第4話 デミグラスハンバーグと『黒猫トトの大冒険』.4

 ウェイトレスの少女が銀のお盆に載せていた料理をそっと私の前に置いてくれたのは、木製の器に熱された鉄板が載せられ、その上でパチパチと油を弾けさせているお肉料理。

 未知の料理、デミグラスハンバーグ。

 メニューの説明書きで挽肉とみじん切りにした野菜が入っている料理だということが分かり、アイルベンに流れ着いてからは安い馬鈴薯ばかり食べ続けて他の野菜を摂る機会も少なかったこともあり、ガツンとしたお肉とご無沙汰になっていた他の野菜も摂れて丁度いいのかもと思って注文してみたものだ。

 アンナの前にはその料理がホカホカと白い湯気を立ち昇らせながら、ジュウジュウと肉の焼ける香ばしい食欲を刺激する香りを漂わせている。

 デカい。

 それが第一印象だった。

 成人した男性の拳大程、それもガッシリとしたがたいの良い大柄な男の人の拳の大きな挽肉の塊がジュウジュウと脂を弾けさせながら鉄板の上で今も焼かれていて、その上に黒に近い茶色いソースがたっぷりとかけられている。

 ゴクリと自然と喉が鳴り、お腹がグウ~とまた鳴り出しそうになる。

 匂いだけで分かる。

 実家にいた頃に食べていた、脂っぽくて胃がムカムカしてきそうな獣臭さも抜けていない安肉なんかと比べるのも失礼なぐらいこれは美味しい。

 それを引き出しているのであろう茶色いのソースも、どこか野菜や果実の甘みにも似たくどくない深み?(肉は焼いてかぶりつくか、軽く塩を振って食べる食べ方しか生憎知らないので、ソースのかかった肉は初めてなせいでよく分からないけれど)があるのか、クンクンと行儀が悪いと思いと思いながらも香りを嗅いでみると鼻腔から頭の中に突き抜けていく肉や野菜の旨味がたっぷりと凝縮された幸せな香りにウットリと頬が緩む。

 木のプレートの上に嵌め込まれた鉄板の上でアンナの胃袋をあっという間に鷲掴みにしたデミグラスハンバーグの側には、付け合わせの3つの野菜も同様に鉄板上で美味しそうな焼き目を付けている。

 半円形に切られたのは馬鈴薯だろう。

 しかし、田舎や今の寝床で齧っているようなボソボソと口の中の水分を根こそぎ奪い去っていくだけの馬鈴薯ではない。

 皮つきのまま鉄板で焼かれた馬鈴薯には黒い小さな粒々のような物が振りかけられており、ピリッとした香りがこちらに漂ってきて、あれが食べ飽きた馬鈴薯の味を全く別のものへと変貌させているのは明らかだった。

 親指大の大きさにカットされた人参は香ばしい香りを醸し出しながらも、つるりと光沢感を感じさせる表面から何かしらの調理が施されているのが見て取れた。

 黄色い粒々にキツネ色の焼き目でお化粧を施されたのはトウモロコシという野菜だろう。食べたことはないが、町の市場に並んでいたのを見たことがある。あの小さな粒にどんな味わいが詰まっているのか確かめるのが今から楽しみだ。

 そして、木の器から少し離れた位置には小さめの藤籠のバスケットが置かれ、真っ白な上等な紙が中に敷かれている。その上に載っているのは雪兎がコロンと丸まっているのかと思ってしまう程に綺麗な白色の生地が美味しそうな白パンだ。軽く指で上から押さえてみると、ふわふわとした感触ながらも芯のある弾力感も感じる不思議な触り心地で、自然と胸が高鳴ってしまう。

 メインのデミグラスハンバーグから攻めるべきか、はたまた付け合わせの野菜から攻めるべきか、ふわふわモチモチに決まっている白パンから攻めるべきか、思案のしどころだ。

 悩ましい問題だが、店に入る前から既に口の中はお肉の口になってしまっている。

 ましてや目の前に鎮座しているのは、今までの人生で食したことのない絶対に美味しいお肉。

 野菜から楽しむのも悪くはないが、ここはやはりデミグラスハンバーグから頂くべきだろう。


「それでは、いざ」


 ナイフとフォークを手に取り、ゆっくり慎重に刃を滑らせる。


「うわ、すごく柔らかい!」


 ある程度の固さを予想していたが、それに反してこんがりと焼けた肉にスッとナイフが通る。

 すると、合い挽き肉がギッシリと詰まった断面からジュワ~と肉汁が溢れ出し、自然と生唾を飲んでしまう。

 ゴクリ。

 立ち昇る肉の旨味を濃縮した湯気が鼻腔を通じて頭をノックアウトされそうになるが、こうしている間にも肉汁は鉄のプレートの上に流れ出てしまっている。


「は、早く食べないと勿体ない!」


 未知の料理に対する躊躇よりも、いち早くこの料理を口一杯に頬張りたいという食欲に負けたアンナは一口大というにはやや大きく切った肉にフォークを突き刺す。

 何の抵抗感もなく貫くことが出来たそれは、ソースの濃厚な香りを漂わせていて、自然と口の中に唾が溢れ出してくる。

 年頃の乙女としては大口を開けて肉を頬張ることに恥じらいを感じないでもないが、ここには知り合いもいないし、自分以外の客もまだいない。

 

「行儀は悪いかもしれないけど、ここは一口で!」


 アンナは大きく口を開けてフォークを口の中へと運び、ゆっくりとハンバーグを頬張る。鉄板で十分に熱された肉の熱さにハフゥと息を吐きながら、それを噛み締める。

 その刹那、口の中に洪水のように溢れ出した肉の旨味に頭にガツンとした衝撃が走り、思わず口元を手で覆う。

 なんだろうこれは。

 今まで食べた中で一番と言っていい!

