第八章 「最終審査」
マリアとの出会いから一週間後。ISCIからアヴァロン・プロダクションに依頼された、通称「ツアー」と呼ばれる遠征はすでに始まっていた。
ツアー三日目。ここは、隣国の北方にある山間部。ISCIから依頼されたのは、この付近一帯の現地調査とイドラの掃討だった。山と山が折り重なって入り組み、山あいや深い谷が多いため、目視による調査が欠かせなかった。
イドラが多数出現するポイントは「スポット」と呼ばれている。
世界中のいたるところに点在し、地表からイドラ・アドミレーションが湧きだす場所だ。山間部、峡谷、川沿い、湖などの地形で多く観測されている。聖杯連結力が高い人ほどイドラ・アドミレーションでできた真っ黒なフィールドが見えるそうだ。
アドミレーションはカメラやセンサーなどの機械では探知できないことに加えて、聖杯連結力が高くても距離が遠くなるほどイドラ・アドミレーションの感知が難しくなることが理由で、このように現地に遠征することが必要となる。
アヴァロン・プロダクションからは、キャメロットとルナたち候補生の六人、プロデューサーのマーリン、その他のサポートスタッフ三人の合計十名。現在、別ルートの探索を行っている隣国のプロダクションからは合計七名が参加している。
このツアーが、オーディションの最終審査を兼ねていた。キャメロットの三人と候補者の一人が、合計四人のチームとなって、この遠征中の現地調査とイドラの掃討を担当する。
キャメロットの持ち味はチームワークだ。メンバー間の連携によって、個人では出せない力を引き出し、大きな成果を得る。それがユニットのコンセプトとなっている。
候補者たちは、一日ごとに交代しながら、キャメロットの一員としてイドラと戦い、連携したときの効果がどれだけ上がるのか、イドラとの向き合い方は適切か、が審査される。
ルナは、ツアーキャンプから少し離れた高台で遠くを見ていた。見下ろした視線の先には、川沿いの広場がある。そこでは、リンがキャメロットに加わり、イドラと戦っていた。
ナタリーが、大きな手甲を持つヴァンブレイスで、敵を粉砕する。
ルーティが、アドミレーションで作り出した鋭い水の刃をあやつり、敵を切り刻む。
クレアが、軽快な体さばきで攻撃をかわし、大きな槍を振り回して敵を貫く。
そして、リンが宙に飛びあがり、投げ槍を放つ。ナタリーの背後にいた敵を射抜いた。
それをきっかけに、キャメロットの攻勢が強くなる。合計十体いたイドラが、全滅した。
「ルナ、ここにいたんだ」
右を振り向く。もう一人の候補者、ジェシカが立っていた。彼女の同年代の先輩たちが、そろって「世話やき」と評する人だ。会釈をして応える。
ジェシカも、キャメロットの戦いを観戦する。ルナも視線を前に戻した。
「リンもルナも、すごかったんだね」
「……いきなりどうしたんですか? 先輩」
「私、このオーディション、勝てるかも! って思っていたの。でも、あなたたちの実力を見誤っていた」
ジェシカの方にそっと振り向くと、彼女はリンの方をまっすぐ見つめていた。
「特にリン。彼女を含めたキャメロットの、ここまでのイドラ撃破数はわかる?」
「三十六です。リン個人だと七体撃破していますね」
「そうなの。ルナは、チームで二十三、個人で五体撃破。そして私は、チームで二十、個人で二体撃破。……私が合格する可能性は、ほとんどないわね」
「今日のイドラの出現率が高すぎるだけじゃないですか? 出現数が多ければ、撃破数も上がるのは当たり前です。それが合格につながるとは……」
「それって、彼女の異常なほど多いアドミレーション生成量が原因なんじゃないかな? 彼女にひかれて、イドラが集まる。そして、集まったイドラを、彼女が撃破するっていう……」
「たしかに……それは考えられますね」
ルナは気分が悪くなった。彼女に負けているわけじゃない。彼女は運が良いだけであり、実力ならこちらの方が上だ。
「それに、声のかけ合い方が上手いというか、行動のゆずり合い方が上手いというか……。リンとキャメロットの三人って遠慮しないし、遠慮されてないって思うんだよね」
「それって、チームワークが良いってことですか?」
「そうだね。今、思い返すと、私はそれができなかった。キャメロットの三人に、いつも『これでいいですか?』って確認しながら戦ってた感じかな」
(アタシは、自分から動いて、最善だと思うことを選び、最大限の力で敵を倒していた!)
