第15話 壁をぶっ壊せ①

「おい、モテ期じゃないか?」


 騒ぐユンジュンに背を向けボクは封を切った。



 授業中に先生の膝に乗せられて学校に来れなくなった田中レイナがずっと気になっていた。

 母もレッスンに通っていたレイナを心配していた。今でも「田中さん学校に来てる?」と聞かれる。

 明らかに先生の責任なのに彼女が非難されるなんておかしい。しかしボクは動かなかった。先生に目を付けられたくなかったから。


 ボクは田中レイナを生贄にしたのだ。



『隆君


 元気ですか?田中レイナです。

 ずいぶん会っていないけど、変わらないでしょうか?


 実は隆君のピアノを楽しみに夜の散歩をしていました。お兄さんとは違う音色だからすぐにわかります。

 でも半年くらい前から隆君の音が聞けなくなって残念です。ピアノ辞めちゃったのかな?


 なんでボクに手紙、って思ってるでしょう?でも学校で辛い時に普通に接してくれたのは隆君だけでした。

 隆君がわかってくれてるから頑張らなきゃ、って思ってました。


 またピアノを弾いてくれると嬉しいです』



 ボクは手紙を読んで呆然とした。


(そんな風に思って…)


 レイナはおっとりした女子で、ボクを見下さなかった。でもボクは困っていた彼女を助けず、いつも通りに接した。そんなものさえも彼女の支えになっていたのだ。

 手紙はレイナからの救援要請だ。

 もうすぐ卒業する今なら、教室に戻ってそのまま中学生になれる。これを逃したらずっと家から出られないかも、そう思うと怖くて仕方ないのだ。


 先生の膝の上で縮こまって掌を握るレイナの姿を思い出す。


(誰かじゃない、ボクが動くんだ!)


 ボクはユンジュンと兄に相談した。




『レイナさんへ


 手紙ありがとう。


 ボクは受験勉強のためにピアノをあまり弾かなくなりました。でも息抜きに弾くので、7時ごろに家の前を通ってもらえると嬉しいです。レイナさんががっかりしないといいけど。


 学校は相変わらずですが、教室の雰囲気は先生が変わったので全然違います。レイナさんのクラスは鬼軍曹みたいな先生です。やんちゃな生徒には不評ですが、レイナさんには合うと思います。


 ボクで良かったら迎えに行くので一緒に学校に行きましょう。勇気が出たらポストにメッセージを入れておいてください。毎夜7時半に見ます。


 坂上隆』



 ボクはもう一度その手紙を読み直し、彼女の家に向かった。母には夜の外出の訳を話した。


「そういうのは早い方がいいものね」と母は表情を曇らせた。教え子が不登校で心配だったのだろう。



 次の日からボクは7時までに塾から帰宅して、元気の出るポップソングやジャズを自分でアレンジして弾くようになった。

 早い曲は指が上手く回らなくて兄にひどく笑われたが、弾いていたら楽しくなってきた。結局ボクもピアノが好きなのだ。

 ボクが塾で自習もせずに早く帰るとミキは怒ったが約束だった。



 1月の日曜日の夜、郵便受けを覗くと前と同じ薄ピンクの封筒がひそやかに入っていた。まるで暗い樹木の中の蘭の花のように。

 ボクはその場で開けた。


『隆君へ


 明日から学校に行ってみようと思います。迎えに来てくれますか?待ってます。


レイナ』



 震える字で申し訳なさそうに書かれたそれは、彼女の絞り出した勇気で出来ていた。ボクが彼女と登校したら余計いじめられないか心配だけど、彼女の勇気にボクは感動した。

 だってレイナは全く悪くないし、ボクだって悪くないのだ。堂々としていようと決めた。





「おはよ、レイナさん」


 ボクは家まで迎えに行き、緊張しながらインターホンを鳴らした。自分が不登校になった気分だ。

 しかし彼女はすぐに出てきた。記憶の中のレイナよりも大きくてランドセルが小さい。

 ボクは何気なさを装い歩き出した。しかしレイナは緊張するどころかボクを驚きの目でじろじろ見ている。


「どうしたの?変?」


 ボクが着ている兄の服を見てから聞くと、レイナは少し黙ってから口を開いた。 


「あの…本当に隆君、だよね?ピアノの…」


 何を言っているのかわからない。まさかボクの兄にでも見えるというのだろうか。ボクらはあまり似てない。


だよ」とボクが言うと、レイナは「ぷっ」と吹きだした。酷い。


「えー、だって会わない間に大きくなってるし、全然じゃなくなってるんだもの!あ、ごめん、悪い意味じゃなくて…」


「わかってる。レイナさんはボクをフトシだなんて呼んだことないもの」


 ボクが勇気づけようとしたのが伝わったみたいで、レイナは頬を赤く染めた。どうもボクが違和感を感じたのと一緒で、彼女もボクに対して違和感があるようだ。確かに4年生の時は背も低かったし横にも大きかった。


「…隆君みたいにわかってくれる人もいるよね?」


「そうだよ。レイナさんのことちゃんと見てる人はいる。だからダイジョブさ!」


 ボクの励ましを聞いて急にレイナはまた吹き出した。


「やだ、なんで片言なの?!ウケる!!そんな人だっけ?」


「いや、最近微妙に片言で話す転校生の友人ができてさ…」


 ミキの話で盛り上がりながら学校に着くと、周りがどよめいた。異色の組み合わせに酷く驚いている。

 彼女の教室に二人で入ると、どよめきが最高潮になり空気が揺れた。


「じゃあ、帰りも必要なら言ってね」


 ボクは教室でなじめるのか心配で小声をかけたが、彼女はそんな心配を吹き飛ばす笑顔で答えた。


「ありがとう、でもダイジョブ!」


 ボクが彼女のクラスを出る時、女子がきゃいきゃい言いながらレイナのそばに寄っていったのが見えた。ボクはホッとした。


 ボクの役目は終わったのだ。多分。




「なんだよ、田中と一緒に登校して」


 自分の教室に入るなり八木に聞かれた。周りも聞きたかったみたいで注目している。


「ああ、田中さんはピアノ教室の生徒さんだから、母に頼まれて一緒に登校したんだ。久しぶりで緊張するだろうって」


「ふーん」と八木がニヤニヤしながら言うと、周りは「なーんだ」「そうだったんだ」という風になった。


「田中、びっくりしてたろ?」


「『本当に隆君?』って言われちゃった…ボクの顔を忘れたのかな」


 八木だけに正直にこれまでの出来事を話すと、大笑いした。


「それは、おまえが変わり過ぎたんだって!知らない人が来た、ってな」


「酷い…」とボクが俯くと、八木は思い切りボクの背を叩いた。


「やるじゃねーか!でも、美樹ちゃんには絶対この話をするなよ?怒られるぞ」


 確かに、最後に「ありがとう、隆君!」とお礼を言ったレイナがとても可愛かったのを思い出すとそんな気がした。後ろ暗くはないが、八木の言うとおりにした方がいいと確信した。

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