 美味しい! 美味しすぎる!

 噛んだ瞬間に更に溢れ出した熱い肉汁の旨味と、中までしっかりと熱が通った肉のジューシーな味わい。

 噛めば噛む程、肉を食べている!ということを実感出来るドッシリとしたボリューミーな肉の美味しさが口の中で弾け、さっさとゴクンッと飲み込んでしまうのはあまりにも勿体ないと感じる程だ。

 そして、その肉の美味しさを何十倍にも底上げしているのが、あの茶色のソースだ。

 口の中で肉汁と混じり合ったソースの甘みとコクがお肉の味に深みを与えていて、これがないとこのハンバーグという料理の美味しさの真価は発揮出来ないだろう。

 肉だけではなく野菜も煮込んでいるのか甘みの強いとろりとしたソースの風味と、お肉に混ぜ込まれているらしいオラニエのしっかりと熱を通したことで生み出された甘さが一つに溶け合って最高の美味しさを奏でている。

 予想以上の美味しさに表情が蕩けそうになるのを抑えながら、付け合わせの野菜にもフォークの切っ先を向ける。

 まず最初に口に運んだ馬鈴薯は、カリっと焼けた皮の表面の食感(皮付きならではの食感で、私は皮付きの方が大好きになった)を楽しみながら、振りかけられていた黒い粒々のスパイシーな辛みで全体的に味が引き締まった味わいと、私が今まで食べていた馬鈴薯とは別人と言っていい芋のホクホク感に目を丸くした。

 人参もじっくりと煮込まれていて舌の上で蕩けて消えてしまうような食感と、バターの風味と香りが口と鼻を両方楽しませてくれる。

 トウモロコシは小柄な粒の中にビックリする程の甘みが詰まっていて、噛み締める度に粒から溢れ出す甘い果汁のような味わいに夢中になってしまう。

 そして、ふわふわと柔らかくてしっとりとした口当たりの白パンは甘さが控えめで、濃厚なデミグラスハンバーグを食べる合間に口に運んでも、甘さがくどくない為口に残ったお肉の風味を阻害することなく、優しいバターの風味が楽しめて心がホッとするような味だった。

 まさに至福の時間だった。

 思っていたよりもボリュームのあった料理はあっという間にアンナのお腹に消えてしまった。

 素晴らしい食事が終わってしまったことへの落胆もあるが、沢山の幸せで満たされたお腹に幸福感を感じつつ、アンナは絶対にまたこの店に来ようと固く決意する。

 今回注文したデミグラスハンバーグ以外にも、未知なる美味しい料理が眠っている筈だ。

 だけど、私の中の一番はこのハンバーグと、


「また読みに来るからね」


 お気に入りの一冊を携えて本棚に戻すと、給仕の少女の案内を受けて会計を終えて、「またのお越しをお待ちしております!」と犬が飼い主の帰宅を喜んでいるかのように人懐っこくも和やかな笑みを浮かべてくれた彼女に手を振り店の外に出る。

 外は既に日も暮れて夜の帳も下り始めている。

 後はこのままあの寂しい我が家に帰るだけだ。


「……帰ろっかな」


 温かなご飯がある訳でもない。

 おかえりと迎えてくれる家族がいる訳でもない。

 だけど、あの貧相な物置小屋が私の家だ。

 あの田舎の村を飛び出し、外の世界に旅立った私の家だ。

 今はまだトトのように、側で優しく共に歩いてくれる人はいない。

 だけど、この町にはいないけれど私を心配してくれる家族がいる。

 私の為に怒ってくれる人がこの町に最低でも1人はいる。

 ひとりぼっちなんかじゃない。

 私は幸せ者なんだ。

 ウジウジ悩んで自分を卑下しているよりも、自分を支えてくれる人達の思いを支えに頑張ることを考えた方がいい。

 そして、いつか自分が支えてもらっただけ、その人達を自分が支える側になれるように努力しよう。

 簡単にはいかないかもしれない。

 きっと難しいことだ。

 心が折れそうになる時もあるに違いない。

 そんな時は、


「おいしいデミグラスハンバーグと、トトに会いに行こう」


 私はそう呟き、一度だけ後ろを振り返り沢山の素敵に彩られたお店と風に吹かれて舞い散るサクラの花びらをしばらく眺めてから、ゆっくりとした足取りで家路に着いた。

 

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