「それから」ジェシカが続ける。「イドラとの間合いの取り方もいい感じだと思う。ちゃんと向き合って、つかず離れず、適切な距離を維持しながら、少しでも長く戦えるように、ヒット&アウェイを基本戦術にしているよね」
ジェシカはリンのことばかり話している。本当に気分が悪い。
そう思っていると、思い出したようにルナのことを話しはじめた。
「ルナもイドラと戦っているとき、すごく落ち着いているよね。冷静にイドラを倒していくの、かっこよかったよ。ただ……私は本当に怖かった。どうしてもあわてちゃうんだよね」
「そう見えるだけですよ……。アタシも怖いです」
(実戦を経験していれば誰でもそうなるよ。まして、聖杯浸食されてしまったんだ。もう、怖いものなんてない)
「今回は、不合格かな……でも、ただじゃ負けないわ! あなたたちのいいところ、全部吸収してみせるの。リンからは――」
ジェシカが語り続けている。ルナはもう聞いていなかった。
ルナにとって、マリアと出会った日から、オーディションに対する意欲はなくなっている。
その代わりに、今はリンを倒すことに集中していた。
彼女に勝つことは、「本当の自分」につながっている。これができなければ、「母親の夢と理想の器」のままだ。
制服のポケットに手を触れる。固い手触り。かたちは細長い円すい……。
ルナは、一週間前のマリアとの会話を振り返った。
*
隣から、マリアの優しい声が聞こえてきた。
「私が今日ここにいる理由は、あなたが参加するオーディション、その最終審査の詳細を知るためだったのです。
ここはアヴァロン・プロダクションの最寄りの街。街に出かけるアイドルやプロダクションに出入りする人間がいます。その人たちの記憶を読むことで、情報を得るつもりでした」
「それなら、アタシの記憶で充分ですね。最終審査の候補者なので、すべてわかっています」
マリアが微笑み、こくりとうなずいた。
「ええ、出会いに感謝しています」
「最終審査の詳細を知ってどうするつもりなんですか?」
彼女はルナの方にからだを向け、真剣な表情をした。
「私たち『ノヴム・オルガヌム』は、キャメロットをスカウトするべく、オーディション最終審査に介入するつもりです」
マリアの言葉に驚く。ルナは黙ってうなずいた。
「最終審査が終了した次の日。すなわちツアー四日目ですね。キャメロットの三人がスポットに足を踏み入れたときに、神話型イドラを放ちます。すでにキャメロットたちが向かうスポットは判明したので、そこに出現させるように手配しました」
「アタシは、どうしたらいいですか?」
「あなたも含めた候補者の三人に危害を加えることはありません。神話型イドラが相手なら、きっと待機命令が出るでしょう。そのとき、あなたは自由です」
「アタシは、自由……」
「ルナはどうしたいですか?」
――ルナは、悪い子。ママの言うことを聞かない、悪い子。ママの邪魔をする、悪い子。
母親の言葉が、声が、ルナの心に響きわたる。
(もう母親はいない。言うことを聞かなくてもいい。望むことを選んでもいい。何者であるかを、アタシが決めてもいい!)
