第8話 エビフライと『赤猫キキの大冒険』.1

「ほらほら隊長! こっちですよ、私のオススメのレストランは!」


「ええい、腕を引っ張るんじゃないアンナ! 自分で歩ける!」


「だって、隊長を私のお気に入りのお店に連れて行くのが、私の最近出来た夢の一つなんですよ! それがこれから叶うんだから、ついつい羽目を外しちゃって」


「全く、俺みたいな中年を飯屋に連れて行くのが夢とは……」


「それが夢なんですから仕方じゃないですか」


「……まあ、良い。だが、飯屋なんぞどこで食ってもそう大して変わらんだろう」


「それは大間違いですよ、隊長。これから行く異世界レストランはとんでもなく美味しい料理の宝庫なんですから、隊長もきっとやみつきになること請け合いです」


 自信満々で上司である自分の腕を引っ張り続けている茶色がかった赤髪を揺らす新人衛兵の背中に嘆息しながら、ギルバートは周囲からの奇異の視線に肩を竦める。

 アイルベン衛兵隊隊長ギルバート。

 だらしないと思われない程度に整えた茶髪と、それなり以上に筋骨隆々な肉体を誇る長身の中年男性だが、色々と肩書というか呼び名が多い。

 この都市に暮らす者、特に盗人やならず者といった後ろ暗い所業に手を染めている輩なら一度は聞いたことのある男。

 かつては王都の騎士団に所属し、大陸各地で勃発した内戦の際には数多の戦場を転戦し、武勇を轟かせた英傑。

 次期王国騎士団団長かと思われたが、寂れた漁村出身の卑しい身分の田舎坊主が栄誉ある騎士団に属していることに鼻持ちならない想いを募らせていた貴族共の嫌がらせによって地方都市の衛兵隊の隊長という地位に左遷された堕ちた英雄。

 様々な肩書きがあり、皆がそれぞれ好きなイメージを抱いているらしいが、今の俺はここ最近衛兵所の門を叩き、男連中ばかりのむさっ苦しい衛兵隊での訓練の日々を努力と根性で現在進行形で乗り越えている自分の娘と同じぐらいのこの少女に無理矢理手を引かれて大通りを歩いているのだ。

 かつての内乱の英雄がルンルン気分でズンズン前へと進み続ける少女に半ば連行されるように付き従っている構図に唖然とした目を向ける通行人達の視線を体中に感じながら、俺はアンナに呆れた声を掛ける。


「おい、アンナ」


「はい、なんでしょう隊長」


「本当に美味い飯が食えるんだろうな?」


「それに関しては絶対に残念な思いはさせないと私が太鼓判を押します」


「……毎日衛兵所の運動場の隅っこで馬鈴薯をモソモソ齧っている小娘のお墨付きじゃああんまり期待できんのだがな」


「そこには触れないで下さい! こっちだって好きで馬鈴薯をモッソモッソ齧り続ける悲しい馬鈴薯ライフを送っている訳じゃないんですから! 憐れんでいるのなら、もっとお給料弾んで下さい!」


「やかましい。俺だって都市から給料貰って食わせて貰ってる雇われ人だぞ。給金の値上げなんぞ、あのケチ臭い市議会のジジイ共が承認する訳ないだろうが」


「隊長、ここ大通りの市議会所の真ん前なんですけど、そんな風に議員さん達の悪口言っちゃっていいんですか?」


「ふんっ、構わん。どうせ、聞こえちゃいない」


「あっ、今すれ違ったの市議会議員の人でしたよ。こっそり隊長に中指立ててましたけど」


「クソッタレ! 今月から給料確実に減らされるぞ! お前、これで飯がマズかったら、明日からお前に飯代たかってやるからな!」


「馬鈴薯娘にご飯たかってくるなんて、プライド持って下さいよ!?」


 田舎上がりの小娘衛兵と、王国内戦の英雄が人目を憚らずにギャアギャア喚きながら、裏通りにひっそりと佇む異世界レストラン『サクラ亭』に辿り着いたのはそれから1時間後だった。





「いらっしゃいませ。あら、アンナさん」


「えへへ、また来ちゃいました」


「いつもご贔屓にして頂いてありがとうございます」


「いやいや、こっちの方がいつも美味しいデミグラスハンバーグと読書を楽しませてもらってるんだから、お世話になっているんだから」


「これからも当店をよろしくお願いします。あっ、すみません私ったらお客様を席にご案内もせず」


「いいですって。私と連れの人はいつも席に座らせてもらってもいいですか? 注文決まったらベルを鳴らすので」


「かしこまりました。どうぞごゆっくり」


 楚々とした仕草で会釈をして店の奥へと去って行った給仕の少女を見送り、俺は勝手知ったるという様子のアンナの背を追い席に着く。

 先程の店員との砕けた様子の会話から察するに、アンナは頻繁にこの店を訪れているようだ。

 店内をグルっと見渡すと、掃除も行き届いていて不潔な感じは全くしないし、各テーブルやカウンターに置かれた花瓶に生けられた見たことのない不思議なピンク色の花が店内の雰囲気をグッと華やかなものにしている。

