第十話 その鎖骨は私んだ!

 私は、何もできなかった。


 何をすればいいのかわからなかった。助けようにも、どうやって? 


 私が助けに行ったところで何ができるのだろう。アニメや漫画みたいに首の裏をチョップして気絶でもさせる? さすがの私でも現実との折り合いはついている。


「通報しなきゃ」


 私は結局、誰もが行き着く善行のようで他人任せ、そんなずる賢い行動に出ようとした。


 男はより一層息を荒くし、彼女に密着。顔を近づけていた。


 大丈夫。すぐに警察が来てくれる。ものの十分もすればサイレンが鳴って・・・・・・。


 けど、私はその間なにをしていればいいの? 


 彼女が暴漢に襲われているのをじっと見ているの?


 それもいい。事態を深刻化させないためにはそれが一番利口だ。


 男の手が、彼女に触れる。薄汚い、太くて不格好な指が、触れる。


 なにが正解かとか間違いかとか、難しいことは私には分からない。


 ただ、許せなかった。  


 手にしたスマホを投げて、私は地面を蹴った。


「わああああああああああ!」


 声をあげる必要なんてあるかどうか分からないけど、私だって怖かった。だけど、彼女の方がもっと怖いだろうから、必死に自分を奮い立たせる。


「その手をどけろ! その鎖骨を撫でていいのは私だけだ! というか私だってまだ撫でたことないのに! ズルい! ・・・・・・じゃなくて、離せ!」


 すると男は、私の声に驚いたのか凄まじい速さでこちらへと振り返る。


「なんだテメ……」


 しかし。


「あ、あれ……?」


 背中に身体をぶつけるも、その屈強な肉体はビクともしない。


「なにしやがるテメェっ!」

「うぐ……っ!」


 男は私の首を片手で掴み、恐ろしいほどの力で締め上げる。男の目は血走っており、額にも血管が浮かび上がっていてその怒りは明らかだ。


「ぁ、か……ハッ……」


 息ができない。急激に堰きとめられた酸素、目の奥が痛くなり手足に痺れが現れ冷や汗が出てくる。


 首を絞められるってこんなにも苦しいんだとそんな呑気な事を遠くなっていく意識の中考えてしまう。


 ああ、やっぱり出しゃばるんじゃなかった。私は特別な人間でもなければ戦いの中覚醒する主人公でもない。普通に警察に通報しておけばよかったんだ。だけど、後悔はない。と、綺麗な死亡フラグを建てたところで私の意識は墜ちて——。


「このガキ……いいところだったのに邪魔しやがっ……うおっ!?」

「うわあっ!?」


 意識が途切れる寸前。私の首から手が離れると目の前の男は宙に浮いていた。状況を把握できず混乱する私など気にする様子もなく、そのまま男は地面に叩きつけられた。


「お構いなしとは、逆に哀れだ」

「へ?」


 男が倒れて空いた視界に、先程まで組み伏せられていた彼女が現れた。


「おおい! 離せ、離せチクショウ!」


 形勢逆転。腕を後ろに固められ、完全に身動きが取れなくなっている男が声を荒げる。


「ね、安藤。ちょっと手伝ってくれる?」

「え!? あ、うん!」

「こいつの手足を縛るから、あたしのポケットから結束バンドを取り出して」


 そう言うと彼女は片足を上げ取りやすいようにしてくれる。あ、今日はスカートなんだ。するりと露わになる太ももに視線が行くのはさすがに空気が読めなさすぎるだろうか。


 状況が状況なので、私はなるべく雑念を取り除きながら彼女のポケットに手を突っ込む。すると、彼女の言う通り大きめの結束バンドが大量に出てきた。


「貸して」


 彼女は男を押さえつけながらこちらへ手を出してくる。私は言われた通りに彼女に結束バンドを渡すと。


「いでッ! いでででで! おい! 折れる、折れるって!」


 悲痛な叫びをあげる男。そんな男にも彼女は表情を変えずに。


「強姦魔ってどうしてこんなに貧弱な奴らばっかりなんだろうね。人を襲うつもりならせめて身体は鍛えればいいのに」

「あ、あはは……」


 私は、笑うしかなかった。


「ん、これで良し」


 彼女は立ち上がって手を払う。男は手を後ろに縛られ足に大量の結束バンド。挙げ句の果てには近くのパイプに犬のリードのように繋げられていた。


「と、それから」


 彼女は思い出したかのように声を漏らすと。横たわる暴漢の腹を、蹴った。


「さてと、じゃあ行こうか」

「えっ、どこに?」

「近くの公園、近江公園だっけ? あそこ確か公衆電話あったでしょ。そっから通報するの、さすがにこいつは野放しにはできないだろうしね。どこかのエセ強姦魔さんとは違ってこいつは正真正銘の悪党だから」