「リンと闘います。そして、アタシが勝ちます」
マリアが、満面の笑みを向ける。
「わかりました。いっしょにがんばりましょう」
マリアが黒ローブの中から細長いボールペンのようなものを取り出した。それは、円すいのかたちをした、透明感のある黒い宝石のように見える。
「ルナ、これを渡しておきます」
「これは……」
「聖杯連結補助器〈コーヌ〉と呼ばれるイドラ・アドミレーションの結晶です。互いが遠くにいても聖杯連結による意思疎通ができます」
ルナが両手で慎重に受け取る。黒い光沢をもった結晶が、両手の上でころりと転がる。
「リンとの決闘中に何かあったら、これで連絡してください。私か、私が連れてくる仲間が駆けつけます。最終審査が行われる場所では、端末が使えませんからね」
「これ……持ち運んでいる最中にキャメロットやプロデューサーにばれないでしょうか?」
「大丈夫です。アドミレーション間の結合が強いので、存在が特定されるほどイドラ・アドミレーションが漏れることはありません。服の内側に隠しておけば、わからないでしょう」
「そう、なんですね」そう言いながらポーチにしまうとき、マリアが声をかける。
「もう一つ、注意点です。スポットの付近で、その補助器を地面に突き刺さないでください」
「なぜ、ですか?」
「イドラを召喚してしまうからです。私たちの本拠地の近くに『イドラの大釜』という莫大なイドラ・アドミレーションが溜まっている場所があります。そこと世界各地にあるスポットは細い聖杯連結でつながっています。
スポットでイドラが多数出現するのは、イドラの大釜で生まれたイドラが聖杯連結を通って、移動してくるから、なのです。
そんな場所で補助器を使った場合、その場所の聖杯連結を拡張し、強力なイドラを呼び寄せる可能性があります。充分に注意してください」
「わ、わかりました」
マリアが手を差し出す。ルナは彼女の手をにぎり、握手をする。
「それでは、ルナ、お互いにがんばりましょう」
「はい!」
*
「ねえ、ルナ? 聞いてる?」
長い思考が、ジェシカの声で止められた。
「……っ、はい。何でしょうか?」
(まだ、いたんだ。世話やきというのは、本当みたい)
「リンから、あなたへ伝えてほしいっていうメッセージを預かっているの。今、伝えてもいい?」
「メッセージ……いきなりですね。いいですけど……」
「ありがとう。リンは、私とルナ、二人同時に伝えたかったみたい。ルナがあまりキャンプにいないから、話してほしいって頼まれたの」
この黒い結晶を持っていることがばれたら、面倒くさいからだ。
「先輩はもう聞いているってことですね。どんなメッセージですか?」
「ちょっと、どきっとするかもなんだけど――」
それは、リンの半生についてだった。
リンは、十歳の頃、脳の病で余命十年と宣告された。そして二年の間、検査や投薬を行ったが、その死を避けることは、できなかった。
さらに、十二歳の頃、イドラに襲われた。
そのイドラは通常の人型イドラだったらしい。袋小路に追い込まれ絶体絶命となったとき、昔のキャメロット・メンバーで、今は行方不明のキリアに助けられ、無傷で生還する。
それがきっかけとなり、アイドルに憧れるようになった。自分を助けてくれたアイドルのようになりたい、必ずなってみせると決意し、今日までの四年間、たくさんの努力をしてきた。
そして、ようやくこのオーディションにたどり着いた。
「――今、臨んでいる未来を譲ることはできません。先輩たちにも譲れない理由があることもわかっています。だから、全力で戦いましょう。よろしくお願いします、だって」
ジェシカがしゃべり終えても、ルナは何一つ反応しなかった。
「リンは今、十六歳。あと四年か……。早すぎるよね。二十歳で死んじゃうなんて、自分がそうだったらって思うと怖いな。
でも、リンの言う通り、私たちだって譲れないものはある。余命とオーディションは別。リンはそれを伝えたかったのかも」
ジェシカの方を見ず、そっぽを向いて「はい」とつぶやく。
彼女は、またあとで、と告げ、高台から去っていった。
空を見上げる。いつの間にか灰色の雲があたりを覆っていた。今日は、こんなに曇っていただろうか。風が強くなり、肌寒くなった。
(リンの余命は、あと四年。確かに短いと思う。しかし、それが何だというのだろう。
いいことじゃないか! きれいなままで死ねるなんて、うらやましい。
普通の人型イドラに襲われて、そこをキャメロットのキリアに助けられたって……
アタシは助けてもらえなかった!
