第12話 エビフライと『赤猫キキの大冒険』.5
ヤバい、吐きそうだ。
別にさっきまで食べていたデミグラスソースハンバーグを食べ過ぎたとか、そういう訳ではない。
お腹が苦しい訳でもないし、体調が悪い訳でもない。
だけど、体全体から冷や汗が出てきそうなぐらい緊張してしまう。
隊長が真剣な表情でページをめくる度に、ドキドキと脈打つ心臓の鼓動が聞こえてしまわないだろうかとヒヤヒヤとしてしまう。
読んでいる。
隊長が本を読んでいる。
隊長が、私の書いた本を読んでいるんだ。
顔がカアアァァァァァアアアッと真っ赤に染まる。
なんなら、頭の上から湯気でも出そうなくらい顔から火が出そう。
自分の書いた本を他人に、それも自分にとって大切な人に読んでもらうことがこんなにも恥ずかしいことだと思わなかった。
これを毎日を行っているマスターには尊敬の気持ちしかない。
『黒猫トトの大冒険』を読んでから、私はこのお店の本を色々と読み漁ったけれど、やっぱり最初に読んだトトの物語が一番好きだった。
デミグラスソースのたっぷりかかったハンバーグを楽しみながら、トトの旅路に想いを馳せる。まさに最高の時間だ。
ある日、読み終わった本を本棚に戻そうとした際に、本棚の側に置かれたテーブルに置かれた紙とインクにチラッと視線が向いた時があった。
そして、つい魔が差したというか勢いで、
『私も何か書いてみようかな……』
そう呟いていた。
トトの物語に触発されたように、私も何か人の心に何か残すようなことは出来ないだろうかと思ってしまったのだ。
それから私の人生初の執筆活動が始まった。
仕事が終わり、大好物のデミグラスハンバーグを食べ終わってから少しづつ物語と書き溜める。
寝床としている物置小屋では雰囲気的にも落ち着いて執筆は出来ないし、夜中に蝋燭を灯して書いていては蝋燭代で懐はカツカツになってしまう。
なので原稿はお店で預かってもらい、食事の後に書き続けることにした。
店が空いている時は、黒髪のマスターが厨房から出てきて書き方のコツを優しく教えてくれたので随分捗った。
そんなこんながありながらも、先日完成したのが、今隊長が真剣に読んでくれている物語。
『赤猫キキの大冒険』
家に居場所がなくなり、後先も考えずに家を抜け出した赤猫のキキが、自分の居場所を探す旅に出かける物語だ。
キキは長い旅の中でとある町に立ち寄り、路銀を稼ぐ為に実入りの良い力仕事に従事することに決めるが、やはり女の子なので、サボることもなく頑張って仕事に取り組んでも沢山いる雄猫達の働きぶりは体力が違い過ぎて雲泥の差になってしまう。
雄猫達は、雌猫であるキキを『雌のくせに』と馬鹿にして、キキは言い返そうとするものの、彼らの方が仕事が出来ることは間違いではないので、彼らの罵倒を甘んじて受けるしかなかった。
しかし、一匹の年の離れた雄猫が雌であることを理由にキキを馬鹿にする仲間達を一喝し、キキは突然怒り出した雄猫の態度にビックリしてしまう。
だけど、雄猫が怒ってまで自分のことを庇ってくれたことの嬉しさが後から沸々と湧き出し、キキはその雄猫をまるで自分の父親のように慕い始めるのだ。
挫けることばかりでも、キキを見てくれる一匹がいる。
どんな努力を重ねても結果が出ず自己嫌悪に陥っても、自分を見捨てない一匹がいる。
失敗をして厳しいお説教を喰らうことになったとしても、しっかり反省して真面目に取り組めば褒めてくれる一匹がいる。
キキは、自分が働く場所は苦手だ。
雌だなんだと難癖をつけていびってくる同僚達には毎日辟易してしまう。
だけど、自分を見守ってくれる人がいる。
それだけで救われる。
自分のやりたいことや夢なんてまだまだ分からない。
分からないことが分からないぐらいだ。
でも、今は自分を認めてくれたあの人の為に頑張ろう。
いつか自分の夢を見つけて誇らしげに笑う自分の為に今を頑張ろう。
今を一生懸命頑張れば、未来の自分はもっと楽しそうに笑えるだろうから。
そして、私を見つけてくれたあの人の為に、あの人が怒ってくれた自分自身を貶めないように、前へ前へと進もう。
いつの日か自分が自分自身を誇らしいと思える時が来たら、今は恥ずかしくて言えない言葉を告げるのだ。
――――――私は貴方に出会えて、本当に幸せでした。大好きです。
あああああああっ、言えない言えない! 絶対に面と向かって言える訳がない!
