第十八話 ひよりちゃんを手に入れた!
「逃げましたわ!」
「マジか! くそっ! 待てー!!」
「不審者、不審者よ! その不審者を捕まえてー!」
「ゆみちゃん待ってぇ……」
廊下を走ってはいけない、なんて張り紙を見て見ぬ振りをして全力で走る私。
「はぁ……はぁ……っ!」
突き当たりを曲がって人気のない廊下に出たところで後ろを振り返るが誰もまだ来ていない。追いつかれてはいないようだ。律儀に廊下を走ってはいけないというルールを守っているのかもしれない。
だけどこのまま走り続けても学校の内部を把握していない私ではいずれ捕まってしまう。
私は近くの扉に手をかけた。
「ん? どこへ行った? いないぞ」
「二階へ上がったんじゃないですか? 行ってみましょう」
「わたくしは他の教師の方へ救援を要請してきますわ」
そんな話し声が廊下から聞こえ、やがて小さくなっていく。
「ふぅ……」
なんとかやり過ごせたようだ。
「ここは……更衣室、かな」
急いで入ったその部屋は多くのロッカーが置いてありハンガーや脱ぎっぱなしのシャツが転がっている。
「はぁ……この後どうしよう」
この後の作戦を立て直そうと腰を下ろす。
だけど、そんな暇さえ与えないと怒涛の波状攻撃が私の身に降りかかる。
「え、嘘でしょ!?」
あろうことか、廊下から大量の足音と話し声が聞こえてくる。そしてそれは段々とこの部屋へと近づいて……。
「や、ヤバっ!」
お決まり、と言っては失礼だろう。何せこの状況に陥ってしまってはこの行動を取るしかないのだから。
「あっついねー、こんな日にマラソンなんて最悪だよー」
「私今日休もっかなぁ」
私がロッカーの中に身を隠したのとほぼ同時に、部屋の扉が開いて女の子達がが入ってきて互いにボヤいたりしている。次の授業は体育だろうか。
やがて衣服を脱ぎ始める彼女達。更衣室なのだから当然なのだが次々と露わになる肌を私はロッカーの穴から覗き見していた。
そして、私のすぐ目の前に立つ白い肌の女の子。
「あ、日焼け止め忘れちゃった。どうしよう」
「私の貸そっか?」
「ほんと? ありがとー!」
「待ってて、今出すから」
そんな会話をしつつ、私の方へと向き直り手を向けてくる。
え? あれ? これはもしかして。
ガチャリ。
「……」
「……」
一気に開けていく私の視界。そこに飛び込んできたのはここが楽園なんじゃないかと思ってしまうほどに煌めく下着姿の女の子達。それと目を点にして口をぽかんと開けている私の目の前に立つ女の子。時が止まったという表現はまるで今この瞬間のために生まれたのではないだろうか。
「あ、あ……」
パクパクと口を鯉のように開け閉めする女の子。
ああ、知っている。私はこの展開を。いや、知らなくても予想するくらいは簡単。故に、先手必勝と私はロッカーから勢いよく飛び出した。
「ごちそうさまあああああああああああああああ!!!!」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
私が下着姿の女の子達の間を通り抜け更衣室から出ると背後から悲鳴。
「変質者、変質者ーーー!」
そして、それは廊下にも響き渡る。
「ん? いたぞ! こっちだー!」
さっきの教師もこちらへ向かってくる。
『不審者、不審者が校内に侵入しました。生徒達は教室から出ないでその場で待機してください。繰り返します。不審者、不審者が校内に侵入しました。生徒達は教室から出ないでその場で待機してください』
「ヒーーーーーー!」
学校お馴染みの放送を知らせるチャイムの後にそんな警告が。
「俺はここから追い込むからお前達は特別棟の階段から挟み撃ちにしろ!」
「わかりましたわ!」
ヤバイ、ヤバイヤバイ!