くそみたいな母親に強いられて、巨大な神話型イドラに挑んで……聖杯浸食された。
アタシは、真っ黒に汚されたんだ。聖杯浸食の前と後で、決定的に何かが違う。敵に汚されたアイドルなんて、まともじゃない。しかも、記憶を操作されて、その事実をなかったことにされた。それでも、アドミレーションが灰色であるという、汚されたアイドルだという烙印は消えなかった。
一度汚された人間が、誰かの星として輝く場所を目指し、いきがっていた。アタシは、理想的できれいで正しい人間となる資格を永久に失くした、ダメで汚くてまちがっている人間なのに! みっともなくて、ばかばかしい! 生きているのが恥ずかしい!
……リンは、きれいなままで、理想を目指し、きらきら輝いている。しかも、その理想がもうすぐ実現する。そうして、すべてを手に入れ、汚されないまま一生を終えようとしている。
そうなれば、アタシは、この汚いからだとこころのままで、すべてのきれいな人をうらやみ、ねたみながら、嘆きつづけるだけの人間になってしまう。
そんなの嫌だ。これが……まちがいだ。これを正さないと! しかし、どうすれば……)
そのとき、マリアの声が脳裏で再生される。
――リンを倒して、今の自分、本当の自分を見つけるために、リンを倒す
――黒い結晶が、強力なイドラを呼び寄せる
「そうか……わかった。リンを倒す。そして……イドラにリンを聖杯浸食させる。リンも汚せばいいんだ。簡単なことじゃないか……。
彼女だって、汚れるはずだった。その代わりをアタシがやる。それだけだ。みんな汚れれば、アタシも同じ。きっと、アタシの汚れも正しくなるはず。
やるしかない……こんな気持ちを抱えたまま、本当の自分なんて見つけられない!」
翌日。ツアー四日目。
ルナが高台で気持ちを整理していると、遠くに見える湖のあたりで、突如黒くて巨大な物体が現れた。よく見ると、ドラゴンのようなかたちをしている。さらに、その足もとには、ちいさな黒い物体が複数うごめいていた。
マリアの戦いが始まったのだ。
キャメロットが応戦をはじめたのだろう。彼女たちのアドミレーションである黄と青と深紅の光が、ぱっ、ぱっと閃いている。
「いくぞ」小さく声に出し、アヴァロン・プロダクションのキャンプに引き返した。
キャンプの中は混乱していた。隣国のプロダクションのアイドルたちがあわただしく出撃の準備をしている。入り口付近で、たくさんの荷物を運ぶスタッフとすれ違った。
「ルナさん! 戻ってきたのね。キャメロットのところに神話型イドラ一体と数十体のイドラが出現したの。今、待機中のアイドルに出撃の命令があったのよ。あなたたち候補者とスタッフはキャンプの撤収後、待機命令が出ています。あなたも手伝って!」
マリアの言ったとおりになった。静かにうなずいて、キャンプの中に入る。
大きな声で交わされる指示と報告。人が右に左にせわしなく走る足音。荷物を満載した台車が、重々しい音を立てて入り口に向かっていく。
リンは、キャンプの奥で、神話型イドラが出現した方角を心配そうに眺めていた。
心臓が早鐘を打つ。
こんなにどきどきするのは、生まれてはじめてだ。
あの黒い雄牛のイドラに立ち向かったときの方がすごかったのだろうか。しかし、そんな細かな身体感覚は覚えていなかった。母親に改ざんされた一年間に対する憎しみが、燃え上がる。
この憎しみは、そのまま、彼女にぶつけてやる!
「リン!」
声をかけながら、彼女の右手首をつかむ。
リンが、驚きながら振り向いた。彼女と目が合った。
「ルナ! どうしたの?」
リンは、ルナの態度に、熱い何かを感じ取ったのかもしれない。
いぶかしむ表情だったリンが、次第に真摯で意欲に燃えるような表情に変わっていく。
(まるでアタシが『キャメロットの応援に行くよ!』と誘っているみたいだ)
そうであれば、誤解だ。リンの熱く燃える気持ちを想像すると、吐き気がする。
ルナは、不快な気持ちに負けないように、彼女の目を見つめ返し、うなずく。
「リン、行くよ」
「わかった」
リンの手を引き、撤収準備で混乱するキャンプから離れる。
今、母親が引いた道を完全に外れた。落ち着かなかった。でも、心がはずみ、いきいきとしている。その証拠に、心臓のどきどきが、まだ続いていた。
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