だって、隊長が今最後の辺りのページを読んでいくにつれて、私のことチラチラと見てくるんだよ!
絶対に、私がこのお話を考えたんだって丸分かりだよ!
そりゃ、私が自分をモデルにして、隊長への感謝の気持ちを書き殴ったようなお話なんだもん!
キキを馬鹿にする職場の連中を年上猫が一喝するシーンなんて、私と隊長のエピソードをそのまま流用したんだから、当然隊長は読んだ時点で私達のことだと思った筈だ。
……ああ、恥ずかしい。
……だけど、キキが考えていたことは嘘偽りのない私の気持ちなんだもん。
顔が真っ赤になって息が詰まってしまって言えないけれど。
恥ずかしすぎて、舌が回りそうにそうになるけれど。
私は、ギルバート隊長に出会えて本当に嬉しかったんだもん。
やりたいことも、目標も、夢も。
家族や居場所も。
何にもなくて、色々な物をほっぽり出してきてしまった私を。
真っ暗闇の道をあてどなく彷徨いながら、どこに行けば何をすればもいいのかも分からず、迷ってばかりになってしまっていた私を見つけてくれた貴女は。
貴方は、迷子になっていた赤髪の野良猫に手を差し伸ばしてくれた最初の人だったから。
「……ふう、読み終わったぞ」
隊長のその声にハッと顔を上げると、面映ゆそうに目を閉じる隊長の少し赤みの差した頬が目立っていた。
やはり、この物語の作者とそこに込めたというかぶち込んだと言った方がいいぐらい、大量に詰め込んだ隊長(雄猫)への感謝の気持ちにも既に察しが付いている様子だ。
何を言われるのだろう。
気持ち悪くなかっただろうか。
隊長への想いを、自分の口では絶対に伝えらないような身も心も火傷しそうなぐらいに燃えた想いを届けたくて物語に託した。
それは間違っていたのだろうか……。
隊長は何と言えばいいのだろうかという風に人差し指で眉間をグリグリとしていたが、確認するように、
「アンナ、これはお前が書いた本だな?」
「は、はい!」
届いたのだろうか。
「キキが出会った年上の雄猫は、俺のことなのか?」
「はい!」
恥ずかしいなあ。
「ここに書かれていたキキの想いは、お前の想いと同じようなものなのか?」
「はい!」
でも。
「キキの想いがお前の本心なのか?」
「はい!」
やっぱり。
「これを俺に伝える為に、お前は一冊の本を書き上げたのか?」
「はい!」
伝わってほしいなあ。
「アンナ」
「はい!」
隊長は恥ずかしさの残る火照った顔で私に言った。
「ありがとう。俺もお前に会えて良かった。俺も、真っすぐにがむしゃらに頑張り続けるお前さんに会えたことが誇らしいんだ。
ありがとう。アイルベンに来てくれて。
ありがとう。俺はお前に出会えて幸せ者だよ。
これからも一緒にいてくれるか?」
そこからのことはあまり覚えていない。
覚えているのは、
嬉しすぎて大泣きしてしまった赤髪の野良猫の頭を、ポンッポンッと優しくぎこちない動きで撫でてくれた大きくて立派な茶髪の先輩猫の無骨な手の感触だけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます