第十三章 「本当の自分」
「リン! お前だって同じはずよ! 間違っていて、汚くて、恥ずかしい。何にもなれない人間でしょ? だから、アタシと同じようになりなさいよ!」
リンは熱に浮かされたようにぼうっとしてきた。意識がはっきりしない。
ルナが何かを懸命に伝えている。しかし、アドミレーションが、ごうごうと燃え盛る音が邪魔をして、はっきり聞こえない。
リンがひと呼吸するごとに、アドミレーションの勢いが増す。そして、アドミレーションを生成すればするほど、からだがどんどん熱くなっていく。アドミレーションとからだの境界線がわからなくなった。
「話を聞けよ! リン!」
ルナが突然目の前に迫ってきた。左手にインフルエンスをまとわせている。
大きく広げられた左手。同じように広がるインフルエンス。左手が振り下ろされる!
目の前が灰色のアドミレーションでふさがれる。全身を包み込まれてしまった。
ルナが力を込めて、左手を引いた。
その手は、橙色のアドミレーションをたくさんつかんでいた。アドミレーションがごっそり奪われる。しかし、なんの問題もなかった。からだの熱さは変わっていない。
再び、リンのからだがアドミレーションの炎で燃え上がった。
体内の光が莫大なアドミレーションを供給し続けていた。からだの奥でその光が熱を発し続ける限り、無尽蔵にアドミレーションが湧き上がってくる。そんな確信がある。
ルナは、今、奪ったばかりのアドミレーションを吸収しながら、驚きの表情を浮かべている。
からだの熱さでもうろうとする中、なんとか自分の意思を保ちながら、ルナに問いかけた。
「どうして、わたしに干渉するの? 汚くて間違っている人間なら、放っておけばいいじゃない。あなたに何かをするつもりはないよ。 わたしはひとりで、自分の力で、前に進むから」
ルナが困ったように顔をしかめる。
「……お前のことが、気に食わないからだよ! どうしてそんなにさわやかに生きられるのよ? どうして明るく、前向きに進み続けられるのよ!
間近に迫った死に、恐怖して固まり、動けない。そんな『ダメな自分』をさらしなさいよ!」
「ダメな自分? 正体? それが何だっていうのよ?」
「誰にだって、理想の自分とダメな自分がいるでしょ? 理想の自分であり続けないと、怒られたり、傷つけられたりするじゃない!
今のアタシは……ダメな自分だよ。そんな自分はさらしちゃダメなの。だから、抑えつけておかないといけない。リンは、ずっと理想の自分のままじゃない! そんなにきらきらしながら生きていることが、妬ましいのよっ! いらいらするのよ!
アタシみたいなお前が、『理想の自分』のままで、理想に届こうとしている。アタシは『ダメな自分』のままなのに……そんなの許せない!」
ルナの切羽詰まった様子に心が痛む。しかし、ルナの言う通りにはできない。
「理想とかダメとか、そんな自分はいない! わたしは、『わたし』しかいない!
あの日、キリアに憧れてアイドルになることを決意した、わたしだけなの! そのときから変わってなんかいない!」
さらに、ごうっと燃え、あふれ出るアドミレーション。
「わたしのこと……教えてあげる。本当にそう思っていることを、確信していることを! そんなこと考えなくても、生きていけるって!」
リンが右手を胸にあてる。声を張り上げて、再び宣言した。
「輝け!」
右手を横にはらうと、胸から輝化の光が一気にふくらんだ。
リンの全身が包まれる。球の中で、まとっていた炎が密度を上げた。とてつもない熱さ。
その熱さが、からだにまとわりつく。かたちを持つ。からだの各所を守る輝化防具になる。
光ががはじけた。バックドラフトのように激しく燃え上がるアドミレーション。
からだの前でアドミレーションが集束する。毛糸玉のようにぐるぐると巻き取られていく。
回転しながら、ぎゅっと凝縮された。
それを手に取ると、投げ槍に変化した。
輝化武具と輝化防具のかたちが、変わっている。
槍の刃と柄の接続部分に、小さくてかわいい羽根飾りがついていた。
そして、腰当に、一対の翼が生えていた。
リンは残り四本の投げ槍を生成する。両手に一本ずつ投げ槍を持ち、構える。
「リン、わかってよ……。アタシが理想の自分であり続けるために、あなたを倒して、あなたを汚すことが必要なの!」
ルナは、リンから奪い取った大量のアドミレーションを解放した。
ベルトの鞘に納めたナイフを抜き、アンコールバーストを発動。
十六本のナイフの群れが宙を泳ぐ。
左手にはインフルエンスをまとわせた。
お互いに三歩踏み出せば、握手ができる距離。
目と目が合う二人。ぶつかり合う視線。
一歩踏み出す。もう戻ることはできなかった。
リンの未来と、ルナの未来が、もう一度交錯した。
がっ、ぎぃいん!
ナイフと槍が、思い切りぶつかり擦れる音。
ルナの右手側に飛び込み、槍を振りぬく。
彼女は、ナイフでしっかりと防ぎ、受け流す。
すれ違う二人。
背後で、アドミレーションの揺らぎ。直感。ルナがナイフの嵐を放った。
ドライブを発動。ルナも、十六本のナイフも置き去りにして、走りだした。
腰当の翼を、グリーブの翼とともに展開する。四枚の翼。それぞれの角度を調整する。
ドライブの進行方向が自然に変わった。くるりと翻って反転する。
ルナが正面に。再びドライブ発動。
ナイフの嵐。合計十六本が猛スピードで飛来する。
投げ槍三本をプロペラのように縦回転させながら放った。
四本のナイフを巻き込む。投げ槍が灰色に。
リンの進行を妨げるのは、正面衝突が避けられないナイフ三本。
再び四枚の翼を操作し、するりとかわす。一本、二本。
最後の一本。翼の制御では間に合わない。
アドミレーションのかたまりを自分の右側に放つ。
反動。リンの走るコースが左側にずれる。ナイフが右側面をかすめて通り過ぎた。
つんのめってこけそうになる。しかし、必死に足を動かして体勢を整える。
両手に残った二本の投げ槍。羽根飾りを見て確信した。
槍同士を打ち合わせる。きんっ! という小気味よい音とともに変化が始まった。
羽根飾りが赤熱し、じわっと溶けて液体となる。
そのまま投擲した!
液体が炸裂。ばちっ! という音を立てて、勢いよくアドミレーションに戻る。
さながら追加の推進剤だ。羽が生えた投げ槍は、速度と威力が増していた。
ルナが焦りの表情を見せる。左手のインフルエンスを強化。厚く、広く、固く。
着弾! 受け止めるのが精いっぱいで、勢いを殺しきれていない。
ルナは受け流そうとしていた。
その隙にルナに接近。身をかがめて、両足で踏み切る。前方に飛び出す。
グリーブの翼も使った跳躍。宙で槍を振りかぶる。
ルナがようやく、受け止めた槍を左に反らした。空中のリンを確認し、険しい表情。
もう一本、羽付きの投げ槍を放った!
振りぬいたままのルナの左手。そこからゲル状のインフルエンスが伸びる。
べちゃりと地面にはりつく。ゴムのように収縮し、ルナを引っ張る。
投げ槍が地面に着弾! 衝撃が地面の砂礫を舞い上げた。
もうもうと立ち込める砂ぼこり。リンが身をひるがえして。着地体勢に。
そのとき、砂塵からすさまじい速さのナイフが次々と飛び出してきた!
無防備な体勢。腕と脚で急所を守る。様々な方向から切り刻まれる。
着地。周囲を埋め尽くすナイフの群れが、競うようにリンを狙う。
かすめる。受け止める。はじく。かすめる。かわす。死角からの攻撃! 突き刺さる。
痛みををぐっとこらえる。ドライブ発動。四枚の翼を広げてショートダッシュ。
避ける。滑り込む。はじく。叩き落す。目の前が開けた。
一歩踏み出し、ナイフの群れから逃れる。
ブレーキ。反転。五本の投げ槍を生成。すべてに衝撃。羽根飾りが溶ける。
一本ずつ投擲する。残ったルナのナイフを次々と射抜く。
砂塵がおさまったときには、ナイフの群れも一掃できた。
ルナが姿を現す。舞い上がった砂礫で、輝化防具が汚れ、傷だらけになっていた。
「お前のアドミレーションがどれだけ増えたとしても、関係ない。アタシの能力で、アドミレーションを変換して、吸収するだけだから。お前が何をしたって、勝てないのよ」
リンは、落ち着いてからだを確認する。
今の攻防で、インフルエンスにたくさん接触した。灰色のまだらが全身を蝕んでいる。
胸に灰色が届こうとするとき、奇跡が起こった。
リンのアドミレーションが、インフルエンスの浸食に拮抗する。
灰色を外へ追いやるように、胸から急速に橙色のアドミレーションが広がる。やがてすべての灰色をリンの右手に集め、からだの外に押し出した。
球状に押し固められたインフルエンスが宙に浮かぶ。
リンはすかさず羽付きの槍を生成。投擲して、灰色の球を貫いた。インフルエンスがガラスのように弾け飛ぶ。
