第11話 エビフライと『赤猫キキの大冒険』.4

「ふう、食った食った。いや~、アンナには感謝してもしきれねえな。こんなに美味い飯が食える店なんて、都市中……いや、王国中探しても他にねえんじゃねえか?」


「気に入ってもらったみたいで、連れてきた甲斐がありましたよ」


「おう、是非また誘ってくれ。一人で食うよりも、俺はお前とくだらん話しをしたり、相談事をしたりしている時間の方が好きだ。お前にとって都合に良い日でいいから、また来よう」


「……あの、隊長は私と一緒じゃないとこのお店に来ないつもりなんですか?」


「うん? まあ、別に一人で来てもいいんだけどな。だけど、俺はお前と一緒に食べる飯が好きなんだ。エビフライを食べたいという欲求には抗いがたいものがあるが、飯ってのは一人で食うよりも誰かと食う時の方が美味いからな。……おや、アンナ風邪でもひいたか? なにやら顔が真っ赤になっているが?」


「な、なんでもありませんから! 嬉しくて頬がにやけそうになってしまいそうになってるとか、照れてる訳じゃありませんから!」


「……? まあ、いい。飯も食ったし、そろそろ勘定をしてお暇するか」


 なにやらアワアワと狼狽しているアンナに首を傾げつつ、ギルバートが尻ポケットに入れていた財布を取り出そうとすると、


「あっ、あの!」


「どうした? 店を出る前に手洗いにでも行きたくなったのか?」


「い、いえ、それは大丈夫なんですが、ええっと、その、何といいますか……」


 アンナは赤面した顔のまま、なにやらモジモジと指先をせわしく絡めたり、落ち着きない様子で体を揺らし始め、視線もあちこちに飛んでいて見るからに挙動不審な態度で、尻すぼみする言葉を小声で呟いている。

 急に一体どうしたんだ?

 手洗いに行きたい訳でもなく、飯を食い終わり雑談も一段落した今頃になってから何か言いたそうというか、言いたくても恥ずかしすぎて話の切り出し方が掴めずパニックになっている様子にどうしてなっているのだろう?

 ここは俺から訊いた方が話しやすくなるか?

 コイツが何をしたいのかはさっぱり分からないが、きっと何か大事なことを言おうとしているのだろう。

 ならば、上司である俺がここで有耶無耶にして席を立つ訳にはいかん。

 ギルバートは、アワアワと落ち着きなく視線を泳がせるアンナに優しい口調を心がけながら声を掛ける。


「アンナ」


「は、はい!」


「何か、俺に話したいことがあるんじゃないのか?」


「……はい」


「なら、遠慮する必要なんかない。言ってみろ」


「……笑いませんか?」


「お前が何を言おうとしているのかは分からんが、必死に言葉を紡ごうと、自分の想いを言葉にしようと懸命に頑張っている奴を笑う気はない」


「……分かりました。少し、席を外すので待っていてくれますか?」


「おう、いつまでも待つさ。

 こちとら戦に出ずっぱりで家庭をほったらかしていたら、嫁にも子供にも出て行かれちまった駄目親父だ。家にはもう誰もいねえし、別に帰りが遅くなったとしても構わねえしな」


「さらっと、重めな家庭事情を投下しないで下さいよ。なんて声を掛けたらいいか分からなくなるじゃないですか」


「はっはっはっ、悪い悪い。気にしなくていいから、さっさと行ってこい」


「りょ、了解です」


 アンナはまだ気恥ずかしそうな表情を浮かべてはいたが、覚悟を決めたようにそそくさと席を立ち、店の奥へと小走りで向かっていく。

 そして席に緊張した面持ちで戻って来たアンナの手には、2冊の本が握られていた。

 アンナはそれを机の上に置き、俺の前におずおずと表紙を見せる。


「隊長、まずこっちの黒猫が表紙に描かれた本を読んでもらってもいいですか?」


「? この本がどうかしたのか?」


「店員さんが言ってたと思うんですけど、このお店はここのマスターや他のお客さんの書いた物語を本にしてお店の本棚に置いていて、誰でもそれを自由に読んだり物語を書いて本にしてくれるんです」


「……ああ、そういや、料理の注文をした時に給仕役の女の子がそうなことを言っていたような気がするな。生憎、俺は読書には関心がないからそれほど気にも留めなかったから忘れていた」


 本好きの人間にとっては垂涎もののサービスだろうが、本をあまり読まない俺にとっては無用のものだと思ったので、意識していなかった。


「それで、その本がどうかしたのか?」


「あの、まずはこっちの本を一度読んでもらってもいいですか?」


 アンナがまずこちらに差し出したのは、赤帽子を被った黒猫が表紙に描かれたその本だ。それほど分厚くもなく、読み始めたら10分程度で読み終わるぐらいの厚みだ。

 大人向けの小難しい専門書のような敷居の高い物ではなく、見た感じ児童文学的な様子の本を持ってきてくれたので少し安堵するが、この本が一体どうしたというのだろうか?


「この本がどうかしたのか?」


「その本を読んでから、こっちのもう1冊の本も読んでほしいんです」


「これを読み終わってからか? 順番があるのか?」


「はい。理由はええっとその……あ、後で言いますから、まずは読んでみて下さい! その後で読み比べてもらった感想を教えてほしいんです!」


「むう、感想か。俺は別に読書家という訳でもないから月並みなことしか言えんと思うが、それでも構わないのか?」


「はい! 私は是非隊長に最初に読んでほしいんです! 隊長に美味しいご飯を食べて欲しかったのもあるんですけれど、ここにお連れしたのはこっちの理由もある訳で……(小声)」


「……最後の辺りは上手く聞き取れなかったが、とりあえず読めばいいんだな?」


「はい、お願いします」


 アンナは深々と頭を下げる。

 コイツがこんな風になるまで俺に読ませたい本というのは一体何なのだろうか?

