第20話 豚の生姜焼きと『売れない本屋と勿忘人形』.1

「ありがとうございました! またのお越しを!」


 店内に残っていた最後の客が何も買わずに店を後にし、ゴーフは先程まで浮かべていた営業スマイルから一転して意気消沈した様子で、はあぁ~、と長い溜息を漏らした。

 力なくレジ内の椅子にドスンと尻を落とし、若い頃には艶やかで密やかな自慢だったが、今では白髪も時々目立つようになった金髪を搔き乱し、40代間近になったゴーフは頭を抱えた。

 この歳で一念発起して商売を始めてみたものの、全く軌道に乗る気配のない赤字街道まっしぐらの現状に、肉体的にも精神的にもヘロヘロだった。


「今日もほとんど売れずか」


 ズーンと重い肩を自分で揉みほぐしながら、店内に陳列された商品を眺め、一向に売れる気配のない可愛い我が子達を見渡す度にどうしようもない寂寥感と、自分は一体何をしているのだろうかという虚しさに襲われるのが、この店を開いてからここ一ヶ月のゴーフの日常の一部だった。

 『ゴーフ雑貨店』。

 それがゴーフがこの地方都市アイルベンで築いたものの、今や脆くも崩れそうにもなっている城の名前だ。

 学舎の中等科を卒業後、幼い頃からの夢であった行商人として王国各地を渡り歩き、様々な都市や町、村々を訪れた。

 その地方で有名な物産品等を仕入れ、他所の土地へ持って行って物珍しさで買っていく顧客に商品を売る生活を長年送り、旅の中で妻となる女性とも出会い子供も設けることが出来た。

 家庭を築いてからも旅は続いたが、行商人にとっては悲願と言ってもいい自分の店を持つという夢をやっと叶えることが出来た。

 行商人時代は売れる商品ばかりを仕入れることに躍起になり、自分自身が心から売ってみたい物を売るということをしてこなかったので、己の趣味だった雑貨収集を商売に出来ないかと、商会の融資を受けながらもこうして開店させることにしたのだ。

 地方都市ながらも大きな街道の合流地点にもなっているアイルベンは交通・交易の要衝であり栄えていて、様々な地方からも移住者も多く人口も豊かなので、客入りは悪くはないだろうと高を括っていたが、どうやら見通しが甘かったことを悟るのは早かった。

 最初はどんな店が出来たのだろうと興味本位でやってくる客も多かったが、行ったこともない遠く離れた地方の雑貨品にはあまり関心を示さない客も多く、それよりも華やかな大通りには雑貨店が軒を連ねている一画がある為、そちらに客がすぐに流れていってしまった。

 おかげで、この店の商品を気に入ってくれている少数の常連客を除けばお金を落としていってくれる客がほとんどいない。

 これでは、店が軌道に乗るまで帰省させている妻子をこちらに呼ぶどころではない。


「……このまま売り上げが見込めないと、本格的にヤバいなあ」


 レジのカウンターに突っ伏しそうになる程、頭が心労で痛くなりそうになっていると、カランカランとドアの外側に取り付けている来客を知らせるベルがなり、ゴーフは慌てて立ち上がって、精一杯の営業スマイルを浮かべる。


「いらっしゃいませ! ようこそ『ゴーフ雑貨店』へ……って、ギルバートさんじゃないですか」


「よう、久しぶりだなゴーフさん」


 すわお客様かと思って居住まいを正したが、相手が見知った相手であることに気付き、ゴーフは肩の力が抜けて再び椅子に腰を下ろした。

 ギルバートは都市の飲み屋で出会った酒飲み友達だ。

 閑古鳥の鳴き続ける経営状況に嫌気が差してヤケ酒でもしてやるかと意気込んで訪れた店で隣同士の席となり、酒を飲む合間に軽い世間話をしていたら意外と話が合い、何度かこうして店に顔を覗かせるようになった。

 地方都市ながらも精強な衛兵隊の隊長を務めているような男と、行商人あがりの自分のような人間が友人に慣れたことには奇妙な感覚がするが、頼り甲斐もあり面倒見も良く、何事にも泰然としているこの男と友人になれたことが、アイルベンに引っ越してきて一番の収穫だったのではないだろうか。

 ……まあ、雑貨の類には興味がまるでないようなので、売上に貢献して頂くことはないのだが。


「おいおい、久しぶりに会いに来たっていうのに、随分な接客態度じゃないか」


「だって、ギルバートさんはこの店で買い物なんてしたことないじゃないですか」


「まあ、その通りなんだがな、今回は客として来たんだ」


「お客として?」


「ああ、なんかこう女の子らしくて、年頃の娘が好きそうな可愛らしい雑貨とかがあれば見繕って欲しいんだが……」


「……? ギルバートさんには似つかわしくない注文ですね? ……ああ、もしかして娘さんへの贈り物とかですか?」


 確かギルバートには10代後半ぐらいの一人娘がいると呑みの席で聞いたことがある。

 家庭を顧みずに戦続きで家に帰ってこない夫に愛想を尽かした妻と一緒に、この都市とは別の町で暮らしているらしいので、親子関係修復の為の仲直りの品か誕生日のお祝いの品になるような、若い娘の好みそうな雑貨類を探しているのかもしれない。

