第九章 「落ちたアイドル」

 リンは、ルナに手を引かれて、キャンプの裏手にある山の中腹を歩いていた。

 キャンプを飛び出したあと、強引に引っ張られてきたのだ。

 どこに行くのか、と何度も尋ねた。しかし、ルナは黙ったまま、リンの手に爪が食い込むほど強くにぎり、キャメロットの戦場とは反対方向に突き進んでいく。

「ルナ、わたしたちも早く加勢しないと、やばいよ! 神話型イドラに、数十体のイドラなんて、いくらキャメロットでも危ないから!」

 応えがない。代わりに、ぐいっと手を引っ張られる。リンはつんのめりながら、ルナに再び声をかける。

「ルナ! あなたもそう思ったから、キャンプを抜け出したんじゃないの?」

 声を荒げても、ルナは反応しない。足を止めてもくれなかった。

 木々が密に並ぶ山の斜面を横切り、まっすぐ進む。枝葉の間からのぞくのは、灰色の雲ばかり。やがて、先に道が見えなくなった。

 無理やり手を引かれ、どこに連れていかれるのか、わからないのは、不快だった。これ以上はがまんできない。

 リンは、足を踏ん張って、ルナが引く力に抗う。そして、思い切り彼女の手を振り払った。

「説明してっ! どこに行くつもりなの!」

 突然、ルナが振り向いた。道の先を指さして答える。

「あそこだよ。さぁ、確認して」

 その先をのぞいたとき、思わず息を呑んだ。

 そこは山全体を大きく削り、露出した断面から大きな岩を切り出す採石場だった。今歩いてきた山の裏半分が型で抜いたように、なくなっている。

 ここから見える山はすべて同じように削られていた。下を見ると、円形の底がある。まるで山の間にできた巨大なすり鉢だった。今、立っている場所はそのふちにあたる。

「どうして……こんなところに?」

「ここでやりたいことがあるのよ」

「やりたいことって……キャメロットの応援じゃないの?」

「アタシ、そんなことしたくないよ」

 ルナを見据えて問いただす。

「信じてついていったのよ! どうして?」

「それは……」そう言いながら、ルナがふところに飛び込む。再び手をつかまれた。「残念だったね! 勘違いした、お前が、悪い!」

 手をひねられる。体勢が崩れる。ルナがリンの足を払い、からだが宙に浮いたところを、すり鉢の底に向かって放り投げられた。

「きゃっ!」内臓がふわっと浮き上がる感覚。手足がつかまるものを求めてばたつく。自由落下。ルナの恐ろしい笑顔。

 ちらと下を確認。太く長いアームを持つ大型機械。きっと、切り出した石を運びおろす超巨大クレーンだ。このままだと激突する。けがじゃすまない!

