第24話 豚の生姜焼きと『売れない本屋と勿忘人形』.5

「おおっ、これが豚の生姜焼きですか!?」


 ウェイトレスの少女がテーブルに置いてくれたのは、待ちに待った豚の生姜焼きの載った皿だ。

 茶色のタレでたっぷりと全身を染め上げられたしっかりと熱を通した豚肉と、食べやすい大きさにカットされ美味しそうな焦げ目の付いたオラニエ。

 それが今まで嗅いだことのない生姜の香りを纏った濃厚なタレで惜しげもなく味付けされて、一緒の皿に仲良く混ざり合った状態で鎮座している。

 皿の上で出来たてを証明する湯気を立ち昇らせている初めて見る料理に、既にゴーフの口の中には無意識の内に唾液が溢れてきていた。

 その理由が、刺激的で不思議と食欲をそそる強烈な香りと、生姜の香りを纏ったタレに全身を包まれた豚肉の姿という嗅覚と視覚を通してこちらの胃袋を鷲掴みにしてくる未知なる料理に既にゴーフの心は惹き付けられていた。

 見た目だけなら焼いた肉にタレをかけただけのシンプルな料理に見えるが、この生姜焼きなる料理にはそれだけではない一手間や二手間がかけられているとゴーフは推察した。

 まず豚肉は薄切りにされていて、しっかりと火の通った肉に絡められたタレは肉から滲み出した肉汁が肉の表面を艶やかに磨き上げていて、生姜の搾り汁でも混ぜ込まれているのか湯気が鼻腔を抜ける時に広がる生姜のほのかな辛味が食欲を刺激してくる。

 豚肉は庶民でも食える一般的な肉だが、ただ焼いただけでは獣臭さが残る場合もある。

 それを誤魔化す為に味の濃いソースやタレを用いることも多く、その濃すぎる味に食事の途中で飽きてしまうことも多い。

 しかしながら、この料理のタレに含まれている生姜の効果なのかその臭みが見事に取り除かれており、生姜のサッパリとした辛味の香りが食欲を促進させてくるのだ。

 これは美味い。

 そう断言出来る程、この肉料理は魅力に満ちていた。


「こちらはライスでございます。ライスはおかわり無料ですので、足りなければお呼びください。お箸は使うのにコツがいるので、初めての方はスプーンを使って頂く方が食べやすいですよ」


「おっと、そうだった。ライスもあるんでした」


「ほう、これがライスか。見たことのない穀物だな」


 この店の庭とテーブル上に置かれたで咲き誇っている花の色と同じ色合いをした少女が追加で机上に置いた変わった形の皿(確かこれは茶碗という名前の焼き物だったような気がする。昔、異国の品々を集めた物産展が立ち寄った町で開催されていて、そこで見た記憶がある)によそわれたライスにゴーフとギルバートの視線が吸い寄せられる。

 美しい女性の純白の肌にも似た真っ白な色合い。

 一粒一粒が立っていて、粒が水気を吸い過ぎてベチャベチャとしている様子もなく、見事な具合で炊かれた白い粒から上がる真っ白な湯気。

 初めて出会ったライスなる穀物は、豚の生姜焼きと並んで置かれることで、昔からこの二つは出会うべくして出会ったのかもしれないと錯覚してしまう程、見る者の胃を掴んで離さない程の見事な調和を奏でていた。


「……俺も豚の生姜焼きにすれば良かったか?」


 少なくとも、エビフライ一筋らしかったギルバートがポロッとそう口を滑らせる程、この料理は美味そうだった。

 だが、ギルバートには悪いがこれは私の物なのだ。

 私はそれを宣言する為スプーンを持ち、我ながら大人げないと思いながらも、口元を子供っぽく曲げて笑いながら、


「あげませんよ。これは私の豚の生姜焼きとライスです」


「むっ、大人げない奴め。商人ならケチケチせず、いつも贔屓にしてくれている常連客に一口サービスしてくれても罰は当たらないんじゃないのか?」


「ふっふっふっ、申し訳ないですがこればかりは譲れません」


 そんな、互いに気心が知れた仲だからこそ出来る軽口を叩き合う。

 ギルバートもこちらが冗談らしく言っているのは理解しているので気を悪くした様子もなく、豚の生姜焼きとライスを羨ましげに見つめながらも、こちらの皿を指差す。


「ほら、折角の出来立てなんだ。冷めないうちに食べてくれ」


「おや、いいんですか? 私だけ先に頂いてしまって?」


「ああ、俺のエビフライはまだ時間がかかるようだし、待っていてもらっている間に冷めてしまっては、美味い飯が勿体ないだろう」


「それではお言葉に甘えさせてもらいます」


 ギルバートからの厚意に遠慮なく甘えさせてもらい、スプーンを手に取る。

 