 花には全く詳しくなく、花の名前も有名な物以外はほとんど知らないが、この花を眺めているとどこか心が安らぐような気持ちになってくるのだから、まるで魔法のようだと感じてしまう。


「……いい店だな」


「そうでしょう。料理もかなりイケるんですから」


「正直お前に連れられてくる前まではかなり不安だったんだが、内装もしっかりしているし、外のあのピンクの花を咲かせている樹や庭の手入れも丹念にされていた。見た目だけなら、十分満点だな」


「ふふっ、料理も満点なんですよ。きっと隊長も気に入ると思います」


「ほう、そいつは楽しみだ」


 机の隅に置かれていた革張りのメニュー表を手に取り、料理の説明書きに目を通していると、先程の給仕の少女が銀の水差しと2人分のグラスを載せたお盆を手に載せて席にやって来た。


「こちら、サービスのお冷となっております。ご自由にお飲み下さい」


「サービス?」


 俺は水は注文していない筈だが、これは一体どういうことなのだろうか?

 そんな疑問が顔に出ていたのが丸分かりだったようで、アンナは苦笑しながら、


「隊長、気持ちは分かります。私も最初来た時は面食らいましたから。このお店ではタダでお水が飲めるんです」


「なにっ、タダだと!?」


「はい。それもスライスしたレモンが水差しに入っているので、サッパリとした飲み心地が仕事帰りの疲れた体に染み渡って最高なんですよ」


「……ここがそこいらの飯屋とは全然違うってことは分かってきた。ありがとうな、お嬢さん。ありがたく、頂くよ」


「ふふっ、おかわりもありますのでいつでもお呼び下さいね」


 水差しとグラスを置いて去っていく給仕の少女に軽く会釈を返し、俺は早速水差しから水をグラスを注ぎ、一日の疲労が溜まった体に潤いを与えようと一気に水を流し込む。

 すると、口の中にレモンの酸味がほのかに広がり、予想以上の爽快感とサッパリとした口当たりに目を見張りながら、よく冷やされた水が胃の中に流れ込んでいく充足感に歓喜の声を上げる。


「ほう、こいつは凄いな! レモンなんて酸っぱいだけかと思っていたが、これはその酸味がほどよく溶け込んでいて、飲んだ後の喉越しも良い」


「それを飲むだけでも、かなり満足感ありますよね。飲用水を買うのも結構お金かかりますし」


「まあな。飲み水は生活に欠かせないから買うしかないが、この水の味を知っちまったら、市場で買うぬるい水なんかもう飲めんぞ」


 そんな風な会話を交わしながらメニューを眺めていると、一つの料理に目が留まる。


「……エビフライか」


 地方の漁村で育った子供時代から、エビは大の好物だった。

 俺の暮らしていた漁村近くの海にはエビはそれ程棲息していなかったので、漁網に引っかかった小さなエビを火で炙り焼きにして、しっかりと火を通したエビのプリプリッとしたあの身をおやつ代わりに食べるのが楽しみの一つだった。

 このアイルベンは整備された港湾を擁する漁業の盛んな都市でもあり、水揚げされたエビが朝市に並ぶことも多いが、今年はエビが不漁のようで価格も高いし、小さな体の物が多い為、中々口にする機会はなかったが、あんな美味い水を無料で提供しているような店のエビ料理。……これは是非食べておいた方が良いに違いない。


「俺はエビフライにしよう」


「私はデミグラスハンバーグにします」


「デミグラスハンバーグ? そいつはどんな料理なんだ?」


「すっごく美味しいお肉料理なんです。後で隊長にも食べさせてあげますよ」


「その言葉、忘れんからな。男に二言はないぞ、アンナ」


「隊長、私はか弱い女の子なんですけど」


「自分よりもガタイの良い男連中が根を上げるような俺の訓練にも文句一つ言わずに必死に、がむしゃらに喰らい付いてくる奴がか弱い訳ないだろうが」


 ム~ッと頬を膨らませるアンナに笑みを零す。

 田舎町から自分の居場所を求めてやって来た根無し草。

 だが、目の前にいるこの草は芯の通った真っすぐな草だ。

 どんなに馬鹿にされても。

 どんなにキツイ言葉を吐かれても。

 どんなにきつくても何度でも立ち上がる麦のような強さを武器に。

 ただただ前へ。ひたすら前へ。

 真っすぐに脇目も振らずに頑張り続ける努力馬鹿。

 そんな最高に育て甲斐のある可愛い部下に出会えたことに、この世界のどこかにいるらしい神に感謝の言葉を捧げながら、俺は再び美味い水をグイっと呷った。

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