アドミレーションに、インフルエンスの耐性が備わっているようだった。
ルナの目をじっと見つめて、宣言した。
「そんなことないっ! わたしはいくら倒されても、何度でも立ち上がってみせる。そして、立ち上がるたびに、強くなってみせる!」
「ううぅ……」ルナが顔を歪ませて、喚き散らす。「アタシの力をっ……否定するなぁっ!」
ルナがさらにアドミレーションを解放する。そのすべてがインフルエンスに変わった。
リンを聖杯浸食した巨漢の人型イドラ。それと同じ大きさのゲル状の物体が、目の前に現れる。ルナがその中に取り込まれていた。
彼女はインフルエンスの中で、輝化武具のナイフを生成する。一本、二本、三本……、合計十六本。そして、右手に持ったナイフで、すべてをたたき割っていく。
これは、彼女のアンコールバーストだ。十六本のナイフがそれぞれ十六の破片に変わっているのだろう。破片の合計は、おそらく二百五十六。
ルナが左手を掲げる。彼女を地上に残し、二百五十六の破片を孕んだインフルエンスが球状に丸まり、宙に浮く。
「これで、お前の未来を、そこにたどり着く意思を! 奪ってやるっ!」
左手を振り下ろした。ばぁん! という音とともに、二百五十六の破片がインフルエンスの卵から一斉に飛び出る。破片にまとわりついたインフルエンスがナイフをかたちづくった。
二百五十六本のナイフ。それらが群れて、まるで一匹の巨大な魚のように見えた。
圧倒的な迫力。本能的な恐怖。それが、頭上から津波のように襲い掛かってきた!
ざわざわざわざわ、ざざざざざっ!
リンは後退し、反転。ドライブの全速力で離脱する。
リンの全速力に匹敵する速度で追いすがってくる。なかなか間合いをとることができない。
石切り場の反り立つ斜面が近づく。リンはスピードを落とさないように方向転換。斜面に沿って走り続けた。
ルナは、この石切り場の底にある広場の中心に立っている。意識を集中して、このインフルエンスの嵐を操っていた。
何度も追いつかれそうになりながら広場を一周した。この広場は、目測でおよそ半径五十メートル。この範囲は、ルナのアンコールバーストの射程距離だ。ならば……、
ざわ、ざざざっ!
ナイフの群れが奇妙に震える。ふと、ルナを見ると、今度は右手を掲げていた。ナイフを逆手で持ち、膨大なインフルエンスをまとっている。
次の瞬間、そのナイフを地面に突き刺した!
ずああぁっ、と地面に蜘蛛の巣のような灰色の網が広がっていく。
その網を踏んでしまった。本物の蜘蛛の糸のように、粘り気を持って足にまとわりつく。がくんとスピードが落ちた。必死に足を前に出すが、思うように動けず、連続して網につかまる。さらに減速する。
(早く、あそこへ!)
リンが目指すのは、この石切り場に降り立ったときに足場にした超巨大クレーンだ。
ざざざざざっ!
インフルエンスの群れに追いつかれた。大量の刃が、上空から降り注ぐ!
羽根付きの投げ槍を五本生成する。プロペラのように回転させて、リンの周囲に配置する。
身をかがめ、さらにアドミレーションを生成し、燃やし続けた。
視界が、灰色に染まる。
鼓膜は、回転する槍にナイフががんがんと当たる音で支配された。
背中に痛み。防ぎきれなかった。アドミレーションの厚みを越えてナイフが貫通する。
「わああぁぁぁっ!」
今、ここで戦っていることを宣言するように、そして、恐怖に負けないように声を出す。
槍の回転を絶やさず、体内のアドミレーションを励起しつづけて、自分を守る。
降り注ぐ痛みに、ひるまず、恐れず、しっかりと前を向いた。
やがて、嵐が過ぎ去った。
リンは、二百本以上のナイフが散乱する大地に立つ。
輝化防具は、ずたずたにされ、全身に灰色の傷ができていた。
リンは先ほどと同じように、インフルエンスをからだの外に排出する。
からだの熱が、さらに上がった。しかし、今、倒れるわけにはいかない!