「スマホからじゃダメなの?」

「ダメ。絶対電話番号から身元割り出されて事情聴取受ける羽目になるから」


 なるほど。それだけ言うと彼女は男には一切目を向けず路地を抜けて、それに慌てて私もついてく。


「……そういえばさ」


 私が追いついた時、こちらを向かないまま彼女は口を開いた。


「怪我とかない? 頭、擦りむいたりしてなかった?」

「え? えっと、大丈夫だけど・・・・・・あれ!? もしかして心配してくれてるの!?」

「まぁ、あんたはあたしに巻き込まれたわけだからね。怪我がないのならよかった」

「あっ、えーっと、この辺。この辺怪我したかも! 看病してもらえないと動けないかなぁ?」

「そっか、それならよかった」

「あれぇ!?」


 彼女が私の図中にハマる可能性はゼロに近いようだった。


 公園に着くと、彼女は電灯の下に寂しく設置されている公衆電話の中へと歩いて行った。


「はぁ……」


 息をつく。色んな事が起きすぎて翻弄されっぱなしだ。


 でも経緯はどうあれ彼女に会えたのは嬉しい。早く彼女の匂い嗅ぎたい。くんかくんか。


「むむ? これはラベンダー……いや、この鼻を愛撫しているような甘美な香りは……ホワイトブーケの香りだ! ……はっ!」


 そうだ、女という生き物はどこまでも卑しくて、だけど愛でたくなるような純真さと恥じらい、そして奥ゆかしさを持っているもので。故にそこから導き出される結論は。


 彼女は私を——誘っている!


「なにしてんの」


 いつのまにか彼女が電話ボックスから出てきていた。鼻からこれでもかというくらいに空気を吸っている私を訝しげな目で見てくる。


「匂い嗅いでました。すみません、もしかしてホワイトブーケのシャンプーをお使いですか?」

「なんで敬語? まぁ使ってるけど……」

「なんてシャンプー? メーカーは? どこのお店で買ったの? 私も同じの使いたいから教えて!」

「メリ◯ト」

「絶対嘘だよね!?」


 メリ◯トは弱酸性で子供の肌にも優しく、さらに値段もお手頃と長年色んな家族を支えてきた伝統的なシャンプーだ。だけど、近年では髪がゴワゴワするなどとの苦情が殺到しており、若者からはデメリ◯トなどと蔑称で呼ばれている。それにホワイトブーケの香りなんてあるはずもなく、最近では緑茶の香りなどよくわらないものを出して迷走している。


「……あ」


 その時、公園の時計から小さい音が鳴り、日付が変わったことを告げた。


「嘘、もう十二時!? どうしよう……終電逃しちゃった……」


 終電は確か十一時四十分くらいだったはず。


「あっ! んんっ。ねぇ、終電……逃しちゃった♡」

「なんで言い直した」


 ダメだった。浅はかな誘惑作戦が失敗したところで私は「うーん」と唸る。昨日みたいに歩いて帰ろうにも5キロ近いこの距離を歩く体力はさすがに残ってないし。

 

 私は考えながら辺りを見渡す。すると、遠くに光るピンクの灯りが目に入ってきた。その正体はやたらとお洒落な風貌でお城といっても差し支えのない建物。言ってしまえばラブホテルだ。


 正直、選択肢としては有りだった。あそこなら五千円程度で済ませる事ができる。大丈夫、彼女と万が一あんなことやこんなことになった時用にリサーチはしておいたから値段は間違ってはいないはず。よし。


「どうするの?」


 彼女が聞いてくる。私は咳をして緊張した喉の調子を整える。


「あ、あそこに行かないっ!?」


 私はビシッ! と向こうで艶めかしく光るピンクの建物を指差した。まぁ多分断られるどころか、また冷たく蔑むような目で見られるんだろうけど、でもそれも一興と、彼女の反応を待つけれど。程なくして、私は予想外の展開に数秒、固まってしまうのであった。


「ん、いいよ」

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