第2話【牛とプロテイン】

テレビのチャンネルを回していたら、阿徳アードックが映ったので、ランは思わず録画ボタンを押した。

 困った顔でインタビューをうける阿徳アードックを眺めながら、迷いなくこれを録画した自分の判断と行動力を内心で褒めた。

 ユンも気に入るだろうと思ったので、すぐに家へ呼んで、一緒に事の顛末を鑑賞した。

 ユンもずいぶん気に入ったようで、録画を見ながら終始笑っていた。

 これはなかなかの傑作だと思ったので、阿徳アードック本人も呼びつけて、再度鑑賞会をした。

 阿徳アードックは笑い転げる俺たちの横で、頭を抱えていた。


 大っぴらにしているわけではないけれど、阿徳アードックが牛だということは、付き合いの長いやつは大概知っている。

 人型をとってはいるが、身体がやたらとでかくて筋肉質なので、肩幅の狭い男の多い香港人の中ではずいぶん目立つ。

 そのせいで目をつけられたのは明らかだった。


 美国アメリカ的な健康志向に後押しされたトレーニング番組だった。

 大手トレーニングジムや健康食品メーカーがスポンサーで、内容にかこつけてプロテインその他の健康食品や、トレーニング機器の宣伝をする。

 道行く人に、トレーニングに関する質問をしていた。

 インタビュアー自身も、明らかに鍛えていると思しき大きな体をしていたが、阿徳アードックと並ぶとまるで大人と子供だった。


「素晴らしい体格をしていますね、ずいぶんと鍛えているんでしょう?」

 知っての通りたいていの牛は鍛えていない。

 阿徳アードックは、困惑しながら、特別なことはしていません、と言った。

 特別なことをせずに、こんな体格になる人間はあまりいない。

 阿徳アードックも言ってからこれはまずいぞ、と気づいたらしく、運動はしています、と付け加えた。


「鍛えることは特別なことではないということですね。ハードなトレーニングを日常のものにしなければ、このような肉体は得られませんからね。とてもよくわかります」

 インタビュアーは勝手に納得して、大げさに同意をする。


「食事も相当気を付けていると思いますが、どのような食生活をしているんですか?」


 阿徳アードックは、少し迷ってから、菜食主義なんです。と言った。

 もちろん、大抵の牛は菜食主義だ。

 まさか草からたんぱく質を作り出せる腸内細菌を持っているとは夢にも思わないインタビュアーは、目を剥いてみせる。


「菜食主義で、どうやったらそんな肉体を作り上げることが可能なんですか?」


 阿徳アードックの顔があからさまに硬直する。


 俺たちのような生き物は、そもそも食事自体あまりしない。

 日月と大地の霊気で生きている。

 食事はあくまで娯楽としてか、あるいはよほどの怪我でも負って、回復したいときなどにするものだ。

 そして娯楽に過ぎないからこそ、好きでもないものをわざわざ食べたりしない。

 したがって阿徳アードックは、生まれてこのかた菜食主義だ。

 おれやユンは好んで食事をする方で、阿徳にもときどき勧めるけれど、たまごが入っていて気持ち悪いという理由で、蛋撻エッグタルトにすら手を出さない。


「宗教的な理由ですか?」

「そうです。代々厳格な仏教徒なんです」

 阿徳アードックは使い慣れた言い訳をした。

「つまり、子どものころから菜食主義なんですね?よくそれほど背が高くなりましたね」

「その、乳製品を…」


「ああ、なるほど!動物性たんぱく質を、乳製品から摂っていたんですね。そうしたら肉体作りに、ホエイプロテインは欠かせませんね。こちらのプロテインはどうですか?使っていますか?」

 そのプロテインの宣伝が番組内に挿入されているのを見たから、たぶん番組のスポンサーなんだろう。

 阿徳アードックは何を言われているのかも、何を言っているのかも、よくわからなくなっている様子で、しどろもどろの受け答えをした。


 インタビュアーは、使ったことがないんですね!それならこちらの商品をプレゼントします!と言って、阿徳アードックにプロテインの缶を押し付けると、さあカメラを見て笑って!と明るい表情でカメラに向き直った。


 真っ白な歯をしたインタビュアーの満面の笑みと、大きすぎる身体に、プロテインの缶をちんまりと抱えさせられた阿徳アードックのひきつった顔を最後に、画面は切り替わった。



「それで?もらったプロテインはどうしたんだよ」

ランはつい前のめりになる。さっきのシーンを再現させたい。

「うちに置いてあるよ」

「なんだ、つまらないやつだな。今すぐとってこいよ」

 阿徳アードックはいやな顔をする。

「お前がいらないならおれが貰って、鍛えようかなぁ」

 ユンは到底実行に移すとは思えない軽薄なことをうそぶきながら緩んだ腹をなでる。


「こんな風に目立つべきじゃないのに」

 阿徳アードックはため息をつく。

「誰かほかのやつにこの話をしたか?」

「いや、ユンと俺だけ。だってみんなに言ったら怒られるじゃん」

 ランが肩をすくめると、阿徳アードックは安堵と呆れと絶望が混然となった形に顔をゆがめ、うめき声を上げながら顔を覆った。

「あの連中にバレたら怒られるどころじゃすまないだろう。どうしたらいいんだ」


「くよくよ気にするなよ。どうせこんな番組誰も見ちゃいねえよ。連中ならどうせ、テレビなんて持っていないやつの方が多いんじゃねえのか」

「テレビを持っていたとしてもさ、こんなよくわかんねえ深夜の宣伝番組なんか見っこねえって」

 ランユンは自分たちを棚に上げてうなづきあう。

 阿徳アードックは二人の様子を見てまたため息をついた。


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