気持ちを、他人に無遠慮にあばかれて、踏みつけられた。
その恥ずかしさと怒り。そのもやもやした暗い感情をぶちまけるつもりで、リフレクトで溜めたイドラ・アドミレーションを放出した。赤熱する黒炭のような赤黒いエネルギーが、まがまがしい炎となり、キリアの右腕で燃え上がる。
それをキャリバーにまとわせ、思いきり振り下ろした!
赤黒く巨大な「飛ぶ斬撃」がデュラハンを襲う。
彼女はまったく動じていなかった。斬撃を待ち構え、タイミングを見極める。一歩踏み込み、大剣の一閃で、その斬撃を両断した。
「元は自分のアドミレーション。御せないわけがない」
デュラハンは得意げに語りながらキリアの方に向かってきた。
イドラ・アドミレーションの吸収によるめまいに耐えながら、忌々しい気持ちでデュラハンを見つめる。このままでは負けてしまう。ふらつく頭で必死に戦術を考えた。
デュラハンはキリアの間合いに入った途端、大剣と盾の輝化を解いた。キリアはいぶかしみ、「何の真似だ」とデュラハンを問いただす。それでも彼女は、さらに近づく。
次の瞬間、両腕をつかまれた。何かの攻撃かと焦りデュラハンの手を振りほどこうとするが、思いのほか彼女の力が強かったため、できなかった。
「キリア、少し話を聴いてくれないか?」
(この人型イドラの行動がまったく予測できない!)
まっすぐに目を見つめてくる彼女は、そのまま真剣な表情で話しはじめた。
「おまえのジュリアに対する気持ち。そして今回の任務に賭ける気持ち。あたしにもよくわかるんだ。あたしも同じことを考え、感じているから……」
キリアは彼女の真摯さに圧倒される。思わず、長剣と盾の輝化を解いていた。
デュラハンが、マリアから産まれたのは五年前らしい。
キリアがアイドルとしてデビューしたときと同じだった。
普通の人型イドラとは違い、莫大なアドミレーションと時間を費やした「名づけられた子ども」として産まれた彼女は、イドラの大釜を守護する任務を与えられたそうだ。
大役と思い、誇らしく任務を開始した。しかし、一年も経たずに苦痛になってしまった。
なぜなら、こんな辺境に足を踏み入れる人間などいなかったからだ。
年に一人か二人、迷い込んだ白のアイドルを撃退すること以外は、空とイドラの大釜を見てぼうっとするだけ。その時間に耐えられなくなってしまったそうだ。
それに、他のマリアの子どもや黒のアイドルたちは、世界中で活躍し、それぞれの活動に対してやりがいと希望を感じているようだった。マリアは、そんな彼女たちを褒めたたえた。
しかし、デュラハンが褒めてもらえることはなかった。
マリアに褒めてもらいたい。そしてマリア以外にも、自分の活躍を知ってもらい、評価されたい。その気持ちが大きくなり、無視できなくなってしまった。
現状を変えるため、イドラの大釜に住むさまざまなイドラと戦い、自分の強さを磨いた。ときには、神話型イドラとも闘った。たくさんの戦闘経験と「名づけられた子ども」としての特別なからだによって、短期間で強くなることができた。ノヴム・オルガヌムの中で、第七位の力を持つまでに至ったそうだ。
しかし、いくら強くなってもマリアや組織の仲間から褒められたり、評価されたりすることはなかった。イドラの大釜での退屈な任務を行っている間に、自分という存在が忘れられてしまうことが何よりも怖い……
デュラハンは、このように自分の半生を必死に語った。
「あたしは、マリアに褒めてもらいたいんだよ。おまえも、ジュリアという人間に認めてもらいたいんだよな?」
彼女の懸命な問いかけに、思わずうなずく。彼女の言うことは間違っていない。
デュラハンは、ようやくキリアから離れて今の感情をあらわにした。
「ああ、うれしい! あたしを理解してくれる存在がいるなんてっ! 今日は、あたしの転機だ。このチャンスを逃さない! 必ず勝利して、踏み台にする!」
彼女の言葉を聞き、背筋が寒くなった。
(わたしも、この任務をなんとしても成功させたい……。しかし、デュラハンの方が飢えている気がする……このままでは、彼女に喰われてしまう……)
「さあ、続きを始めようっ! キリア!」
デュラハンが再び大剣と盾を輝化する。全身から赤黒い炎のようなイドラ・アドミレーションが勢いよく立ち上る。
キリアも長剣と盾を輝化した。からだの前で構えたキャリバーは、キリアの心を反映するように、弱々しいくすんだ光を放っていた。
二人の剣戟が再開した。
キリアは、攻撃と防御の両方でリフレクトを織り交ぜる。
デュラハンの攻撃をリフレクトで受け止め、威力を落とす。吸収したアドミレーションを次の攻撃に上乗せして、威力を上げる。
そうやって、からだの負担を軽くしながら闘っていた。しかし、これでも聖杯への負担が大きく、そう長くはもたない。
「やあぁぁっ!」
キリアによる渾身の突き! デュラハンの盾に当たる。彼女がのけ反った。その隙を逃さず、一気呵成に攻める。
「ふっ、はぁっ! やぁっ!」
防戦一方のデュラハン。彼女をイドラの大釜の淵に追い込んだ。さらに間合いを詰める。
「これで終わりだ。デュラハン」
いつでも振り下ろせるように長剣を構える。しかし、デュラハンはまったく動揺していない。
「何を得意になっている? これくらいの高さから落としても、あたしは倒せない」
「そう、ですね。でも、あなたが落ちれば、わたしがここから離脱できます」
キリアはそう言いながら、ためらわずに長剣を振り下ろした!
デュラハンが後ろに飛び、回避する。
……彼女が落下をはじめない。待っても、待っても崖下に落ちていかない。
「どうして……」
デュラハンは淵の先一メートルの空中で、浮いていた。
「これが、あたしの『パラノイアスキル』。名前は『ハングド』。物体を宙に固着できるようにアドミレーションを変性させる能力だ」
(イドラなのに……黒のアイドルの輝化スキルを使えるのか?)
デュラハンが「空中」を足場にしてジャンプ。キリアを飛び越えて着地する。
キリアは、背後をとられないように反転した。
「あたしのハングドは、こんな使い方もできるっ!」
彼女の手から炎のようなアドミレーションが放たれる。
反転中のキリアに着弾。突然、身動きが取れなくなった。
「くっ!」
「キリア、おまえもこの高さから落ちても死ぬことはないよな?」
くやしさと憎らしさを込めて、彼女をにらむ。
デュラハンが大剣を思い切り振りぬく。わざとキリアの盾に当てているようだった。
身動きできないキリアは衝撃に耐えきれず、吹き飛ばされる。淵を越えた。地面がなくなる。背中からイドラの大釜へ自由落下をはじめる。
ふわりと内臓が浮き上がる感覚。びゅうびゅうと耳を通り過ぎる風。
パニックに陥りそうになる頭を落ち着かせ、一つずつできることをはじめた。
アドミレーションを放出し、デュラハンの拘束を破壊。彼女から離れたからだろうか。自力で破ることができた。長剣の輝化を解除し、すべてのアドミレーションを輝化防具と盾に注ぐ。
盾を背中に固定。
そして、イドラの大釜の斜面に……落着した!
全身がばらばらになりそうな衝撃。
盾が「そり」の役目を果たし、斜面に沿ってすべり降りていく。
大きな音、強い衝撃と共にがたがたと小刻みに揺れる。
イドラの大釜の湖畔まで落ちたあと、ようやくスピードを落ちて止まった。
全身の痛み。それをがまんして、立ち上がる。
イドラが群がってきた。すぐに周囲を囲まれる。やがてハングドを使って空中を歩いてきたデュラハンが静かに降りたつ。
「もう、逃げられないな」
デュラハンが剣を構えたまま、穏やかに、諭すように声をかける。
目の前のデュラハン。周囲に群がる大量のイドラ。
自分が絶体絶命の状況にいることを改めて理解した。
キャリバーを輝化し、構える。腕も脚もふるえ、上手く立つことができなかった。ふと刀身を見ると、錆が浮いている。そして、鈍い光を弱々しく放っていた。
そのとき、目の前を大きな物体が横切る。キリアとデュラハンの間に、どさりと重い音を立てて落ちた。それは、人間だった。ぴくりとも動かない。よく見ると、二人の少女だった。
四つの虚ろな瞳がキリアを見つめている。
そして……言葉にならない悲鳴を上げた。
(ミーファ! リアラ!)
