第9話 エビフライと『赤猫キキの大冒険』.2

 注文を終え、あとは料理が出来上がるのを待つばかりとなったところでふと、どうして俺はアンナにこうして食事の席に誘われたのだろうという今更ながらな疑問が浮かぶ。

 騎士団にいた頃は仕事終わりに仲間達に誘われ酒場に繰り出して酒を浴びる程呑んでいた時期もあったが、衛兵隊の隊長になり過酷な鍛錬メニューを追加し、兵の練度を向上させようと訓練を強化したら、皆訓練後にはヘトヘトになってしまい、以前の職場のように飲みに誘われることもとんとなくなってしまった。

 だが、目の前の新人は大の大人がそれ程までに疲労困憊となる厳しい訓練の後にもこうして俺を行きつけの飯屋に連れてくるのが夢だったと言った。

 どうしてそんな夢を抱くようになったのか興味があった。


「なあ、アンナ」


「はい、なんですか?」


「どうして俺をこの店に誘ったんだ?」


「それは、私が大好きなお店を隊長にもしてもらおうと思ったので」


「それだ。お前は衛兵隊に入って日が浅いし、正直言ってかなり厳しい特訓メニューを課している俺は恨まれこそすれ、こんな風に食事に誘ってもらえるような人間じゃな……」


「そんなことありません!」


 ガタンッと勢いよく立ち上がり、俺の言葉を遮るように大声を上げたアンナに思わず瞠目する。

 幸いなことに俺達の他にはまだ客はいなかったので、給仕の少女が気遣わしげな表情でこちらを遠目に見ているだけで、店の迷惑にはなっていなかったが、突然真剣な眼差しでこちらを見詰めていたアンナは、自分が衝動的に声を張り上げてしまったことに気付いたらしく、


「す、すみません。大声を出してしまって」


「い、いや、構わん。俺達の他に客もいなかったようだし、迷惑はかかっていないだろう」


「それでも、ビックリしましたよね?」


「それはそうだが、お前なりに何かしらの意見があってのことだろう。まずはそれを聞いてみたい。あっ、話し辛いことなら無理に詮索する気は毛頭ないから安心しろ」


「あはは、まあ話し辛いというか気恥ずかしい話なんですけど、聞いてもらってもいいですか?」


「部下の話に耳を傾けるのも上司の務めだ。遠慮をする必要もないし、他人に口外するつもりもない。肩の力を抜いて話しをしよう。

 さあ、まずはとりあえず席に着け。ずっと立ちっぱなしで話すのもなんだろう」


「そ、そうですね。では、失礼して」


 アンナは緊張からかそれとも気恥ずかしいという話しをするという照れからなのか、頬を紅潮させて軽く深呼吸をする。

 う~む、ここまで気持ちを整えないと話せない話しなのだろうか。

 アンナは呼吸を整えると、少しはにかんだ表情を浮かべながらこちらに視線を合わせる。


「隊長、私が先輩に小突かれて、女の癖に衛兵になるだなんて馬鹿じゃないのか、みたいなことを言われた時のことって覚えてますか」


「うん? ああ、そういやそんなこともあったな。全く、くだらんことをほざきやがってと、イラついていたのも覚えている」


「私、隊長がその後に行ってくれた言葉に心が救われるような気持ちになったんです」


「言葉? 救われただと? ……そんな大層なことを言った覚えはないんだがなあ」


「いえ! 私、隊長の言ってくれた言葉を聞いてすぐには気付かなかったんですけど、私って一人じゃないんだなって少し気持ちが楽になったんです」



『努力してねえ人間に、努力している人間を笑う資格なんぞねえ! ヘラヘラ人を小馬鹿にしている人間が皆を守る正義の味方だと? 笑わせんじゃねえ!!

 無駄に歳食って図体だけデカくなったガキなんぞよりも、目の前のことに真っすぐ向き合って努力し続けるガキの方がよっぽど大人だ!』



 アンナが衛兵所で俺が言った言葉を一言一句正確に暗唱してみせると、俺の方が気恥ずかしくなって思わず頭を掻く。


「お前、よくそんな風に正確に覚えているもんだな」


「そんなの当たり前です。本当に嬉しかったんですから」


「そんな大したことは言っていないだろう」


「いえ、私、衛兵隊に入ったはいいものの、周りの人は男の人ばかりで女性なんて全然いない環境で、女だからって理由で馬鹿にされたり、廊下で先輩の側を通り過ぎる時にわざと肩をぶつけられたりしたりして、結構精神的にきつかった時期だったので、余計に心に染みたというか……」


「……そんな舐めた真似してやがる陰湿野郎がいやがったのか。次からは特訓メニューを倍にしてやる」


 他人を馬鹿にしてヘラヘラ笑っているようなクソッタレは、一度根性を叩き直してやらねばなるまい。

 

