第19話 赤猫の少女と林檎売りの少女

「……あの『アップルパイ』っていう料理、美味しそうだなあ」


 いつも通り、衛兵所での訓練を終えたアンナは大好物のデミグラスハンバーグを頬張りながら、少し離れた席で『アップルパイ』という見るからにも美味しそうだと分かる料理を幸せそうに口に運ぶ栗色の髪の少女に目が釘付けになっていた。

 あまり不躾に無遠慮な視線を向け続けるのはマナー違反だとは思うけれど、毎回あんなにも幸せ一杯の笑顔でパイを頬張る姿を見かける度に益々あの料理への興味がむくむくと湧いてきてしまう。


「あの女の子、確か荷車で林檎を売り歩いている林檎農家さんだよね……?」


 衛兵所ではまだまだ見習いな身分な私だけど、ギルバート隊長の市街の巡回任務に訓練の一環として同行させてもらう日がある。

 地方出身者も多い衛兵の卵達に都市内の地理を把握させたり、都市の人々と交流させたりするのを目的としているらしいけれど、巡回中に林檎をどっさりと積んだ荷車を文句や愚痴も一切零さず曳きながら、むしろこの仕事に誇りと喜びを持っているような自身に満ちたた表情で配達をこなしている少女を見かけることが多くあった。

 そんな彼女が最近この『サクラ亭』に足繫く通うようになり、その度に彼女が注文するあの『アップルパイ』という料理が気になってきたのだ。


「あのサクサクのパイ生地だけでも美味しそうなのに、あんなにゴロッと大きくカットされた林檎が入っているんだから、絶対に美味しいに違いない」


 少女がフォークで切り分けたパイの断面から覗く林檎は、おそらく砂糖煮にされているらしいものらしく色艶がとても良く、換気の為に開けられた窓からやってくるそよ風に乗って、私の鼻に極上の甘い香りを運んでくる。

 その匂いに胃袋を刺激されて、デミグラスハンバーグで膨れていたはずのお腹がグ~ッと音を立てて、私は恥ずかしくなる。

 お腹の虫を落ち着かせようと鉄のプレートの上でジュージューッと油を跳ねながら焼けたお肉を頬張る。

 うん、これぞ私の至高の一時。これの為に仕事を頑張っていると言っても過言ではないぐらい。

 噛めば噛む程口の中に溢れる肉汁とお肉の旨味がたっぷりと染み込んだ油。

 普段の自分の食卓に並ぶ獣臭さの残った安肉の干し肉なんて霞んで消えてしまう、ボリュームたっぷりの牛肉をじっくり味わい、ごっくんと飲み込んだ時の言い知れぬ程の幸福感。

 口の中に広がる天国にほっぺたが蕩けそうになる感覚に、自然と口元が緩んで笑顔になってしまう。

 美味しい。

 本当に美味しい。

 やっぱり、このお店で一番私が好きな料理はこれだ。

 これを食べる度に、それを再認識する。

 だけど……。


「……私、甘い物も結構好きなんだよね」


 濃厚なデミグラスソースの後味に満足感を感じつつ、コップに注いだお冷を口にして、私はそうひとりごちる。

 仕事帰りはギルバート隊長の厳しい訓練で心身共にヘトヘトの状態になってしまっているので、こうガツンッ! っとお腹に溜まるデミグラスハンバーグをついつい頼んでしまう。

 それに今月は、ギルバート隊長に宿屋の物置小屋で生活していることを何気なく話した結果、『お前みたいな年頃の娘がそんな所で寝起きしていたら危ないだろうが! 俺の知り合いに親が死んで空き家になった家を持て余している奴がいるから、そいつに頼んでお前を住ませてもらえないか訊いといてやる!』と半ば説教じみた口調で言われ、次の日には家の所有者の人の許可が出てその空き家に引っ越す事になって、隊長や空き家の所有者にお礼のちょっと高めの菓子折りを購入したりして支出が多かったので、あまり散財は出来ない。

 なので、大好物であるデミグラスハンバーグを最優先で注文し、アップルパイは断念しているのだけれど……。


「やっぱり、食べてみたいなあ~」


 私は未練タラタラで口をすぼめてそう言い、デミグラスハンバーグを頬張り続けるのだった。








「……やっぱり、美味しそうですね」


 パリパリに焼き上がったパイ生地のサクサクとした食感とほんのり口の中に広がる小麦の甘さ、そして砂糖煮にされて艶も底上げされた林檎の濃厚でジュワ―ッと口の中で溢れ出す果汁と甘酸っぱい果肉の柔らかでジューシーな美味しさに目を細めながら、フィオナはアップルパイを満喫しつつ、少し離れた席で魅惑の料理を食べている赤髪の少女をこっそりと見遣る。