ともに意識を失っているようだ。からだに現れた黒い斑点が大きく見える。もしかしたら、死の危険がある第二段階までイドラ化しているかもしれない。
(二人の死……任務失敗……)
心臓の鼓動が激しい。呼吸が浅い。顔がひきつって、目が回る。
にぎりしめていたトップアイドルの誇りや気品が指のすき間からさらさらと流れ落ちる。胸の奥の隠しきれないどろどろした恐怖と焦りが爆発した。
恐怖をからだで振り払うように、錆まみれのキャリバーを振りかぶる。そして、焦りを声で抑えつけるように、奇声を上げて振り下ろした!
デュラハンもキリアに応じて剣を振り下ろす。
ぶつかり合う二つの剣。そして、悲しい金属音……
キャリバーが真っ二つに折れた。
アイドルである自分自身への信頼も折れた。
デュラハンの斬撃がキリアに届く。輝化防具ごと袈裟切りにされる。斬撃は鎧を断ち、からだを切り裂く。傷口からアドミレーションが噴き出した。
からだがぐらりと傾く。右手に残った折れた剣を持ったまま、仰向けに倒れた。
アドミレーションによる攻撃で、からだが傷つくことはない。しかし、その攻撃で感じる痛覚は、聖杯を通して自分のからだで再現される。
胸の痛みが激しい。こらえきれない。痙攣し、言葉にならない声が漏れる。
「任務を……、ここ、から逃げない、と……うぅっ! こんな、ところで、死にたくない……」
デュラハンが駆け寄ってくる。ひざをつき、キリアを抱きかかえ、顔を覗き込む。
「残念だよ、キリア。もっと、闘いたかった」
アドミレーションの流出で、デュラハンへの恐怖、ミーファとリアラの身を案じる気持ちが薄くなってきた。
(もう、いいかな……早く楽になりたい。この苦しみから解放して欲しい)
キリアは、目の前の彼女に目で訴える。
デュラハンは、キリアをじっと見つめていた。そして、決意したかのように「よし」と言う。
「あたしは、これからおまえに『聖杯侵食』を行う」
キリアは痛みでもうろうとする頭で、デュラハンの言葉を確認した。
――聖杯侵食とは、神話型イドラなどがアドミレーションに姿を変え、アイドルの聖杯に侵入すること。聖杯に短時間で莫大な量が溜まるため、聖杯が変質し、黒のアイドルとなる「イドラ化の第三段階」にまで移行しやすい――
「イドラにとって、聖杯浸食は一生に一度。なぜなら、自分のからだを、疑似聖杯も含めてイドラ・アドミレーションに変えて、相手の聖杯を支配するからだ。もう二度と元のからだには戻れない。命がけの行為なんだ」
「わたしのからだを、乗っ取るということ?」
「そういう聖杯浸食もある。それは、死に瀕したイドラが生き残るために聖杯浸食するときだ。
でも、あたしは違う。キリアのからだを利用したいからじゃない。おまえといっしょにいたいと思ったからなんだ。
こんなに自分のことを話したのは、マリア以外でおまえだけだ。今まであたしの話に耳を傾ける存在はなかった。だから、離れたくないんだ。もっと近くにいて欲しい! もっと話を聴いてほしいんだ……」
デュラハンの瞳が揺れる。人型イドラが泣くことはない。実際に涙は流れていない。しかし、まるで涙で濡れているように見える。
キリアは胸の痛みで、上手くしゃべることができなかった。代わりに、自分の右手を伸ばし、彼女の胸に当てる。その手が優しくにぎられた。
その瞬間、複雑な気持ちになった。苦しみから解放されるうれしさ、ミーファとリアラを助けられない苦悩、任務を放棄する罪悪感。そして、目の前の人型イドラのためになれるかもしれないという誇らしさ。
もう、どうすればいいのかわからなかった。
デュラハンは、キリアを地面に横たえ、胸の傷跡に口づけする。
それをきっかけに彼女の輪郭が崩れた。膨張を続け、視界を埋め尽くすほどの巨大で真っ黒なかたまりとなる。それが胸の傷にふれた。デュラハンだったかたまりは、キリアにからだをすり寄せるように、胸の傷から、聖杯に侵入を開始した。
普通であれば、ここで悲鳴を上げるのだろうか。しかし、痛みなどの不快なものはまったく感じなかった。むしろ、胸の傷の痛みが、すうっと引いていくことに心地よささえ感じる。
聖杯にイドラ・アドミレーションが溜まるにつれて、まどろんでいく。そして、聖杯がもう少しで満杯になる直前、意識を失った――
キリアが目を覚ましたとき、暗闇の中にいた。