「あ、あのそんな風に視線だけで人を殺せるような悪人面にならなくてもいいので! お気持ちだけ受け取っておきますから!」


「むっ、本当にいいのか? 嫌がらせを受けているのなら、衛兵隊全員居残り訓練百日間の刑に処してやってもいいんだぞ」


「いえ、それだと隊長に私が告げ口した結果みたいで余計に私が反感買いそうなので結構です。あと、衛兵隊全員って、しれっと私も地獄の強化訓練に巻き添え喰らってるじゃないですか!」


 さっきまでの萎れた表情も吹っ飛んで、一番新米の癖に隊長である俺に対してもつっかかてくるコイツらしい反応に冗談を言って良かったほくそ笑みながら、再度水を飲む。うむ、やはり何度飲んでも美味い。

 しかし、女一人で男所帯の衛兵隊に入隊した時点で隊内で何かしらの軋轢が生じるかと危惧していたのだが、実際に嫌がらせを受けているのをこのまま放置する訳にはいかないだろう。何かしらの対応を取る必要がある。

 だが、アンナは俺のそんな心配をよそに、


「そんな風に特訓を厳しくさせなくても、私決めてるので」


「決めている? 何をだ?」


「女だからって馬鹿にされないぐらい努力して、いずれは隊長ぐらい強くなって男共を見返してやるんです! 馬鹿にしてた奴が自分達も強くなって出世していったら、誰にも文句は言われないので!」


「……ぷっ」


「あっ! 笑いましたね!? 私の野望を!」


「夢じゃなくて、野望っていうのがなんかお前らしいな。夢っていうよりも野心がある感じで面白い」


「いいじゃないですか! 馬鹿にする人達に一々反応してたらこっちが疲れちゃいます。それに、私って誰かを恨んだりするのって苦手なんですよ」


「ほう、苦手か」


「はい。だって、誰かを恨んだり呪ったりってすご~く疲れるんですよ。恨むことも呪うことも怒り続けることも、それって全部嫌いな人のことを四六時中考え続けてるってことじゃないですか。

 大嫌いな人の顔を一日中思い浮かべて、その人にされたことを延々と頭の中で繰り返し思い出し続けるってことじゃないですか。

 そんな風に一日中大嫌いな人のことを考え続けるのって疲れません?

 なんで私が、嫌いな人達の為にそんな体力使うようなことしないといけないんですか?

 そんな人達のせいで悪いこともしていないこっちが疲れ続けるなんて馬鹿みたいじゃないですか、そんなの。

 そんな人達の為に私のエネルギーを消費するぐらいなら、自分が努力してその人達の悪口がただの負け惜しみになるぐらい立派な人間になる方がなんか上手く言えませんけど、私がハッピーな感じになると思います」


 水差しからグラスに水を注ぎ、それをグイっと男らしく飲み干しながらそう断言するアンナの表情は思っていることをそのまんま口にしただけという風で、彼女自身が当然のことのように考えている考えを吐露しただけなのだろう。

 それを臆面もなく何気ない調子で口にしているのだから、やはりコイツは面白いなあと思う。

 他人を馬鹿にする連中を馬鹿にするのではない。

 そいつらの陰口がただの負け惜しみに、ただのひがみになるくらい立派になった方がいいじゃないかと言い切るコイツの思い切りの良いというか、気持ちのいい答えに相好を崩しそうになる自分がいるのを認めざるを得ない。

 このアンナという少女を育て上げたい。

 誰に馬鹿にされようとも、そんなこと知ったことかと肩で風を切りながら前へ前へ進み続けるコイツの成長をずっと見ていたい。

 ……それが俺の夢になっちまったのかもな。


「こりゃ安月給になったとしても、おちおち転職も出来なくなっちまったな」


「? どうしたんですか隊長?」


「いや、なんでもない。ただの独り言だ」


「そうですか……。まあ、なんか話が途中でずれてしまいましたけど、私は隊長に救われました。私は隊長にお礼がしたい。隊長と色々な話をして仲良くなりたい。そして、隊長に私の大好きな場所を知ってほしいと思った。それが私の夢にいつの間にかなっていたんです。

 なので、こうして隊長を私のもう一つの居場所である『サクラ亭』に連れてくることが出来て、とっても嬉しいんです」


 屈託なく笑うその快活な笑顔は本当に幸せそうで。

 夢が叶ったと純粋そうな笑みを浮かべる少女が眩しくて。


「……全く、お前はもう十分立派じゃねえか」


 少なくとも、ここにその笑顔で今まで衛兵隊で部下達から疎まれながらも厳しくあり続けてきた自分が、こうにも嬉しさで胸が一杯で、何も食べていないのに次々胸の奥から湧いてくる温かいもので腹が一杯になりそうなぐらい、コイツに出会えて本当に良かったと思えているのだから。

 

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