第6話【茶餐廳の仙妖たち】

楽観的な目論見もくろみ往々おうおうにして裏切られる。


あの番組の放送のあと、阿徳アードックは一部の人間たちのあいだで、ちょっとした有名人になっていた

道を歩くだけで体格のいいひとたちに声をかけられるようになった阿徳アードックは、すっかり外出を警戒するようになった。

あまり目立って他の連中に目をつけられたくない。


「あんな番組を見てるやつが、こんなにいたとはねえ」

小さな茶餐廳しょくどうの奥の席に陣取ったランは、店の入り口から見える人通りを眺めながらつぶやいた。

朝食の時間帯はすっかり過ぎ、昼食には早すぎる頃合いだ。

店の唯一の客たちは三人とも、店の入り口から見える外の人通りをぼんやりと眺めている。


「あんな番組とやらを見ていた上に、録画までしたやつがよく言うよ」

阿徳アードックは目立たないようにするつもりか、背中を丸めてサングラスをかけている。

その様子があまりに似合うので、落ち合ったときランユンはゲラゲラ笑った。


「とはいえ、思っていたよりも厄介そうだな」

ユン奶茶ミルクティーをすする。

西多士フレンチトーストも並んでいるので、これはブランチのつもりらしい。


無職と思しき男が、朝っぱらから三人も肩を寄せ合ってる光景をほったらかして、店番の店員はゴシップ新聞を読んでいる。

あと30分もすればまた忙しくなる。こんな連中にかまっている暇はないのだろう。


「いっそのこと顔を変えちゃえばいいんじゃねえの?」

「顔は変えたくない」

ランの提案に、阿徳アードックは不機嫌な声を返す。


「顔で目立ってんじゃなくて、ガタイで目立ってんだよ。デカいやつを小さくするのは難しいんだから、ほとぼりが冷めるまで大人しくするよりほかねえよ」

ユンが面白くもない、といったふうに吐き捨てて、三者の間に沈黙が落ちる。

店員が、ゴシップ新聞のページをめくる音が響く。


「せっかくだからこの機会にどこかにいこうぜ。ほら、世界一周でもするのはどうだ?おれが付き合ってやるよ。英語ぐらいなら通訳してやる」

藍はいいことをおもいついた、とばかりになるべく明るい声を出す。

護照パスポートがいるならおれが何とかしてやろうか」

ユンもつとめて気楽な調子で言うが、阿徳アードックは黙ってちまちまと、檸檬茶アイスレモンティーに沈めたレモンをストローでつぶしている。

ユンはその様子を横目で見ると、俺には朝飯を食べる仕事があるとばかりに西多士フレンチトーストを食べ始める。


誰も何もしゃべらない。

おっさんの咀嚼音そしゃくおんをただ聞いているだけっていうのは最悪だな、とランは思う。

せめて俺も何か他に頼んでおくんだった。

来た時に頼んだ鴛鴦茶コーヒーミルクティーはもう飲んでしまっていて、残った氷をかき混ぜるぐらいしか用がない。

隣の男の咀嚼音そしゃくおんを紛らわせようと、藍は氷をストローでかき回し始める。

店員が新聞のページをめくる間隔が長いから、おおかた黄色エロ記事のページに入ったんだろう。


護照パスポートだなんだと面倒な時代になったもんだ」

 阿徳アードックが呟いたので、ランは氷をかき回すのをやめた。


「昔だって通行証だの、まいないだのそういうもんは必要だっただろ」

 ユンがシロップでべたつく指を、紙ナプキンで拭きながら言う。


「でもさ、城門や関所なんて、ちょっと飛ぶか、夜陰やいんに紛れるか、すこしばかり目くらましでもすれば、いくらでもどうにでもなったよな」

 ランはテーブルに肘をつく。

「気持ちはわかるけどな。何をするにもひとりひとり登録される時代になっちまったんだ。街を歩いただけで幾台もカメラに映るんだぞ。下手な動きはできないし、目くらましを使うにも限度がある」

 ユンは店の天井のすみへ視線を走らせる。

 つられてラン阿徳アードックが目をやると、レジの周辺が映る角度で、監視カメラがついている。


「このありさまじゃ、何のために仙になったかわからんな」

 阿徳アードックのどこか疲れたような声に、ランも感傷的な気分になった。

「好きでこの身体になったやつが、俺たちのうちにいるかよ」

 こんなことを言うなんて俺らしくもないが、こいつらにだったら、愚痴の一つも聞かせていいんじゃないか。


「俺はわかっていてこうなった」

「長生きしなきゃなんねえことについては心配してない。俺はどうせそのうち死ぬからな。いつになるかが見当つかないってだけで」

 一人も同意しなかったので、ランは口を曲げた。

「お前らほんとうにいやな連中だな」


「人に混ざって生きるにはややこしいが、かといって山に入るにも、人の手の入らぬ山がもう少ない」

 独り言のように阿徳アードックがいう。

「そうそう、それなんだけどさ。このところ仙どもがどんどん仙境せんきょうに逃げ込んでるよな。あんまりこもってると、下界げかいと接点をなくすから、俺はどうかと思ってんだけど」

 愚痴めいたことを口にした気恥ずかしさをごまかすために、ランは他人をやり玉に挙げることにした。

「そりゃもうここ200年ぐらいずっとそうだろうがよ」

 ユンが今更そんな話かよという顔をする。

「最近もっとひどくなってるんだって」

「どうせあのじじいども、電子機器についていかれねえから、ビビって逃げてんだろ」


 店員は広東語かんとんご普通話きょうつうごしかわからないはずだった。

 数百年前の呉語ごごで話せば、たいていの会話内容は知られずに済む。


「どうにせよ、じきに俺たちも、いまのやりかたじゃすまなくなるぜ。社会の個人管理はどんどんひどくなっていくに決まっているからな」

「映画やSF小説の読みすぎじゃないの」

 ランは目を細めてユンを見る。

 こいつは好き好んでそういうものを読む。

 SF小説や映画、という数百年前には存在しなかった言葉だけは、現代の言葉に置き換える。

「お前はもっと本を読めよ。『1984』からたった50年やそこらでこのありさまだぞ」

 それだったら昔たしか、海賊版のVHS《ビデオテープ》で映画を見た気がするぞ、とランは思い出す。

「実際の1984年はずいぶん過ぎたけどさ、そこまで悪くなっちゃいねえじゃん」

「じきというのはどれぐらいのことだ。あと100年か?200年か?」

 阿徳アードックが口をひらく。

「100年なんてあっというまだろ。今からあらゆる備えをしておかねえとな」


 確かにユンの悲観的な見方にも一理あって、仙という連中は、2、30年ぐらいの時間をうっかり見過ごしがちだ。昨日のこと程度に思っている。

 ところが人間の世界は、2、30年もするとガラッと変わる。


 ユンは自分はいつか死ぬ、とはっきり口に出すだけあって、仙たちよりも世間のことを気にかけている。

 自分が死ぬまでのあいだを生きていかなければいけないこの世のことを、どうでもいいとは思っていないのだ。


 それでも頭の固い連中に比べれば、俺たちはよく合わせている方だ、とランは思っている。

 人仙じんせんどもの方が、全体としては頭が固い傾向にある、と感じるのには、偏見も含まれているのかもしれないが。

 たぶんあいつらは、自身が人であった時代が、心のどこかで基準になってしまっているんだろう。

 おれたちは、もとより、数百年かけて人の世に合わせるすべを学ぶ。

 おれたちにとって基準になることわりは、そもそも人の世のものではないのだ。

 仙になればだれもが、この世が数百年の間にどれほど変わるか、身をもって知る。

 何が変わらぬことなのかも知る。


 仙とは変化を自在にするものだ。

 それのできぬ者は、そもそも仙になることもできない。

 それでも、かならず何かに縛られて生きている。


 師父しふにさんざん言われたっけな。


 現実をこくし、仙境せんきょうにあそび、現世げんせに立ち戻り、またそれをこくすべし。


 藍は、もっと単純に考えている。

 この世が変わることから逃げ回っていたら、あと何千年生きるかもわからぬ身体のまま、永久に逃げ惑うことになるだろう。受け入れて楽しむ方がいい。


「まあ本当に面倒なことになったら、おれたちが助けてやるよ」

 奶茶ミルクティーの最後の一口をすすり終えたユンが立ち上がる。

「そうだそうだ。いつでも頼ってくれ」

 ランもその言葉尻に乗る。


 阿徳アードックは、そんな安請け合いを信じるものか、という顔をした。

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