第10話 エビフライと『赤猫キキの大冒険』.3
「お待たせ致しました。エビフライになります」
レモン特有の酸味が癖になるお冷をお供に、アンナと談笑していると、遂にお待ちかねのエビフライが到着した。
給仕の少女がお盆からテーブルに置いた皿には、今まで食べたことのないエビの姿が鎮座している。
「おお、こいつは凄いな」
まず、身がデカい。
巨木の枝のような太い身をした食べ応えのありそうなエビの揚げ物が4本も載っている。
子供時代に食べたちびっこいエビや朝市で売られている細身のエビなんて霞んでしまう。
エビといえば小さく内側に丸まったような形をしている物がほとんどだが、このエビは衛兵所の早朝訓練で俺が点呼をかけた時の部下達のように背筋を真っすぐに伸ばしている。
カラッと揚げられて上気した尻尾は真っ赤に染まっていて、アンナの赤髪を思わず連想してしまった。
そして肉厚そうな大きな身を包んでいるのは、黄金色の衣だ。
安酒を求めて場末の酒場で食べたことのある揚げ物は衣に使う粉や油をケチっているせいか、所々に黒い焦げや油の量が少ない分長時間揚げ過ぎて油を吸ったただでさえ薄い衣がベチャベチャになっていて二度と頼むものかと辛酸を舐めた覚えがあるが、この揚げ物はそのどちらもケチるような姑息な真似をしていないのが一目瞭然だ。
衣の表面がザラザラとした質感をしていて、サクッというよりもザクっという食感が楽しめそうだ。
揚げ具合も見事で、揚げ過ぎて黒ずんでいることもなく揚げ時間が足りなくて白っぽくなっている箇所も見当たらず、ムラなく揚げられた衣からほのかに上がる湯気からは質の良い油の香りが食欲を刺激する。
付け合わせには何かの野菜を千切りにした黄緑の山盛りと、コロンとした可愛らしい見た目の小さな赤い果実のような物があり、エビフライに付けて食べるらしい茶色のソースと白っぽいドロっとしたソースの入った小皿も置かれている。
「こいつは美味そうだ。揚げ物は元々好物だが、コイツなら4本ペロッと食えそうだな」
「へえ~、なんか凄く美味しそうですね。こんな料理もあったんだ」
「うん? お前も知らない料理だったのか?」
「ええまあ、私ってここに来るといっつもデミグラスハンバーグばっかり注文しちゃって、他の料理ってまだ頼んだことないんですよ」
「ほう、お前がそこまで惚れ込んでいるデミグラスハンバーグとやらもどんな料理のなのか気になるな」
「後で運ばれてきたら少し御裾分けしてあげますから、隊長は先に食べて下さい。折角の揚げ物なんですから、冷めちゃったら勿体ないですよ」
「おお、そうだな。それじゃあ、お言葉に甘えるとするか。悪いな」
先に食べ始めて下さいとアンナに促され、ギルバートはナイフとフォークを持ち、ゆっくりとその身に刃を沈める。
ザクッ、ザクッ。
刃を通して伝わる衣はカラッと揚がっているおかげでこれから揚げ物を喰うということを如実に実感させてくれる。
そして衣もさることながら、素晴らしいのはプリッとした触感の極厚のエビの身だ。
フォークに突き刺した断面を覗いてみると、弾力感のありそうなエビの身の白、衣と身の間から顔を覗かせている赤面したようにその身をいじらしく染めている皮の赤、白と赤を内包してエビという海の恵みの旨味を逃がすことなく閉じ込めた衣の黄。
素晴らしいハーモニーを奏でている三色の美味さが一つの料理として完成された見事な一品にゴクリと息を飲みながら、まずは何も付けずにエビフライ本来の味わいを堪能させてもらおうとそのまま口へ。
さあ、お手並み拝見といこうか。
パクリッと一口で頬張り、ゆっくりと噛み締める。
その刹那、エビの身から旨味を凝縮した肉汁が噴き出し、衣の歯応えのあるザクザクとしたざらつきのある食感と混ざり合い、至高の美味さが迸る。
漁村で食べたエビには磯臭さというか生臭い匂いがこびついていて、折角のエビの身のプリプリとした食感や淡泊な味が台無しになっていることもあった。
