第16話 壁をぶっ壊せ②
ボクはロング休憩に委員の用事を引き受けて職員室に入った。
「失礼します」と言って入ったが、レイナを引きこもりにしたミズノはいなかった。
あの
担任に授業で使用した資料を理科室の棚に返しておいてと頼まれた。
「はい」
ボクが一階の職員室を出て、そばにある理科室のある二階への階段を上っていたら、知った声が聞こえたので立ち止まった。
「そうそう、田中が登校したんだって?図太いやつだな」
「そうですよね、あんな事をしてよく出られるもんですわ」
男性二人の声は職員用トイレのドアが少し開いて外に漏れていた。
『図太い』と言ったのはミズノの声で、レイナに迷惑をかけられたと言わんばかりだ。
ボクは頭に血が上ってトイレに乱入しそうだったが、深呼吸して足が
ミズノは生徒を膝に乗せて授業をしたくせに、レイナが自分に可愛がられようとすり寄ってきたともう一人の若い声の男に話していた。しかし同僚の先生がトイレに入ったので二人は出てきた。
「金曜に飲みに行いこう。ガキの泣き声にはうんざりなんだ」
「イクメンもたまには息抜きしないとですね。では駅前の『くるくる』でどうですか?」
「じゃあ7時半な」
ミズノはそのまま職員室に入り、もう一人の若い新任の先生は階段を上ってきた。ボクは平常を装って階段を上り、2階の理科室に入るなりうずくまった。
どくどくと心臓が鳴る。
ボクはこの怒りで大声が出そうだったが、歯を食いしばった。
(ボクたち子供は自分の身体をどうするかも自分で決められないのか?相手の同意がもらえないことはやってはいけない。しかしそれでも先生に生徒が断れるかは微妙だ。いや、卑劣なミズノは断れない生徒を選んでる。先生が本当は「同意なしに誰かが嫌なことをしたら、悪いのはあなたじゃない」と言うべき立場なのに、相手に同意を強要して未来を奪うような真似をし、その上生徒に責任を押し付けようとしている!)
ボクは水道で顔を洗った。水はピリピリと冷たいが、頭から水をかぶりたいくらいだった。
(どうしたらいい?いや、ボクはどうしたい?)
その日ボクは自分に何度も問いかけ、腹は決まった。
「お父さん、友達が駅前の『くるくる』って店のくるくる焼きが美味しいって言うんだ。ボクも食べてみたいけど、居酒屋はお母さんがダメだって言うから内緒で連れてって。今週の金曜日がいいな」
ボクは塾から帰りに家電量販店で買い物をした。母には携帯のグッズを買うと言った。
そしてネットで居酒屋を調べ、父が帰ってくるなり『くるくるに行きたい』とお願いしたのだ。
「そうだな…母さんもゆっくりできるから言ってみるよ。俺らはファミレスってことにしとくから、口裏合わせるんだぞ」と悪いことを一緒にする仲間の顔をした。
「やった、ありがとう!」
計画の第一段階は突破した。
「先生はお前を知ってるんだろ?大丈夫か?」
「うん。だから顔を見られないよう、10m以内なら話を聞きとれる盗聴器を何個か買った。ボク、初めて本当に怒ってるんだ。この状態で受験なんてできない。だから助けて、お願い!」
ボクが言い出したら聞かないと知っている兄は苦笑いした。それは、協力してやる、の合図だった。
「すまん、金曜日は出張になっちまった。居酒屋は来週にしよう」と水曜日の夜に父に言われてボクは「えー!」と思わず大声を出して飛び上がった。
(それじゃあ困る!)
絶望するボクを見て可哀そうに思ったのだろう、父は「誰か他に連れて行ってくれる人がいたらいいんだけど…由樹さんに頼んでみようか?もちろんお金は俺が払うし」と言ったのでピンときた。
「じゃあ母さんの音楽友達に頼んでみる。きっと連れてってくれそうな人だし」
父の許可をとって丸眼鏡に電話した。
居酒屋くるくるの前で7時に待ち合わせをした。丸眼鏡が恋人を連れてくると言っていた。今は待ち合わせ5分前だ。
ミズノは半に来るはずだが、ボクは顔がバレてるので深く帽子を被っている。今日はべっ甲のだて眼鏡も内緒で母から借りてつけている。すると、
「お、ハヤテくん、タカシくん、お待たせ」と丸眼鏡がゆったり駅の方面から歩いてきた。隣には例のピッコロ奏者の熊男がいる。
恋人を連れてくる、って話だったので、
「松崎さん、恋人は来れなかったの?」とボクが丸眼鏡に聞くと、兄が肘でボクをつついた。
「ん?何、兄ちゃん?」
ボクがきょとんとして兄を見ると、熊男の太い腕を丸眼鏡がぎゅっとつかみ、
「あ、驚くだろうけどコレがボクの恋人。
ボクは思わずのけぞったが、兄はすました顔で、
「オレ、
「もちろんいいわよ!ハヤテくん、タカシくん、宜しくね」
ボクは熊男に慌てて挨拶した。
「それは許せないな…協力するよ」「それは惨い話だわね。その子が可哀そうすぎるわっ!私も協力する」
二人に詳しく説明すると快諾してくれた。
二人はそういった話に弱いようで、簡単に人を信じる彼らの将来が心配になった。しかし本当に助かった。ボクらでは居酒屋に入ることも出来ない。
「ありがとうございます!松崎さん達には絶対に迷惑かけないので、お願いします!!」
早速ボクらはトイレに行くふりをして空いている席の裏側に盗聴器を仕掛けた。都合のいいことに、もうすぐ先生が来る時間には席が3つしかあいてなかった。『くるくる』は狭い個人経営の居酒屋なのだ。
ボクらは先生を待ちつつ、音楽の話をしていると、
「空いてる?」と聞き覚えのある声の主が入ってきた。
「
ボクが小声で3人に言うと、皆こそっと奴の顔を見た。
「あら…結構いい男?」と伴が言ったら丸眼鏡が机の下で足で熊男のすねを蹴った。
「いてっ…少しくらいいいじゃん」と少し男らしくなって熊男は抗議した。
ボクはそんないちゃいちゃカップルを前に、二人が座った席に近い盗聴器をオンにして音声録画を始めた。スマホのイヤホンから彼らの声が流れてくる。丸眼鏡にもイヤホンの片方を渡してあるので熊男と一緒に聞き耳をたてた。
「す、すげー!スパイに向いてるんじゃね?」
兄に聞かせると酷く感心した。向かいの二人も頷いている。
「こんなのネットでいくらでも方法がのってる。音声録画の確認も出来たし、後でちゃんと聞くから食べよう。父さんから軍資金たんともらってきたんだ!!学生だって言ったら、たくさん食べさせてやれ、だってさ」とボクは財布から福沢諭吉を2枚見せた。
皆でビールやくるくる焼きなど頼みまくってテーブルに空きスペースがなくなった。
ボクら兄弟も初めての居酒屋が面白くて食べまくった。男4人なのであっという間に皿が空になる。下げに来てくれる度に店員さんに追加注文する。
いつも母が作るのはボクの為に味が薄めの料理が多いので、目新しい。
(でも毎日こんなのは食べられないな、味が濃すぎるものね)
丸眼鏡と熊男は意外に酒に強く、少し酔っ払ったころにミズノ達が支払いをして店を出て行った。すると丸眼鏡はトイレに行き、間違えたふりをして座り盗聴器たちを回収した。
ボクが彼の評価をぐんとあげているのを見た熊男が、
「ねえ、松ちゃんって優しいでしょ?ああ見えて男気があるの。あなたたちのお母さんに憧れていてけど諦めたみたい。私には言わないけど」とウインクしてボクらに言った。
どうも母への嫉妬でなくのろけのようだ。しかし母の後に伴さんとは、松崎さんの恋人の選び方には謎が多い。ボクがわからないことが大人の世界にはたくさんある。
「前も松崎さんに助けてもらって。今日は二人に迷惑かけてスイマセン…」と兄が熊男に答える。すると帰ってきた丸眼鏡は、
「なになに、なんでハヤテくん謝ってるの?まさか伴に告白されてお断りした?」と熊男を笑いながら愛情込めて睨んだ。
「伴さんがのろけてました。あの、ボク松崎さんの恋人が女性だと思い込んでて…すいませんっ」
謝罪を熊男はふわりと受け入れた。
「いいのよ、普通そうだもの。でも普通と違ったときにどう対応するかが人それぞれ。ちゃんと謝るなんて偉いわ。私うるっときた…ハヤテくんは全く動じなくて反対にびっくりしたけど」
「…ボクは多分クイアのようなんです。だから調べてて…」と兄が言って俯いた。
「そうであっても兄ちゃんは悪くないよ」とボクが必死の表情で兄に言うのをみて、二人は笑った。ボクがムッとすると、
「ああ、ごめんごめん!二人がとっても微笑ましくて。ねえ、自分の事をちゃんと家族に話せない人がほとんどなのよ。だから二人はとてもとても幸せだわ。ずっと仲良しでいてね」と熊男はやはり見た目に全くそぐわないことを優しく言った。
丸眼鏡はその隣で深く頷いていた。
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