第六話 結婚初夜(仮)(嘘)(願望)

 日も落ちた頃になるとお母さんが帰ってくる。蜜葉も夕方には帰ってきたので良い子良い子と褒めてあげた。お父さんは相変わらず仕事が忙しいらしく今日は遅くなるらしい。もしかして空気読んでる?


「いらっしゃいひよりちゃん。ゆっくりしていってね」


 お母さんはすでにひよりちゃんの名前を知っていた。ひよりちゃんは遠慮がちに頭を下げる。お母さんのほうは温和な笑みを浮かべて、ひよりちゃんの肩に触れた。


 蜜葉も面識はあるようで、ひよりちゃんを見付けるとすぐに駆け寄ってきた。どちらも名前で呼び合って、なんだか親しげだった。


「ひ、ひよりちゃんは私のなんだからね!?」


 こんなところまできて寝取られなんてまっぴらごめんだ。それも実の妹に。最悪でも私を混ぜて三人でやりたい。なんの話だ。


 今日の晩ご飯はシチューらしいので鍋がコトコト煮立つ音を聞きながら私とひよりちゃんと蜜葉でリビングで遊んだ。遊んだとはいっても一緒にテレビを見て近況を話し合ったくらいでキャットファイトのようなものに進展することはなかった。チッ。


 けど、こうしていると本当の家族みたいで楽しかった。友達とギャハハと笑うようなものじゃなくて、心が安らいで静かに笑えるような雰囲だった。


 シチューが運ばれてくるとひよりちゃんのお皿にだけにんじんが入っていないいことに気付いて言及すると、ひよりちゃんはどうやらにんじんが嫌いなようだった。恥ずかしそうに頬を染めて俯くひよりちゃんは可愛いというよりもはや愛おしかった。


「姉貴もひよりさんを見習っておしとやかな女性になってよ」

「え? 私おしとやかだよ? おしとやかすぎてギネスに載ってるもん。それにひよりちゃんっておしとやかではなくない? さっきも私とハンバーガーしたし」

「はんばーがー?」


 蜜葉が首を傾げてひよりちゃんを見る。


「そういえば昔、珠樹がチキンバーガーを頼んだら包装紙だけチキンバーガーで中はポークバーガーだった、なんてことがあったわね」


 お母さんが思い出したように私の過去を語る。それは私も覚えている。たしか小学校の頃の話で、私はチキンが食べたかったのになんで豚なんだ。このタコが! とキレ散らかしていたのだ。我ながらプンプンに怒ってたなぁと記憶を遡る。


「そうなんですか?」

「ええ。それでそのあと、恥ずかしいからひよりちゃんには言わないでって家族全員に口止めしてたのよ」

「あーしてたしてた。そん時姉貴から貰ったペットボトルの蓋いまだに机に入ってるわ」


 そこで私たちの過去に齟齬が発生する。私はハンバーガーの件は覚えているけど、口止めのことは覚えていなかった。


 ひよりちゃんが関わることをすべて忘れてしまっている。そんな昔から私たちは接点があったことは嬉しくもあり、その何もかもを忘れているのだとしたら、すごく悔しい。


「今日はこんなバカ娘のために来てくれてありがとね、ひよりちゃん。もう会えないかもしれないって思ってたから、とっても嬉しいわ」

「いえ、そんな・・・・・・あたしこそ、ごちそうまでしていただいて。ありがとうございます」

「いいよ、私が許す」

「姉貴は黙って」

「なにをー! お姉たまにその口の利き方はどういうことなの! 罰としてその鶏肉をもらいます!」

「は? あー! マジで食べた! 吐き出せ! この、バカ姉貴!」

「お姉たまとお言い!」

「ひよりちゃんも来てるんだから、もうちょっと静かに食べなさいよあなたたち・・・・・・。ごめんなさいね、ひよりちゃん・・・・・・あら?」


 わあぎゃあと箸で突っつき合ってると、ひよりちゃんをほったらかしにしてしまったことに気付く。今日のゲストはひよりちゃんなのだ。こんな生意気で可愛くておっぱいのデカイ妹にちょっかい出してる場合じゃない。