 私とそれほど年齢差のないだろう少女が、都市の仕事でも過酷な部類に入る衛兵所に勤めて、疲労困憊になりながらも先輩の衛兵達に負けるものかと厳しい訓練に精を出している姿を、衛兵所の厨房に林檎の配達に行く度に見かけていた。

 私なら一日で足腰が立たなくだろう訓練を毎日こなす彼女に驚嘆と尊敬の念を抱いていたけれど、その少女がこのお店の常連客だったことを知ってからは、どうしてそこまで必死に頑張ることが出来るのか一度訊いてみたいなあという思いを抱きつつあった。

 そんな彼女の大好物があの料理。

 デミグラスハンバーグ。

 それが彼女がいつも注文している料理の名前。

 私が初めてこのお店を訪れた際に、見ている人の目を奪う程美味しそうにお肉を頬張り、幸せそうな笑顔を浮かべる彼女のお気に入りらしいその料理に心惹かれ続けている。

 木製のプレート皿にはめ込まれた鉄板の上で香ばしい焦げ目を付けて焼かれるお肉の塊と、濃厚でありながらもくどさを感じない不思議な茶褐色のソースのハーモニーにお腹を刺激されて、このお店を訪れる度についつい彼女が来店している時は盗み見してしまうのがいつの間にか習慣づいてしまっていた。

 ゴクリと喉が鳴る。

 食べてみたい。

 だけど……。


「……あのボリュームだと、夕飯が入らないんですよね」


 私は配達業務がある日は一日中都市の中を歩き回っているので、そういう日は母がお疲れ様の意味で普段よりも少し手の込んだ料理を作ってくれる。

 それは私の為を思って作ってくれた料理なので、外食でお腹を膨らませすぎて食べられないという真似はしたくない。

 このお店で食べるアップルパイは一日働いた自分へのご褒美のような物で、手軽な量と価格で注文しやすいけれど、男性の大人の拳程もあるデミグラスハンバーグは私には夕飯前の間食としては量が多すぎる。

 なので、興味はあるけれども中々注文することが出来ずにいた。


「はあ、悩ましいです」


 落胆した気持ちを引きずりながら、そんな鬱屈とした気分を変えようとアップルパイを口に運ぶ。


「ああ、やっぱりこの味は最高ですね」


 何度食べてもこの味の魅力には敵わない。

 林檎農家の娘であり、売り物には不向きな不格好な形や傷物になった林檎を毎日飽きる程食べているのに、このお店のアップルパイはそれらを遥かに凌駕する林檎の美味しさを腕利きのマスターの手によって引き出されていて、もはやこのお店に通わないという選択肢なんて考えられない。

 口の中に広がる芳醇な林檎の味にウットリと目を細めて、口角が緩む。

 幸せです。

 ですけれど……。


「やっぱり、食べてみたいですね……」


 どうしても諦められない未練がましい声を漏らしながら、私はデミグラスハンバーグへの憧れを吐露してしまうのだった。





「はあ~」

「はあ~」


 このお店の常連になってくれた二人の少女の溜め息が店内に静かに響き、両者がどちらの視線にも気付かずに自分のお気に入りの料理を頬張る姿をホール内のテーブルを濡れタオルで拭き掃除をしていた給仕の少女が若干の同情心を抱きながらこっそりと見遣っていた。

 どちらも互いの料理が食べてみたくて仕方がない。

 だけど、それぞれ事情があって丸々一品を注文をすることは出来ない。

 なら、解決方法は一つだ。


「あの~、アンナさん、フィオナさん」


 少女が二人の勤労少女に声を掛けると、


「へっ? 私?」


「私ですか?」


 突然自分の名前を呼ばれて、何事だろうと目を白黒させる二人に苦笑しつつ、私は解決策を提示しようと声を継ぐ。


「お互いの料理が食べてみたいんですよね?」


「ええっと、あの、その、意地汚いって思われちゃうかもしれないけれど、その通りでして……」


「お、お恥ずかしながら、私も……」


 図星を突かれてオドオドしているアンナさん、モジモジと頬を赤らめて照れるフィオナさんの分かりやすい反応に、(可愛いですねえ、この二人……)と内心で思いながら、私は口を開いた。


「半分こしたら、良いのではないでしょうか?」


「「……」」


 一瞬の沈黙が降りた。

 だけど、しばしの静寂の後、


「それだ!」

「それです!」



 その後、アンナさんとフィオナさんは互いの料理を半分こして食べ合い、それぞれの料理の魅力を熱量のこもった声で語り合う内に意気投合したようで、本棚から自分の一押しの本まで持ち出して物語の話題で華を咲かせていた。

 そして、店を出る頃には、


「また、色々話そうねフィオナ!」

「ええ、勿論です。今度は、私の家の林檎を持っていきますから、是非召し上がってくださいね、アンナ」


 と、互いを呼び捨てで呼び合う仲になって、友人になった二人は大きく手を振り合って再会を約束して、それぞれの帰るべき家に向かって歩いていくのだった。

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