 そう解釈して、若い女の子が気に入るような商品はあったかなと店内の陳列棚を見に行こうと腰を上げようとするが、ギルバートは何やら恥ずかしそうに後頭部を掻いて、意を決したような様子で口を開く。


「ああ、そのなんだ、娘とも随分会っていないし贈り物の一つもしなくちゃいかんなとは思っているんだが、今回は違うんだ」


「おや? そうなんですか」


 娘さんへの贈り物ではないのか。なら、誰宛てへのプレゼントなのだろうか。


「ああ。実は最近、うちに若い娘が入ってな」


「ほう、衛兵所に若い女の子が。厨房勤めの料理人か事務員の奉公人でも雇ったんですか?」


「いや、衛兵志望でな。他の男連中と一緒に訓練も受けている」


「なんとっ!? 大人の男でも根を上げて早々に辞めてしまうことも多い衛兵に女の子が!? はあ~、随分と珍しいこともあるもんで」


 衛兵というのは公務員に属するので給金も他の職種よりも多く、家を継げない農家の次男三男坊や体力に自信のある男達には人気の職業だ。

 しかしながら、都市の周辺に魔物が出没した時は討伐任務に赴き、治安の悪い区域の巡回で荒事に巻き込まれることもある為、日々の訓連はかなり過酷と聞く。

 特にこのギルバートは元王国騎士団所属の猛者で、毎日の訓練も鬼教官の如く厳しく、脱落者も多く出る。

 その中で他の男達と同じ訓練を受けて逃げ出さずにいるのだから、その女の子は随分と根性が座っているのだろう。

 その証拠に、ギルバートは実の娘のことを話すかのような愛おしげな笑顔を浮かべながら、その少女の話を饒舌に話し始める。

 どうやら、そのアンナという少女が近々誕生日を迎えるということでその誕生日祝いの品をこっそりと探していたらしいギルバートの話に相槌を打ちながら、ゴーフは勝手知ったる店内を見渡す。

 そして、商品棚に置いていた首元に花柄のリボンを巻いたテディベアが目に留まった。

 確かあれはとある地方にしか咲かない花々をモチーフにしたリボンで、その花で町おこしをしている小村で作られたそれをテディベアの装飾品としてあしらった商品だった。あれなら、年頃の少女にも受けが良いかもしれない。

 ギルバートに勧めてみると、「うむ、中々良いじゃないか。アイツも男勝りな部分が多々あるとはいえ、年頃の娘だ。ああいった、ぬいぐるみを嫌がることはないだろう」と好反応だったので、贈答品用のラッピングを施して会計を行った。

 ホクホク顔で礼を言って店を後にしようとしたギルバートの背中に「またのお越しを」と声を掛けて送り出そうとすると、彼は「そうだ」と気さくな笑みを浮かべて振り返る。


「ゴーフさん、そういやこの店の営業時間はもう終わりの頃か?」


「そうですね。ボチボチ閉店時間です。いつまでも店を開けていても、物好きな客しかこないですからね。夜遅くまで営業してても、虚しくなるだけなんで」


 がっくりと肩を落としながら、そう答えた。

 自分で言っていて悲しくなってくるが、事実なのだから仕方がない。

 客観的にも悲愴感が半端ではなかったのか、若干引きつった笑みになってしまったギルバートはこちらを慮るような同情的な視線をゴーフに向けながら、


「閉店後に時間はあるか?」


「? ええまあ。やることといっても今日の売上を計算して、店内の清掃を行うぐらいですけれど、別に閉店後に急いでやる仕事でもないんで、時間はありますよ」


「そうか、それは上々。是非、ゴーフさんにはプレゼントのお礼をさせてほしいんだ」


「お礼ですか? いやいや、別に気にしなくていいですよ。お客に商品を売っただけなんですから」


「だが、ゴーフさんに見繕って貰わなければ俺は途方に暮れていた。普段みたいに、一緒に呑み屋に行く感覚でいいから、飯でも食わないか?」


「飯ですか……」


 そういえば、最近はギルバートとも中々呑みに行く機会も少なかったし、気分転換も兼ねて食事に行くのもいいかもしれない。

 店にいても鬱屈とした気分が晴れる訳でもないし、外食でもした方が多少は気分も晴れるだろう。

 ゴーフはギルバートの誘いに頷き、


「分かりました。久々に呑みに行きますか」


「ああ。だが、行くのは呑み屋じゃないぞ」


「えっ? いつも行っていたのは呑み屋でしたけど、今回は違うんですか?」


「ああ、実は最近素晴らしく美味い飯を出してくれる店を見つけてな。そこに行こうかと思う」


「ほう、美味い飯屋がねえ。なんていう店です?」


 ゴーフの問いに、ギルバートは得意げに胸を張り、


「『サクラ亭』。最高の食事と最高の読書が楽しめる、アイルベンで一番最高のレストランだ」

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