地面に刺さったナイフが、排出したアドミレーションを吸収し、再び動きはじめる。
リンはドライブを発動し、超巨大クレーンへ向かう。
ルナが、インフルエンスの蜘蛛の巣を放つ。
リンは懸命に走った。
自分をとらえようとする糸をよけ、槍で切断し、地を這う網を飛び越えて、クレーンの外装に飛びついた。
最も高い位置にあるアーム。その先にある作業台まで、五十メートル。
そこまで到達すれば、インフルエンスの射程外!
スロープ。階段。はしご。足で登れる限界は三十メートル。
残りはアーム部の二十メートル。
インフルエンスのナイフの群れが迫ってきた。
クレーンのアームに五本の槍を投擲。等間隔で突き刺さる。
跳躍。四枚の翼の助けを借りて、五メートルのジャンプ。
ナイフの群れが、今、立っていた位置に殺到する。
投げ槍を手掛かりにアームを登る。その槍を、さらに足場にして再び跳躍。それを続けて、ようやく作業台に手がかかった。
ぐっとからだを持ち上げたとき、再びナイフが飛来。一本のナイフが脇腹に突き刺さった。
リンは歯を食いしばり、痛みをこらえ、前を向いた。
そして、作業台の柵に足をかけ、目の前の大空に飛び出した!
突き抜けるような青空と、真っ白に輝く雲をからだいっぱいに感じる。
リンは誘われるように四枚の翼を、力いっぱいに広げた。
脇腹のナイフが消滅。核となっていた破片が地上に落ちる。
予想通り、ここはインフルエンスの射程範囲外だ。
「アタシを見下すなっ!」
地上にいるルナが聖杯連結で声を届けてきた。いら立ちと興奮に任せて、叫び、喚いている。
リンが右手を高く掲げる。五本の投げ槍が生成された。そのすべてを束にして、右手からあふれ出したアドミレーションをまとわせる。
「必殺技〈アンコールバースト〉、『ブリューナク・ピアース』」
ひとり静かにつぶやく。投げ槍の束に膨大なアドミレーションが集束。まばゆい光を放ちながら、一本の「巨人の投げ槍」となる。
ルナに対して、はっきりと宣言した。
「わたしは、絶対にやり遂げるっ! アイドルになって、精いっぱい生きる!」
宙に浮かぶ、巨大な槍の矛先をルナに向けた。
右手を大きく振りかぶり、一気に振り下ろす!
ごぅん、と重々しい音を立てて、リンのアンコールバーストが、落下を始める。
「そんなことができるなんて、認めない! お前は汚れたんだ! 間違ったんだ! そんなやつが何かを成し遂げるなんてできない。そんな資格はないのよ!」
ルナが右手のナイフを掲げた。
そこを目掛けて、ナイフの群れが集まっていく。おぞましいほどびっしりとまとわりつく。
すべてのナイフが集まったあと、鈍色の光を放ちながら、インフルエンスのかたまりが形を変える。ルナの背丈以上ある灰色の大剣ができあがった。
リンの槍が、地上に向かって一直線に突き進む。
ルナが大剣を構え、切っ先を空に向けて、狙いを定める。
「あなたになんか、絶対に負けないっ!」
リンの叫びとともに、槍と大剣が激突した!
ぎぎぎぎぎっ! と槍の穂先と大剣の切っ先がこすれ、橙色と灰色の火花が飛び散る。そして、そこからじわじわとインフルエンスの浸食が始まった。
……しかし、浸食は穂先までだった。リンが作り上げた槍のアドミレーション量は、ルナの大剣の量をはるかに上回っている。
インフルエンスの大剣は、リンのアドミレーションを浸食しきれず、槍の勢いに押し負け、ひしゃげて破れる。
灰色の破片を派手にまき散らして、槍が運んだ莫大なアドミレーションはルナに直撃した。橙色の大きな光に巻き込まれる。
ルナの心の叫びが、リンの心に直接届いた。
「負けた。どうして負けた? そんなこと、わかりきっている。リンが『特別』で、アタシが『特別』じゃないからだ。そうに決まっている……それしかないんだ!」
……ルナの心の中が見えた。
憎悪と敵意が炎となって燃え上がる。
炎の先に、子どもの頃のルナがいた。会ったことはないが、この心が教えてくれる。
彼女は炎に焼かれながら、のどを押さえて苦しそうに喘いでいた。
駆けつけたかった。しかし、炎が邪魔で先に行けない。
ルナは、そこで、何かと必死に戦っていた……。
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