第5話【白牛と仙童】

あれはどういうことだったんだよ。


阿徳アードック地仙ちせんを問いただすと、彼は笑った。

そう大したことはしておらん。今ならおまえにもどういうことかわかるだろう?



人のかたちを得て幾年いくねんか経ったころのことだ。ふと思い出して、彼と初めて会った村へ行ってみた。

あれより幾百年いくひゃくねんは経ったが、なにか覚えもあるかもしれない、と軽い期待をしてのことだ。

見覚えがあるような気がしないでもない形の山野を横目に桃園を探したが、そこに桃園はなかった。

そのかわりに素朴な風景に似合わぬ仰々しいびょうに、すっかり古びて黒くすすけた、粗雑な木椀もくわんまつられていた。

椀のとなりには、これまた中途半端な上手さの絵が、似つかわしくない立派な装丁そうていで飾られている。

白牛はくぎゅう騎乗きじょうした童子どうじの絵だ。

途端に顔が赤くなり、耳まで熱が昇ってくるのを感じて、阿徳アードックびょうから逃げ出した。

傍の畑で野良仕事をしていた爺さんが、勝手にびょうに入り込んだかと思ったら、飛び出してきたよそ者を、胡散臭げな眼で眺めていたが、声をかけてこようという様子はなかった。


あの絵はいったいなんだ?

阿徳アードックは混乱しながら考える。

仙とかなんとか説明が書いてあったように思うが、恥ずかしさのあまりすぐ目を逸らしたのでよくは覚えていない。

言葉は脳内で、あれはなんだ?という問いかけを繰り返してはいるが、さすがにそれが何かには気づいている。

要するに、俺とあいつのつもり、の絵なんだろう。


そういえば、出会ったときはあいつは童形どうぎょうだったか。もう長いこと童形どうぎょうをとってはいないから忘れていた。

納得いかないのはもう一方だ。俺の角はあんな間抜けな形じゃないし、だいたい毛の色は黒だ。

もしかしたらあれは俺の絵じゃないのかも、という期待がほんの少し首をもたげるが、おそらくそういうことではないだろう。

牛と子供、ということ以外の情報が抜け落ちて伝わったに違いない。


あんなみすぼらしい木椀もくわんを、よくも大事に残しておいたものだ。あれはただの媒介ばいかいで、役目を終えたらただの下手な造りの器だというのに。

もちろん人の身でそんなことは知りようもないから、まつるとなれば唯一の遺物であるあの椀だろうということはよくわかる。


いや違う、そこは問題じゃない。

なぜ、まつられているんだ。

なぜ、あんなものがまつられているんだ。


畑に居た爺さんに聞いて、おおよその事情がわかった。


昔童子の姿をした神仙の騎獣きじゅうが、あのびょうのあたりで怪我をして動けなくなった。

いじわるをした地主は没落して、助けた子供は仙薬せんやくをもらった。仙薬を飲んだら怪我や病がたちどころに治って一家は子宝に恵まれ、子供は出世し、子孫繁栄、更に村も栄えた。

という実にありふれた話だった。

しかし当事者からするとどうにも首肯しゅこうしかねる。

ずいぶんこちらの認識とは異なる情報が出てきたし、なによりどんな病や怪我でもたちどころに治る仙薬なんていうものは、この世には存在しない。


あのときの子供とその子孫たちは、産業振興と、治水ちすい、山野の手入れでずいぶん業績を残したらしい。確かに村の生活が長期的に上向いたのはそのためだろう。

あのとき以来栄えているというその一族は、善良であることによって得た繁栄は、他者に還元しなければ失われる、と考えているらしく、いまでも尊敬を集めているということだった。