 ……まあ、それは読めばハッキリとするか。

 ギルバートはお冷を軽く飲み、ページを開いて読み始める。






 10分程度が経ち、どこか緊張した様子でこちらを見続けていたアンナの視線にくすぐったさを感じながらも読了したギルバートはそっと本を閉じた。


「ど、どうでした?」


 何やら緊迫感のようなものを滲ませつつも、どこか期待感もない混ぜになった不思議な表情を浮かべるアンナに疑問符を浮かべながらも、ギルバートは率直な感想を述べることにする。


「……正直言って、中々面白かった」


「やっぱり面白いですよね! 『黒猫トトの大冒険』! 私、その作品が大好きなんです!」


 パアアァァァァアアアアッ、と太陽が雲間から差し込んできたような明るい表情を浮かべ、テーブルに手をついて身を乗り出すアンナにたじろぎつつ、ゴホンと咳払いをする。


「言葉選びも優しくて温かみがある。作者がこの物語に木漏れ日のような暖かさを真摯に注いでいるのが伝わってくるようだった」


「そうなんです、そうなんですよ! 何の取り柄もなく、ひとりぼっちだと思っていたトトが大切なものに気付いて前へとたどたどしくも進んでいく姿が自分と重なるようで、他人事とはどうしても思えないというか…‥‥あっ、すみませんベラベラとしゃべってしまって」


「いやいや、お前がこのお話を好きなことがよく伝わってきて良かったよ」


 反省した様子で恥ずかしげに頬を掻くアンナに軽く手を振り、気にしなくていいと示す。

 内容的には姉達が嫁に行きひとりぼっちになってしまったがおちこぼれの三女の猫が家を飛び出し、旅先で様々な大変な面に遭うものの、自分の側に寄り添ってくれる友の優しさを支えに、自分のやりたいことを探す旅を続けていくという物語だった。

 ……そういえば、アンナも実家を家出同然で飛び出してこのアイルベンに流れ着いたんだったか。

 長旅で擦り切れたボロボロの服を纏い、泥で汚れた靴を履いた少女が衛兵所の門を叩き、「私をここで雇って下さい!」と大声で言ってきた時は唖然としたものだ。

 最初は世間知らずの田舎娘が都市の仕事の中でも比較的給金の高い衛兵所での勤務に目がくらんだだけだろうと考えて問答無用で追い返そうとしたが、こちらの目から視線を逸らさずにジッと真正面から見詰めてくるその目を見ているうちにいつの間にか、「……うちはキツイぞ。それでもいいなら、中に入れ」と自然と言葉を漏らしていた。

 最初は厳しい訓練が始まれば、そのうち辞めさせてくれと泣きついてくるか、夜逃げでもするだろうと高を括っていた。

 だが、アンナという少女を俺は見誤っていた。

 自分よりも年上で体力もある男連中と同じ特訓メニューも必死にこなし、同僚達からの「女の癖に」という偏見による心ない言葉や態度に胸を痛めている様子を見せながらも、懸命に喰らい付いて努力を続けるコイツは予想以上に強い奴だった(アンナが突き飛ばされて暴言を吐かれている姿を見た時は体が勝手に動いて止めに入ってしまったが、あれは余計なお世話だったのかもしれないと思ったが、今は間に入って良かったと思っている)。

 彼女が何を求めてこのアイルベンに来て衛兵という道を選んだのか、どういう人生を送ってきたのかのは個人的なことだからと訊くことはしなかったが、この本に登場するトトと自分を重ね合わせている様子から、あまり幸福とは言い難い日々を送ってきたのかもしれない。

 ……また、飯にでも誘ってみるとするか。

 中年オヤジと食卓を共にすることを喜んでくれるとは思えんが、職場はコイツにとってはまだ居心地の良いと言える環境ではないし、胸におりのように溜まった色々な思いを吐き出す場所を用意してやるくらいしか、俺にはしてやれることはないしな。

 そう思いながら、ギルバートはアンナが読んでほしいと言っていたもう1冊の本に手を伸ばす。

 すると、先程まで饒舌な様子で『黒猫トトの大冒険』の良さを語っていたアンナの肩がビクッと震え、こちらの視線や指先を恐る恐るといった面持ちで注視し始める。


「どうかしたか? なにやら顔が強張っているようだが」


「い、いえ、なんでもありません!」


「そ、そうか? それにしては胸に手を当てて落ち着きがない様子だが」


「こ、これは滅茶苦茶緊張しているからです! 胸がドキドキハラハラして苦しいだけです!」


「それは大丈夫じゃないだろう!? 病院に行った方がいいんじゃないのか!?」


「これは別に病気とかではないので、大丈夫です! 私に構わず隊長は先に行ってください!」


「お前、色々混乱してるだろ!? ……それじゃあ、読むからな」


「は、はい! お、お手柔らかにお願いします!」


 『黒猫トトの大冒険』を読んでいた時よりも、ゴクリと生唾を飲んでこちらの一挙手一投足をガチガチに緊張した様子で見詰めてくるアンナの挙動不審な態度に小首を傾げつつ、本を開く。


 

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