「さて、それでは……」


 生姜の辛味が食欲をそそる、茶色のタレを被ったジューシーな豚の生姜焼き。

 未知なる味と食感が待っているであろうホカホカアツアツの炊き立てライス。

 視線が机上で共に湯気を立てる両者に注がれる。

 どちらも興味がある魅惑の一品ら。

 しばしの思案と逡巡を挟み、私がスプーンを向けたのは……


「さて、生姜焼きとは一体どんな物か、確かめるとしようか」


 豚の生姜焼き。

 それが私の選択。

 その理由はシンプルだった。

 ……匂いだ。

 強烈な生姜の香り。

 それが私の胃袋を掴んで離さないのだ。

 異国の穀物ライスにも心惹かれるものがあるが、見るからに味の濃さそうなタレ付きの豚肉の放つ蠱惑的な生姜と脂の混ざり合った香りに耐えることが出来なかったのだ。

 しっかりと火が通ってしんなりとはなっているが、表面に付いた焦げ目が美味そうなオラニエも魅力的で、是非生姜の効いた豚肉と一緒に食べればさぞや美味に違いない。

 そう確信しながら、スプーンで豚肉とオラニエをすくい、ゆっくりと口に運ぶ。

 そして、ゆっくりと咀嚼する。

 その直後、

 

(おおっ、これは一体なんだ!?)


 凄まじい衝撃だった。

 まるで、頭をガツンと殴られたのかと錯覚してしまうほどだったのだ。

 ……美味い。

 とんでもなく美味いじゃないか!?

 口の中に広がるのは濃厚な甘じょっぱいタレのガツンとした強力な味。

 そして、その中に溶け込んでいるのであろう私の知らない様々な調味料を用いていたタレの中で一際激しく主張する生姜のサッパリとした辛味。

 それらを纏った豚肉とオラニエのなんと美味いことか。

 豚肉は歯を立てれば糸のように容易に噛み切ることができ、筋張った部分もなく噛めば噛む程肉汁がジュワッと溢れ出し、その肉汁も更にタレと混ざり合ってもう……堪らない。

 また、オラニエはしっかりと加熱されて甘みが増していて、肉ばかりでは胃がもたれそうになるかと思っていたこちらにとっては、豚肉のみよりもありがたい。

 オラニエのシャキシャキ感と柔らかくも豚肉の肉の旨味や甘みが合わさって非常に食べやすくて良い。

 そして何よりもこの料理の肝となっているのは、料理名にもある生姜だ。

 年齢を重ねて若い時分よりも肉を沢山食べるのがキツくなってきたのを実感してきていたのだが、この生姜のアクセントが何故か食欲を増進させてくれるのだ。

 生姜の甘酢漬けなら行商人時代にも食べたことがあるが、まさか生姜がここまで肉料理と融合させると肉の美味しさを引き出す力を秘めていたとは知らなかった。

 もはや止まらなかった。

 スプーンで肉を掬って、食べる。

 口の中でハフハフと熱々の肉を咀嚼し、タレに包まれたオラニエから溢れる野菜の甘みが潤滑油となって、再び肉を頬張る。

 ジュワ~と広がる豚肉の甘み。

 シャキシャキのオラニエの食感。

 両者を優しく包み込んでいる生姜の風味豊かなタレ。

 美味い。

 美味い。

 美味すぎる!

 三者の奏でる美味なる味の共演に酔いしれるしかなかった。


「はあ、これは素晴らしい。今まで食べてきた料理の中でもこれは断トツだ」


「凄まじい食べっぷりだったな、ゴーフさん」


「ええ、これは本当に美味かったですよ!」

 

 皿の上に視線を向けると、既に豚肉とオラニエはごく僅かとなっていて、あと数口程度で完食といった量まで生姜焼きは減ってしまっていた。

 自分がどれだけ夢中で生姜焼きに夢中になっていたのかが分かるというものだ。

 既に生姜焼きの美味しさで十分な満足感が得られて、ここで食事を締め括ったとしても不満はなかったが、ここで終わる訳にはいかなかった。

 ライスだ。

 これを食べなければ、この店を後にする訳にはいかない。

 豚の生姜焼きの後では、ライスの味も霞んでしまうかもしれないが、出された物を残すような勿体ない真似をする気は一切ない。

 タレが所々に付いたままのスプーンをライスに潜らせ、掬い上げたホカホカと純白の煙を虚空に溶かしていく真っ白な粒達を頬張る。

 そして咀嚼する。

 

