第3話 デミグラスハンバーグと『黒猫トトの大冒険』.3

 黒猫トトは三人姉妹の三女として、貧乏な家に生まれた。

 頭脳明晰で学業優秀な長女。

 見目麗しい美しい毛並みでオス猫達を虜にしてしまう次女。

 そして、何の取り柄もなく、自分のやりたいことも分からずボーっと日々を怠惰に過ごしている落ちこぼれの三女、トト。

 常に優秀な姉二人と比較される日々にウンザリしつつも、別段なりたい夢も成し遂げたいこともなく、ただ生き続けているだけの毎日に、トトは自分のことながら嫌気が差していた。

 そんなある日、トトは姉二人が嫁に行くことになり、ひとりぼっちになってしまった家にポツンと取り残されてしまう。

 夢も目標もないトトにはその家で一生過ごす道もあったが、落ちこぼれ猫としてヒソヒソと陰口を叩かれて生きるよりも、自分のことを知らない外の世界に旅立つことを選ぶ。

 姉に貰った赤帽子を被って一端の冒険家にでもなったような高揚感を覚えながら旅立ったトトは、旅路の中でいじわるワンコから嫌がらせをされたり、通りすがりの鷹に大切な帽子を取られてしまって必死の追撃戦が始まったり等、その後も様々な困難にぶつかり心が挫けそうになるが、大切な姉達との思い出を思い出して勇気を奮い立たせたり、自分が知らない内に自分のことを大切に思ってくれていた旅の道中で知り合った猫の陰ながらの応援に気付き、その猫と共に自分のやりたいことを探しに再び旅を続けていくところで、お話は終わっていた。





「……ふう」


 アンナはパタンと本を閉じ、いつの間にか肩にこもっていた力をゆっくりと抜き背もたれに体を預ける。

 まだ見ぬハンバーグへの期待感は未だに残っているが、今は黒猫トトがゆっくりと前へ前へと友人となった猫と共に歩き去っていく挿絵が目に焼き付いていた。

 それ程分厚い本ではなかったので、体感的には15分ぐらいしか経っていないと思う。

 だけど、アンナの心はその間このレストランにはいなかった。

 いじわるワンコのタロウの尻尾に噛みついて反撃をする時のドキドキ感も、大切な帽子を取り返した時の安堵感もしっかりと胸に残っている。

 アンナはトトになっていた。

 自分の居場所が、自分の夢が、自分のやりたいことが分からない。

 沢山の分からないで埋め尽くされそうになって溺れそうになりながらも、どうすればそこから抜け出せるのかも分からず日々を惰性で生きてるだけの猫。

 自分の歩きたい道が分からず、道なき道を分け入るように進み続け、どうすれば元の道に帰れるのかも分からず、途方に暮れて立ち尽くして前に進めない迷子の女の子。

 トトはアンナだった。

 まるで自分のことのようにアンナはトトに自分を重ね合わせて、本の世界へと短い旅に出ていた。

 鏡映しのような自分にひょいっと乗り移るかのような体験をいつの間にかしていた。

 軽く目頭を押さえ、天井を向く。

 どうしてだろう。

 悲しい訳じゃないのに。

 辛い事は慣れっこの筈なのに。

 どうしてなんだろう。


「……どうしてこんなに胸が熱くなるんだろう」


 トトは自分の道に迷い続ける迷子猫だった。

 だけど、彼女のことを愛し支えてくれる者達はちゃんと側にいた。

 ……自分はどうだろうか?

 自分の姉達は年が離れていてすぐに嫁に出てしまったので、一緒に過ごした時間は短かった。だけど、たまに実家に帰って来た時には女の子らしい髪飾りをお土産にこっそりと渡してくれたり、しっかりとご飯は食べているのかとしつこく聞かれた記憶がある。

 あの時は日々の畑仕事で疲れ切っていて鬱陶しいなあと感じていたけれど、あれは姉達の優しさや思いやりだったのだろう。私がそうだと気付いていなかっただけで。

 ……今はどうだろう?

 アイルベンには友人と呼べるような親しい人間はいない。

 家は食事と睡眠の為だけに帰るだけの場所になっているので、いつもひとりぼっちだ。

 家と仕事場を往復するだけの日々。

 衛兵所には私を毛嫌いする人だけしかいな……


「あれっ? そういえば、今日……」


 今日の訓練中に、「女の分際で衛兵になりたいとか馬鹿じゃねえのか! 衛兵ってのは俺達みたいな正義感に溢れた大人の男の仕事なんだよ!」と年上の大柄な男に馬鹿にされて小突かれ、バランスを崩して地面に転倒してしまったのだが、周りの男達がヘラヘラ笑っている中、衛兵隊の隊長である茶髪のオジサンだけはアンナを小突いた男の脳天に拳骨を落とし、こう言ったのだ。


『努力してねえ人間に、努力している人間を笑う資格なんぞねえ! ヘラヘラ人を小馬鹿にしている人間が皆を守る正義の味方だと? 笑わせんじゃねえ!!

 無駄に歳食って図体だけデカくなったガキなんぞよりも、目の前のことに真っすぐ向き合って努力し続けるガキの方がよっぽど大人だ!』


 隊長の凄まじい怒気を孕んだ一喝にその場はシンッと静まりかえり、上司の不興を買って顔面蒼白になった男が平謝りを始めると、私は早く訓練に戻れと目で促されて、その場で慌てて一礼して訓練に戻った。

 あの時は突然のことで理解が追い付かなかったけれど、あれは私の為に怒ってくれたのだ。

 私の為に怒ってくれる人がいたんだ。

 ひとりぼっちの私だけど、少なくとも私のことを見てくれていた人がいた。

 私の為に怒ってくれる人が、少なくともここには一人いるんだ。


「それって、凄く幸せなことだったんだ……」


 ひとりぼっちの迷子猫。

 家を飛び出してもなお、自分のやりたいことが見つからない迷子の女の子。

 だけど、その一匹と一人は一人ではなかった。

 今はそれが分かっただけで、十分だった。

 そっと目尻に浮かんでいた雫をゴシゴシと豪快に拭き取る。

 全く女らしない動作に自分のことながら苦笑が零れる。

 だけど、別にいいじゃないか。

 これがアンナという女だ。

 これが私だ。

 これが自分なんだ。


「お待たせ致しました」


 そして、まるでこちらが吹っ切れたような笑みを浮かべた瞬間を見計らっていたのように、まるで目元を濡らしていたアンナが落ち着くまでそっと見守ってくれていたかのようなタイミングで給仕の少女が差し出したのは、


「こちらが、デミグラスハンバーグでございます」

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