 そう思ったんだけど。


「いえ、ふふっ」


 ひよりちゃんはそんな私たちを見て笑っていた。


 目を細めて、息を漏らすように。


 笑っていた。


 私だって、ひよりちゃんを笑わせてあげたかった。笑わせたくて、私の部屋では色々なスキンシップを試した。けど、それでもひよりちゃんは笑ってはくれなくてどうしようかと悩んでいた。


 私があれだけ頑張ってもできなかったことが、今はいとも簡単にできてしまっている。


 同じ好きであることは変わらないのに、家族とこうして過ごすと不思議と笑いがこぼれる。


 私が求めるのはひよりちゃんの体。鎖骨。鎖骨。鎖骨。


 けどひよりちゃんが求めているのは、こんなような温かく、幸せな時間。


 だとしたら、私にできることは。


「鶏肉、いる?」


 ほんのちょっとの優しさ、なのかもしれない。


 ご飯を食べ終えると私はソファに寝そべって牛になった。鶏肉を食べて、牛になる。なんて贅沢なのだろう。起きて豚になっていたらコンプリートである。


 げっぷと喉から満足の擬音が飛び出したころ、頬を上気させて髪を湿らせたひよりちゃんがリビングに入ってきた。


「あれ? ひよりちゃん濡れてるけどどうしたの?」

「お風呂借りた」

「え!?」


 牛から人間に戻って私はガバっと起き上がって後ろのテーブルでお茶を飲んでいるお母さんを見た。勝ち誇ったような顔でほくそ笑んでいた。


「珠樹に先に教えたら絶対覗きにいくでしょ。ひよりちゃんが可愛そうじゃない」

「そ、そっか。ふーん。それならしょうがないね」

「ああ、あと風呂場に珠樹のスマホが落ちてたわよ。まさか盗撮しようとしてたわけじゃないでしょうけど、気を付けなさいね」

「・・・・・・はい」


 チラ、とひよりちゃんを見る。


「・・・・・・・・・・・・」


 猛禽類みたいな眼で睨まれていた。うう・・・・・・。


 欲望に正直に生きるのが辛いこんな世の中じゃ私はもうダメだ。


 とぼとぼと歩いて、私は浴室を目指す。


「安藤」


 と、私の背後に声がかかる。ひよりちゃんだった。


 結局お母さんのパジャマを借りたひよりちゃんはややだぼだぼの袖を私に向けた。な、なんだろう。


 ひよりちゃんが真剣な眼差しで私を見る。


「お湯、飲んだりしないでよ」

「・・・・・・・・・・・・」


 ぜ、全部バレてる・・・・・・!


 私ってそんなに分かりやすいのかなぁ・・・・・・。


「お腹壊すから」

「ひよりちゃん?」

「あんたは、そういう奴だから」


 それだけ言って、ひよりちゃんはリビングに戻った。奥からはお母さんとの談笑の声が漏れていた。


 言葉の真意を汲み取れないまま私は湯船に飛び込んだ。熱いものが一日の疲れと共に排水溝を流れていく。けど、流れちゃだめなものもきっとある。


 それを掴み取れたらいいんだけど、形のあるものだけを追い求めた私には分からない。


 ゴツン。頭を浴槽にぶつけた。


「うーん」


 何で悩んでいるのかは自分でも謎だった。今日は一日楽しかったし、まだまだ本番の夜は続く。ひよりちゃんも笑ってくれて、誘ってよかったって心から思う。


 ぶくぶくぶく。


 泡が鼻をくすぐる。ひよりちゃんのにおいがした。


 なんで、においを知っているんだろう。


「あー」


 わからん。


 ひとまずお湯は飲んでおこう。無礼講無礼講。お腹を壊すくらい安いものだ。


 お風呂を出ると丁度脱衣所の鏡の前で蜜葉が歯を磨いていた。


 裸体を見られて私は思わず「ひゃん」と体を隠し、蜜葉は鼻をほじりながら興味のカケラもなさそうに歯磨きを続行した。悔しい。


 もっと私がぼんきゅっぼんだったら・・・・・・!


