第五話 下心ですけどなにか?

「どうぞどうぞー、入ってください」

「お、お邪魔します」


 玄関を開けると私服姿のひよりちゃんがいて、私は鼻血を垂らしながらお迎えをした。


「ね、ねぇ安藤」

「うん?」

「本当に、覚えてるの? 演技とかじゃなくて」

「勿論。あの日あの場所でひよりちゃんが急に泣き出しちゃって、私に抱きついてきたこともしっかり覚えてるよ」

「そんなことしてないんだけど」

「ねつ造まで完璧だね」


 ふふんと鼻を鳴らして胸を張る。


 ひよりちゃんはそんな私をじっと見た後、靴を脱いであがった。


「ひよりちゃん?」


 自分の揃えた靴を眺めて動かないひよりちゃんの肩を叩くとこちらに振り返る。ひよりちゃんの瞳は、微かに滲んでいた。


 階段をあがって私の部屋に招待する。


 私はベッドに腰掛けて、次いでひよりちゃんがおずおずと部屋に入ってくる。


「エロ本は隠したから大丈夫だよ」

「言ったら意味ないから」


 クッションをぽいと投げるとひよりちゃんがそれを胸元でキャッチする。ピンクのふわふわを抱えてるひよりちゃん可愛すぎる。可愛すぎワロタという感じだった。どういう感じ?


「結構、変わったね」

「そうかな。あんまり分かんないや」

「・・・・・・でも、変わってないものもある」


 ひよりちゃんは赤くなった鼻をクッションで隠した。


「というわけで、この通り忘れてない私なんだけど、どう?」

「どう、って」

「これなら私と付き合ってくれる?」

「いくらかステップを飛ばしてる気がするけど」

「恋は盲目だからね」

「当事者が言う言葉じゃないでしょ」

「お、てことは私に好かれてるって自覚はあるってこと? よかったー想いが届いてた!」


 ひよりちゃんが鈍感系ヒロインじゃなくてよかった。


「あの、それで安藤」


 いまだ佇まいの安定しないひよりちゃんが上目遣いでこちらを見てくる。いちいち仕草が可愛い。自室で見るひよりちゃんはとても新鮮で、


「私は理性を我慢するのが大変だった」

「心の声漏れてるけど」

「隠す気ないからね!」

「話ってなに?」


 意を決したように顔をあげたひよりちゃんの猫目が私を射貫く。そういえば話があるからと私がひよりちゃんを呼んだんだった。


 けどどうしよう。私には下心しかない。


「げ、ゲームでもしよっか」

 

 なら上心を装うだけだ。上心なんて日本語があるのかは知らないけど、ないなら今ここで作ればいい。


「なんていっても、最近のはないんだけど」


 私が最後にゲームを買ってもらったのは確か中学生の時だ。それ以降は頭が悪くなるからと買ってくれなくなった。頭なんてとっくに悪いよ、と返したらとても悲しい顔をされたのを覚えている。なんでだろう。


 ひよりちゃんは肩の力が抜けたように息を吐いて、小さく頷いた。


「隣いっていい?」

「ここは安藤の部屋なんだから、好きにすれば」

「じゃあ前に行こ」

「前?」


 そのまま私はひよりちゃんの膝の上に乗った。


 てっきり肛門に膝蹴りでもされるものだけと思ったけど、びくっと震えたきりひよりちゃんの反応はなかった。


 私も私でまさかひよりちゃんの体に密着できるなんて思ってもなかったのでドキドキを通り越して困惑が勝ってしまう。こんなことが許されていいのだろうか。全国のひよりちゃんファンに殺されやしないだろうか。


 考えたけど、私が地上最強になって全員蹴散らせばいいだけだった。


「ひよりちゃんって腹筋できる?」


 私からはひよりちゃんが見えないので壁に話しかける形になるけど、いつも部屋でする独り言とは違って虚しくはなかった。


「できると思うけど」

「ちょっとやってもらっていい?」


 分かった。と私の首筋に息がかかる。軽く昇天してしまいそうだった。


 ひよりちゃんが仰向けになる。私も仰向けになる。


「どいてくれる?」

「このまま腹筋できるでしょ? できるわよね? できるとお言い!」

「なにそのキャラ・・・・・・」

 

ひよりちゃんの膝の上でムラムラしてたらもう一人の私が顔を出してしまった。


「重くて、これじゃできないよ」

「そっか」

「うん」

「じゃあずっとこうしてよ」


 体を縦に重ねて天井を見る。ひよりちゃんは今頃、私の後頭部に視界を埋め尽くされているだろうか。


 私もひよりちゃんの後頭部に埋もれて死にたい。交代しよ、と言うとひよりちゃんは不承不承に許可してくれた。


 ひよりちゃんの髪はやっぱりサラサラで、私の唇に触れたものをそのままむしゃむしゃと食べた。


「ちょっと」

「あのふぁ、ひよりふぁん」

「・・・・・・なに」


 例えば二人っきりで過ごすことを苦とせずに、ありのままでいられるような、そんな空間があったとして。人生経験なんてまだまだ乏しい私が少しでも幸せだとか嬉々とした感情を淀んでいたとしても持ち合わせることができたのなら。


 上心でも下心でも、いいのかもしれない。


 私は彼女を一目見たときから好きだった。可愛い綺麗可憐で魅力的。そんな劣情でも心が温かく豊かになり、恥ずかしさやもどかしさもくすぐったい幸福に変わるのであれば、間違いなんかじゃない。


 けどもしそう思ってるのが私だけで、ひよりちゃんは自分の行いを間違いだと思っているのだとしたら、そんな悲しいことはない。


 私はひよりちゃんの髪を食べたいし、ひよりちゃんにも私の髪を食べて欲しい。変態っぽい? まさかぁ。


「忘れちゃって、ごめんね」


 私の株をあげるために一応常識人ぶって、ぶった? いやいや私は常識人。だから、思っていたことを口にした。


 女の子の泣き顔は可愛い。特にひよりちゃんみたいな一見クールな子が顔をくしゃくしゃにして涙を流すのはとってもキュートだ。


 けどそれはあの寒空の下で見たからの話で、こうして温かい部屋の中で熱を感じていると、もっと別の涙も見てみたい。


「安藤・・・・・・」

「ぜんっぜん覚えてないんだけどさ、ひよりちゃんは私のこと覚えてるわけでしょ? それはすごく嬉しいんだけど、ひよりちゃんは嫌だったんじゃないかなって思って」

「それは・・・・・・」

「どうせ私が忘れるならもう最初から出会わなかったことにしようって、ひよりちゃんはそう思ってたんだよね? ほんと、ごめんね」


 そのためには何をどうすればいいか分からない。なにせ私は忘れていたのだから。そもそも私の脳みそ事情だって、詳しく分かっていないのだ。


 お母さんや蜜葉に聞こうとも思ったけど、みんな毎日楽しそうに過ごしているからそういう込み入った話を切り出す気になれなかった。


 悲しいことはほんのちょっとでいい。世界に溢れるのは楽しいことのほうがいいに決まってる。


「だからエッチしよう」


 楽しいこと=エッチなのだから当然だ。エッチしないでなにが人生か。エッチな女の子を部屋に呼んでおいてエッチしないでなにが人生か!


「エッチしよう! ひよりちゃん!」


 ぐるん! と体を回してひよりちゃんの唇を奪う! 


「あれ?」


 気付けば私は宙を舞っていた。


 そのままベッドに嫡子する。何が悲しくて自分の枕に口づけしなければならないのか。


「あ、ごめんつい」

「ついで背負い投げする女の子いる!? いる! ここにいる! 可愛い! 好き!」


 すごいすごい! と私はベッドの上で跳ねてはしゃいだ。


 あんな密着状態の寝ている状態から瞬時に体を起こして私を投げ飛ばしたのだ。


「それどうやるの!? 私もやりたい!」

「・・・・・・腕を引いて、相手を背中に乗せる」

「ひ、ひよりちゃんで試してもいい!?」


 我ながらバレバレかなと思った。これではひよりちゃんに触りたいのが丸わかりだ。てっきり断られると思ったのだけど。


「やってみたら」


 予想以上に快諾してくれた。


 ひよりちゃんが私の背後に立って腕をにゅっと伸ばしてくる。すらっとして綺麗な腕だ。


「手首を右手で、そう。そしたら関節を左手。うん、そんな感じ」

「後ろからそんな囁かれるとエッチな気分になっちゃう・・・・・・」


 しゅるしゅると腕が引っ込んでいく。


「あ、うそうそ! いやうそじゃないんだけど我慢するから! それでそれで!?」

「そうしたらあんたの腰にあたしの腰を乗っける感じで前に屈む。うん、そうしたら今度は左手離して、それは仮止めみたいなもんだから。あとはあたしの胸のあたり掴んで」

「分かった! それでは失礼して一揉み」

「掴むだけ」

「はい」


 体勢はキツイけど、ひよりちゃんの分かりやすい指導もあってちょっとは形になっている気がする。


「あとは投げるだけ。というよりも落とすって感覚に近い」

「ふぎぎぎぎいいい!」


 けど、そこからが難しかった。ひよりちゃんの体は軽いはずなんだけど、それでも40キロ前後はあるはずでそれを投げるなんて到底無理だった。


「だ、ダメだぁ・・・・・・もっとムキムキにならないと」

「大事なのは力じゃなくて感覚だから。多分関係ない」

「そうなんだ。ひよりちゃん詳しいね? もしかして柔道部? ひよりちゃんの柔道着めちゃくちゃ見たいんだけど。柔道着姿のひよりちゃんと揉み合ってつい帯とっちゃって胸元はだけさせたいという思いだけでオリンピック優勝できそう」

「安藤が、教えてくれたんだよ」

「え、私?」


 服を正すひよりちゃんの頬はやや上気していて、あんなことやこんなことを考えてしまう。


 私が首を傾げていると、ひよりちゃんは開きかけた口を閉じて小さく息をこぼす。


「昔の話」


 ってことは、私の知らない。もしくは忘れた記憶ということだった。


「この世界でひよりちゃんだけが知ってる思い出だ」

「そんな綺麗なもんじゃないよ」

「そうなの? もしかして楽しくなかった? 嫌々教えられた?」

「ううん。楽しかった」


 首を振って、はっきりと否定する。


「楽しかったから、いい思い出なんかじゃないんだ」

「私って罪な女だね」


 すると、冗談で言ったつもりなのにひよりちゃんはすごい剣幕で振り向いた。


「タマちゃんは悪くなんてないっ!」

「え? タマ?」

「あ・・・・・・」


 それも一瞬のことだった。ひよりちゃんは目を大きく見開いたあと、俯いて口を噤んだ。


「それってキンタマってこと?」

「そうだと思う?」

「うーん。思わない!」

「今のは忘れて」


 ひよりちゃんはそう言って、すぐに口元に手を当てて押し黙る。


「ごめん、安藤」

「皮肉がバッチリ聞いてたね」

「そういうつもりじゃ、ないんだけど」

「大丈夫、忘れるのは得意みたいだから」


 なんて悲しい会話なんだろう。誰かが聞いたらどう割って入ればいいか悩むかもしれない。


 けど、私はそこまで悲観的には考えていなかった。


 だって、忘れたからこそあった出会いだってあるかもしれない。


 悲しいだけで終わる物語なんて、私は見たことがない。忘れるということは、思い出せるということだ。私にしかできない、私たちにしかできない物語だってきっとあるはずだ。


 それから私は埃のかぶった古いゲーム機を出して、ひよりちゃんと遊んだ。ゲーム性もあったもんじゃないバグだらけの対戦ゲームだったけど、誰とやるにも楽しくできた。


 意外なのがひよりちゃんがめちゃくちゃ上手だったことだ。キャラが瞬間移動したり、技の硬直を消したり、時には首が半回転するバグなんかでも笑わせてくれた。


 聞くと、昔よくやっていたらしい。


 誰と? という質問はしなかった。ひよりちゃんが、とても辛そうな顔をしていたからだ。


 やがて茜色の日差しが差し込んで、部屋の雰囲気も終わりを告げるものへと変わっていく。


 こうしてひよりちゃんといられて、私は間違いなく楽しかった。過去の私も、きっと思う存分楽しんでひよりちゃんと過ごしたことだろう。タイムマシンがあったら乗り込んでやりたい気分だった。


 でも、今の私のほうが絶対楽しいぞって過去の私に宣戦布告するのもいいかもしれない。無性に勝てる自信があった。


 ゲームも片付けて、ひよりちゃんはクッションの上で漫画を読んでいた。けど、ページの進む早さを見るに既読のもののようだった。もしかしたらこれも過去に何度も読んだのかもしれない。


 私は楽しくても、ひよりちゃんはずっと苦悶にも近い表情を浮かべている。


 それがずっと気がかりで、なんとかしたかった。どっちも楽しいって思えるほうがいいに決まってる。


「あ、あの。ひよりさん」

「なに?」


 漫画に目を向けたままひよりちゃんが反応してくれる。


「今夜、泊まっていきませんか」

「・・・・・・明日学校あるんだけど」


 そ、それもそうか。


 でも。


「それでも、泊まってくれませんか?」

「なんで?」

「・・・・・・もっとひよりちゃんと一緒にいたいって思ったから」


 私の言葉に、ひよりちゃんは驚いたように背筋を伸ばした。口の輪郭がもにょもにょと動いてひよりちゃんにしては珍しく言い淀んでいる様子だった。


「心配しないで! パジャマは私が昔着てたのがあるから!」


 押し入れから取り出してひよりちゃんに見せてあげる。


「昔って、いつ?」

「えーと、小学校の頃かな」

「丈合わなすぎるでしょ。もはや半ズボンだし、これとかヘソ丸出しになると思うんだけど」

「うん。その衣装ならきっといい雰囲気になる」

「もう衣装って言ってるじゃん」

「その衣装を着ればひよりちゃんもエッチな気分になると思うんだよね。ほら、やっぱりこういうのって互いが同じ気持ちじゃないといけないから。私、そのことにようやく気付いたんだ・・・・・・」


 やっぱり私に上心なんてない。そもそもそんな言葉存在しない。


「お願いひよりちゃん! 泊まっていって!」


 けど、下心が悪いとは思わない。


 だって私はひよりちゃんの過去や人物像。もしくは声、仕草、その他諸々の数々に惹かれたわけじゃないのだ。


 私はあの日、泣いているひよりちゃんの『顔』が可愛くて声をかけたんだから。


 記憶があろうがなかろうが人を好きになれる。下心ってきっと、そんな素晴らしいものだから、私は絶対にそれを否定しない。


 エッチだと思ってなにが悪い。エッチしたいと思ってなにが悪い。


 ムラムラと沸き起こるこの劣情だけが、過去と今を繋ぎ止めているのだ。


「・・・・・・分かった」


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