第17話 壁をぶっ壊せ③

 ミズノは2月の中頃に突然消えた。


 クラスは副担任が担任になった。

 丸眼鏡が迅速に動いてくれたのだ。お礼の電話の際に経緯を聞いたが、教えてくれなかった。


 急な休職にPTAや生徒はざわついたが、学年の残りは2か月と短くすぐ落ち着いた。

 とばっちりの同僚の先生は、4月からへき地の中学に飛ばされたそうだ。そして肝心のミズノはというと、新年度に新聞の地方欄に小さく『児童に不適切な指導を行ったことにより懲戒免職』と載った。

 ミズノはとことん嫌な奴だが、家族のことを考えると胸が痛んだ。



 ボクら4人はミズノと同僚が話していた録音を近くの喫茶店で聞いてぶっ飛んだ。なんと、二人は目障りなレイナをもう一度不登校にする方法を笑って相談していた。

 いくら酒の席とはいえボクには考えられない。


「うーん…これは酷いね。その女生徒が心配だし、早急になんとかしないと」と丸眼鏡が眉をぎゅっとひそめた。どうも他人に深く共感してしまうタイプのようだ。


「…これは絶対に許せんっ」


 地の底から響く声にボクはびくっとした。熊男が怒っている。


「ねえ、このデータ私に頂戴!マスコミに送り付けてあげる!!こんなやつ先生の資格なんてないわっ!せっかくいい顔してるくせに」とよくわからないことをいう熊男を、兄はあわてて止めた。


「だ、ダメだって!そんなことしたらレイナさんの名前までマスコミにさらされて、彼女の精神的被害がさらに大きくなるよ。もっと小さく、でもこのミズノが二度と先生を続けられないように動かないと…」


 ボクら3人がうーん、とうなっていると、丸眼鏡が決心したように声を出した。


「悪いようにはしないから、これを俺に預けてくれないか?騒ぎにしないで済む確実なツテがあるんだ。絶対に2月中にはその教師を学校から追い出すって約束する」


 あまりに真剣な丸眼鏡に押されたが、ボクは迷惑をかけないと約束したばかりだ。


「松崎さんと伴さんにはこれ以上迷惑をかけたくない。バレて就職とかに響くかも…」とボクは最初から懸念していたことを口に出した。


 彼らは音楽大学の学生で、もうすぐ就職活動だ。それなのに事件にかかわってることがばれたら、組織には敬遠されるだろう。組織というものは何でも言うことを聞くを欲しがるものだ。


「大丈夫。でもどうするかは君たちは知らないほうがいい。これは大人が対処すべきだ」


 丸眼鏡がそう言うと、熊男も深く頷いた。隣の兄も、二人の言うとおりにするのがいいと思っている様子だ。どうも状況は三対一で信じるしかなさそうだった。いや、二人を信じているのだが、心配なのだ。


「大丈夫だって、君ほどは頭良くないけど一応大学生だから」と丸眼鏡は手を伸ばして不安そうなボクの頭をぐしゃりと撫でた。熊男も兄に同じようにしている。兄の信頼の表情を見たボクは任せることに決めた。




「おはよう、レイナさん」


 ボクは、ミズノが突然来なくなった次の日の早朝に彼女の家に迎えに行った。様子が見たかったのだ。


「あれ、おはよう、タカシくん。…もしかして心配で来てくれた?」と明るい表情で聞いた。勘がいい。


「ん…まあ…あいつ来なくなっただろ?レイナさんが登校してからこれまで悪さしてなかったかなって」


 並んで歩きながらボクが言いにくそうにそうつぶやくと、彼女は笑った。


「タカシくんってば大人みたいな洞察力ね。実は、あいつの目が怖かった。騒いで大ごとにすると居場所がなくなると思って誰にも言えなかった。でももう会うこともないし、忘れるよ」


 彼女はミズノの企みには気が付かなかったようだが、視線を感じていたようだ。彼女にとって恐怖でしかないとわかっていて、ミズノはそうしていたに違いない。

 お気に入りのレイナを強制的にひざに置いて授業をしておいて、自分の評判に関わりそうになったら彼女に悪い評判を立てて不登校に追いやった変態教師のミズノが教育の仕事に関わっていたなんてぞっとする。しかし、それが現実だ。ボクたちは悪い大人に対して注意深く接するしかないのだ。歯がゆいけど。


「でもね、今の担任の金井先生、とっても素敵な女性なの。私、先生にあこがれちゃうな…」


 ボクが再燃してきた怒りにかられていると、レイナは驚くことを言った。これまでの流れだと先生という人種など大嫌いになりそうなのに。


「すごいね、レイナさんは。ボクなら絶対先生になんてなりたくない、って思っちゃう」とおどけると、


「ううん。だって、金井先生みたいな先生が増えたら、私みたいな思いをする生徒が減る、ってことでしょ?あいつみたいな先生も減るもの…」と彼女はまっすぐ前を見て言った。


「そうだね。辛い思いをしたレイナちゃんこそ生徒の気持ちがわかるいい先生になれる。ボク応援するよ」


 ボクは自分を恥じ、彼女をすごいと思った。ボクなんかよりも辛い思いをした分、彼女はずっと強いのだ。


「すごいね、目標があるなんて羨ましいな…」とボクがぽつりと言うと、


「何言ってるの?タカシくんこそすごいわよ。とびきり頭がいいし、私が学校にいない間にファンができてるしさ。青葉小学校にとびきり可愛い彼女がいるんでしょ?」と少し口を尖らせてレイナが文句を言った。口調が怒っている。


 なぜ怒られているのかわからずボクが返答に困っていると、


「もうちょっと早くに学校に来てたら、タカシくんをその子に取られずに済んだかも…きっとその子見た目でなく中身を好きになったんだよね…」と小さな声でつぶやいた。


「え、何?レイナさんて本当はそんな小さな声を出すタイプじゃないよね?」


 ボクが聞き逃したセリフを聞こうとすると、彼女はバチンとボクの腕を叩いた。派手な音のわりに痛くはないが、ミキといい最近女子に叩かれる。流行っているのだろうか?


「ちょっと後悔しただけ!モテ男になっちゃったタカシくんなんて知らないって言ったの」


 そうでかい声で言い放って、さっさとすたすた先を歩いていく。


「へ?モテ男って…全然だよ?フトシって言われてハブられてるの知ってるでしょ?待ってよ、レイナさーん」


 ボクが追いかけると、レイナはぴたりと足を止め、「タカシくん、本当にありがとう。全部タカシ君のおかげだよ。でも、もうダイジョブ」と礼を言った。


「レイナちゃんが頑張ったからだよ。あの、これ洗ってあるから使って」


 アスファルトにぽつぽつと黒いしみが出来る。それは大粒の涙だった。持っていた黄色のタオルハンカチをボクはレイナに渡した。

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