「豊胸手術か!」

「あがって早々なにアホなこと言ってんの」


 呆れられた。


「あのさ、姉貴」

「んー?」

「ひよりさんがいるってことは、知ってるんでしょ?」


 蜜葉は私と目を合わせなかった。負い目があるような、そんな佇まいで腕を後ろに回す。


「私が好きな人のことを忘れちゃうってことなら、ひよりちゃんから聞いたよ」

「・・・・・・恨んでる?」

「え、なにが」

「姉貴にずっと隠してたこと」


 いつも強気で生意気な蜜葉だけど、今はひどく落ち込んだ様子だった。


「恨んでるけど、蜜葉がおっぱい触らせてくれるなら許してあげるよ」

「な、なにそれ」

「で、どうなの。触らせてくれるの? 妹の生おっぱい、触らせてくれるの?」

「言い方キモいんだけど・・・・・・」


 はぁ、とため息をついて蜜葉は私の正面に立つ。


「一瞬だけね」

「わーい」


 私はお言葉に甘えて、蜜葉のおっぱいを指で突っついた。


「ありがと」

「え、もういいの?」

「うん」


 蜜葉は呆気にとられた様子で口を開けていた。私はタオルを髪に巻いてパンツを履く。


「いいよ。許してあげる」


 蜜葉の頭をぽんぽんと優しく叩く。普段触れられると「触んなバカ姉貴!」と騒ぐけど、今回ばかりは押し黙ってしまっている。


 ・・・・・・結局、妹は妹だな。


 体の水分を取り終わった私は下着姿でのそのそ脱衣所を出ようとする。


「ねぇ、姉貴」


 すると今度は珍しいことに蜜葉が私の手を握ってきた。おわ、とびっくりして仰け反ってしまう。


「ひよりさんのこと、お願い」

「えー? なになに、どういうこと?」

「多分、ずっと私たちは逃げてきたんだと思う。ううん、というよりリスクを恐れてた。保身第一に動いて、傷付かないことを選んできた。でも、今日。またこうしてみんなで笑い合えるような日がやってきた」


 蜜葉の手は熱い。それはお風呂の熱気なんかとは違う。長年、ずっと宿してきた思いが溢れるような、芯のあるものだ。


「バカ姉貴。バカ姉貴はバカ姉貴だけど、それでもバカなりにバカな選択ができるって私は思う」

「それって褒められてる?」

「バカにしてる」

「だよね!?」

「だから、バカ姉貴。本当は優しくて、頼りがいのある、私の自慢の、バカ姉貴」


 ぎゅっと、握った手に力がこもる。


「今度こそ、絶対に離さないで」


 震える手が私を逃がさない。


 それはひどく我が儘な注文だ。物事の順序や理屈を理解している人間なら決して口にはしないような無神経な言葉だ。


 しかもそれを押しつけるような真似をして、そのうえ物理的にも圧をかけてくるときたもんだ。


 涙ぐむ蜜葉はさながら欲しいものを欲しいと泣きわめく子供のようだ。けど、私たちはもう子供じゃない。かといって大人でもないのだから、小難しい理屈と素直な願望どちらを押し通せばいいのかすら皆目見当もつかない。


 まったく。人が気分よく風呂をあがったというのにとんだ呪いをかけてくれたもんだ。


 けど、まぁ。いいか。許してあげよう。おっぱいを触らせてくれたのだし。


「顔がよくてスタイルがよくておっぱいが柔らかくて、そんなわがままボディを持ってるくせしてお姉ちゃんに対して反抗的で生意気で言うことも聞かない、けど誰かを思いやって、誰かのために涙を流せる私の自慢の妹。分かったよ、任せて」


 その手をぎゅっと握り返して、決意を口にする。


「今日で処女捨てるね」

「いやそういうこと言ってんじゃないんだけど」

       

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