「ハフハフッ、おお甘いな」


 炊き立てらしきライスの熱に、熱い熱い、と口から白い煙を出しながらゆっくりと粒を噛み締めると口の中に広がるのは不思議な甘みだった。

 パンとは違う。小麦の甘さとは異なる甘さだ。

 しかしながら、上等なパンのようなモチモチとした弾力のある食感と、噛めば噛む程ふわっと広がっていく甘さは、どこか安心感を感じさせてくれる。

 これも間違いなく美味だった。だが……、


「これだけではどこか物足りないな……」


 ライスが今まで食べたことのない不思議な味わいを持つ穀物であることはこの舌で確認できたが、どうにもライス単体では生姜焼きの強烈な衝撃には残念ながら及ばないのだ。

 このライスをより美味しく食べるにはどうすれば……あっ。


「ま、まさか、そんな、私は、とんでもない過ちを犯してしまったのか……?」


「おい、どうしたんだゴーフさん?」


「すみません、ギルバートさん。私は大きな間違いをしていたのかもしれないという可能性に思い至ったのです。いや、思い至ってしまったというべきなのか……」


「? 間違い? 何か問題でもあったのか? 俺には生姜焼きを美味そうに食べてから、ライスも美味そうに食っているようにしか見えなかったが……」


「豚の生姜焼きもライスも美味しかったんです。ですが、ここで一つ気になることがあるのです」


「それは?」


 私は先程頭の中で浮かび上がった、よくよく考えれば当然のことであった懸念を口にした。


「豚の生姜焼きとライス。これは本来、両方一緒に食べる料理ではないかということです」


「っ! ああ、言われてみれば確かにそうだな。セットで提供されている料理なのだから、共に口にするのが正解だということか!」


「ええ、その通りです」


 迂闊だった。

 豚の生姜焼きとライスは、セットメニューだった。

 それはつまり、両者は一緒に食すべき料理だという証左に違いない。

 それに気付くことなく、後先も考えずに生姜焼きを食べ過ぎてしまったせいで、もはやライスと共に食せる分の生姜焼きはごく僅か。

 ライスはおかわり自由だが、生姜焼きはそういう訳にはいかない。

 いくら手頃な値段設定だとはいえ、毎日寒風吹きすさぶ財布の懐事情を考えればもう一度生姜焼きを頼むのは勿体ないし、2皿目の生姜焼きと2杯目以降のライスを食べ切れるのかと考えるとそれも腹具合を鑑みるに厳しい。

 現状皿に残された生姜焼きとライスで、己の仮説を検証するしか道はない。

 ごく少量だけ残った生姜焼きを掬い、それを一気に頬張る。

 そして、口の中に生姜焼きを残したままライスも口にする。

 口の中で邂逅したそれらをゆっくりと味わう。

 そして、


「はぁ~、次にこの店に来た時にはもう間違えないようにしないとな」


 仮説は証明された。








「ありがとうございました! またのお越しをお待ちしております!」


 元気な声で気持ちの良い笑顔と共に送り出してくれたウェイトレスの少女に手を振り返し店を出ると、既に陽がかなり落ちていて周囲は薄暗くなっていた。


「どうだった、この店は」


「素晴らしい店でした。紹介してもらったギルバートさんには感謝してもしきれないですよ」


「いやいや、こっちもプレゼントを選んでくれたりと世話になったんだ。気にしないでくれ」


「是非、また一緒に行きたいものです」


「ああ、勿論。気に入ってもらったようだし、また時間の合う日にでも」


 大好物のエビフライを3皿もおかわりして大満足らしいギルバートはそう言って、衛兵見習いの少女へのプレゼントを抱えて帰って行った。


「……」


 彼の背中を見送ると、私は『サクラ亭』に再び視線を向ける。

 少しも色褪せることもなく、豪華絢爛に咲き誇るピンクの花々を戴く立派な樹木。

 瀟洒な2階建ての建物の中で客達をもてなしてくれる、世界にここだけの料理と物語。

 私の今まで知らなかった世界がここにはあった。

 王国中を歩いたって見つかりっこない素敵な場所がここにあった。


「……まずは、田舎に行こう。妻とあの娘を迎えに行かないと」


 そして必ず、


「連れてこよう、この店に。私が、私達の店のあるこの町にはこんなにも素敵なものがあるんだってことを教えてあげたい」


 店が軌道に乗る兆しは今の所は全くない。

 だけど、自分の守り通したい宝物達が側にいてくれれば、きっと一人だけでは押し潰されてしまう苦しみや悲しみにも耐えられる。

 大切な家族と共に、この町で生きていきたい。

 つまらない意地に拘って、彼らと過ごす愛しき日々を消し去ってしまうような後悔だけはしたくない。

 それを教えてくれた魔法使いと人形がいる暖かな想いがたっぷりと詰まったお店に深々と一礼し、私は歩き出した。

 きっと明るくなるに違いない明日に向かって。

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