しかし、このエビには全くそういった食欲が失せるような嫌な臭いが感じられず、歯を突き立てる度にプツッと何の抵抗感もなく噛み切れる口の中に弾けるエビの肉の濃厚な味わいに歓喜の声を上げそうになる。
最早ソースを付けずともこれだけで、十分満足だと言える程の味だ。
だが、折角用意してもらったソースに一切手を付けないというのも無礼な話だ。
それに、俺には想像できないような未知の味に化ける可能性がある以上ここで撤退する訳にもいかない。
このエビフライという料理の美味さに既に俺は満足し切っているが、この料理の底力はまだまだこんなものではないというのならば、試してみなければ後悔することになるに違いない。
まずは……。
「とりあえず、この茶色いソースからいくか」
別にこの選択に特別な理由があった訳ではないが、見慣れぬ白いソースよりも揚げ物料理にかけるソース類は茶褐色の物や黒っぽい物が多いので、見慣れたこの色のソースを選んだだけだ。
とりあえずは、エビフライの身をナイフで切り落とし、その身をソースに軽く浸す。
ソースを多量に吸わせてしまえば折角の衣のザクザク感が損なわれてしまうし、エビの味が見るからに濃厚そうなソースの風味で薄まってしまっては元も子もない。
衣がほどよく茶色っぽく染まったのを確認し素早く引き上げ、そのまま口に運ぶ。
そして、一噛み。
……参ったぞ。
俺はこのエビフライとやらの力を見誤っていたらしい。
「……美味すぎるだろ、これは」
完敗だった。
甘辛いソースをその身に纏ったエビフライは芳醇な野菜のコクを感じさせるソースと完璧に調和していて、口の中でほどけるエビの肉に絡んだそれが衣の歯触りの良い食感と共に舌を喜ばせてくれる。
このソース単体の味わいのレベルが高いということもあるが、やはり絶妙に揚がったエビの旨味を閉じ込めたエビフライというこの計算され尽くした料理が本当に見事だ。
こんな美味い物を喰ってしまっては、もはや今まで惰性で通っていた酒場とは今日までの縁で終わることだろう。
だが、まだこれで終わりではない。
残るもう一つのソース。
見たところ、細かく刻まれたオラニエと茹でた卵を潰した物、それからハーブのような緑が黄色がかったソースに混ぜ込まれているようだ。
揚げ物に掛けるソースにこのような白っぽいソースがあったとは思わなかった。
どんな味がするのか皆目見当も付かないが、先程のソースの完成度から予想するとこの謎のソースも極上の調味料となるに違いない。
「さてさて、こいつはどうだ」
茶色のソースは付けすぎるとエビの味がソースの濃い味に上書きされてしまいそうな気がしたので控えに付けただけだったが、この白いソースならそれ程濃厚な味もしないだろうと思い、先程とは異なりフォークの先端に突き刺したエビフライ全体が包み込まれるようにたっぷりとソースを付けて口に運ぶ。
エビフライの淡泊な味わいと同時に広がるのはまろやかな酸味だ。
脂っこい揚げ物のしつこさを相殺してくれるようなマイルドな味わいが口の中一杯に広がる。
「……こいつは、とんでもないソースだな」
特に完全にオラニエやゆで卵を完全に潰してしまうのではなく、ある程度形を残した状態でソースと混ぜているので、オラニエのシャキシャキとした食感と甘み、口の中に残る強烈な玉子の味わいがエビフライという料理を更なる高みへと押し上げる。
「美味すぎる。もう、他の店では飯は食わん」
「……隊長、私にも一口頂いてもいいですか? 隊長、すっごく美味しそうに食べるなので、私もご相伴に預かりたいなと」
「うむ、そうだな。その代わり、デミグラスハンバーグとやらも一口寄越せよ?」
涎を垂れ流しそうな勢いで身を乗り出しておねだりをしてくるアンナに苦笑しつつ、エビフライを堪能する至福の時間を楽しむ。
その後に運ばれてきたアンナのデミグラスハンバーグの素晴らしい味に驚愕し、アンナも2種類のソースにより様々な味に変化するエビフライの美味さに目を見張りながら、俺達の食事はあっという間に過ぎていった。
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