さすがに身の危険を感じた私はもう自分がスカートを履いている事も忘れて大股で走り、ツインテールもいつのまにか解けていて片方の結った髪がみっともなくピョコピョコと跳ねている。
「ひぃ、ヒィ……やばいやばい!」
何とか運動不足の体に鞭を打って走り続ける。
「あっ!」
だけど、突き当たりを曲がったところで転んでしまう。気づいたらスリッパは脱げていて靴下が滑ってしまったらしい。
どんどんと近付いてくる足音。まさに絶体絶命。
もうダメだと思ったその時だった——。
「こっち」
私の手を誰かが握る。そして私は抵抗することなくその引力に引き寄せられた。
「いないな……こっちに行ったはずだが」
「おかしいですわね、挟み撃ちにしたはずですのに。そちらの倉庫は?」
「ん? ああ、ここは鍵がかかってて今は使われていない。俺たち教師でも入れないのに部外者が入るのは不可能だろう」
「ほんとですわ、開きません。じゃあ一体どこへ……」
「もう一度引き返してみよう。もしかしたら見落としていたかもしれない」
「わかりましたわ!」
女子生徒が元気の良い返事をした後、廊下を早足で歩く音が響き、そのまま遠くの方へと消えていった。
「……なんとか助かったね」
そんな綺麗で、だけどすごく芯が通っていて、体の奥まで揺れ動かされるような、私の大好きな声が耳元で囁かれる。
狭い倉庫に押し込められた私は壁に寄りかかる形に。そしてその声の主が私に覆い被さるように密着していた。
「ひより、ちゃん……」
その正体は、驚くべきか、喜ぶべきか。私の探していた人物だった。
その事実と状況を把握しだんだんと動き始める思考回路のせいで私の身体は熱くなっていく。
嬉しいから、恥ずかしいから? きっと色々な要因があるのだろうけど。密着する私とひよりちゃんの身体。服の上からでも伝わってくる体温に聴こえてくる胸の鼓動。息を吐けば相手の顔に温かい空気が当たってしまう、そんな距離で私は。
「ひよりちゃんっ、あ、あのっ」
段々と暗闇に慣れてきた私の目が至近距離でひよりちゃんの目と交差する。その瞬間ひよりちゃんは気まずそうに目を逸らした。
その表情は可愛いとかそう言うんじゃなくて。ただただ、愛らしかった。
「あり、がとう……」
そんなひよりちゃんを見てしまったら、少し前には存在していた悪戯してやろう。とか、さりげなくお尻を触ってやろう。とか。そんな気持ちは泡のように消えてしまっていて、ぎこちないお礼の言葉が私の口から漏れるのであった。
「あんた、こんなところでなにやってんの」
呆れたようなその声色は、多分本当に呆れているんだと思う。ひよりちゃんの身体から力が抜け、密着していた状態から少し離れる。
「会いにきちゃった」
「会いにきちゃったって……ここの学校私立だし警備厳しいんだから」
「うん、それはついさっきこの身で思い知りました」
校内放送までされてしまいちょっとした大騒ぎになっている。うちの学校だったら他校の生徒が入ったところで注意程度で終わるのに。
「あ、そうだひよりちゃんこれ」
私は持ってきた物を思い出しポケットに手を入れる。その際さりげなく肘でパイタッチしようとするが普通に受け流されてしまった。ガードが硬い。
「はい、ラブホ代。ありがとねっ!」
「……なんか嫌だ」
私のど直球な物言いに不満があるのか渋い顔をするひよりちゃん。
「で?」
「ほぇ?」
「ほぇ、じゃなくて。用はこれだけなの?」
「うん。そうだけど?」
ひよりちゃんにも会えた。昨日のお金も返せた。あとは特に用事もないし。
「あ、強いていえばもうちょっとひよりちゃんの体温を感じていたいかな」
私は冗談めいた風に言うが、これの九割は本気だ。あ、ちなみに残りの一割は性欲です。
「わざわざ学校に侵入してまでやることなの、これ」
「だって、夜までなんて待ちきれないし・・・・・・今すぐひよりちゃんの顔を見たくって我慢できなかったんだもん!」
「する気がなかったんじゃなくて?」
「そうとも言う」
「そうとしか言わないでしょ」
なるほど。日本語って難しい。
「はぁ・・・・・・ほら、これあげる」
「え? 婚約指輪?」
「そうだと思うならはめればいいよ」
ひよりちゃんから受け取ったのは折りたたまれた一枚の紙だ。せっかく貰ったものを指で突き破りたくはないので優しく開ける。
「ノートの切れ端・・・・・・これってひよりちゃんがいっつも使ってるノート?」
「それはそうでしょ」
「じゃあこれひよりちゃんじゃん」
「思考がハードル跳びでもしてるの?」
ひよりちゃんが私の頭をじーっと見つめる。脳みそがあるかどうか疑わしいのかもしれない。ひどい。
「ってこれ連絡先?」
「うん。なんか用事あるときはここに連絡して。用事あるときだけ。それ以外は却下。あと勝手に学校に忍び込んだりしないこと。それから、駅前で待ち伏せなんて真似もやめて。それが約束できるなら――」
言い終わる前に私はがくりと倒れ込んだ。
目から涙がぼろぼろ流れ落ちる。
「うああ」
「うわ、目開けたまま泣いてる」
そんなの当たり前じゃん! 連絡先をゲットなんて、それはもう恋人だよ。私とひよりちゃんは恋人じゃん! 恋人ですよろしく!
「毎日会いに行くね!」
「・・・・・・あたしの話聞いてた?」
ほとぼりが冷めたあと、授業が始まった隙に私は学校を出ることにした。というかひよりちゃんに追い出された。
しっしと肩を掴まれて連行されたけど、それがひよりちゃんからの初の接触だということに気付くと校門前で大声をあげた。
「いいいやったああああああ! ひよりちゃんの連絡先ゲットだあああああああ!」
「いたぞー! あいつだー!」
ぞろぞろと玄関から先生が湧き出てきた。
けど、遠い。遠いよ。
「ふはははははは!」
もうこの場所に用はない。
手に入れた紙を指で挟んでひらひら見せびらかす。
まるで怪盗にでもなった気分だった。
・・・・・・盗んだわけじゃないからね?
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