なるほど村の田畑の状態は、実に行き届いている。


だが。

そんなはずはない。

そんなおとぎ話のようなことが、転がっているはずがないのだ。

村が栄えたのは何かの偶然に違いなく、その偶然に便乗するような形で自分とあの地仙がまつられているのは、いかにも不可解で気持ちが悪い。

なにか裏があるに違いない。



阿徳アードックは村からとって返すと、いつもの街はずれで酒瓢箪さかびょうたんを抱えて転がっていた地仙をたたき起こして、問い詰めた。


地仙は一通りの話を聞くと、愉快そうに笑って、お前も知ってる通りのことしかおきちゃいないよ、と言った。


あの薬が、俺たちが生きるのに使っている日月の気を凝縮したものに過ぎないというのは、お前にも想像がつくだろう。

どうせその寝たきりのばあさんとやらは、骨でも折って以来、四肢ししえていたんだろう。

骨はとうに治っていただろうし、そうでなくとも骨や神経の働きを補う薬だから、多少の効果はあったかもわからん。

あれは身体の気脈きみゃくをよく巡らせて、痛みを減らし、気分を良くして、しばらく飯をくわずとも元気に過ごせるというぐらいの代物だ。

お前には、木と泥と縄とで、骨の支えを作ってやっただろう。その場でたちどころに、すべてが治ったわけではないのは覚えていよう。

大方ばあさんは、薬の活力で起き上がって動いているうちに、四肢に肉が戻ったんだろう。

腰というのは、まあ骨と神経と痛みの問題だから、それも多少は効いたかもしれないが。大体農民は、足腰に負荷がかかる上に背中を始終曲げているから余計腰に不具合が生じる。痛みで腰を丸めていればより悪くなる。痛みが和らいで腰が伸びたから、そのうち勝手に治ったんだろう。

足の痛みがなくなったのは、血の巡りが良くなっただけだ。

体の弱い赤ん坊も、栄養さえつけてある程度大きくなれば、なんとか育つもんだろう。


なに、頭がよくなった?

その子供にも何かいいことが起きたに違いないという思い込んだ家族が、一時的に気分が良くなる薬で、何でもできる気になっているところを見て、賢くなったと勘違いしたんだろう。

そうと思い込めば努力も苦にならなくなるし、努力をすれば実際能力も上向こう。

たちどころに知恵がつくなどという薬があるならおれがほしい。長生きをしすぎて、すっかり頭がさび付いている。


ああ、そうか、もうひとつわかったぞ。

足と腰とを痛めた男女では、したくともすることもようようできまい。

つまり痛みが消えれば、子供も勝手に増えるというもんだ。


地仙がにやつきながら、卑猥ひわいな手つきをするのを、阿徳は顔をしかめてけん制する。

あの村の者たちは、自分たちが有り難く祀っている仙人様が、この飲んだくれた薄汚い男だと知ったらどう思うだろう。


「思い込みであの家と村は栄えたのか?」

「思い込みもそう馬鹿にしたものでもなかろう」

地仙はふふふと楽しげに笑う。

阿徳は釈然しない気分でそれをにらむ。


「しかし、そうか、桃園はなくなっていたか。もしかしたら、桃の木たちにはずいぶん悪いことをしたかもしれぬな」

地仙がふと悲しげに目を細めた。

「お前を歩けるようにするのに、その年の実を生すためにため込んであった力をもらった。その年は実のつきが悪かったはずだ。そのために切られたのでなければいいが」

「あれから数百年は経っている。桃の寿命は短いのだから、桃園がなくなるのも不思議はないだろう」

「短いからこそさ。果樹かじゅが揃って実を生さなくなれば、寿命と思われて切られるかもしれぬ。若木わかぎが育つには時間がかかるからな。切ったらそれきりもう植えぬかもしれぬ」

そういわれるとこちらもひどく悪いことをしたような気になった。

「切られるのは痛かろうな」

阿徳アードックが肩を落とすと、地仙は小さく首を振った。

「あれらは痛みは感じまい。だが、己が切られたり傷ついたりしていることは分かる」

草木くさきも、かじられたり、切られたりすることを恐ろしいと思うのか?」

「どうだろうな。恐れは、動けるものの特権かもしれぬ。恐れがあるから逃げようと思うのだからな。逃げも隠れもできぬのに、恐れていたらたちいくまい」


他人が見ればただのろくでなしかもしれないが、この男がおれの師になったのは僥倖だった、と阿徳アードックはひそかに思う。

この男には、物言うけものも、物言わぬ石くれもみな等しい。

この男に出会わなければ、草木そうもくを気に掛けることは、一生涯いっしょうがい無かったろう。

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