目を開けているのか、閉じているのかもわからない。周囲を確認しようと手足を動かす。じゃらじゃらという金属がこすれる音。鎖だろうか。自分の手首、足首、胴が鎖で囚われているようだった。
自分の状況がようやくわかったとき、目の前がスポットライトで照らされる。その中心にいたのは、デュラハンだった。先ほどまで闘っていた姿のままだ。
「こんなところにいたのか。キリアのことを探していたんだ」
「ここは、いったい……」
「おまえの聖杯の中だよ」
「わたしの聖杯……? じゃあ、今しゃべっているわたしは?」
「心の中の『キリア』だろう。ああ……その傷跡、あたしの剣によって付いたものだな」
からだを見ると、輝化防具と服が破れていた。そして、からだを斜めに横切る大きな傷がある。その傷口は深そうで、周囲の暗闇よりも暗く、黒く見えた。
デュラハンが、自分も痛みを感じているかのような表情で胸の傷にふれる。
「痛むか?」
「痛みは、ない……」
傷あとから手を離したデュラハンは、鎖で囚われたままのキリアを抱きしめ、ささやいた。
「いっしょに強くなろう。あたしたちの前に立ちはだかるものを片端から倒していこう。そして……たくさんの人に評価されよう。マリアの愛情を独占しよう」
「そう、だね」
(デュラハンに負けた。仲間を守れず、任務に失敗した。からだも心も支配された……。こんなわたしに何ができる? デュラハンの意思に従うほかない)
腕をほどいたデュラハンが、安心したように胸をなでおろす。「これからよろしく、キリア」と声をかけたあと、キリアの前からすうっと消え去った。
スポットライトが消える。暗闇にひとり。五感が消え、思考する自分だけが存在した……。
キリアが、再び目を覚ました。
さきほどまでデュラハンと闘っていたイドラの大釜のほとりにいる。胸の痛みは、嘘のようになくなっていた。すっきりとした心地良い目覚めだ。
立ち上がり、イドラの大釜の水ぎわまで近寄り、目の前の雄大な黒い湖をぼうっと眺めた。
ふと、水面に鏡のように映り込んだ自分の姿を見る。姿かたちはいつもどおりだったが、顔のつくりが変わっていた。デュラハンの三白眼と薄紅色の瞳、そして大きな口が混ざっている。
(本当の自分の顔……覚えていない。鏡を見ることが嫌いだったから……)
そのとき、キリアの胸からもやもやと煙のかたちでイドラ・アドミレーションがあふれだす。顔に集まり、凝縮し、形が整えられて、キリアの顔を隠す仮面となった。
聖杯の中からデュラハンの声が聞こえる。
これは「イドラの仮面」。イドラの擬似聖杯が変形したもの、らしい。聖杯浸食の後、しばらくはこの仮面が外せず、聖杯の支配が進めば、仮面が小さくなっていくそうだ。
だんだんと自分だと確信できる思考や感情が少なくなっていく。
キリアは周囲を見回し、倒れたままのミーファとリアラを発見した。二人の元に駆けつける。
聖杯連結によって二人の無事を確かめる。イドラ化は、第二段階の直前だった。白のアイドルとして復帰することが難しい状態だったが、命は無事なはずだ。
(ああ、良かった……また、強敵を倒すことができた……えっ?)
デュラハンの思考も混ざりはじめた。
キリアは、最後の「自分」で、周囲を取り巻くイドラに「二人をレンヌ・ル・シャトーへ連れていって」と命じた。
†
キリアの言葉はイドラにちゃんと届いたようだ。群れから人型イドラが二体、前に出てきた。彼女の仲間二人をかついで、レンヌ・ル・シャトーの方へ向かっていく。
それを見届けたデュラハンは、胸に右手を当て、「輝け!」と輝化を宣言した。
右手を払うと、胸から赤黒いイドラ・アドミレーションが放出され、輝化がはじまる。まがまがしく重厚な騎士甲冑と、大剣と盾が生成された。
鎧の胸の部分に新たな意匠がある。キリアが受けた傷と同じように左肩から右わき腹にかけたひっかき傷のようなものだ。
それは、キリアを倒し、聖杯浸食をやり遂げた勲章、そしてこれからもずっと、キリアといっしょであることの証に見えた。
デュラハンは、イドラの大釜を一度ぐるりと見渡す。もう、ここから旅立つときだ。湖に背を向け、歩き出す。パラノイアスキルを発動し、地を蹴り、踏み切った。
空を駆けあがる。
見下ろす世界は、広かった。
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