第三話 渇き
冷たい風が肌に触れて唇も渇いてきた頃、空から白い結晶が降ってきた。天気予報によると、例年より早い初雪とのことだった。
降るのが早い年って、消えるのも早い気がする。それがどういうものへと関連付けられるのかは分からないけど、不吉なものでないように日々を過ごす他ない。
あれから三ヶ月が経った。
もうタマちゃんと会わないように通学路を変えたり、あの路地裏に入らないようにしたりと工夫、我慢、断捨離。どう区分していいのか分からないものを試行錯誤して、一応は順調という結果を手に入れた。
気配すらも掠らない完全な別離。タマちゃんはもうあたしの前に現れることはなくなった。
「この調子で・・・・・・」
と、考えながら歩いていたせいで水たまりに足を突っ込んでしまった。靴の中まで水が入ってきて、気持ち悪い。
壁に手をついて、靴を脱ぐ。
濡れた足を見て、唇を噛む。そんな自分に、嫌気が差す。
これじゃあまるで、悲劇のヒロインだ。気取っているようで、滑稽だ。
どうしようもない困難だとか、残酷すぎる結末だとか、そんなようなだいそれたものではないのだ、この問題は。
こうしてあたしが自分を制御さえできれば、普段通りの日常は戻ってくる。それにタマちゃんだって平穏に暮らせているはずだ。ほら、簡単だ。
これはあたしが弱いから招いてしまった悪循環。ここで断ち切ってしまえばなんてことのない、振り返れば見えるただの苦労話にすぎないのだ。
「・・・・・・・・・・・・はぁ」
酸素を吸って、二酸化炭素を吐く。あたしの周りには木を植えたほうが地球の為になる。それほどまでに、ため息ばかりだ。
感情を押し殺してこのさき生きていく。息苦しくて、窒息死してしまいそう。けどそれがあたしの選んだ道だ。きっとこれでいいはずなのだ。
街が近づくと、喧噪とベルの音が混じる。
ああ、もうすぐでクリスマスか。
淡い光に彩られた街中を歩いて、店頭に並べられたケーキを見る。美味しそう。
タマちゃんはフルーツケーキが好きって言っていたっけ。キウイの酸味がいいと頬を膨らませて力説していたのを思い出す。逆にモンブランは大人の食べ物だから食べられないとも言っていた。けど、甘栗は好きみたいでいつもあたしに皮を剥くのをせがんできた。
「ふふっ」
思い出に綻んだ唇を、手で押さえる。
「・・・・・・・・・・・・ッ」
逃げるように、店を通り過ぎる。
あたしは本当に捨てられるのだろうか・・・・・・。
あれだけ楽しかった日々を、無かったことにできるのだろうか・・・・・・。
利口に分別を重ねて、理想と現実を小分けにゴミ箱に放れるだろうか・・・・・・。
「するしかないでしょ」
何度も揺れるな。
決心を曲げるな。
あたしは弱い。立ち向かえる強さなんて持っていない。
逃げなくちゃ。
脆く小さな背中を向けて、逃げなくちゃ。
スマホを開く。連絡が来ていないことを確認する。・・・・・・よし。
なにがよしなのかは分からないけど、その無反応があたしの背を後押ししてくれた。アドレス帳から、大好きな人の名前を消して、空を見上げる。灰色だ。
灰色が、雪を降らせて、地上に降りて水となる。そんなような順序に沿って生きられたらどれだけよかったか。
ありがとう。ごめん。言いたいことを何も言えないまま別れを告げる。辛いけど、苦しいけど、人生ってそういうものなのかもしれない。
自分の大切な人が明日も生きているとは限らないし、反対にあたしが生きているとも限らない。現にあたしはある日突然死んだのだ。彼女の世界で。
この胸の痛みはありふれたものだ。誰もが経験するちょっと切なく悲しい話に過ぎない。だから前を向いて、歩いて、進まなくちゃいけない。
「よし、よし」
雪のように溶けていく自分の心に、安堵する。それでいい。もっと薄情に、冷徹に、人との交わりを嫌いになれ。
この手は誰かを振り払うためにある。この口は誰かを遠ざけるためにある。
「アイスでも食べよう」
なんでそう思ったんだろうと舌で唇を舐めてみる。ひどく渇いていた。なるほど。
それに冷たければ冷たいほどいい。冬に食べるアイスは心からあたしを冷やしてくれる。
冷たい特訓を今からしてみようと思う。コンビニへ出向いて、目的のアイスをレジへ持って行く。まず、店員さんとは目を合わせない。言葉も発しない。無言で差し出す。袋がいるか聞かれても、首を振るだけ。そっけない。
人の温もりを必要としない孤高の存在だ。
会計を済ませ、店を出る。店員さんの顔は見ていないからどんな表情をしていたかは分からないが、分からなくていい。好奇心は捨てる。自尊心は捨てる。思いやりも捨てる。
アイスを食べ終えて、残った棒をゴミ箱に投げる。
カラン。
入ってしまった。ポイ捨てでもしたほうがよかったかもしれない。そっちのほうがよっぽど、冷たい。
けどこうやって一個一個置き去りにしていくしかないのだ。
誰かを救えるような、冷徹な人間になるには。
「あーー!」
その時だった。
あたしの背中に大きな声がのしかかる。
なんだなんだと驚きながらあたしは振り返る。
ああ。
きっとそこで走り出せない鈍重さが、誰かを不幸にするのだ。と、移り変わる景色の中思う。
「やっぱりあの時のかわいそうな子だ!」
――三ヶ月守り抜いた静寂が、一瞬にして破られる。
鼻の先に乗った雪が、視界を霞ませた。
その大きく開いた口とキラキラ輝いた瞳にあたしは、なす術もなく吸い込まれた。
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