 目を閉じる。右手を胸にあてる。心を落ち着かせ、宣言した。

「輝け!」

 右手を横にはらう。橙色の光がふくらみ、はじけた。

 炎のようなアドミレーションがリンを包み込む。炎の中で、輝化防具が形成される。

 リンは、空中で体勢を整えて、グリーブに意識を集中した。くるぶしにある羽根飾りの意匠からアドミレーションの翼が広がる。落下のスピードが落ちた。

 ゆっくりと降下し、アームの先端部に降り立つ。

「輝け!」

 見上げると、灰色の光に包まれたルナが落ちてきた。

 彼女の輝化防具は、まるで軍人のような姿だった。迷彩服。顔半分と首をすっぽり隠すストール。何本ものナイフを提げたタクティカルベルト。

 ルナの両手に光が集束し、ナイフとなった。それをリンに向かって突き出す。

「くっ!」

 今いる足場を思い切り蹴って、後ろに跳ぶ。再び落下。

 翼を小さくして、落下速度を上げる。アームの基底部で、一度足をつき、再び跳躍。羽ばたきで落下の勢いを殺し、着地。

 遅れて、ルナもリンの三メートル先に、どんっと音を立てて着地する。

 対峙する二人。リンは、怒りと戸惑いを訴えた。

「なんてことするのよ! ルナはいったい、何がしたいの!」

「アタシがやりたいのは、リンを倒して、イドラ化させることだよ」

 ルナの話す言葉は、いつもの高飛車な態度に似ていた。しかし、それだけではなく、とても冷たくて真っ暗なものを感じた。

 ルナが続けて応える。

「お前は、ここでイドラ化するの。それで死ぬのか、黒のアイドルになるかはわからないけど……どちらにしても、これでキャメロットにはなることができないね」

「黒のアイドル……?」

「……知らないの? 本ッ当に幸せだよね! イドラに侵された、まちがって汚くて恥ずかしい、アイドルの総称だよ!」

 ルナの言葉と態度にひるむ。

「……なぜ、わたしがイドラ化しなきゃいけないの?」

「なぜって……、あーもうっ! なんで、わかんないかなぁ?」

「わからないよ! 説明し――」

「アタシが汚れているからだよ!」

 ルナの顔がひきつり、怒りの表情がさらに険しくなる。

「アタシは、キャメロットになることを目指していた。それが、お義母様の望み。そして、自分の望みだと思っていたの。でもね、全部うそだったのよ! 十二歳の頃すでに、アイドルをやって……いえ、やらされていたの。母親にね! あいつのヒロイン願望の器にされたのよ! あいつの代わりに正義のヒロインをやらされて……。挙句の果てに、神話型イドラの前にひとりで立たされたわ。結果なんてわかるでしょ? そう、負けたわ。聖杯浸食されて、黒のアイドルになったの。でもね、あいつがそれを許さなかった。動けないアタシに、セル・フロスを無理やり呑ませたのよ! 聖杯が洗浄されて、イドラ・アドミレーションを洗い流してくれたけど、いっしょにアイドルに関連する記憶もなくなったわ。そうしてできたのが、今のアタシ。やりたくもなかったアイドルに憧れ、死んだあいつの代わりとなったお義母様のために、キャメロットになることを望み、リンたちに負けないように必死になっていたアタシよ! 聖杯浸食されたアイドルが、望んでもいないアイドルに、再びなろうと……それも、キャメロットになろうとしていたのよ? イタすぎるでしょ?」

 リンはあっけにとられて、何も反応ができない。ルナがさらにまくしたてた。

「アタシのアドミレーション、灰色でしょ? それは、セル・フロスで洗浄したからなのよ。灰色のアドミレーションは、聖杯浸食をされたアイドルの証なの。この汚れを認められないの。だって、正しくないもの。お前や他の子たちは、こんなふうに汚れていない。ねえ、どうすればいいと思う? 自分じゃ、きれいにできないのよ? そんなときどうすればいいの? ねえ! 答えられる? 答えられないよね! アタシは考えたの。少しでも生きやすくなるには、どうすればいいのかって。それはね、『リンをアタシと同じように汚すこと』なの。お前も汚れたら、アタシの汚れも気にならなくなるかもしれないからさ!」

 リンは、ルナの話していることがわからなかった。

「どうして……わたしなの! あなたが、その汚れを受け容れるために、なんでわたしが汚れないといけないの?」

 ルナは心の底から驚き、ありえないと思っているようなしかめ面で、リンに伝える。

「だって、リンは、キリアに憧れてアイドルを目指し、もうすぐキャメロットの一員になろうとしている。アタシだって、アイドルとしてイドラの脅威からみんなを守っていたし、キャメロットを目指してがんばってたよ。でも……その道の途中で、汚されてしまった!

 リンは……汚されなかったよねぇ? なんで? おかしくない? 不公平じゃない? だから、このタイミングでリンを汚して、キャメロットへの道を断ってあげようと思って……」

 ルナはたしかに同じ言語を話している。それでも意思疎通ができないときもあるのだ。

「落ち着いて、ルナ。こんなことでキャメロットになったら後悔するよ。キャンプに戻ろう?」

「なに言ってんの? アタシは落ち着いてるよ。動揺しているのはリンなんじゃない? だって、言ったよね? アイドルになんてなりたくないって! 黒のアイドルになったあと、セル・フロスによって記憶をいじられて、そう思い込んでいるだけだって! 聞いてた?」

「でも、最終審査中だよ? 合格したらキャメロットなんだよ? それをあきらめるの?」

「うるっさいな! キャメロットのことなんて、どうでもいいの! アタシは、お前をイドラ化したあと、マリアさんのプロダクションに行くのよ!

 マリアさんが、記憶を取り戻してくれた。自分をなくして、何のために生きていたのかがわからないアタシに、生きる意味を気づかせてくれたの。その意味が、お前を倒すことなんだよ。あいつでも、お義母様でもない。アタシが決めた目標。アタシがやりたいことなの。

 それで、やっとスタートに立てる! スタートに立って、マリアさんといっしょに走れば、本当の自分を取り戻せるはずなのよ!」

 そのときを想像しているだろうか。ルナがうっとりとした表情で遠くを見ている。

 リンはうつむき、途方に暮れる。

 こんなに他人に干渉されたのは、はじめてだった。他人の都合に巻き込まれて、無視できない状況に追い込まれている。

(あと四年なの! 自分のことで精いっぱいよ! 他人のために、何かをする余裕はない!)

 キャメロットとしてデビューし、大活躍したい。キリアさんと再会し、お礼を言いたい。

 やりたいこと、やらなければならないこと。そして、それらのための力を身につけること。ひとりで、三つすべてを成し遂げなければならない。余計な時間は一秒たりともない。

(わたしは誰にも頼っていない。誰にも迷惑をかけていない! それなのに、他人の方が邪魔をする。ひとりでなんとかしてよ! 構わないで!)

 リンは、顔を上げ、じっとルナを見つめて、きっぱりと告げた。

「あなたは、わたしの人生にとって邪魔だわ!」

 ルナがリンを見ながら、満足そうに笑みを浮かべる。彼女の態度に負けずに、続ける。

「勝手にアヴァロン・プロダクションから出ていけばいいのよ。わたしは何も言わないし、あなたがどこに行くのかにも興味がない! でも、わたしの生き方を邪魔するなら、強制的に排除する! リンを黙らせて、動けなくしたあと、キャメロットの応援に行く!」

 リンは、左右の手を広げる。両手にアドミレーションが集束。投げ槍が二本生成された。いつでも飛び出せるように、構える。

 ルナも、両手のナイフを逆手に持ち直し、前に突き出して、低くかがんだ姿勢になる。

 にらみ合う二人。

 リンが口火を切った。

「わたしの人生から、出ていけ!」

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